わたしはごきげん第4回「尋常じゃない愛が導いてくれる場所」
毎日のようにサウナに入る、サウナイキタイポスターでもお馴染みの清水みさとさん。サウナに向かう途中やサウナ室でトラブルに見舞われても、大丈夫。むしろラッキー。生活の中にちりばめられた「ごきげん」を集めて過ごす日々を綴る、今日も一日がちょっと楽しくなるエッセイです。
わたしのサウナへの愛は生半可じゃない。
19歳でサウナを好きになってからずっと、わたしは毎日サウナに行く。高熱、コロナ、アフリカにいるというやむを得ない場合を除いて、ほんとうに毎日。
朝・昼・夕・夜、隙さえあればサウナに行きたい。わたしは隙を見つけるプロフェッショナルだから、それはたとえば、整理券のある飲食店の待ち時間で、舞台のマチネとソワレの間で、大学の3限と5限の空き時間。
昔、某コンビニエンスストアのコールセンターでアルバイトをしていたとき(クレーム対応)、45分間の貴重な休憩時間にもサウナへ行った。
タイムカードを切る「ジーガチャガチャ」という地味な合図がわたしにとってはスターターピストル。
その瞬間、わたしは人目も憚らずに走りだす。
ジムのサウナまで歩くと10分、全力疾走で4分弱。こうみえて、中学生のとき陸上部だったから走るのは結構得意なほうで、なるほど、このための陸上部だったわけである(違う)。
タイムリミットの45分から移動時間往復約10分を差し引いて、サウナを楽しめるのは35分。隙間時間には十分だ。
信号ひとつない246沿いを一心不乱に駆け抜けた。
遅刻でも忘れ物でも、こんなに速くは走れない。サウナのため、ただそれだけでこんなにも底力が出せるんだから、持てる全ての力は、好きなものにこそ本領発揮するんだと思った。そうやってビヨンドしていくんだ、きっと。
息を切らして辿り着いたスポーツジム。更衣室に着くやいなや、わたしは迷わずズボンとパンツを一緒に脱ぐ。ブラのホックは服の上からパチンと外して一気にバサっと脱ぎ捨てる。
2手で見事な丸裸、正味15秒。
ガサツに見えて、実は1番美しい脱ぎ方だとわたしは真剣に思ってる。
ゆで卵だってこまごまむくより、殻がつるんと大きくめくれる方が美しい。わたしの所作と早さはほんとうにすごいと自負している。
品ある早脱ぎ、それはサウナが生んだ賜物だ。
10分前まで平然と電話対応していた女は今、丸裸でサウナにいる。
コールセンターでは、困ったり怒ったりしている大勢からの電話が延々鳴り止まなくて(毎日)、わたしは朝もはよからありとあらゆるネガティブなクレームを持ち前の柔らかな声でバシバシさばき倒した。
当時のあだ名は女神だった。
残り3時間働くために、パサパサに乾いた心をサウナで潤さなくちゃ、茨木のり子に怒られる。熱いサウナで汗をかき、冷たい水風呂で体をキュッと締め、イスに座ってぼーっとする。
やってることは、ほぼうどん。
でもそうすればうどんにコシが出るように、人間たるわたしにもコシがでて、疲れも弱さも気だるさも弾き飛ばす強いコシがむくむく育つ。
そうして急ピッチなサウナを2セット終えたわたしは、もう仕事に行かなくちゃいけない。
隙間サウナに差し迫るタイムリミットは容赦ない。びしょびしょの髪の毛を乾かす暇なんてちっともなくて、濡れた髪をなんとか誤魔化すために、わたしはいつしかおだんごヘアをするようになった。
今じゃトレードマークになったこの髪型は、バイト先でサウナ狂いだと知られないためのカモフラージュだった。
ハマるととにかく生半可じゃいられないわたしの行動が、わたしの人生を大きく変えた。
サウナの仕事がみるみる増えて、サウナ好きの人と結婚して、あの日コールセンターの女神だったわたしは、今じゃサウナの女神とか呼ばれたりして、全然そんなことないんだけど、そんなことないって謙遜するのはもう飽きたので「ありがとう」と言っている。
とにかく冗談抜きで、わたしの人生のど真ん中にサウナがある。というか、いる。心強くて仕方がない。
たったひとつ際限のない好きがあれば、きっとすべては大丈夫になる。どこまでだっていける。
わたしは本気でそう信じている。
可愛い記事w すっぽんぽん美学素敵すぎます♪
サウナ好き加減が最高😊
最高ですよ!!