戦国大名のサ活に思いを馳せる
サウナイキタイアドベントカレンダー 16日目の記事です。
はじめに
こんにちは、いろはにほへとと申します。
突然ですが、愛知県名古屋市のウェルビー今池や福岡県福岡市のウェルビー福岡にある「からふろ」をご存知ですか?体験された方もたくさんいらっしゃることと思います。この「からふろ」は、熱せられた石に水をかけ、セルフロウリュウ方式で蒸気を充満させるタイプのサウナですよね。
ウェルビーのホームページによると、「天平時代に光明皇后の発願により立てられた奈良の法華寺の浴堂をモチーフに千有余年の時を経て現代に甦らせた」とあります。
奈良の法華寺には、今も「空浴」との扁額を掲げる浴堂があります。
法華寺の浴堂と井戸
光明皇后の話は、おそらく鎌倉時代に記された『元亨釈書』という仏教通史書にあるエピソードが基になっていて、光明皇后が施浴(功徳のために病気の人や困った人に湯浴を提供すること)として、法華寺で1,000人の人々の垢汚(あか)を流すことを誓い、最後のひとりが阿閦如来に化身したとの逸話に由来するものかと思います。
光明皇后(701〜760)
藤原不比等の三女で聖武天皇の皇后。仏教を厚く信仰し、法華寺を国分尼寺とするとともに、興福寺の五重塔などを建てた。
他にも、香川県さぬき市に「塚原から風呂」という施設があります。
説明板によると、奈良時代に行基上人が病気を治すために造った風呂とあります。松葉を炊いて、濡れたむしろとござを重ねてしばらく扉を閉めきって蒸しておき、その後着物を着たまま座布団に座って身体を温めたというものだとのことです。
行基上人(668〜749)
15歳で出家し、修行を経て広く仏教を民間に布教、慈善事業・社会事業を行った。
日本古来の空風呂(Carahuro)
さて、この「からふろ」「から風呂」は、漢字では「空風呂」と書きます。
そもそも「風呂」という単語自体が蒸し風呂の略称で、「風呂」とは釜で湯を沸かし、その湯気(蒸気)を密閉した浴室に送り込むというものでした。現在一般的な湯船(浴槽)に浸かる入浴は「湯」「洗湯」などと言い、江戸時代以降に普及したものです。
それ以前は、日本で「風呂」と言えば蒸し風呂のことで、およそサウナのことだったのです。その「風呂」に「空」が付くことからもわかるように、「からふろ」とはまさに空気を楽しむサウナ!
そんな「空風呂」がどのようなものであったのかは、『日葡辞書』という辞書にも書かれています。この辞書は、1603年から翌年にかけてイエズス会宣教師が刊行した日本語をポルトガル語で解説したものです。つまり、これを見れば当時の日本語にどのような意味があったのかがわかるわけです。
その『日葡辞書』で「空風呂(Carahuro)」を引くと、「カラブロ、湯の中に入らないで、ただその湯気と熱気だけで入浴する場所」と解説されています。
また、『日葡辞書』で「から風呂」と同じような意味で掲載されている言葉に「石風呂」があります。「石風呂(Ixiburo)」の項には、「イシブロ、石造りの熱気室であって、その中で乾燥した蒸気をあびる場所」とあります。
「石風呂」は瀬戸内地方を中心に分布し、重源上人が広めたと言われています。
重源上人(1121〜1206)
醍醐寺で出家し、浄土宗開祖法然に学ぶ。3回中国に渡って勧進を行い、源平の争乱で焼失した東大寺復興に尽力した。
中でも、山口県山口市の「野谷の石風呂」(平安時代)は国指定史跡、「岸見の石風呂」(平安時代)は、国の重要民俗文化財に指定されています。同様に、大分県豊後大野市の「辻河原の石風呂」(16世紀後半)なども、大分県指定有形民俗文化財に指定されている正真正銘の文化財です。
そんな文化財に指定されている「石風呂」ですが、「岸見の石風呂」や「辻河原の石風呂」は今でも入浴体験ができるようです。
このような、日本古来のサウナ(もう「風呂」のことはサウナと書きます!)を体験しつつ、昔の人はどんなサ活をしていたのだろう?サウナで何を考えていたのだろう?などと、歴史に思いを馳せるのも乙なものではないでしょうか。
戦国大名とサウナ
戦国時代、各地で覇を唱えた武将たちも、どうやらサウナがお好きだったようです。
『兼見卿記』という公卿で神官でもあった吉田兼見の日記には、本能寺の変で有名な明智光秀が「石風呂所望」と、「サウナに入れて欲しい」とお願いしてきたことが記されています。光秀はたびたび兼見の邸宅の「石風呂」に入りに来ていて、兼見はそのたびに蒸気発生用の石を焼いていたことまで、日記にしたためています。
織田信長に怒られた光秀が、サ活で気分転換をしていたのかも?とか、もしかしてサ室で「信長討とう!」とか思いついちゃったの?とか考えると面白いですね(笑)。
また、連歌師宗牧(?〜1545)は、戦国大名北条早雲こと伊勢宗瑞の末子、北条幻庵に朝風呂に誘われたことを『東国紀行』に記しています。朝風呂に誘った幻庵は、宗牧をもてなすために早朝からせっせと汗をかきかき(汗)石を熱していたのでしょうね。
宗牧(?〜1545)
宗長に師事して各地を旅した連歌師。旅の途中で各地の戦国大名と交流し、その時の様子を『東国紀行』などに記している。
これらのエピソードを見ると、戦国時代にサウナが大変好まれていて、おもてなしの用途にも使われていたことがわかります。
そんな戦国時代のサウナ。実は、各地の城館遺跡の発掘調査でも見つかっています。
見つかったサ室は、「湯屋」や「湯殿」「風呂屋形」など、さまざまな名前で報告されていますが、基本的にはみんなお湯を沸かして湯気を立たせて入るスチームサウナのようです。
それぞれの遺跡では、水を汲む井戸やお湯を沸かすカマドの跡などが見つかっています。どこの遺跡でもサ室の建物はとても小さく、戦国大名はおひとりでサウナを楽しまれていたようです。
いくつか事例をご紹介しましょう。
神奈川県小田原市の小田原城跡御用米曲輪(ごようまいくるわ)下層では、隣接して立派な井戸があるサ室(=「湯屋」)が見つかっています。その井戸の水を汲んで湧かし、二間×二間のサ室を蒸気で充満させていたのでしょう。
御用米曲輪下層の遺跡は、戦国大名北条氏政の館と考えられている遺跡です。つまり、このサ室は氏政のサ室ということになります。
小田原城御用米曲輪下層で見つかった湯屋の跡と井戸(発掘調査概要報告書より)
同様に福井県福井市の一乗谷朝倉氏遺跡の朝倉義景館跡でもサ室(=「湯殿」)の存在が想定されています。ここでは、庭園の脇で火を用いたカマド状の石組みがある小部屋が見つかっています。
戦国大名のサ室は、「会所」と呼ばれる建物と庭園の近くにある場合が多いようです。「会所」には庭園が付いていて、そこでは武家儀礼が執り行われます。戦国時代の武士はサ室で身体を清め、「会所」での武家儀礼に臨んでいたのだと思われます。
武家儀礼は、武士が主従関係や一味同心を確認する大切な行事です。このことから、武家儀礼が行われるような居館には、およそサ室がしつらえられていたということになります。
そして真打ち、かの織田信長の岐阜城の館跡でもサウナ用に蒸気を発生させるためのものとされるカマドが見つかっています。このカマドは、加藤栄三・東一美術館に移設保存されていて、見学することができます。
加藤栄三・東一記念美術館
加藤栄三・東一美術館にある織田信長館のカマド
また、信長の京都における御座所、二条御新造でもサウナ用のカマドが見つかっています。どちらもカマドが2つ並んでいて、庭園に隣接して検出されていることから、サ室用のカマドだと評価されているようです。
西山本願寺には、豊臣秀吉が聚楽第で使っていたサ室「黄鶴台」が移築されていますし、有馬温泉には秀吉が造った「湯山御殿」があり、ここにもサ室がありました。
太閤の湯殿館 – Feel KOBE 神戸公式観光サイト
自宅と別荘それぞれにサ室があるのですから、天下人となった信長・秀吉もサウナがお好きだったんでしょうね。
「太閤の湯殿館」に復元展示してある秀吉の蒸し風呂
信長や秀吉は、サ室に籠もり何を考えていたのでしょうか。
明日の軍略?天下の趨勢?それとも入浴後のサ飯?はたまた、帰蝶さん(信長の奥さん)や寧々(秀吉の奥さん)のこと??
たまには、「戦国大名は何を考えてサウナに入っていたんだろ~?」なんてことをサ室で考えてみるのも楽しいものではないでしょうか(笑)。
広島県北広島町の万徳院跡
万徳院とは、もともと吉川元春の嫡男、吉川元長の館だったところです。
ここでも発掘調査でサ室(=「蒸し風呂屋形」)が見つかっています。万徳院跡では史跡整備が進んでいて、なんとサ室の建物も復元されています。

しかも、毎月第3日曜日には実際に入浴体験ができるようです。戦国大名のサウナを実際に体験できる貴重な施設ですので、ぜひチャレンジしてみてください。
仏教信仰から広がり武家儀礼のアイテムとして
戦国大名は、戦いや日々の領国統治の疲れを癒すだけでなく、武家儀礼の作法としてもサウナを利用していたんですね。また、法華寺での施浴や行基上人、重源上人とのゆかりからもわかる通り、そもそも日本でのサウナ文化は、仏教信仰の中で広がっていったことがわかりました。
寺院には浴堂が建てられ、「七病を除き七福が得られる」と説かれたと言います。「七病を除き七福が得られる」とは、簡単に言えば保健衛生を保ち、容姿端麗となり、人に尊敬されるというようなことのようです。霊験あらたかなこれらの効果を得るため、入浴には厳格なルールや「入浴掟」が定められていたこともあったとか。
現在では、サウナはリラックスできる場所の代名詞でもあります。
サウナとの向き合い方は人それぞれ。でも、このような歴史があったことも頭の隅に置き、容姿端麗になるのは難しいとは思いますが(笑)、保健衛生を保ち、マナーを守って人に尊敬されるようなサ活を志すべし!と、自戒したいと思います。
おわりに
さて、エンディングです。12月16日のアドベントカレンダー執筆の機会を頂いたことに感謝を申し上げます。また、つらつらと綴った読みにくい長文、最後までお読み頂きありがとうございました。
サウナと旅行、そして少しばかり歴史が好きなことから、このような話題を取り上げてみました。少しでもサウナーの皆さんの好奇心を刺激できたならば幸いです。
そして、これも何かのご縁。。。
今日12月16日は日頃一緒にサウナ巡りをしている相方の誕生日なのです!誕生日おめでとう!いつも一緒にサウナに付き合ってくれてありがとう。これからも一緒にサ活とサ飯を楽しみましょうね♩
・・・と、最後に私事を失礼しました。
皆さんの今後のサ活が幸多きことをと祈りつつ、パソコンを閉じます。
記事を書いた人
好きなサウナ:
プロフィール: 晴れの日も雨の日も良い時も悪い時も、毎日何だかんだありますね( ˘ω˘ ) でも、どんな時でも「サウナがあればまぁいいか♩」(by品川サウナ)の心持ちでサ活してます(^_-)! 「イキタイ」しているのは、アプリ始めてからこれまでに行ったサウナ施設履歴です。 仕事の関係で日本全国津々浦々に出かけることが多いので、仕事の合間の夜駆け朝駆けで、できる限りのサウナにチャレンジしてます\(^^)/ ー サウナ・スパ健康アドバイザー取得
今までにない視点での文章とても楽しく読ませていただきました!
サウナに歴史ありですね!面白かったです。
教科書感ある文でした🌲
文章がお上手で、他の方のコメントにもありますが読みやすい教科書のようでした!着眼点が素敵です♨️
戦国武将とサウナがつながるとは驚きでした👏
非常に勉強になりましたし、 歴史上の人物がサウナ(蒸し風呂)に入っていた描写がとても面白かったです。
から風呂の存在は知っておりましたが、戦国時代の武将達までとは。いゃ〜勉強になりました。
想像力がかき立てられる。「これは!」という手がかりから、かつての人たちに思いを馳せていく。時間旅行をさせていただきました。とても興味深い記事をありがとうございました。
ちょうど香川県の塚原からふろを初体験してきたところでタイムリーでした!
学会発表出来る程の情報量でした👏万徳院跡歴史公園の風呂屋には、広島サウナーとしていつか訪れてみようと思います😚
小田原を取り上げてくれてありがとうございます。 広島の風呂屋は3月に行く計画だったので、参考になりました。
とんでもなく貴重な文献とも言える記事をありがとうございます!いつかイキタイからふろ…
サウナにそんな歴史があるとは 最後まで拝読させていただき 大変勉強になりました 紹介された場所へ行ってみたいと思いました
学びもあり、面白かったです!
興味深いお話しありがとうございました。勉強になりました😃
偉人に思いを馳せながら入るサウナ、意外と新しいサウナの入り方の提案だと思いました!週1や年1しか入れないところもあるので、手入れをして続けてくださってる皆さんに感謝ですね。
とても勉強になり面白かったです☺️信長達好きな武将もサウナに入ってたのか~🙄と想いを馳せました。