2019.09.13 登録
[ 北海道 ]
この2年ですっかり老け込んだ気がする。
行動範囲がすっかり狭くなってしまった。無謀な挑戦に二の足を踏むようになった。
たが、私にはやらなければいけないことがある。それが冬の森のゆへのルートのロケハンだ。
ーーーーーー
あれ?
脚が……
パンパンだぞ?
体が汗だらけだぞ?
今、北海道は氷点下の世界だぞ?
帰りたい。俺、帰りたい。
ーーーーーー
気がついたら1年ぶりの森のゆ。私の体はすっかりなまくらになっていた。だが、その間も森のゆはコロナ禍の中、進化を続けていた。
ーーーーーー
サウナ室の灯りがかつてより暗くなっている。
私は裸の人間しかいない空間に明るさや健全さを求めていない。暗さが輝きをもたらす場所がある。
見えないからこそ、より深く見えるものがある。
夜の森のゆのサウナ室に入るとそれがよくわかる。
ーーーーーー
暗闇は極上の外気浴を味わえる露天風呂にも広がっている。
目の前に広がる森の奥はもはや何も見えない。だが、見えないだけでそこにはたしかに生命がいる。
テン。リス。エナガ。キツネ。シカ。
暗闇がより鮮明に生命の息吹きを浮き上がらせる。
ーーーーーー
「見えないものを見ようとしてるのかい?」
あまりの寒さに露天風呂に入っていた私に、私の天体観測がふいに話しかけてきた。
そうだ。森のゆでは、よく私の私に話しかけられるんだった。
「森の奥には見えない『何か』もいるんだよ」私の天体観測が怖いことを言い始める。
「『やみくろ』みたいなもの?」と私が聞く。
すると「なんだよ、『やみくろ』って!俺の知らないことを知ってること前提で話すなよ!」と強めに叱られた。たぶん自分以外の作品の話をされるのが嫌だったんだろう。
感情的になったのが照れくさかったのか、私の天体観測は縮こまってうつむいている。
「まあ、あれだよね。夜は望遠鏡を使って夜の天体観測といきたいもんだね」
そういうと私の天体観測はニヤニヤと私を見つめていた。困ったら下ネタで何とかしようってところが私の天体観測のダメなところだ。
「お互い寄る年波には勝てないみたいだね」
そういうと私と私の天体観測はうなだれてしまった。
ーーーーーー
というのをハンモックの上で書いています。今、外は真っ暗です。
私はこんな暗闇の中を自転車で15キロ走れるのでしょうか?
雪道に気をつけることにします。やみくろにも気をつけます。
[ 北海道 ]
しばらくぶりの鷹の湯は前より過激になった気がする。
熱湯(ねっとう)がほんの少し熱くなった気がする。
水風呂がほんの少し冷たくなった気がする。
サウナがほんの少し熱く設定されている気がする。
「あれ、あのこってあんな赤い口紅使ってたっけ?」
「あれ、あいつひげあったっけ?」
「あれ、スカートあんなに短かかったっけ?」
そう思っても確信がもてない。確認もできない。胸元のボタン1つぶんの小さく過激な変化。
でも、本当に前と変わってるのかな。
ないかな。ないよな。
真夏のピークが遠に去った9月の札幌。鷹の湯は閉店時間が22時30分に戻った。けれど、いまだに街は落ち着かないような気がしている。
[ 北海道 ]
パンダだけが入店できる銭湯があるという。
まったくもって馬鹿げた話だ。
日本にいるパンダは中国からレンタルされており、1頭につき年間1億円とも1億8千万円ともいわれる巨額のお金を中国政府に支払っている。
そんな政治と金にまみれた動物・パンダが日本の銭湯に通っているなんて、今どき小学生だって信じやしない。
だが、ここに衝撃的なルポがある。
https://www.ehonnavi.net/ehon/90594/%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%80%E9%8A%AD%E6%B9%AF/
まさに暴露としかいえない内容に、私は戦慄した。
著者の名前は『tupera tupera』。読み方がわからない。パンダが高度な国際問題だから匿名性が必要なのだろう。
この本は暴露系ルポタージュではあるが、イラストが多用されているので読みやすく仕上がっている。ぜひ読んでみるといい。
ーーーーーー
共栄湯が『パンダ銭湯』と化す。
共栄湯のInstagram・Twitterで発信されたそのニュースに私は震えた。
「この目でパンダの秘密を確かめることができる」
極めて政治的で危険な賭けだが、好奇心は抑えられなかった。
ーーーーーー
「やはり……」
浴場にはパンダであふれていた。
だが、一見するとパンダには見えない。ともすると、お兄さんやおじいちゃんやおじちゃんにすら見える。
しかし、私の目はごまかせない。
脱衣所で「あれ」を「チャ!」と外していることはわかっている。ルポを貪るように読んだ私はすでに「パンダ銭湯に来るパンダがパンダには見えない」など知っているのだ。
「……公然の秘密」
思わずそうつぶやくと隣で頭を洗っていたおじさんみたいなパンダがちらっとこっちを見た。
こちらがパンダをのぞくとき、パンダもまたこちらをのぞいているのだ。
ーーーーーー
パンダ銭湯の秘密を知った充実感でいっぱいだ。そんな私の体にはほのかな笹の葉の香りがまとわっている。
「ありがとうございましたー」とさわやかに挨拶をしてロビーをあとにしようとすると人間のご主人が
「あ、これ持ってきなー」
と名刺サイズの紙を渡してくれた。
そこには『入泉証明書』と書かれていた。
ーーーーーー
今もその証明書は私の財布の中に入っている。これが今日の出来事が現実だったことも証明しているはずだ。
ちなみに私はよくない薬やいけない葉っぱはたしなんでいない。ちょっとレモンサワーを飲みながらこれを書いているだけだ。
[ 北海道 ]
きょうりゅうさんが今日も私を待ってくれている。それだけでも裸になりがいがあるというものだ。1人ぼっちで裸になるよりよっぽど健全だ。
一糸まとわぬ姿で浴室に雄々しく進む。
ーーーーーー
水です!ジャバ―
水です!ジャバ―
水です!ジャバ―
思わぬ歓迎の声に胸がつまる。この気持ちは何だろう。目に見えないエネルギーの流れが大地から足の裏を伝わってくる。
ーーーーーー
体を清め主浴へと進む。主浴の循環は今日も絶好調だ。ふと見上げると女湯と男湯の間の壁に透明タイルでハートマークがデザインされている。
男女の間には隔たりがある。それは互いに越えることはできない。それは2人にはどうすることもできない。しかし、気づきにくいだけで、そこには心がある。たしかにある。
これはそのメタファーに違いない。
ーーーーーー
湯だった体をちんちんのバイブラ水風呂で冷やす。
カランで休憩を取りつつ、寝湯の壁を見る。循環は今日も絶好調だ。
そして、また気づく。壁にたこさんがいる。まあるいおめめとまあるいお口。
まあるいおめめは脱衣所を見ている。まあるいお口はずっと「う」の口だ。それをぼんやり見ている私の口も「う」になる。
たこさんとおじさんは2人で「う」とつぶやいている。
ーーーーーー
今、サウナは4人まで。
熱い。カラカラタイプ。演歌。そして、また水風呂。
くりかえされる諸行無常。よみがえる性的衝動。
ーーーーーー
キマリにキマったら、電気風呂に入る。千成湯の電気風呂にはブランカがいる。びりびり。ばりばり。
「うおっ、うおっ、うおっ」
思わず声が出る。寝湯に入っている紳士がちらっとこっちを見て笑う。「気にしてませんよーだ」と思わせるために顔をつーんと30°上に向ける。
そこにあるのは
サ。
みまごうことなき
サだ。
気がついたが最後。私たちはそこから目をそらせなくなる。
ーーーーーー
誓って言うが私はよくない薬は飲んでいない。いけない葉っぱとも関係を持っていない。
ただ気持ちよくなるしゅわしゅわした何かを飲んでいるだけだ。
千成湯に行けばわかる。
行けば、きっと私が書いていることがわかるはずだ。
たぶん。
きっと。
おそらく。
めいびー。
[ 北海道 ]
雨が上がった。
22時前に仕事が終わり、見上げた夜空にしばらくぶりの晴れ間が広がっている。
思えば、雨を避け、ここ2日間ばかり銭湯に行っていなかった。
とはいえ、この時間だ。今から満足いくまで味わえる銭湯は限られている。22時閉店では間に合わない。22時半閉店でも短すぎる。
仕事の疲れは体中に張り付いている。今、どこかに行こうというのも億劫だ。
『正論と常識は楽しい?』
誰かの声が聞こえる。
『賢明を気取れば、心は安らぎそう?』
わかった。
これは手稲から「喜楽湯」「月見湯」「望月湯」を自転車ではしごした狂人からのメッセージだ。しかも、たった1日で、だというのだから、まともな神経ではない。耳を貸す必要はない。そんなのふつうじゃない。
『そうね。まともやふつうを盾にして、その場でずっと足踏みしているあなたの姿ってすごく素敵よ?とっても楽しそうだもの!』
……うるせえッ!!
24時閉店の月見湯、俺も行っちゃるわい!!月寒の坂、22時からチャリで駆け上がっちゃるわい!!
ーーーーーー
ちくしょおおおおおおおおお
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うおおおおおおおおおおおおお
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ぴえええええええん
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ちかれたああああああああ
ーーーーーー
おれとてもちかれたああああああ
ーーーーーー
疲れた体に月見湯のサウナが染みる。水風呂は冷たすぎることなく、サウナは熱すぎることなく。
夜風がほほを撫で、ラドン風呂では近頃私たちがどれだけいい感じなのかがさわやかに歌い上げられている。それを聞いている私もいい感じだ。悪いわね。ありがとね。これからもよろしくね。
来てよかった。
ありがとう、狂気の女神。一歩踏み出す勇気さえあれば、俺でも空だって飛べる。
そんな気持ちに月曜日からなれた。
ーーーーーー
「ありがとうございました!おやすみなさい!」
気持ちのいい店員さんの挨拶を背に、帰りの自転車にまたがる。すると体から疲れが抜けていることに気がつく。
ほんと、来てよかった。改めてそう思った。
また空を見上げる。
すると月見湯の向こうにジンライムのようなお月様が輝いている。
「『YEAH』って言えー!」
また誰かの声が聞こえた。いい月曜日だった。
[ 北海道 ]
さようならが言えるというのは大事なことだ。
今までもこれからも「さようなら」をしないまま、会いたくても会えない人が増えていくばかりだ。
会えないということ、会えなくなるということ、自分がどれほど大切だと思っていたのか。それを理解するのはいつも失ってからだ。
だから、きちんと「さようなら」をしなければならない。「さようなら」をすることで、自分がどれほど大事に思っていたのかに気がつけるから。
でも、会いたいと思ったときに会えるような。そんな「さようなら」がいいなあ、と思う。
それでも今日初めて入った高温サウナ側もよかったんのよね。さようならのあと悲しくなるくらいなら、いっそ知らなければよかったのかしら。
[ 北海道 ]
片道10㎞の雪道を自転車で走る。
これは旅だ。古人も多く旅に死せるあり。
そんな思いにかられる。それでも今日は森のゆに来たかった。今月最後のお休みだから。
ーーーーーー
久しぶりの森のゆ。
モール温泉が肌をぬるぬるととかす。前よりもぬるぬるが強くなっている気がする。「これじゃあ、妖怪あんかけおじさんだな」と思う。
「おもしろいことを考えておるがいささかマンガの読みすぎかもしれんな」
ふいに私の大塩平八郎が声をかけてきた。森のゆで声をかけられるのはこれで2回目。もう慣れたものである。
「茶色いからちょっと思っただけです」
「別に非難はしておらんよ、それよりもさうなというものを体験してみたいものだな」
平八郎さんに言われ、早速サウナに向かう。木が新調されていたり、メトスの砂時計やデジタル時計が追加されていたり、と前に来たときからの変化がおもしろい。
でも、テレビにはミヤネ屋が流れていた。「ああ、今はそんな時間か……」と辟易する。
すると「見たくなければ目をつぶればよい。聞きたくなければ耳をふさげばよい。それくらい自分で工夫するくらいしてみたらどうだ」と平八郎さんが言う。
言われた通りにしてみると、案外いい。ふさいだ耳の中にはテレビの音声のほかに「ごごごごご」という音がした。
「これ、なんの音ですか?」と私が聞くと平八郎さんは「そちの中の風の音じゃよ」と訳のわからないことを言う。そりゃあ、乱もすぐに鎮圧されるはずだ、と妙に納得できた。
火照った体を冷ましに外気浴へと向かう。-6℃の外気にさらされ体から湯気が立つ。
「これ!なぜわしの前にタオルをかける?森が見えんではないか!」
「だって、平八郎さん寒くて縮こまってるじゃないですか」
「そんなことはない!」
しぶしぶタオルをはずすと平八郎さんは「絶景かな!!」と大喜びしていた。
しかし、よく見るとやっぱり平八郎さんは縮こまっていた。
「ほらー」と私が言うと「だってー」と今までとはうってかわった口調でおどけるので、2人で笑いあった。
ーーーーーー
これをいつものようにハンモックで書いています。
みなさんの大塩平八郎はお元気ですか?乱を起こしていませんか?
寒い日が続きますが、私の大塩平八郎は元気です。乱は半日で鎮圧されました。
[ 北海道 ]
たとえば、1人きりで生きていけるのなら、それはそれで誇らしいな、と思う。
でも、そんなことはできないので、あらゆる関わりの中で生きていくことになる。上手い下手に関わらず。
親だから、とか、恋人だから、とか、家族だから、とか、肩書きで表せる関係性はわかりやすく自分を支えてくれる存在と言えるかもしれない。まあ、そう一筋縄でいかないのが人生の難しさなのだが。
関わりの糸はあまりに細くて、複雑に編み込まれ過ぎている。だから、目立つところばかりに気をとられてしまう。
もしかしたら、上司に、部下に、医者に、姑に、近所のコンビニの店員さんに支えられている人もいるのだろうか。よくわからない。
人生の彩りの繊細さ。考えれば考えるほど頭が痛む。
『だから、人生はすべてに感謝して生きるべき』
そんな言葉が説得力を持つのもわかる。しかし、それが自然にできるほど、私は器用ではない。できるわけがない。
それでも、三が日に銭湯に入れる幸せには素直に『ありがとう』が言えた。
不器用なりにできることは少しくらいあることにほっとする。
今まで気がつかなかったが、私のある部分を共栄湯は支えてくれていたのかもしれない。
そんな存在にたくさん気がつけたら、わりとましな人間になれるかもしれない。
そんな2021のはじまり。
年の始めから言うことが小難しくていけないね。
[ 北海道 ]
いい銭湯の条件がある。
御託はいらない。
ただ1つ。
『近いこと』
これ以外にない。
銭湯は日常の延長線上にある。歩いて行ける距離の銭湯に、疲れた体でちょっと寄って、仕事のあれやこれや、人間関係のあれやこれやなんかを「あーあー」なんて思い出しながら、頭を洗ったり体を洗ったり、でっかい風呂入って、水風呂入って、サウナ入ってたら、なんだかどうでもよくなって、帰りしなビール飲んで「明日はもっといい日になったらいいな」と、少しでも『今日よりも明日』に思いを馳せることができるようになるための場所だ。
だから、自分の日常に近ければ近いほど銭湯はその力を発揮してくれる。銭湯はエンタメやラグジュアリーを求める場所じゃない。
とはいえ、だ。
しかし、だ。
「おすすめの銭湯」を聞かれたときの難しさは痛烈だ。
「おすすめを聞かれる」=「銭湯に行き慣れていない」ということだ。そんな人に「近いところにいくのがいいよ」という回答で納得なんて得られやしない。私だって、自分の思想を乱暴に押し付けるほど鬼じゃない。
それに難しいのは、何を「おすすめ」するのかという問題だ。
銭湯にどんな体験を求めているのか。もし、銭湯に『非日常』を求めていたとしたら、なんて答えたらいいのか。
わざわざ車を使ってでも、公共交通機関を使ってでも、雪道を自転車でぶっ飛ばしても、行く価値のある場所。
日常の延長にある銭湯という存在に、エンタメ感も、ラグジュアリー感も、お得感も、居心地も、回復も、明日への活力も、加味される場所。
どこだろう?
みなさんは、どこだと思います?
私は月見湯だと思います。
[ 北海道 ]
お風呂に入っているとよく『かぽーん』を思う。
そんな音は聞いたことがない。そんな状態にも出会ったことがない。
よくわからないオノマトペだ。
それでもときどき『かぽーん』を思わせる場所がある。
ケロリン桶かもしれない。
ペンキ絵かもしれない。
2m先が見えない湯煙かもしれない。
よくわからない。
確実に言えるのは、湯めらんどは私に『かぽーん』を感じさせる。そんな場所だということだ。
なくなるのか、ここが。
世界から『かぽーん』がまた1つ消えてしまうのか。
いや、まだ時間はある。
まだ『かぽーん』を体験したことのない人に伝えたい。
『かぽーん』はここにある。
札幌の環状線沿いに。
さよならが決まっている出会いだって悪くない。
チョイナチョイナはあなたを待っている。
そのとき、乱暴なロウリュを味わえればいいのだけれど。
そして、『かぽーん』が伝わればいいのだけれど。
……
…………
………………ところで、チョイナチョイナって何でしょうね?
[ 北海道 ]
偏愛とは何か。
偏った愛はすべて『偏愛』と呼ぶのだろうか。
「私は女が好きだ」
これは博愛?
「私はあなたが好きだ」
これは偏愛?
偏った愛のほうがまともに見えるのだが、それは私の右目が内斜視だからだろうか。私には偏った愛こそが、本当の愛し方に思えてならない。
だから、恥ずかしげもなく言おう。
「銭湯が好きだ。中でも鷹の湯が好きだ。それも、かなり」
ーーーーーーー
「おすすめの銭湯はどこですか?」
そう尋ねられて、「鷹の湯ですね」と答えたことは今まで1度もない。これからも答えることはない。
熱い湯はあまりに熱すぎるし、ぬるい湯も熱い。中間というものがない。
音楽も一切流れず、設備は古い。全カランに設置されているホースシャワーをほめても、結局はどこの家にもあるアイテムでしかない。鷹の湯にはもろ手を挙げてすすめられるような要素があまりにも少ない。
「わかるやつにだけわかればいい」
そんな傲慢さを鷹の湯から感じる人がいてもおかしくない。そう思う。
かつて、サウナ室で一緒になった大学生らしき若者が同じ値段の立派なスーパー銭湯と比べていかに鷹の湯がみすぼらしい施設なのかを一緒に来ていた友人に熱弁していた。その気持ちはわかる。
でも、たぶんそれは間違っている。
鷹の湯は、鷹の湯なりのあゆみで前に進み続けているのだから。
たとえば、今年の春。札幌の銭湯で一斉にサウナ室が使用停止となった時期、鷹の湯はサウナ室の木を新調した。さらに、サウナ室の照明を暗いLEDに変え、温度設定をかつてよりずいぶん熱くした。
サウナ需要を敏感に感じ取り、ニーズに応えようとしていた。
それでも、音楽もテレビもない鷹の湯の狭いサウナ室は武骨で、誰もが気に入るようにはできていない。熱すぎるお風呂の温度設定と同じ。
おもてなしの心はそこに確かにあるのに、それがわかりやすく表現できない不器用さ。
それが「鷹の湯」だ。
だから、誰かにおすすめしたとしても、鷹の湯の魅力がわかってもらえるとは到底思えない。もっと言うならば、銭湯の魅力を最初に伝えるにしては鷹の湯のそれはハードルが高すぎる。
そこがいとおしい。
『俺だけがわかる。俺だけがわかっていればいい』
私にとって鷹の湯はそう思わせてくれる場所なのだ。
だから、無理をしてまで行かなくてもいいと思う。
いいかい、行くなよ?
絶対に行くなよ?
絶対だぞ?
絶対行くなよ?
絶対だぞ?
[ 北海道 ]
冬とともに、ひどく苦しいゆううつが訪れた。
『男の子の日』の到来である。
体を動かそうとするだけで、通常以上のエネルギーが必要で、そのくせ頭だけはゴールのない思考によって同じ場所をぐるぐると回り続ける。
むなしい。そして、苦しい。
しかし、世界には情報が溢れすぎている。考えたくもないのに、材料だけは浴びるほど供給されてくる。
知りたくない。もう悲しむための情報なんかいらない。それなのに、わざわざ数値化して、まるで正確な『データ』のようなふりをして、正しさを振り回しながら俺に近づいてくるのだ。
あ、回数券で。はい、すいません。
そもそも『銭金』だって、ただの『数』のやりとりではないか。紙や金属に付加価値がついているように思わされているだけだ。そのただの『数』に人格の定規の役割が務まるというのだろうか。その『数』は原器すらないうつろいやすい相対的な
あっちーーーーーーーって
やっぱり鷹の湯、あっちいいいいいいいいいって
ふいいいいいいいい
水風呂
ふいいいいいいいいいいいいい
んで、なんだっけ。そう原器ね。メートル原器の話だ。そもそもメートル原器だって、変わらないはずがそうじゃなかったっていうじゃない。変わらないものなんてないんだよ。燃えないゴミだって、燃やそうと思えば燃えるゴミだし、そもそもゴミだって、リデュース、リユース、リサイクルの3Rによって
っちいいいいいいいいいいいい
くうううううううううううううう
きてゆうううううううううううう
みずぶろぉおおおおおお
ふへあああああああああああああ
そう130Rだ。ほんこんさんもあれだが、板尾さんこそあれだ。個人的には板尾の嫁によってマテリアルガールがコミックソングにしか聞こえなくなったのはかなりギルティ。ギルティすぎて、ギルガメッシュなんだけど。
くああああああああ
むああああああああ
あちいいいいいいい
で、さうなあああああああ
あせでるううううううう
でてゆうううううううう
みずぶろひえてるうううううう
ぎるがーーーーめっしゅ
あー、きもちえええええええええ
……
…………ん?
………………あれ?
ところで、俺はなにを悩んでたんだっけ?
[ 北海道 ]
かつて自分の思いをそのまま伝えることをよしとしない時代があった。
うつむきながら、「月が綺麗ですね」とつぶやくのが精一杯な。
ブレーキランプを5回点滅させるのが精一杯な。
そんな時代。
しかし、時は令和へとうつり、「相手に伝わりやすいやり方で思いを表現する」ことをよしとする時代になった。
人の流れは数値化され、コミュニケーションはより直接的になった。
それでもなお、大正湯は未だ伝えてくれない。あの頃がそのままそこにあるように。
------
のれんをくぐってから誰の声も聞こえない。
店主も何もしゃべらない。
浴場にいる常連も会話していない。
沈黙という贅沢。まるで「ここは風呂に入る場所で、それ以上でも以下でもない」と戒める空間が広がっているようだ。
あつ湯、薬湯、サウナ、キンキンの水風呂。
他に何が必要だい?
そんな問いかけすらしてくれそうもない。
すすきのの銭湯・大正湯。
かつてあった喧騒をしのばせるヒビの入ったサウナの窓ガラス。中央の大きな鏡を重ね合わせた洗い場。
静寂。
時折聞こえる女湯のおしゃべり。
ハードボイルドを絵に描いたような場所。
「これでいいです」
聞かれてもいない問いかけに心の中で答えてしまう。
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サウナと水風呂のはてどもない繰り返しを終え、薬湯からぼんやりと天井を見上げる。
明り窓が少し開いている。
ぶっきらぼうな店主の時代に沿った心遣い。
だが、それをあからさまに伝えようとはしてくれない。それが大正湯なのだろう。
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月が綺麗だと伝えることが精一杯な時代。それはたぶん時代ではなく、今なお残る人のあり方の話なのかもしれない。
それでも私は時代にそったわかりやすい伝え方をしたい。
「みんな、銭湯に行こう!きもちいいよ!」
[ 北海道 ]
札幌は広い。
札幌生まれ、札幌育ちの私にも馴染みのない土地がたくさんある。
「屯田」もまたそのひとつだ。
私には、屯田よりは屯田兵のほうが馴染み深く、屯田兵よりは和食レストランとんでんのほうが馴染み深く、和食レストランとんでんよりは市議会議員の林家とんでん平のほうが馴染み深い。
とりわけ私に馴染み深かった屯田は今はなき「山鼻温泉 屯田湯」だった。(今は宿泊施設になっている)
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こんなにも充実した温浴施設が市内にあったのか。設備のひとつひとつが驚きの連続だ。
レンガ造りの熱いサウナは3段目ともなると数分も持たない。そして、キンキンの水風呂。
たまらない。
水風呂からあがって、目に入るのは「ぬる湯実施中9/15まで」という浴槽だ。
外気浴前のぬる湯は最高だ。迷わず足を踏み入れる。
……ッ!!
……これはッ!!
ぬる湯というには冷たすぎるッ!!水風呂と呼ぶには人口の辻褄が合わないッ!!
ぴゃー!
こりゃあ、山鼻温泉屯田湯の超ぬる水風呂の温度ぢゃねえかッ!!
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熱いサウナ。キンキンの水風呂。そして。
ぬる湯というには冷たすぎるッ!!水風呂と呼ぶには辻褄が合わないッ!!
ピャー!
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熱いサウナ。キンキンの水風呂。そして。
ぬる湯というには冷たすぎるッ!!水風呂と呼ぶには辻褄がッ!!
合ってきたッ!!
辻褄合ってきたッ!!
むしろ見えてきたッ!!
世の理が見えてきたッ!!
ここが涅槃(ニルヴァーナ)かッ!!これがニルヴァーナだったのかーーッ!!
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山鼻温泉屯田湯。
あのとき、水風呂のぬるさに、少しの物足りなさを感じていたことを告白しよう。
だが、わかった。これが答えだ。これが答えだったのだ。
答えは札幌市北区屯田にある。9/15まで。お急ぎください。
[ 北海道 ]
私たちのささやかなラプンツェルはいつまで我慢しなければならないのか。
ここ数ヵ月の話ではない。何十年、何百年の話だ。
なぜ壁に囲まれた空間でしか顕にできないのか。
目的を持たない私たちのラプンツェルはとても愛らしい姿をしているというのに。
それが歯がゆい。
だから、私たちは森のゆに行くのだ。
ーーー
久しぶりの森のゆ。自然との境界がない露天風呂は圧巻だ。
ラプンツェルは言う。
「こんなに萌える緑を見たのは初めて!」
突然話しかけられて、私は驚いてラプンツェルを見る。
ラプンツェルは気にせずに続ける。
「あの音は何?」
落ち着きを取り戻した私はクールに答える。
「あれは近くを走る汽車の音だよ」
「あの花は何?」
「あれは池に浮かぶ蓮の花だよ」
「どうしてここのお湯は茶色くてぬるぬるするの?」
「モール系温泉と言って、古い植物のエキスが温泉に染み出ているんだ。ここはアルカリ性だからぬるぬるするし、お肌もすべすべになるんだよ」
今まで狭い空間に閉じ込められていたラプンツェルには何もかもが新鮮みたいだ。
サウナへとむかう。でも、まだ利用はできないようで、少し悲しくなってしまう。そんな私にラプンツェルは言う。
「でも、私、ここのシャワー好きよ。だって、とっても細くて、気持ちいいんだもの」
「水風呂も深くて冷たくて気持ちいいから大好き!」
ふふ。閉じ込められた生活をしていたのに前向きなんだな。なんだか自然と笑みがこぼれてしまう。
「それにドライヤーもとってもいいものに変わったのに無料で使えるみたい。お得ね」
ふいに見せるラプンツェルのめざとさに笑顔をひきしめる。
……ラプンツェル、かわいいふりしてこの子やるもんだね、と。
ーーー
お風呂からあがり、いつものようにハンモックへ。だが、撤去されている。
また落ち込む私にラプンツェルは言う。
「ハンモックがなければブランコがあるじゃない」
というわけで、今、私はテラスのブランコの上です。現場からこんにちは。
さて、みなさん。
心の中の(あるいは体のどこかの)ラプンツェルは元気ですか?
私のは元気です。
[ 北海道 ]
出会いと別れの季節と言えば聞こえがいいが、このところ別ればかりだ。
神様はいつだって平等に不平等だ。
そんな心を凍えさせた中年男性を大豊湯は芯から温めてくれそうだ。
なんせ、今日は「あひるちゃんの日」なのだ。
――――――
浴室には湯屋の華々が咲き乱れていた。
白と水色の中に緑や赤の彩りが映える。
主浴にはフラフープの中で大小さまざまなあひるちゃんが浮かんでいる。その横では湯屋の華を背負う男性がうっとりとおふろを楽しんでいる。
それを見て、込み上げてくるものがある。これほどエモーショナルな風景を大豊湯以外で見ることができるのだろうか。
――――――
サウナはレンガ造りの2段構え。12分計が設置されており、テレビも音楽もない。聞こえるのは話し声だけだ。
サウナ室を出ると激烈ぬるめの打たせ湯に、チンチン水風呂、2つの選択に迫られる。どちらもサウナ後のごちそうだ。今回は水風呂からの打たせ湯の贅沢コースを堪能させてもらった。
――――――
ひとしきり、大豊湯を楽しんだ最後に主浴のあひるちゃんに近寄ってみる。
あひるちゃんたちの多くはひっくり返っていた。かわいそうだ。思わず、あひるちゃんを元に戻す作業を始める。これがなかなかおもしろく、時間を忘れて、1人でキャッキャウフフしてしまう。
「あ、またひっくり返った」
「ぜんぜんできないなぁ」
「むずかしいなぁ」
思わず独り言をつぶやく。すると、その向こうにこちらを見ている若者と目が合った。若者は私から見えない位置に場所を移し、間を置かずにそそくさと主浴から上がっていく。
たしかに、あひるちゃんをいじっている人は私以外誰もいなかった。冷静に考えると、私はあひるちゃんとキャッキャするうらぶれた中年男性以外の何者でもない……もしかしたら、社会から一番外れているのは私なのかもしれない。
それに気がついた瞬間、心身ともに温冷交互浴が完成した。
みなさん、札幌に、春がやってきました。
[ 北海道 ]
多くの大切な「さようなら」をし忘れたり、あるいは逃げたりをしながら生きてきたのに、
未だに失ってから気がつく取り返しのつかない別れが多いのは、私が成長できていないからなのかもしれないし、
「まだ大丈夫だろう」だとか、「まあいいか」だとか、「今日はちょっと」とか、他愛のない些末な日常のわずらわしさを理由にして済ませられるリーズナブルな別れが多いからかもしれなくて、情けなくもなるが、
「さようなら」に含まれるわずかな「死」の匂いを嗅ぎたくないと、無意識に、本能的に避けていることに気づきつつあって、
「さようなら」によるしっかりした区切りから逃げ続ける人生を送りそうな自分を感じているから、
菊水湯の、広いサウナと、4つ連結した珍しい浴槽のあつ湯と北国の冷え切った水風呂で、肉体の収縮と拡張によって、小さな「死」を何度も何度も味わって、
「さようなら」という句点をつける準備をしたつもりだけれど、
どうしても、「。」をつける勇気はまだもてなくって、
でも、いつかは終わらせなければいけないことはわかっているから、
いつ終わるか不安になる句点のない文章を書き続けてみたけれど、どうして「さようなら」をしなくちゃいけいないのかがまだ飲み込めないから
[ 北海道 ]
シャンプーとトリートメント、合わせて14300円する世界線がある。
その名も『オージュア』。
我々、中年男性にはまったく縁のない世界、そう思っていた。
でも、おじさんだって、ファビュラスできちゃう。それが共栄湯だ。しかも、100円で。
――――――
レンタルシャンプーの存在は知っていた。存在を知りながらも、一歩が踏み出せなかった。
そんなためらいを今日は振り切ってもいい気がする。コロパニは、そんな意味のない勇気を私たちに与えてくれる。
――――――
人はけっこういる。どんなときも、おふろとサウナ、入りたいもんね。
じゃあ、まずは頭を洗うか。
よし!さっそく「おーじゅあ」つかっちゃおう!!
――――――
驚きだ。
鏡に映っているのは私だ。だが、『オージュア』を使った瞬間、見違えてしまった。
気が!
する!
けど、言い過ぎかもしれない!
でも、確かに綺麗になっちゃってる!
気が!
する!
けど、どうなんだろう?
――――――
え?「そもそも、なんで、そんなシャンプーを使うんだ」って?「どうせ、女性の目を気にしているからだろう」ですって?
はんッ!これだから、男子は!
これはね、女子のネイルと一緒なの!ネイルは男性のためにしてるんじゃないって知らないの?女子は自分のためにするの。かわいくなることとか、綺麗になるのは誰かのためじゃないの!わかる?全部が全部、異性の目を気にしてるってすぐ考えるからよくないのよ!
だから、男子って嫌い!
……でも、これがきっかけでモテ始めても私はぜんぜんよくってよ?ぜんぜんかまわなくってよ?
――――――
共栄湯からの帰り道、いつも以上に満足感にあふれている。
立ち寄ったスーパーでも、なんだか私をちらちら見ている人がいる。気がする。これがファビュラスの世界……ッ!!
〈ようこそ、日本へー〉心の中でスマップの名曲を歌いだしてしまう。
レジの店員さんが私の魅力に思わず話しかけてくる。
「大丈夫ですか?マスクに血がついてますよ」
……
さっき鼻毛を指で引き抜いたときにちょっと血が出たんだ……
あー、だからかー。
エコバッグにしまうため手に取ったサッポロソフトが、今日はなんだかにじんで見える。
そんな気がした3月1日。北海道は緊急事態宣言実施中です。