トントゥを見ることが出来なくなった私ができること
サウナイキタイ アドベントカレンダー 12日目の記事です。
お別れは突然やってきて すぐに済んでしまった。
それは映画のようなドラマチックなものではなく、旅先でなくしてしまったお気に入りの帽子のようなもので、気がついたときにはもう、どうすることもできず、ただただ打ちひしがれるしかなかった。
私がトントゥと出会うまで
もうはっきりとした時期は思い出せないが、2005年から2016年くらいまで、私はひっそりと、孤独に温浴施設に行くことを楽しんでいた。
当時は毎回、サウナや湯船で汗をかき体重を2キロ落とすことをルーティンとしていて、限界まで熱湯と外気浴を繰り返し、しばらく間をおいてからサウナをはさみ、水風呂を経由して温泉で〆るという流れが好みだった。
あちこちの施設を次々にスタンプラリーするのではなく、よみうりランド丘の湯、稲城の季の彩、巣鴨のSAKURAなどの比較的大箱の施設や、南青山清水湯、西尾久梅の湯や尾久湯〜らんどなどの、生活動線上にある銭湯へ気分で使い分けながら通っていた。
たった6、7年前は、週に2回も3回も風呂屋に行こうものなら奇異の目を向けられ、少なくとも「サウナが趣味です」の切り口からコミニュケーションを発展させられるような時代では無かった。
そう強く思い込んでいたこともあり、SNSでの情報収集というごく自然な行為すら頭に無く、せっせと銭湯へ足を運んでいたある日、『マツコの知らない世界』というテレビ番組で「マツコが知らないスーパー銭湯の世界」なるものが特集されると知り、テレビのチャンネルをあわせた。(サウナでなくスーパー銭湯であるのも時代だ)。
すると、とっぽいお兄さんたち3人組が自分の全く知らない楽しみ方でサウナを嗜み、行ったことのない施設(ユーランド鶴見、大宮SPA-HERBS、タイムズスパ・レスタ)を紹介しているではないか!
しかも、どうやら「ととのう」なる概念を提唱している!
俺だってとっておきの施設を知っているぞ、と思いつつ、気がつけばすっかり引き込まれていた気がする。
休憩椅子にもたれかかりながら熱弁するモヒカンさんの様子は、まだありありと脳内で再生することができる。
温浴施設愛は自認していたけれど、自分とは全く異なる概念や世界観を持ったサウナがあること、温浴施設を利用している人たちがいることが、とにかく衝撃的だった。
トントゥからもらったもの
その後、S.O.Tさんのブログをきっかけに『湯守日記』、『旅は哲学ソクラテス』、『府中白糸台日記』、『サウナ大好き、走る水風呂番長日記。』、『ひろぶろぐ』と次々にブログを読み漁っていった。
この頃は、ブログによる情報収集が主で、その他はまだまだ口伝が多かったのだ。
『サ道』は、この頃に存在を認識した。
タナカカツキさんは、もともと『バカドリル』や『オッス!とん子ちゃん』が大好きだったが、マンガから少し離れていたこともあり、知ったときはこんな作品もやってたのか〜という親近感を感じた。
5年くらい放置していたTwitterを再開し、面白そうな人たちを次々とフォローしていった。ピュアに、熱く、サウナについて語り合う人々だ。
他の分野には無い、平和で気さくな世界がそこにはあった。
2017年の春頃、お互いマルシンスパを頻繁に利用していたことがきっかけで、かぼちゃ氏(a.k.aサウナイキタイ、しらかばスポーツ)と出会い、ヨモギーさん主催イベント「女子サウナの世界」に参加したことにより、爆発的に世界が広がっていった。とにかく凄い熱気だった。
サウナ女子さん、サウナ姫さん、塩谷歩波さん、そして小学生だったマーちゃん……。
SaunaCamp.(a.k.aしらかばスポーツ)の大西くん、サウナ女子さんとテルマー湯ではじめて会ったのもこの直後だった。
この頃は毎日が楽しく、仕事はほどほどに、取り憑かれたようにサウナにのめり込んでいった。
未知の施設を開拓することも楽しかったが、何よりも、情報を共有したり、色んな試みをしたりできる仲間が増えたことが嬉しかった。
ニューウイングの吉田さん、ブタゴリくん、そしてサウナが好きすぎて梅田の大東洋に半年以上暮らしていたくたびれサラリーマンさんと、スカイスパの食堂で明け方までサウナの話をした夜は、今でも忘れられない。
『SLUM DUNK』に出てくる陵南高校の福田のように、ひっそりとつつましく楽しんでいた頃から比べると、短期間で劇的に環境が変わり、嘘のようだった。
これはきっとサウナの神様・トントゥが、日頃耐え忍んで細々と生きていた自分に贈り物をくれたのだと思った。
この頃は、スターを手にしたマリオのような、10代のころの根拠のない全能感のような感覚が、僅かに蘇っていた気がする。
スパプラザに惚れ込み、大垣サウナに心酔し、サウナサンに心が震え、ニューウイングに救われ、ロシアでウィスキングと出会った……。
いくらでもスポンジのように吸収できた。
時折、自身でブームを揶揄する発言をしておきながら、ブームにどっぷり浸かり、無意識にブームを謳歌していた。
しかし、このバブルのような勢いは私の中で長く続くことはなかった。
2019年頃からなんとなく自分の中で陰りを感じていたが、2020年になって一気に進行することになった。
トントゥとの別れ
子育てが始まり、サウナ漬けの生活から180度ひっくり返り、時の流れの上昇気流から転げ落ちたことに加え、コロナ禍が襲来した。
自分が罹患してしまったこともあるが、騒動が始まってからは、自分の家族と生活を守ることでいっぱいいっぱいで、正直サウナどころではなくなってしまった。
私の環境の変化とは裏腹に、サウナブームはますます勢いを増していった(実態としてのブームの正確な規模についての検証はこの場において問題ではない)。
勢いが増せば増すほど、自身の状況と乖離したように感じたからなのか、あまりにも上辺だけの情報が溢れているように感じた。
しっかりと地に足をつけてコンテンツを育て、醸成していく気概は皆無で、ただただ自己顕示のお手軽ツールとして貪るようにサウナが消費されていく様を見せつけられて、心がどんどん冷えていくのを実感した。
だからといって、サウナが大好きであることには変わりはない。いやむしろ、サウナについては、構造、材質、水質、動線、施設の造り、キャパシティ、立地など、興味が尽きることはないし、しらかばスポーツでの活動、ウィスキングそのものにまつわること、ウィスキングを通して関わる日本の温浴業界、世界のサウナ事情は刺激的なことばかりで、学びは終わることがない。
というか、サウナをやめられるわけがない。
けれども、憑き物が落ちたように、自分の中で絶えず湧き上がっていた衝動は、いつの間にか消え去ってしまった。
そんな自分に抗うように、発奮させてくれる刺激的なサウナ情報を探して、日夜Twitterを彷徨っても、陳腐なノイズばかりが目に入り、あの時の輝きはもう目に映らなくなってしまっていた。
それもそのはず、私が好きだったサウナ愛好家たちは、SNS上から軒並み姿を消してしまった。
大人になった、卒業したなんていう綺麗なものではなく、どことなく積み重なった居心地の悪さに嫌気が差し、身を引いてしまったのだと推察する。
もしかしたら、私のような状況に陥り、それどころじゃなくなってしまったのかもしれない。
私が孤独から脱却するきっかけを与えてくれた、敬愛するSOTの方たちも、もうほとんどサウナに関することを発信されなくなってしまった。
これは当たって欲しくない予感だけど、たぶん、恐らく、もう姿を消してしまった彼らは、もう戻ってはこない気がしている。
自分にとってのサウナの神様・トントゥは、風のように去っていった先達たちだったのだ。
彼らのおかげで、今のしらかばスポーツをはじめとする仲間たちに出会えた。
必然的にブームを考える
今まで未開拓であった荒地を整地し、インフラを整え、種をまき、下地を積み上げてくれていた先人たちがいてくれたからこそ、肥沃な大地を活用することができたということ他ならない。
サウナイキタイが登場してから5周年。本当に喜ばしい。
ずっと応援してきたし、これからも応援していく。
けれども、最初期の段階でとっておきのサウナ施設情報を惜しげもなく披露してくれた人たちがいたということを、それらの情報が今サウナーたちの心をつかんでいるサウナメディアの情報の源泉であるということを、わずかでも考えたことがあるだろうか。
残念ながらそんな人はごく少数だろう。
その道を古くから愛好している人達を「古参」と呼ぶことがあるが、個人的にその言葉は、線引している人間の利己的な思惑が感じられて好きではない。
確かに、単に歴が長いだけで、新しい物をうけいれず、新規の参入者を排除しようとする者が多いことも事実だが、「古参」と一括りにして、鬱陶しがる行為もまた、同じ穴のムジナである。
先達が一生懸命黙々と積み上げた情報にフリーライドし、あわよくば出典の「奥付」を自分の名前に書き換え、あげく自分の足元から歴史の線を引き直した上で、排除までしてしまうなんてあまりにも扱いが酷ではないか。
ブーム前夜の、知る人ぞ知る貴重な瞬間を肌で感じることができた喜びよりも、濁流に飲み込まれて、残酷なまでに散り散りにされてしまったことへの終わりのない悲しみが、どうしても捨て去ることができないでいる。
ブームってそういうものです、単なる新陳代謝です、などとわかったような口を利かないでほしい。少なくとも、もっと着実に、もっと豊かな未来が実現可能だったはずなのだ。
もっと裾野を広げ、大事に育てられることができたのだ。
きちんと発酵しきっていないパンのタネを焼いても美味しくないのと同じだ。土台作りをさぼった土壌に、いくら良い品種の種をまいたところで、ベストな収穫ができるわけがない。
このままいけば恐らく、岩盤浴のときのように、きっかけ一つでサウナブームは一気に弾けて終わってしまうだろう。
私は、勝手にどんどん燃やされて、「サウナにハマってた時期あったわ~」なんてしょうもない会話のネタに成り下がって、勝手にサウナが実態のない世論に総括されていくのはごめんだ。
今からでも遅くはない、今一度、よく考えてみませんか。
限りあるブームの燃え種を、もう少し有効に、大切にしていきませんか。
私は少なくとも、ブームの効果や恩恵が全国の温浴施設に届くまで、ブームが終わらないよう大事に接していきたい。
私がトントゥになる番が来た
私は、もう十分にサウナを楽しませてもらった。
これからは数年前までほぼ日本に存在していなかったウィスキングを、日本の風土に、日本の気候に、日本の温浴施設に、日本の人々に自然と適合しうる形で普及に尽力したいと考えている。
ほぼゼロの土壌からのスタートなので、一朝一夕にはいかない。日進月歩で根気よく根付かせていく。
しかし、どうやら悲しいことに、ウィスキングも恰好の消費対象として、目を付けられはじめたようだ。
ウィスキングが、謎の民間療法的なイメージのものに闇落ちしないよう、真摯に取り組みを続けたい。
どこまでやれるかはわからないけれども、もう自分にはトントゥがいないけれども、あの日、あの頃、サウナの世界に導いてくれたトントゥたちのように、ウィスキングをきっかけとしてサウナの素敵な世界に一人でも多くの人を導けるよう、誠心誠意啓発に努めていきたい。
まだまたサウナを知ったばかりの私ですが、サウナがただの流行では無く、フィンランドなどのように日常生活のほっと安らげる場所であったり、日々の生活を豊かにするものであって欲しいと思っています✨😌
まだサウナ歴1年未満の新参者ですが、興味深い記事でした。現状サウナ関連について楽しんで吸収している状態ですが、メジャー化による民度の低下のようなものを感じます。偉大な先人達のような方々に会えると信じてサ活をし続けます。
はじめまして。 まだまだ新参者ですが、このサウナイキタイの先輩方の情報にすごく感謝しながら、サウナ楽しませてもらっています。いつもありがとうございます。
ありがトントゥ!
共感でき、しみる文面でした😂
若干、なきました。 素晴らしい文章です。
純粋なサウナ好きがいる限り、大丈夫。
自分の抱いていたモヤモヤを全て昇華させてくれた内容でした。ありがとうございました。 応援してます。
ものすごく良い記事でした。
サウナはすきだけど、こういう流れが続くならもうあんまり行かなくていいかなって気持ちがちょっと軽くなりました。ありがとうございます。
一気読みしてしまいました。
はじめまして。 興味深く拝見しました! 私はスノーボード歴20数年、サウナ歴10数年です。 スノーボードは資格を取りインストラクターをしたり大会にも出たりと濃い時期もありました。4年に一度だけニワカが増え〝スノボ‘’ が盛り上がる事に違和感を覚える時期もありました。 しかし、何年もスキー場で生活し、温暖化、施設老朽化現地高齢化、何よりレジャー人口減… 沢山練習した大好きなスキー場が無くなったり、ハーフパイプに至ってはコストや人手不足で沢山無くなりました。 スキー場は皆んなの物。 マナーや最低限の安全知識も知らずジャンプ台の下に休憩する人も居ます。 スーパーキッズや有名選手も隣で滑っている事もあります。 週末を楽しみに来たファミリー、日課の地元の年配スキーヤー、大学生の男女の団体や、カップル。 当たり前の光景がこれからも続いてほしいです。 今は私自身ライフステージも変わりサンデーボーダー以下の薄いファミリーボーダーです。 小学生の息子もスキー場にこれから沢山遊びに行ってほしいです。 今後、高校や大学の友達と…きっと楽しい思い出になります。 日本はメジャーもマイナーも各業界が人口減で既存のマーケット規模は減っています。 玄人による、玄人の為の物ばかりでは不自然です。 ゲレンデに立てば、銭湯に浸かれば、子供の頃から当たり前に愉しむ人も、彼氏に誘われて初めて来た女子も、最低限のマナーや安全知識を身につけて楽しむ場であってほしいです。 日本ではサウナよりスノーボードの方が歴史は浅いですが、競技人口が減っていく中、平野兄弟等、文化としては確立していると思います。 サウナもこれからトリプルコーク1440打てるようになると思います。(スミマセン) 色んな楽しみ方で定着、発展、普及して欲しいです。 因みに我が家はスキー場サウナを家族で楽しんでいます。 ぷいぞうさんも頑張って下さい。 長文失礼致しました。
素敵な文章でした。ありがとうございましたー🐸
翌日の記事と合わせて、このブームの何たるかを理解できました。自分にとってサウナは「レジャー」じゃなくて「居場所」なので、できる範囲で守っていきたいと思いました。
ファイト💪