オトナになるということ
サウナイキタイアドベントカレンダー 4日目の記事です。
祖父が死んだ。92歳だったそうだ。大往生である。
都心のベッドタウンに生まれた私にとって、千葉の太平洋側の海沿いに居を構える祖父の家は別世界のように感じられるほど田舎だった。トトロのロケ地だと言われても違和感のない風景の中、祖父は1人で住んでいた。幼少期の私は年に2回、お盆と正月に両親に連れられて祖父に会いに行っていた。

私は祖父とあまりコミュニケーションを取りたがらなかった。千葉県と言えども海沿いの地域で方言が強く、いまいち会話がしづらかったし、そもそも私が少し人見知り気味であった。
祖父もまたシャイな人で、用事がある時以外は私に特に話しかけてこなかった。もちろん家族みんなで海に行ったり、花火をしたり、居間で箱根駅伝を見たりはしたが、基本的にははしゃぐ私をニコニコと眺めていた様子であった。
葬儀に参列している最中、祖父との思い出を振り返っていた。海ではしゃぎすぎて怒られていた私を心配そうに見てたなあとか、じいちゃんの手作りの餅が異常に美味かったなあとか、そんなことを思い出しているうちに、一つ、大事なことを思い出した。
私のサウナデビューは、祖父とのサウナだった。
確か、私が小学校に入学した年だったと思う。我が家では盆休みに祖父の家で一泊することが恒例となっており、その夏も例に漏れず祖父の家で夏を過ごしていた。
前述の通りシャイな祖父は、私や兄にはあまり話しかけず、基本的には父親と近況を報告しあっていた。私の方はというと、到着し次第兄に連れられて、浮き輪片手に海に向かっていた。
木造平屋建ての祖父の家は敷地面積こそ大きいものの、7歳の子供が楽しめるようなものなど無かった。広大な庭でキャッチボールするか、近所の砂浜海岸へ遊びに行くくらいしかやることがなかったのである。
しかし、その年の私はあまり乗り気ではなかった。理由は単純。その日は海に入るにはあまりにも寒すぎたのである。兄は到着するなり海へ飛び込み、なんとなく私も一緒になって海へ飛び込んだ。飛び込んでみたらやっぱり楽しいもので、母に見守られながら、兄と2人ではしゃいでいた。

ひとしきり海を(主に泳ぎで)満喫した私は祖父の家へ帰っていったのだが、家に着く頃にはなんだか肌寒く感じ始めていた。気のせいだろうとあまり気にせず過ごしていたのだが、やっぱりちょっと寒い感じがする。家のお風呂を貸してもらおうかと考えていた矢先、祖父が私を見つめているのに気がついた。
「おいタカヒロ、銭湯行くか。」
その言葉に驚いたのをよく覚えている。両親も兄も私が寒いと感じていたことには気付いていなさそうだったが、祖父だけは私の異変に気付いていたのだ。私は二つ返事で了承した。
祖父が連れて行ってくれた銭湯は、いかにもその土地の住人しか来ませんといった佇まいの、良く言えばレトロな、悪く言えば古ぼけた銭湯だった。脱衣所には鍵付きのロッカーなんてものはなく、ところどころ黒ずんだ木の棚に、かなり年季の入ったカゴが置いてある。ほかに客はいなさそうだった。

着ていた服をカゴに投げ入れ、祖父とともに風呂場に向かう。浴室への引き戸を開けると、シャワーが何個か、そして5〜6人入ったら満員になるであろう大きさのタイル張り浴槽があった。
祖父とともに身体を洗い、風呂に浸かる。特に会話もなく子供ながらに気まずく思っていると、祖父が話しかけてきた。
「海、寒かったべ。」
「うん、ちょっと寒かった。」
「だべ。寒いのは嫌いか。」
「そうでもないけど、なんかねえ、今日は海冷たかった。」
「そうかそうか。しっかりあったまれや。」
ニヤリとする祖父。うん、と返事し肩まで湯に浸かる。やや熱めのその風呂は温泉でもなければ入浴剤すら入っていなかったが、祖父と私以外に誰もいないこともあってかのんびりすることができ、とても気持ちよかった。
5分くらい入っていただろうか。そろそろ湯から出るかと考えていると、唐突に祖父が立ち上がり奥の方を指差した。
「タカヒロ、サウナ入んべ。」
祖父が指差した方をよく見ると、奥まったところに木製の扉があり、中がぼんやりと明るい。
普段住んでいる家の近くにあるスーパー銭湯にもサウナはあった。ただ父からは「タカヒロにはまだ早いな」とサウナへの入室を止められていた。何やらすごい熱い部屋らしい、ということだけは知っていた。なんとなく父に申し訳ない気持ちになり、祖父にその旨を伝えることにした。
「父さんにサウナはまだ早いって言われてて……。」
すると祖父はやはりニヤリとして、
「タカヒロはもう小学生だべ?じゃあ『オトナ』だ。大丈夫だっぺ。」
と言った。
そうか、俺はもうオトナか。サウナ、入っちゃうんだ。新しいものへのワクワクと、サウナに入れるほどオトナになったという嬉しさと、ほんの少しの背徳感を祖父の言葉から感じた。
木製の扉の前に立った。曇ったガラスからは暖色系の光が漏れ出ている。なんとも言えない香りを感じながら、期待と不安を胸に重い扉を開けた。
その瞬間、今まで経験したことのない熱気がムワッと私に襲い掛かり、すぐに身体全体を包み込んだ。私は思わず身体を丸めながら祖父の隣へ急いで座った。
熱い。息苦しい。ちょっと汗臭い。お尻も熱くなってきた。隣の祖父をチラッと見ると、背筋をピンと伸ばし腕を組んで目を閉じていた。そうするものなのか、と真似をして腕を組んでみたが、ちっとも楽にはならなかった。時計を見ると1分も経っていなかった。
「おい、出るか。」
そんな私を見かねたのか、祖父が私の手を取りサウナ室の扉を開けた。小走りでサウナ室を飛び出し、肩で息をする私を見て、またしてもニヤリと笑った。
「タカヒロ、まだ『オトナ』じゃねかったな。」
私はムッとしたが、反論する余裕もなくシャワー用の椅子で少し休み、また風呂に浸かってから浴室の外へ出た。
祖父の葬儀の帰り、私は今住んでいる家の近くのホームサウナに寄った。久しぶりに着た喪服の締め付けと長距離運転のダブルパンチで私の肩はバキバキに凝っていた。

木製の扉を開けて、ムワッとした熱気の中に裸一貫で飛び込む。あの時1分と我慢できなかった私は、4倍以上の年を重ねて、8倍の時間我慢できるようになっていた。
いつもは脚を組んで、壁に設置されたテレビをぼんやり眺めているが、今日は背筋をピンと伸ばし腕を組んで目を閉じてみる。頭にはサウナハット。お尻には自分専用のシート。汗臭さはなく、ヴィヒタの香りが充満している。息苦しさは変わっていないが、それすらも楽しむ余裕がある。俺もオトナになったなあ。
しばらくその姿勢でジッとしていると、不意に子供の声が聞こえた。目を開けると、小学校低学年くらいの子供を連れた親子が入ってきた。
静かにするんだよ、と小声で子供に伝え、そのサウナ室の中では一番温度の低い箇所に座る。子供は小さな声で熱い、熱いと言いながら背中を丸めていて、父親は少し不安そうな目で子供を見ていた。
ついに子供が限界を迎え、父親の手を引きながらサウナ室から出ていった。時計を見ると、親子がサウナ室に入ってから2分経っている。
おいおいやるじゃないか。
あの時、帰りの車内で祖父が買ってくれたアイスを舐めながら、私はサウナで我慢できなかったことがなんとなく悔しかった。多少歳を重ねたところであんな地獄のような空間に長く入れるとも思えなかったが、それよりもオトナへの階段を踏み外してしまったような気がしていた。
そもそもオトナとはなんなのか、どうなったらオトナになれるのか。今思えば、あの時の悔しさの裏側で私は、そんなことをぐちゃぐちゃと考えていた気がする。少なくとも祖父はオトナで、残念ながら私はオトナではなかったのだ。
「じいちゃん、サウナ入れるようになったら『オトナ』?」
オトナなら何かを知っているかもしれないと、私は祖父に聞いてみた。祖父は少し考えた後、こう答えた。
「いや、サウナに入ることじゃねえな。いつサウナを出るか決められるようになったら『オトナ』だな。」
ふーん、とだけ返したが、意味はよく分からなかった。アイスの棒を齧りながら、それ以上は考えるのをやめた。ただ、またサウナにチャレンジせねばならないと私は強く決心していた。
祖父と直接交わした会話は多くなかったが、サウナと一緒に「オトナになるための条件」だけはしっかり受け取った。
「いつサウナを出るか決められるようになったら『オトナ』だな。」
寒い日の海に入るかどうかも、灼熱のサウナを出るタイミングも、自分のことを、自分の責任で、自分で決められるようになったらオトナになれる。まあこれは拡大解釈かもしれないが、そうだと信じて今まで生きてきたし、これからも生きていきたい。
サウナ室でもう一度目を閉じた。じいちゃん、こんないい趣味を教えてくれてありがとう。俺もじいちゃんくらい生きられるように、自分の責任で、自分の道を決めて、自分の足で歩いていくよ。
そうひとりごちてから、あの時の銭湯にはなかった水風呂へと向かうべく、私はサウナ室から出た。なぜならサウナ室に入ってからすでに8分経っていたのだ。
胸にジーンときました。 ありがとうございました。
お爺ちゃんからの教えってなんであんなにも不思議で心地良かったんでしょう。「オトナとは…」改めて考えさせられ感動しました。。
時々サ室でマナーがいいオトナ子供見るとなんか嬉しいっすね🎄
素敵な思い出に、心もあったまりました!
大人になるための条件、心に残りますね🙏
僕もやさいさんと同じく、小学生の時に祖父と銭湯やスーパー銭湯のサウナに入ったことがサウナの始まりでした。 この記事を拝読し、昨年亡くなった祖父のことを思い出し少しうるっときてしまいました。素敵な記事をありがとうございます。
しみました。
素敵なお話でした☺️
良き思い出ですね!しみました🧖♂️
決断出来ることは大人への階段。ストンと腹落ちしました。ありがとうございます。
いい話(*´꒳`*)
過去の忘れられないサウナ体験を回想するの、すごくいいですね。体験の一つ一つが人生を彩ります。
ビール片手に読ませて頂きました♪。 良きお話でビールも美味しい
いい話でした。ありがとうございました。
はじめまして😊 コメント失礼します。 オトナになられたことを祖父さんも喜ばれているでしょうね👍 心温まるお話、ありがとうございました😊
グッと来てしまいました。大人ってそういうことですね。
引き込まれる文章でした🐥 私も息子とのサウナを楽しんでます
感動
沁みました
なんかじーんときました。 アドベントカレンダーってほんとに楽しいですね!
学びもあり、心に染み入ります。街の銭湯のように温かい記事でした♨️