目と耳で感じるサウナ
サウナイキタイ アドベントカレンダー 10日目の記事です。
はじめに
困った……。
アドベントカレンダーの執筆応募にあたり、『プロレタリア文学を彷彿とさせるシビアで汗かきそうなサウナ物語をお届けします』とイキってしまったもんだから困ったものです。
プロレタリア文学とか読んだ事ないのですよ。だいたいプロレタリア文学ってサウナと真逆じゃん? どっちも汗かいてそうなのは一緒ですが。
有名なのは『蟹工船』でしょうか。ちらっと読んでみましょう。
『「おい、地獄さ行ぐんだで!」 二人はデッキの手すりに寄りかゝって、蝸牛が背のびをしたように延びて、海を抱え込んでいる函館の街を見ていた』
冒頭のこのくだり読んで、あー、挫折だわ。いきなり地獄行きですかと。
うん? 待てよ。これを今風に、サウナーっぽく解釈すればこうなります。
『「おれ、サウナに行くべ!」 二人はインフィニティチェアに寄りかかり、マグ万平が背のびをしたように延びて、海を抱え込んでいる横浜の街を見ていた』。
ほら、あっという間にスカイスパYOKOHAMAを題材にしたプロレタリア文学となったでしょ? なった筈ですね。
これから先ずっとこんな調子ですけど大丈夫ですか?
誰がためにテレビはある
サウナとテレビの腐れ縁は永遠に続く。
時に派閥が分かれるサウナにテレビは要る派、要らない派。「結論どっちでも良くないか?」という展開だがこれを観察していくと一つの結論にたどり着く。
日曜日の朝8時半過ぎの所沢。
所沢と言えば男性専用のザ ベッド&スパ所沢。今どきのサウナ好きの要素を兼ね備え、利用者の年齢の幅も広い。
希少なケロ材を使用した硬派なフィンランド使用のサウナ室(池袋のかるまる、修善寺の清流荘、そしてここと日本に3箇所しかないという)なのに、テレビがある事だ。
それはまるで世界遺産のピラミッドにエスカレーターを付けてしまったかのような自由さ。まあ本題はそこではない。
テレビに目をやると、この時間放送されているのは『デリシャスパーティー♡プリキュア』。
誰が見ているのだ。
このサウナ室には全く以て需要のない映像が垂れ流されているわけだ。
しかし隣のおじさんに目をやると、しっかり観ている。向かいのおっさんはも、ガン見している。サウナ室にいる8割程度の人間は、この時間、ちゃんとテレビに目を向けている。これは一体……。
一つ考えられるのは娘と会話をするために観ている。話のネタとかにね。
うーん、それも考えられない。
もっと現実的ならリアルにプリキュアが好きで観ている。こっちの方がまだ理解できる。
私もプリキュアを真剣に見るが、内容が頭に入ってこない。「だいたいプリキュアって何だ? 俺たちセーラムーン世代だよ!」と思いながら、テレビの左上に表示されている時刻に目をやる。頃合いだ。
サウナ室を出て埼玉一冷たいという水風呂に浸かり、その時初めて気づく。
ああ、時間を見ていたのね、みんな。だと思いたい。
よく考えてみればこの時間に流れている映像が、プリキュアだろうとサンデーモーニングであろうと大した違いはない。
張本さんに「喝!」と言われながらも時計しか見ない人は見ない。
そういえばサウナにハマりだした頃、近くのスーパー銭湯のテレビで、土曜の午前中に流れていた『ぶらり途中下車の旅』をよく見ていた。
いつしか、この番組目当てにサウナに行っている自分に気付いた。
というのも、土曜の午前中に家に居たとしても、この番組は見ない。あまり見る気がしない。
でもサウナ室では見たい。小日向さんに会いたい。あ、小日向さん声だけか。
サウナ室で流れるテレビ番組は、たいして見てないにしろ、サブリミナル的にサウナーの目に焼き付けられているのである。
サウナ室で見る甲子園を楽しみにしているという声もよく聞くが、間違いなく一試合通して見れるものではない。
良くて1イニング、3セットサウナに入るとしても、5回の表くらいまでだ。つまりは高校野球の内容や結果を楽しみにしてサウナ室で見ているのではなく、その雰囲気をサウナに落とし込んでいるのだ。
「球児たちは暑い中がんばってなあ~、よし、おじさんたちも熱い中がんばっちゃうよ」的な。
甲子園で落としたかった汗を、サウナ室で落とす。俺たちおっさんは今でも青春したい。
最初はテレビがあった方が長い時間でも耐えられるような気がして、テレビがあるサウナに優先して行っていた。
当時は何分入るかの目安が自分の中に無かったので、次のCMが入るまで、この相撲の取り組みが終わるまで、野球でこの回が終わるまで、と時間の目安にしていた。
今は、一般的とされる8分~12分の間をきっちり守り、大量安打でなかなかイニングが切り替わりそうになくても気にせずサウナ室を出る。
でもテレビが必要じゃなくなった訳じゃない。無ければ無いでそれはすごく寂しいものであろう。
それはシューマイの上にグリーンピースが乗っていないのと同じことである。
故にテレビは要る要らないとかいう話ではなく、テレビはサウナ室に埋め込まれた私たちの心の話し相手である。
メガネ君
メガネ君と言えば『SLAM DUNK』の木暮副キャプテンに他ならない。
不良に染まった三井を更生させ、陵南戦では名将・田岡茂一監督に「侮ってはいけなかった」と後悔させたメガネ君は、日本中のメガネ君の憧れの的である。
つまりサウナで眼鏡をかける奴の話である。
「サウナ室で眼鏡かける奴いる? いね~よな~!?」というマイキーからの呼びかけにビビッてるんだろうか? なかなかサウナ室で眼鏡をかけている人がいない。
私はサウナ室でも眼鏡をかける。
いやわかるよ、普段眼鏡をかけているのに、サウナ室には私眼鏡かけませんよ、という人達の気持ちも。だってサウナ室入った瞬間目の前が曇っちゃうし、テレビが無いサウナ室だと必要ないしー。時計? 12分計ならボヤっとしていてもだいたいでわかるもん。っていう具合に。
そしてこうもサウナ室では眼鏡をかける! と豪語しながら、実は私も昔はサウナ室では眼鏡をかけていなかった。
かけるきっかけはジムサウナだ。
そこのジムサウナはサウナのコンディションとしては少し物足りなかったが、テレビがついており、テレビを見る事くらいしか、サウナへのモチベーションが持てなかった。
それではと、私は愛眼メガネに走りサウナ用の眼鏡を手に入れた。
じゃあテレビが無かったら眼鏡要らなくない? という話で終わってしまうが、実はそうではない。
一度眼鏡をかけてサウナ室に入ってしまうと、たとえそれがテレビの無いサウナ室でも手放せなくなってしまうのである。というのも、サウナ室で見ないといけないのはテレビと時計だけじゃない。
特にテレビも無く、時計も見えにくいうす暗い空間であり、収容人数も多いサウナ室を擁する松本湯でそれを強く感じるのである。
上段から見下ろした時のサウナハットが咲き誇る風景は、北海道の美瑛町の花畑の美しさに匹敵する。
ライトアップされたサウナストーブに降り注ぐオートロウリュウ時の神秘的な美しさは、華厳滝のよう。
中段に座る人の乾いた背中から、玉のような汗が生まれる瞬間は、ガラス玉かと思うほど。
いや、わかるよ。自分でも盛って書いているくらいわかるよ。ただそれくらいサウナ室というのは見どころ満載な空間。目が悪くて見えないなんてもったいない。
あとはサウナメガネブームが来てくれる事を望むしかないね。
サウナハットがこれだけ普及した今、次はサウナメガネが普及し、より幅広い用途で使用できればいい。
例えばサウナ用サングラスとか。「あれ? タモさん?」などサウナ室に入ってきた人を一瞬ビビらせる効果が期待できる。
あとはスカウター機能ね。サウナストーブにピッピッと視線を向ければ戦闘力というか威力がわかるやつ。「わたしの戦闘力は530,000です」の音声が出ると尚よい。もうびびって下段に座っちゃうね。こいつジャンプかマガジンしかネタないのかよと思うのはヤメテね。
とまあ、サウナ眼鏡を流行らすことで、サウナ室に眼鏡かけて入っても浮かない事が目的なのだが、そんなにかけ離れた願望ではないはずだ。
サウナ施設やそれに関わるものが急激に進化してきた今、サウナメガネも急激に進化するはずだ。
そんな時、漫画界の本物のスターであるメガネ君の声が聞こえてきた。「そんなのドラえもんに頼めばいいんじゃね?」
電車男は夢を見る
武術黎明期の中国において、布を舞うように振り回しそこから発生する熱エネルギーを相手にぶつけるという流派が誕生した。創始者・老龍は拳甲広場に拠点に構え、門下生と共に日夜布を振り回す奥義を昇華させていった。ちなみにサウナで言うロウリュウとはこの老龍師範が由来とされる。
―出典・民明書房刊「熱波四千年と激闘の記録」より―
『ま、まさかあれはSSK!』
「知っているのか? 雷電!!」
『古代中国で隆盛を極めたという老龍一派に異端児がいたらしく、その男は布以外を禁止していた流派に恐ろしいものを持ち込んだらしい。その末裔に出くわすとは……あのマキタのブロワがその証拠だ!』
「何ーーーーー!!! なんてこった! 見ろ! 富樫。上段に座っていた三号生のやつらが冷や汗かきながら下段に移ってやがるぜ!」
『しまった、もう遅かったか。では拙者はお先に水風呂へ・・・』
ガタンゴトン、ガタンゴトン。
うっかり寝てしまったようで、電車の音で目を覚ます。インフィニティチェアの気持ちよさが格別で、ついうっかり眠りに入ってしまったようだ。
さっきの夢はなんだよと思いつつ、ここは草加健康センターではなく、西荻窪のROOFTOP。
西荻窪駅前にあり、パチンコ屋の屋上にあるこの外気浴スペースは、目の前をJR中央線が走り抜ける。
サウナ休憩中に電車の音が聞こえるって物凄く好きなシチュエーションであり、ととのいを加速させる要素でもあると思っている。別に鉄オタでも音鉄でもないが、どういう訳だか、この電車が通る音を聞きながら椅子に揺られるのが好きだ。
他にも電車の音が聞こえるサウナと言えば、同じく中央線沿いの荻窪・なごみの湯、京王線を眼下に臨む笹塚のマルシンスパ、JR新大久保駅前のニュー大泉がある。
ニュー大泉なんかはホームの発車ベルまで聞こえるので余計に高まる。
それぞれの場所で、電車が通る度にその音に高揚するのは、日常との距離を感じるからだ。
東京の電車はいわば通勤の象徴。君たちはまだ働いているの? 僕はととのい中だよ。このちょっとした優越感を電車の音で呼び起こし、また目を閉じる。
次に目を覚ましたのは、都内のとあるスーパー銭湯。
「バイト先のさー、店長がさー、○○な訳よー」「あー、うぜえー、うぜえー、わかるー」
明らかに学生の男2人組がアディロンダックチェアに寄りかかりながら雀のごとくぺちゃくちゃと喋っている。
あー、一番苦手なシチュエーションだ。とにかく若い男子は2人集まればとにかくしゃべる。どこでもしゃべる。
最近は「黙浴」というワードがちゃんと施設内に貼ってあることが多いが、俺たちは今入浴してないから黙浴じゃないよーと言わんばかりだ。
外気浴の浴も黙浴の浴なんだよと説教したくなるが、この愚業も年を重ねると共に気づくことなので、目くじらは立てない事にする。
さて「黙浴」はいつまで続くのだろうか?
もはや遠い昔のように感じるが、以前はサウナ室でも外気浴スペースでも脱衣場でも普通に会話ができた。
羽目を外したようなバカ騒ぎでは無ければ、声を発することに咎める者は誰もいなかった。
今は図書館以上に声を発したらまずい場所となっているのが、サウナ施設。
最初は感染対策だったのが、いつしかマナーとなった。マナーが定着したという事は、皆がその環境を望んでいたという証であろう。
確かに快適にはなった訳で、元々一人でサウナに行く機会が多い者からすると、このマナー遵守はありがたい習慣である。
それでも騒ぎたい人たちのために、個室サウナや貸切りサウナが生まれたのだろうか。
結果、人類はより多様性のあるサウナの世界に足を踏み入れた。
若い子たちのチュンチュンした会話もいつしか気にならなくなり、再び目を閉じた。
次に目を覚ましたのは佐賀の「KOMOREBI」。
近年できた大型の温泉施設で、日本有数の広さを持つサウナ室が自慢である。
すぐ側にJR長崎本線の線路があり、ここのインフィニティチェアに揺られれば、特急電車や貨物列車が走り抜ける音が聞こえる。
心の源流をくすぐられる音である。線路の先には御船山楽園ホテル(らかんの湯)に程近い武雄温泉駅に繋がる。佐賀もサウナ大国になったものだ。
反対側に行けば佐賀駅があり、昔はその近くに極楽湯があった。サウナを始めて覚えたのもその極楽湯だった。
KOMOREBIは黙浴という文化が広まってからできた施設だが、もしその文化が生まれなければもっと騒がしい施設となっていた気がする。
であれば、この心に響く故郷の電車の音も聞こえてこなかったであろう。
電車の音と共に人々の生活の音が聞こえてくれるだけでなく、思い出さえも運んで来てくれる。
人の声がしなくなった今、風と共にととのわせてくれるのは電車の音だ。
如何だったでしょうか?
プロレタリア文学の域には達しませんでしたが、『週刊少年ジャンプ』の域には何とか近づけたかと思います(一部『週刊少年マガジン』)。
最初は「目と耳で感じるサウナ」と題して、科学的にサウナにおける視覚・聴覚効果を分析して皆様にお届けしようとしましたが、大塚のCIO(カプセルイン大塚)で漫画読んでたらどうでもよくなりました。
ほら、サウナ室入って最初12分計を見たのに途中で「あれ? どの数字の時入ったんだっけ?」と忘れてしまうようなもんです。
そういう事にしておいてください。
▼引用・参考文献
『蟹工船』小林多喜二
『SLAM DANK』井上雄彦
『東京リベンジャーズ』和久井健
『ドラゴンボール』鳥山明
『魁!!男塾』宮下あきら
12分計 確かによく忘れます。
参考文献に、民明書房刊が入ってないですよ🤭 佐賀に滞在しているので、「こもれび」の話は まさに!って感じでした。 面白かったです。
やっべぇ文才のひとに出会った!うれしや。
チャギントン、草加健康センターでしか見た事ない📺
プロレタリア文学そのものの良文でした😊で、プロレタリアってなぁに😂
楽しく読ませて頂きました。
最高でした。
めちゃくちゃオモローでした! 佐賀生まれ佐賀育ちも好感持てました。 こもれびさんにお世話になってます。
非常に語彙力が豊富で文体も読みやすく楽しく拝見させていただきました。こもれびの静かさはあの広さでは驚愕モノですよね!
文才が爆発してる