私はおじさんサウナー
サウナイキタイアドベントカレンダー 12日目の記事です。
仕事を終え、私はいまホームサウナの大東洋に来ている。
ホームサウナと言っても、週に3〜4回サウナに通う私にとって大東洋は最も頻繁に訪れる施設ではない。月に4回程度だ。ホームサウナとは「自分自身が一番くつろげる、自分を解放できるサウナ」だと思っている。
今宵もロッキーサウナでロウリュが始まった。私の定位置は、サウナーには物足りないとされる最下段。大東洋サウナを知っている人ならわかると思うが、サウナマットが置いてある棚のすぐ横、切り株で作られた一人席。最近は、そこに座っていつもロウリュを楽しんでいる。
一番近くで熱波師が見える席であり、サウナーたちが楽しんでいる表情が正面から見える席だ。最近、皆が楽しんでいる表情や熱波師が頑張ってる姿を観ながら、色々なことを考えてサウナに入るのがすごく楽しいと思えるようになった。
私がサウナに通い始めたのは、今から40年以上も前の20代の頃。当時はスーパー銭湯のような施設はあまり無く、サウナといえば私の中では特別で「大人が通う空間」だった。
大阪在住の私は大東洋や、今は無き道頓堀のニュージャパンにたまに行く程度だった。30代に入り、自営業の忙しい日々に毎日ヘトヘトで、酒を飲まない私が見つけた唯一のリフレッシュ方法がサウナだった。
サウナに居るときは誰にも邪魔されない・・電話もかかってこないメールも見なくていい・・ 完全に自分の時間だ。リフレッシュできる・・はずだった。しかしサウナに入って考えるのは、やはり仕事のこと・・当時の私から仕事を抜くことは不可能だった。だが不思議なことに、だんだんサウナが私の頭の中を整理整頓や仕事のアイデアや今後取るべき方法などを生む場となっていった。
30代半ば、私は月8くらいでニュージャパン道頓堀スパプラザ、カバーナ、大東洋、ニュージャパン梅田を巡るようになる。
その中で私はニュージャパン道頓堀のロウリュにはまった。今思い返しても、すさまじいロウリュだった。定位置はもちろん最上段の3段目。熱波爆弾を体全体で受け止めると、汗が垂直に飛び出すような感覚があった。まだロウリュというものが世間では全く知られてない時代なので、他のサウナ施設との差は歴然だった。
そんな感じで、若い頃の私はサウナでひたすらストイックに熱さや刺激をを求め、同時に仕事の場にもなっていた。
しかし月日は過ぎ、私も還暦を超えたあたりからサウナの楽しみ方が変わってきた。
ここ数年、大東洋の熱波師の技術がめきめき上達して、誰がロウリュしても満足できるようになってきている。経験のない熱波師は、基本に忠実にしっかり熱波を我々にプレゼントしてくれる。これはこれで良し!
ベテランともなるともはやエンターテイナーで、ロウリュだけでなく口上や演出も楽しめる。素晴らしい時間をプレゼントしてくれる!私は自然と熱波師の技に対して率先して拍手をするようになったし、タイミングを計って声かけもするようになった。
ロウリュ後は、熱波師に感謝の言葉をかけることも多くなった。また他の知らないサウナーとも水風呂で一言二言声を交わすようになった。ストイックにサウナを楽しんでいた昔とは大違いだ。
最近、気づいたことがある。それは「良いロウリュは良いコミュニケーションを呼ぶ」ということ。それが良いサウナを作る源になるではないのか?良いロウリュを受けてる時って、サウナー同士で熱さに耐えたり気持ちよさを共有してる一体感があって、皆仲間になった気がしてくるから不思議だ。
先月1日に大東洋で、ある馴染みの熱波師の卒業ロウリュがあった。4時半から1時間ごとに開催される合計6回のイベントで、私は後半の3回に参加した。以前からその熱波師に親しみを覚えていて、ロウリュ後の水風呂ではよくサウナ談義をした。その際「11月1日に卒業する」と教えてもらったので、何が何でも行かねばと来たのだった。
同じ気持ちのサウナーも多く、イベントは毎回大盛り上がり!私は毎回いつもの定位置に座り楽しんだ。熱波師の技には率先して拍手を送ったり、いつも以上にタイミングをはかって声援を送った。
正面を見ると、毎回最上段の3段目で頑張ってる若者がいる。顔を真っ赤にしてほんまに嬉しそうに熱波を浴びている・・・ニュージャパン当時の私を思い出させる!また同年代のおじさんサウナーが中段で頑張っている!こりゃ凄い!他にも私の目の前にはサウナー達の満足顔がたくさんあった。
ロウリュ後の度に、水風呂や休憩イスで熱波師やサウナーとの会話がいつも以上に弾んだ・・・。中段で頑張っていたおじさんに「ほんま凄いですね!」と声かけたら嬉しそうに「おお!そりゃな・・・」とまんざらでもなさそうな笑顔で答えてくれた。
また休憩イスに3段目の若者がいたんで、「ほんま あの熱さでよう耐えられるな!こら凄いわ!」と声をかけたら、「おとうさんも楽しそうにしてましたやん!」と笑顔で答えてくれた。その若者と先月末の他の熱波師の卒業イベントでも顔わせた。相変わらず3段目で気合が入っていた。サウナ終わってサウナ室で目が合ったら「おとうさん、また そこやな!」と笑われた。「そうやねん 俺はここがええねん!」と返した・・・なんか嬉しいな。
熱波だけでなくそんな雰囲気を楽しめるのがホームサウナなんだろうな。
今、サウナには若者中心に以前とは違う客層のサウナーが多くなった。以前とくらべ、マナーは本当に良くなった。特に大東洋に来る若者はマナーが良いように思う。若者にも、ずっとこれからもサウナを楽しんでもらいたいし、私ももっと先まで楽しんでいきたい。
それぞれの人生において、色々なステージでサウナの楽しみ方も変わってくる。
いつでもサウナがそれぞれの人生に寄り添う存在になってくれる・・・そう思っている私はおじさんサウナーです。
記事を書いた人
好きなサウナ: ニュージャパンスパプラザ
プロフィール: 若い頃からサウナが好きでコロナ前までは出張などで全国のサウナも巡っていました。北はニコーリフレから南は湯らっくすなど…宿泊はドーミーインがお気に入りで現在まで16施設に行きました。また、海外のサウナも何箇所か行きました。ハンガリー、ニュージーランド、アメリカ、台湾、韓国など、いつかはフィンランドに行きたいです。今は地元大阪近辺の施設に通う事が多いですね。
素敵なアドベントカレンダー記事、ありがとうございます。都島さんのサ活には、優しさや生き方が表れていますね。私もおばさんサウナー。お互いまだまだサウナを楽しんでいきましょう!
ロウリュを通じた交流、胸に沁みました。イイお話しを有難うございました👏
私もその熱波師さんに思い入れがありましまので卒業を本人に聞いた時は寂しかったですね。元気にやってればいいですね☺️大阪らしい口上で楽しませてくれるロウリュウサービス含めここが大好きです!😆
今の日本のサウナ文化を作ってくれたのは、間違いなく都島サウナおじさんの様な方々がサウナを愛して楽しんでくれたからだと思います。私が60代になった頃にも、今と同じ様にサウナを楽しむことが出来る様、立派な「おじさんサウナー」になりたいと思っています☺️
何回か行くようになって、常連と思われるサウナーから声を掛けられるようになると、認められたのかな?と嬉しいものです。サウナー同士のコミュニケーションは情報収集もできるし、サウナを楽しむだけじゃない要素かと思っています。
歴史を感じつつほっこりしました!元気の出るお話ありがとうございます😊まだまだこれからもサウナ楽しみましょう〜目指せ100歳サウナー!
サウナーとしての歴史と楽しさを感じました。 いつか、どこかのサウナでお会いできると嬉しいです。
いい雰囲気をみんなで作りたいという想いが伝わってきました。いつかご一緒できるのを楽しみにしたいと思いました!大阪は、以前神徳温泉にお邪魔しすごすぎて驚愕しました。今後も、サウナで素敵な時間をお過ごしください!^^
本当に尊敬できるお話でした。これからもたくさんサウナを楽しんでいかれますよう応援いたします。素晴らしいお話をありがとうございました。
なんかむちゃくちゃ良かったです 俺もサウナに通い続けたい
素敵なコラムでした
長くサウナに通うことで、新たに見えてくるものもあるのだな、と感じ入りました。サウナとの付き合い方も人生のステージに合わせて変化させて、長くサウナを楽しみたいと思わせてくれました。ありがとうございます!
同じサウナ好きというところで繋がるなにかがありますね。 文章を読んでひいきチームが同じだと話題が盛り上がるのと似てるなぁと感じました
とても共感した良い記事でした!
楽しい文章ありがとうございます😊若者のマナーはベテランサウナーの姿を見て育つ気がします。気をつけて行動したいです✨
長い間サウナを続けているのはリスペクトです! 自分は最近始めたので……🤣 関西ならではのノリのいい会話は楽しそうです。素敵な記事をありがとうございます✨
良い記事でした👏