人が集まる“場”をつくる薬湯&サウナ ofuroba(長崎県北松浦郡小値賀町)サウナ誕蒸#13
サウナ大好きクリエイティブディレクターの相沢あいさんによるインタビュー連載。サウナを作った方の想いやこだわりなどを深掘りしていきます。
サウナ施設を立ち上げた方へのインタビュー連載「サウナ誕蒸」。今回は佐世保港から小値賀島まで高速船で1時間半、小値賀港から徒歩30分に位置する薬湯&サウナ ofuroba。

築約120年の古民家を改修し、島内で解体された家屋の廃材を薪に、小値賀の赤土や廃寺の建具を用いてつくられ、茶室を思わせる躙り口の先には土壁とヒノキに包まれたサウナ室が広がり、薪の火がやわらかな蒸気を立ち上らせている、離島の小さな温浴施設です。
なぜ人口2000人ほどの離島で温浴施設を始めようと思ったのか。オーナーの立石光助さんにお話を伺いました。

立石光助
ofuroba代表
長崎県・五島列島の小さな島「小値賀島(おぢかじま)」にて、小さな公衆浴場「薬湯&サウナofuroba」を細々と営みながら、町議会議員として活動中。「島の暮らしと歴史文化を守り、次世代へつなぐ」をテーマに、島に既にあるけど知られていない、捨てられてしまっているようなヒトモノコトを発掘し、光を当てることに悦びを感じ、ライフワークとする。薪割りと湯沸かしの合間に火を眺め、営業終了後に掃除をしながら湯船に浮かぶのが癒しの時間。現在は島の杜氏(とうじ)文化を継承する日本酒「一二三」プロジェクトも進行中。
「好き」と島の課題を掛け合わせたら、お風呂になった
──温浴施設をつくろうと思ったきっかけを教えてください。
理由はいくつかあるのですが、まずは島内に温浴施設がひとつもなかったこと、そして家主を失った家が廃材となり山積みになっていたことが大きな理由ですね。
温浴施設に観光客が来れば、島の飲食店や宿泊施設も潤う。島民の半分以上が65歳以上で、高齢化も進んでいるので、身体を温める場所があれば健康の底上げにもなる。病院にかかる人が減れば、医療費の抑制にもつながるかもしれない。人を温めるサウナやお風呂の薪として廃材を使えば、廃材の山も減らすことができます。
移住が先にあって、「じゃあ島で何をする?」と考えたとき、僕の“好き”と島の課題を掛け合わせたら、お風呂になったんです。
ofurobaは空き家となっていた旧樋口邸を改築。築約120年ともなると、あちこちが傷んでいて、思いもよらぬところで工数が掛かったりもしたという。
──もともとサウナが好きだったのですか。
大学時代に風呂好きになって、バイクで秘湯巡りをしていました。そこから温泉や銭湯にも通うようになって。お風呂に入ってしまえば、みんな同じ裸。仕事や肩書き、立場なんて関係なく、同じ空間で過ごせる。その延長でサウナも好きになりました。
昔ながらの銭湯に行くと、地元の人たちが自然に集まっていますよね。刺青の入った強面の方がいたりもするけど、それも含めて日常の風景。そういう日本の銭湯文化や古い建物にだんだん愛着が湧いてきて、「自分で理想の風呂屋をつくりたい」と思うようになったんです。
通りからofurobaまでのアプローチ。静かに佇む古民家の軒先、歓迎するかのようにはためくのれんに胸躍る。
──なぜ小値賀島だったのでしょうか。
僕は長崎県佐世保市の出身で、熊本大学に進学したのですが、大学院を卒業してからは、神戸にある川崎重工でエンジニアとしてトンネルを掘削するシールドマシンの設計を担当していました。新卒の頃からずっと同じ会社で働き続けるつもりはなくて、いつかは九州に戻ろうと考えたんです。
5〜6年目くらいで、大きなプロジェクトを一通り経験させてもらえたので、「そろそろ次のフェーズかな」と思うようになって。どこに住んで何をするか具体的には決まっていなかったんですが、定期的に父の実家がある五島列島に通っていたので、島暮らしのイメージはずっと頭の中にありました。
父の実家がある上五島は移住検討時には人口が約2万人と、離島としては比較的大きいんですね。一方で人口2500人ほど(※当時)の小値賀島にふらっと行ってみたら、人と人との距離が近くて、すごくコンパクト。その感覚が心地よくて、「ここだな」と思い、2019年4月に移住しました。
小さな島だからこそ守られた、懐かしい日本の原風景を小値賀島に垣間見る。
──その時点で、もう銭湯を経営しようと決めていたんですか?
移住する前から、「島でお風呂をやりたい」という気持ちはありました。ただ、いきなり新規事業を始めるのは難しいので、まずは島の人たちと関係性をつくろうと思って、役場の臨時職員として働かせてもらったんです。とてもありがたいことに、思っていた以上にたくさんの人と知り合えて、常連さんになってくれた方もたくさんいます。
役場では農業委員会に配属されて、農地の貸し借りを管理する仕事をしていたんですが、その縁で空いている田んぼを使わせてもらえるようになって、お米作りも始められました。振り返ると、役場で働いたことが僕の今の生活の基盤となっていますね。
大阪の廃業した銭湯が背中を押してくれた
──アンティーク感のあるロッカーや建具が素敵ですね。
うちにあるクラシックな調度品の多くは大阪の羽曳野温泉から譲り受けたものです。大学時代にインドネシアに交換留学したときにできた友だちの結婚式の帰りの国際空港で、たまたま隣に座ったおじさんの実家が銭湯だと聞いて見学させてもらったのが、羽曳野温泉でした。ずっと前に廃業していて、使わない設備を「持っていってくれたら嬉しい」と言ってくださったんです。
木製ロッカー、おむつ台、七輪を置ける木製の台、牛乳石鹸ののれん、ロッカーキー、水ポンプ、お父さん手書きの注意書きなど、ありがたく頂戴しました。おじさんのお父さんが「繋いでくれるのが嬉しい」と涙を流されていて、「これはちゃんと受け取らなきゃ」と腹を括りました。
使い込まれた道具に宿る人の温もりが改築された古民家と混じり合い、あたかも呼吸するかのようにそこに息づいている。
──大阪から長崎の離島まで輸送するのは大変だったのでは。
羽曳野で2泊して、ひとりで解体作業を行いました。その後、神戸の「一りき(いちりき)」という居酒屋の大将が駆けつけてくれて、ふたりで重たいものを引っ張り出してトラックに積み込み、名古屋で薪ボイラー、岐阜で200リットルの貯湯タンクを3台購入。荷物が載りきらず配置を何度も組み替えながら、なんとか2トントラックに積んで佐世保まで運転し、そこから船で小値賀へ。
島内では軽トラで何往復もしました。設備を入れる機械室は元々納屋だったので天井が低くて、事前に測ってはいたものの本当に入るかドキドキしましたが、ギリギリ収まってホッとしました。
ofurobaの心臓部、機械室。サウナだけでなくお風呂も薪で沸かしている。貯湯タンクは天井ギリギリの高さ。
譲り受けた設備ひとつひとつに、前の持ち主の時間が詰まっている。その思いも一緒に運んできた感覚でした。
茶室のようなサウナ室。土壁と躙り口がつくる“やわらかな熱”
──サウナ室づくりで、特にこだわった点を教えてください。
築約120年の古民家を改修しているので、まず悩んだのが建物の構造でした。柱や梁など、強度上どうしても残さなければならない部分があるなかで、限られた空間にサウナをどう収めるか。機械設計エンジニアとしての経験はありましたが、サウナづくりは初めてで、壁の厚みひとつ取っても「これで本当に温度が上がるのか」と手探りの連続でしたね。
伝統的な工法で増築されたサウナ。排気を兼ねた小窓は明かり取りにもなっているため、1日のなかでサウナが色々な表情を見せる。
サウナ室はアメリカから移住し、日本の伝統的な技法で古民家再生をしている大工のブレットにお願いしました。増築するにあたって現代的な断熱材を使わず、厚めの土壁にしてもらい、その上から通常より厚めの国産ヒノキの板を張っています。屋根の断熱には羊毛を使用しました。土壁は一般的な住宅よりも厚くしたのですが、実際に火を入れて温度がしっかり上がったときは、正直かなりホッとしました。
梁には、解体された小値賀の家屋からレスキューした松の古材を使っています。土壁に使っている土も、島内で解体された家屋のものを再利用。床・壁・天井は国産ヒノキで、一面のみ漆喰仕上げ。漆喰の色は小値賀の赤土色です。できるだけ土に還る素材を使いながら、この島の時間をそのまま引き継ぐような空間にしたいと思っていました。
アメリカから移住し、日本の伝統的な技法で古民家再生をしている大工のブレットさん。立石さんが「土に還るサウナをつくりたい」と相談すると、手間のかかる仕事なのに快く引き受けてくれたそう。
──入口の小さな開口部も印象的でした。
茶室をイメージして「躙り口(にじりぐち)」を設けました。この躙り口には3つの役割があって、吸気口、非常口、そして薪の搬入口です。躙り口の建具も古材を使っています。
快適なサウナにするには空気の流れがとても重要なので、利用した建具に微調整できる吸気口を追加工しました。さらに、躙り口とは反対側の壁の上部に排気を兼ねた小窓を設けて、空気が下から上へ、利用者の身体を横切りながら流れていくように設計しています。小さな開口にすることで、断熱性をできるだけ損なわずに、空気循環を実現しました。
サウナストーブはモキ製作所「茂暖 MS70」。処分場に大量に捨てられていた空き家の木材を薪にしているので、かつての住人が残した傷やキャラクターのシールを見ると、ここに誰かの暮らしがあったんだな、と自然と思いを馳せます。
入口の建具は、近所の廃寺・延命寺からレスキューしたもの。延命寺はかつて歯医者も営まれていて、建具のガラスには「治療室」という文字が塗装されていました。入浴行為が健康増進につながることから、「絶対これだ」と即決しましたね。
ベンチも延命寺の庫裡の敷台を取り出し、適当な長さにカットしてほぼそのまま使用しています。脱衣所の床板や天井板、荷物棚もすべて延命寺で使われていた材です。解体されて廃棄されるはずだった寺や古民家の歴史を、サウナという形で新しく繋いでいけたらと思っています。
機能性と美しさを兼ね備えた躙り口。ofurobaの元となった古民家「樋口邸」ではお茶会も行われていたことから着想を得た。
そんなサウナは小さな空間ですが、場所によって熱の感じ方が変わるのも特徴です。入口付近は少し穏やかで、奥まった場所にはロウリュの蒸気が溜まりやすい。高い温度が得意な人も、苦手な人も、それぞれ居場所を選べる。そんな“余白”のあるサウナを目指しました。
温まり、水で目覚め、外気でほどける
──浴室と水風呂にも、とても細かな設計がなされていると感じました。
サウナ施設の中には水風呂だけというところもありますが、僕はもともと温泉や銭湯好きからサウナ好きになったので、湯船は絶対に必要でした。基本の入り方が、温浴→サウナ→水風呂→外気浴という流れなんです。
それに、温浴による健康への効果も大事にしています。サウナ好きな人だけじゃなくて、お風呂が好きな人、子どもから高齢者まで、誰でも楽しめる場所にしたかった。なので浴槽のふちはできるだけ低くして、浴槽内には一段の階段を設けています。半身浴ができる深さにもなるし、子どもでも安心して入れる。大人がゆっくり足を伸ばして、胸まで浸かれる幅と深さも確保しました。
小さいながらも足が伸ばせて肩まで浸かれる水風呂。その心地よさに思わず溜め息が漏れる。
──実際に寸法もかなり検討されたそうですね。
身長170cmくらいの人を想定して、肩まで浸かっても腰掛けて半身浴してもちょうどいい深さになるよう追求しました。浴槽の壁には首をもたげられる段差も設けています。長く浸かっても楽な姿勢が取れるように、細かい部分まで考えました。
古民家改修なので、柱など構造上どうしても動かせない部分も多くて、そのなかで浴槽と水風呂、外気浴への動線をどう組むかはかなり悩みました。限られた空間のなかで、できるだけ無理のない流れになるよう配置しています。
──サウナ好きなら動線に感動すると思います。
サウナ室から出て、すぐ水風呂に向かえて、外気浴へ抜ける動線も含めて、なるべく立ち止まらずに一連の流れがつながるようになっています。身体が温まった状態からクールダウンへ移るリズムを崩したくなかったんです。
「治療室」ことサウナを出たら、すぐに水風呂と外気浴。ととのいチャンスを逃さない動線となっている。
島の静かな環境もあって、お湯がちょろちょろと流れる音が聞こえてきます。その音を聞きながら水風呂に入って、外に出る。その一連の時間も含めて、ここでの入浴体験だと思っています。
サウナだけじゃなく、まずはしっかり温まる。そこから冷やして、外の空気に触れる。特別なことはしていませんが、その当たり前の循環を、できるだけ気持ちよく味わってもらえるように設計しました。
赤土タイルと薬湯。島の風土が生んだお風呂
──五島列島の自然をモチーフにした浴室の壁のタイルがとても素敵です。
最初は「そもそもタイルって作れるの?」というところから始まり、何度か試作して、小値賀の赤土で、島民20人とたまたま居合わせた島外のアーティスト1人にタイルを作ってもらいました。
老若男女が集まってくれたタイル作り。小値賀島の自然や、国の重要文化的景観にも選定されている旧野首教会など、それぞれが想いを込めながらタイルを作った。
みんな思い思いの形を作るので、サイズも形もバラバラだから、通常のタイルみたいに一気に貼れないんです。一枚ずつ手作業で貼っていくので、左官さんがブツブツ文句を言うくらい大変でした(笑)。おかげで他の施設にはない、見ていて楽しい壁になったと思います。
島の人たちが実際に手を動かして関わってくれたことで、この場所は「みんなでつくったお風呂」になったと思っています。
規則性はないけれど、どこを見ても誰かの手の跡があって、表情が違うタイル壁。
──日替わりの薬湯が気持ちよさそうですね。
温泉が出ない代わりに、島に自生するヨモギやクワなどの植物を使った薬湯を提供しているんです。自分で採取しに行って乾燥させ、袋に詰めて煮出します。季節によって採れる薬草が違うので、毎回お湯も変わる。
温泉は基本的に泉質が変わりませんが、薬湯ならその人に合わせて調整できます。女性だったら肌がすべすべになるもの、肩こりや腰痛に悩まされている方にはこれかな…と、来てくださるお客様の顔を想像しながらその日のお風呂を作っています。
自家製の薬湯の元となる植物は、香りが飛ばないよう、土間でゆっくりと自然乾燥させている。
誰かの身体が少し楽になったり、気持ちが緩んだり。そのきっかけになれたら嬉しいですね。島の自然と人の身体を、そっとつなぐ存在として、薬湯は欠かせないものになっています。
「おふろば」という“場”が生んだつながり
──施設名「ofuroba」には、どんな想いが込められているのでしょう。
実はこの名前、僕が考えたわけじゃなくて…。ネーミングセンスがなくて困っていたら、小値賀の様々なプロジェクトに関わってくれている伊藤さんという広告代理店の方が考えてくれたんです。移住してから知り合って、お風呂もサウナも好きな方で、ofurobaの立ち上げの時から相談に乗ってくれて、のれんのデザインなども手伝ってくれました。
「おふろば」がいいんじゃない、と言われたとき、ストンと腑に落ちたんですよ。すごくシンプルでわかりやすい。それに島では「○○ば」と言うので、“ば”は自然と生活のなかにある言葉です。
佐賀県武雄市に工房を構える土偶作家・三浦宏基さんが描いたフクロウが印象的なのれん。お湯の注ぎ口のライオンも三浦さん作。
お風呂の「ふろ」と、人が集まる「場」。この場所が、島民や島外の人たちが交わる拠点になったらいいな、という想いがあります。
──実際、いまはさまざまな使われ方をしていますよね。
奥に二間の座敷があって、そこをギャラリーとして使っています。東京藝術大学 大学院の学生さんが小値賀に10日ほど滞在して制作した作品が展示されたり、アーティスト・イン・レジデンスの交流の場になったり。庭では毎年12月に餅つきもしています。
二面がガラスになっている座敷。絵を眺めながら宴会なんてことも。
常連さんが「今日はお風呂に入って宴会をしたい」と予約してくれるなど、少しずつですが、「お風呂だけじゃない場」になってきました。
──オープン当初から島民の方は受け入れてくださったのですか。
正直、最初は半信半疑という感じでしたね。「なんばすっとな?」「誰も入りにこんとぞ」と言われることもありました。島にはもともと銭湯文化がないので、「家にお風呂があるのに、なんでわざわざ行くと?」と不思議がられることも多かったです。
でも実際に入ってもらうと、印象が変わる方が多くて。「気持ちよかった」「また来たい」と言ってくださって、内心しめしめ、と思いました(笑)。
「ここに来れば元気になれる、そんな“場”でありたい」と立石さんは語る。
子どもたちが「お風呂行きたい」と親に言ってくれる家庭もあって、それはすごく嬉しかったですね。この島は一学年10人いるかいないかくらいの規模なので、子どもたちの遊び場みたいな感覚にもなっています。
最初は物珍しさだったのかもしれませんが、少しずつ島の日常の中に溶け込んできている感じがあって、本当にありがたいです。
──これから、どんな場所にしていきたいですか?
もっと高齢の方々にも来てほしいと思っています。いま来てくださっているのは40〜60代くらいまでが多くて、あとはファミリー層と観光客。じいちゃんばあちゃんが身体を温めて、のんびりしていける場所になれたらいいな、と。
身体を温めることは、健康の面でもすごく大事な営みです。正しい入浴の仕方も勉強したので、それをお伝えしながら、少しでも来て下さった方の健康を増進させるお手伝いができたらと思っています。
古いけど新しい。初めて来たのにどこか懐かしい。不思議と心地よさを覚えるofurobaのエントランス。
今後は福祉サイドとも連携して、入浴支援のような形にも取り組んでいきたい。どこまでできるかわかりませんが、お風呂を通じて島の人たちの日常にそっと寄り添えたら。それが僕のいちばんの願いです。
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記事を書いた人
サウナ大好きクリエイティブディレクター。サウナイキタイでは、アドベントカレンダーやサウナイキタイマガジンの編集を一部担当。
普段はコピーや構成台本を書いたり、グッズのデザインをしたり、編集をしたり、MCをしたり、過去にはテレビ朝日『お願い!ランキング』のレギュラーレポーターだったりと、「結局何やってる人なんだろう」と思われがち。著書に『ズボラ美容』。










凄い事ですね!!長崎の人間ですが小値賀はあまり知りませんでした。でも、この浴場が島の発展になればいいですね!!😃