ロスコという男
「ねえ、わたしのこと好き?」「どこが好き?ねえ、なんで好きなの?」
ばかな女なので、わたしはいつもそんなことばかり尋ねる。
わたしは承認欲求を満たしたいだけなので、回答はなんでもよくて、ふんふん、そっか、とにこにこしながら聞くのだった。
一方で、「おれのどこが好きなの」と聞いてくるような男は、あまりいなかったように思う。
聞かれないでもわたしは、あなたのこういうところが好き、とよく言葉にした。
それは嘘ではなかったけれど、家が近いから、とか、作ってくれるご飯が美味しいから、とか、家がきれいだから、とか、ひっそりと腹のなかでつぶやいているときがあった。大変な失礼にあたるので、口にはしなかったけれど。
サウナに出会ったのは、2年ほど前のことだった。
好きになってしばらくは、ただがむしゃらに、貪るように、いろんなサウナに入った。
家から近いサウナ。職場からのアクセスが良いサウナ。内装がきれいなサウナ。ご飯の美味しいサウナ。優しいサウナ。ハードなサウナ。ちょっと癖のつよいサウナ。
そして、一番よく訪れているくせに、「いまいちなところ」ばかり思い浮かんでしまうサウナもある。
「●●なんだよね。でも、好き」
それは家のような、家族のような、不満ばかり浮かんでしまうけど憎めない、つい帰ってきてしまう場所。いわゆる「ホーム」。
わたしは「ホーム」を心のすみっこにキープして、その日の気分でいろんなサウナを訪れた。
あまりそういう遊びはしてこなかったつもりだけど、その日のサウナを選ぶのは、まるでその日あそぶ男を選ぶようだった。
わたしはついぞ、ひとりの人間をいちずに愛し続けたことがない。
ひととしてなにかが欠けているのか、理由はわからないけれど、飽きたとかではなく自然に「そう」なってしまう。軽率に、ひとを好きになる。
一時期夢中になっていた地下アイドルについてもそうで、もう一生この女の子だけを推そう、とか、これが最後の推し、とおもって「推し」のことを好きになっても、同じグループのほかの女の子や、対バンにでていた他のグループの女の子のことを簡単に好きになった。
恋愛においてのそれはいわゆる「浮気」だし、アイドルオタクでも推しをコロコロとかえるのは決していい顔をされることではない。
でも、サウナはちがう。
今日はここ、明日はここ、と気ままにふらふらし、わたしはどんなサウナも軽率に好きになった。
合法的な背徳感は、わたしを安全におぼれさせた。
そんな時、ロスコに出会った。
衝撃だった。
月並みなことばしか出てこないけれど、たったのひと晩でわたしは、恋におちた。
いままでのほかのサウナに対する軽率な「好き」をはるかに凌駕して、圧倒的なそれは紛うことなく、恋だった。
ロスコに出会ったときのことを、すこしだけ。
たしかその日は、夜遅く、だれもいなくなったフロアで泣きそうになりながら仕事をしていたのだった。
21時にフロアが消灯するので、それよりも遅く残るときは真っ暗なフロアで自分の上だけ電気を点けることになる。
わたしは秘密基地みたいなその状況が嫌いじゃなかったけれど、連日の残業と仕事のストレスに加えて時折おとずれる眠れない時期がきていたせいで、その時のわたしは心もからだもぼろぼろにすり減ってしまっていた。
ただただ苦しくて、帰りたい、でも眠れないから家には帰りたくない、どこにも安らぐ場所がない、そんな地獄のようなループに陥っていた。
わたしは自分の心があまり強くはないことを知っていたから、きっといまが限界なんだな、とぼんやり気が付いていた。そして、眠れない、帰りたくないならとにかくどこか別の場所で眠ろう、そしてサウナに入ろう、できれば行ったことのないサウナで……と探して、たどりついたのがロスコだった。
限界だなんだといいつつ、しっかりとうるさい条件でサウナを探して選んでいるのは、笑ってほしい。
駒込駅、東口。
わたしはひどい方向音痴で、地図をみながらでも平気で道をまちがえてしまう。たしかその時も、出てすぐ左手にすすむところを右手にすすんでしまって、地図とにらめっこしながら駒込の駅前をうろうろしたような記憶がある。
東口を出てすぐ左手にすすみ、商店街には入らずに線路沿いをすこし歩く。コンビニのある角をまがると、真っ暗な道の奥に、通りをひとつ挟んでぼんやりと青い光が見える。
ああ、あれか。あの光。
そのときのわたしには、まるでそれが救いの光のようにも思えたのだった。
サウナ室や浴室でのことは、正直あまり覚えていない。ただ、じりじりと熱いサウナ室でテレビを見てひとり笑って、おなじ空間にひとがいる存在感に安心して、やわらかく冷たい水風呂にうっとりと沈んで、リクライニングルームの床にマットを敷いてねむったその夜、わたしは確かに救われて、いま、生きているのだ。
ロスコに、たしかにそのとき生かされて、いま。
生きている。
「わたしのこと、どうして好きなの?」とたずねて、
「好きなところはたくさんあるけど、どうして好きかなんてわからない。そういうものでしょ」と答える男はとてもかしこいか、わたしに心底惚れている。
そして、恋愛においてそれは使い古された言葉かもしれないけれど、たしかに真実だとおもうのはきっと、ロスコのせい。
駒込駅東口、線路沿いのノスタルジックな道。
コンビニを曲がった奥、ぼんやりと浮かぶ青い光。
女性用フロアの扉のステンドグラス。
館内着のすこしくたっとした肌ざわりは、幼いころいつも一緒に寝ていた祖父の寝間着のようなやわらかさで安心する。
昭和らしいうすピンクのロッカールーム。浴室前の、温泉宿のような脱衣かご。
ウォーターサーバーの水は、よく冷えていていつも美味しい。
浴室の不思議なレイアウト、むき出しの配管は宇宙船のようでわくわくするし、そんな無骨な雰囲気の浴室で異様な存在感を放っている水風呂のライオン。よく見ると、かわいい顔をしている。
仮眠室にならぶリクライニングチェアは、レバーをひいて背もたれを倒す仕組みなのがアナログで良いし、布張りで手触りがとても良い。
これは私の好みの問題で、リクライニングチェアは布張りでないと、背もたれを倒すときに「ブビビビビ」と変な音がするときがあるから警戒するし、ボタンを押して倒すタイプのものは暗いとどのボタンかわからない。寝ている間に変なボタンを押してしまうおそれもある。そしてこんな時代なので、単純なわたしは何事もアナログなほうに魅力を感じてしまうのだ。
リクライニングチェアでねむるのも、仮眠室の床にマットを敷いてねむるのも、カプセルでねむるのも、どれも良い。ほどよく散らばったひとの気配が、良い。
泊まった日の朝ごはんはもちろん、カレーや厚揚げ、焼いた肉、揚げ物、おしるこ……食べ物はどれもちゃんと美味しい。
ロスコは、男性側のサウナ室は横になる専用のスペースがあるほど広く、また、女側にはない露天風呂もあって、正直あまり平等ではない。でもそんなところも、「男友達には優しいし人気者だけど女には見向きもしない、クールだけど情熱的な男」のようでときめいてしまう。
帰り際、外に出てすこし下る板張りの道。そして最後に振り返って見る、青い光。
「好きなところ」を挙げるときりがなくて、ロスコで吸う空気のにおい、はだしでのぼる階段足裏のくすぐったい感触まで、どれをとっても、すべてが愛おしい。
でも、どうして好きなの?と聞かれても、うまく答えられない。
盲目な恋、かつ、偏愛。
ただ、ロスコにおちてもまだ、わたしはふらふらといろいろなサウナをめぐっては、あれが好き、これが好きと軽率につぶやいている。ホームサウナはホームサウナで、いまもまだ心のすみっこにキープしているし、惚れているくせにちっともいちずではいられない。
それはきっと、わたしは心底ロスコに惚れているけれど、ロスコはわたしを愛さないから。
ロスコはただそこにあってわたしに優しいけれど、決してわたしのものではない、だれのものでもない。
だから、わたしはロスコの愛人(ラマン)なのだ。ずっと。
でもその関係が、わたしにはちょうどいい。
サウナは、自由でいい。
ねえ、ロスコ。
わたしね、あなたの好きなところはたくさんあるけれど、あなたのことどうして好きかなんて、わからない。
でも、そういうものでしょう。
これはヤバい。大変なもんだわ。
ロスコ訪れるのが楽しみになりました。。
スゴい。有料で読みたい。でもお金はあげられないのでトントゥで。 もっと読んでいタイ、って思うと同時にロスコイキタイ、って思った。
今日の子さんの文章好きです。ひらがなのところ。
好きに理由なんてない。あったとしたら簡単に嫌いになれてしまうことになる。好きってそんな軽薄なもんじゃない。
とてもいい!
ロスコに行きたくなりました
ロスコにイキタイ!
ロスコ人形が気になる…
文も写真もよすぎて泣きそうです。
写真のロスコ君 サイコーです
軽く泣ける!
5回くらい読み直しちゃいました!
やっと落ち着いてトントゥ送れる!
魚喃キリコのような世界観。好き!