サウナで毎週死んでいた頃の話
サウナに行き始めたのは5年ほど前の冬のことだった。
人には誰しも「死にたい」と思うような時期が人生で1度はある(と思う)。
詳細を書くと暗くなるので省略するが、その頃、私は仕事も上手く行かず、身内に不幸があったりで未来が見えず、とにかく消えてしまいたい、ここではないどこか遠くに行きたい、そんなことばかり考えていた。
当時の楽しみといえば週刊漫画の連載だけ。
そんな中、毎週読んでいる「モーニング」の巻頭カラーで連載が始まったのが「サ道」。
作者は「オッス!トン子ちゃん」でおなじみタナカカツキ。サウナなんて全く興味がなかったけどカラーページの、あの「ととのった〜!」のコマを見た瞬間になぜか「いま自分に必要なのはこれじゃないか」と直感的に思ったのを覚えている。
そしてその週末、さっそくサウナに向かった。(たしか家から近いsakuraだったと思う)
漫画に描いてあったとおり、8〜10分サウナに入って、エイヤッと静かで深い水風呂に入り漫画で読んだ「羽衣」ができるまで水の中でジッとする。
初心者なので、水風呂からあがる頃合いがわからず、ぼんやりとそのまま水風呂につかっているとやがて水の音が大きく聞こえるようになり、体が輪郭を失い、完全に水風呂に溶けた。
意識がとおのき、自分が水に溶けて消えてなくなるような感覚が心地いい。
水からあがってぼんやりすると鼓動が激しく動き、気づくと心の中に澱のように溜まっていたものがアンインストールしたように消えていた。
水に溶けて自分がなくなる感覚が気持ちよくて
それからサウナの虜になった。
まったくポジティブではない表現だが、今にして思えば、死ぬかわりにサウナに入っていたのかもしれない。
どこかに消えてしまいたい、と思っていた自分からすれば合法的に死ねる場所がサウナだった。
ちなみに当時は徹夜のあと、会社から近い神田の江戸遊によく行っていた。
いまはRAKUSPA1010 神田としてすっかりキレイな施設になってしまったが、当時はほどよくくたびれていて、疲れたサラリーマンの憩いの場だった。
明るい場所が当時の自分には眩しすぎたので、その頃の週末はいつもサウナか競馬場へ足が向いた。
どちらも同じくらい寂しくて、でもどこか明るくて、絶望の味方だった。
弱い馬に自分を重ね合わせ、その馬が勝てば自分もまた救われる気がしてレースを見守る。馬券はたいてい当たらない。
そして、日が暮れると競馬場を去り、水風呂に溶けて消えるためにサウナと水風呂に入り、何も考えないようにして家に帰って眠る。
週末、サウナに行って一度死ぬことで、なんとかだましだまし人生を続けている感じだった。
ちゃんとした人からは「絶望する前にサウナと競馬に行かず努力しろ」と言われそうだが誰かの励ましの声すらも聞くのが辛くて、どうしても前向きになれない、逃げたいときがある。
そんなとき、人もまばらなサウナや競馬場は私にとっては心安らぐ場所だった。
最近よく言われる「サウナに入っても何も変わらない」というのは正しいけど、そうとも言い切れないと思う。
あの頃、サウナがなかったら私は本当に死んでいた気がするからだ。
私は、サウナで死んで蘇り、なんとか正気を保つ時間が持てたせいか、それから1年半ほど経ってから転職して、今は当時よりもずっと楽しく仕事をしている。そして、今はひとりではなく、友達とサウナに行くこともある。
とはいえ、サウナに行ってすべてが解決したわけではないし、今でもたまに絶望がおそってくることには変わりないが。
ときどき、あの冬の午後の柔らかい日差しと、誰もいない競馬場行きの電車や静かなサウナ室のことを思い出す。
あの何もない時間が私には必要だったと思う。
サウナブームのおかげで人が増え、キレイで明るいサウナが増えたが、どうか古めかしくて寂しいサウナ室もまた消えないでほしい。
何が人を救うかはわからない。どうか、あの寂しい場所が必要な人に、サウナが届きますように。
滲みました☺︎ またゆっくりと読み返します。
読みました。 どうしてかわかりませんが、ありがとうと伝えたくなりました。 自分の思いとつながるところがあったのかもしれません。
「絶望の味方」って言葉にグッときました。テントサウナしてて死をうっすら自覚した日の記憶が蘇る…。他人の感覚をサウナというフィルターでのぞかせてもらうのたまらないです。
「合法的に死ねる場所」、納得です。サウナは日常の中で死生観に向き合える稀有な場所だと思いました...ありがとう。ございました。
染み入る文章でした。読めてよかったです。
私も今年身内に不幸があり仕事でも行き詰まって転職しました 悩んでる際にサウナでだいぶ思考のリセットができたと思います この記事を書くにあたってツラいことも思い出したかと思いますが書く事で私のように救われた気持ちになる人がいるので素晴らしいと思います
素晴らしい文章をありがとうございます。わたしはいま幸せな日々を過ごしていますが、絶望していた頃の自分を忘れない為にサウナに行く時があります。今夜は大山・太陽に行こうと思います。
ねこさん、お疲れ様。胸に染み入る文章でした。サウナはなんとなく。何となくなのかも知れないけどネガティブから解放される。それくらいの力はあるよね。
不幸が重なって絶望してサウナにたどり着くの、なんだかすごく共感しました😌 サウナでぜんぶが解決するわけじゃないけど、通ってるとちょっとだけ進める気がするのって魅力ですよね☺︎
心の奥に響きました…
まさしく心の教会ですね。本場のことわざの話、思い浮かびました。
救われたとまでは言えませんが、精神安定剤としてサウナは私に必要です。
トン子ちゃん好きです…!
合法的に死ねる場所がサウナという言葉が心に刺さって離れません。しかし言語化されたことで私の心中から昇華することが出来ました。ありがとうございます。
お疲れ様です! ねこさん文章読んで真っ先に浮かんだ言葉のはエロスとタナトスです。 中沢新一が何かの本でセックスは小さな死と言っていたんですが、その本を読んだ時に凄く感心して、快楽と死についてよく考えていた事を思い出しました。 ありがとうございました!
かつての自分を見ているような不思議な感覚。ありがとうございました。
やだ 電車で泣き...そうょ
こういう内容好きです
なんか心に染みました… 巡り巡って何回も読みたいです。
偶然見た、ねこ生きるさんのTwitterからサウナイキタイを知りました、ありがとうございます🙏
素晴らしい記事をありがとうございます。いまの自分と重なりました
何度読み返しても素晴らしいの一言です。8回くらいは軽く救われてます。