2019.10.03 登録
[ 北海道 ]
小雨の中、初めての大照湯へ。
この季節の雨は容赦無く体温を奪う。
冷えた身体を洗い、湯に晒し、いざサウナへ。
重厚なサウナ室のドアはまるでBarのようだ。期待が高まる。少々力を込め、ドアを開いた。
「好きだ」
思わず声が出た。生まれて初めての一目惚れである。
いわゆる電球色の照明がひとつ。好きな明るさだ。
ほのかな木の香り。好きな匂いだ。
流れる演歌。好き、ではないが嫌いでもない。
ひとりきりのサウナ室。2段のベンチ、当然のように上段に陣取った。しばし知らない演歌をやり過ごすと耳馴染みのある曲が。「襟裳岬」だ。
ひとりきりのサウナ室。唄わないわけにはいかない。イントロに身体を揺らしつつ歌い出しを待った。
「♪北のぉ〜」の「き」を発したその瞬間、サウナ室のドアが開いたので慌てて口を閉じた。でも多分、いや確実に聞かれていた。
(唄ってんじゃん!ちょっと物真似してたじゃん!)
そう思われたに違いないので、そそくさと水風呂ヘ向かった。
鈍感な私の皮膚センサーでも水の柔らかさがわかった。さっきまで雨を嫌っていたのに、いまは自ら水に飛び込んでニタニタしている。勝手なものだ。
小休止を挟んで再びサウナ室へ。
「浪花恋しぐれ」が流れていた。
「酒や!酒や!酒買こうてこい!」
春団治の魂が炸裂する。
私は噺家でもなければ泣かす女房もいないが、不思議と共感した。
帰り道、小雨は大雨になっていた。
酒買うてこい!という相手もいないので、自分でハイボールを買って帰りました。
[ 北海道 ]
大豊湯には家族風呂が併設されている。
もっとも、家族のいない私は入ったことがないし、今後も多分入ることはない。
店先の喫煙スペース、見上げれば今日も「家族風呂」の真っ赤なネオンが眩し…くない。
壊れているのか「家族」の2文字が死んでいる。闇夜に向かって「風呂」という大胆すぎるメッセージが放たれていた。
家族が壊れ、消えた。なぜかドキッとしてしまった。
先述の通り、私には家族がいない。この場合の家族は「嫁と子供」を意味する。
これは胸を張るようなことではないが、かといって卑屈になるようなことでもないと思っている。
しかし、だ。光を放たない「家族」にドキッとした自分は卑屈でないと本当に言い切れるのだろうか。静かなサウナ室で自問自答を繰り返した。
突然、勢いよくサウナ室の扉が開いた。小学生だろうか、2人の少年が飛び込んできた。
「ヤバい!熱い!」
「無理無理!」
と騒ぎ散らし、嵐のように去った。
(家族に対する俺の憧れが生んだ幻影か?)
一瞬そう思ったが、間違いなく実体のある少年だった。
おそらく兄弟なのだろう。妙に気になってしまい、その動向を目で追った。
サウナ室の秩序を乱したのはいただけないが、その他は概ね行儀よく過ごしていたようだった。そして私はあることに気がついた。
父親の姿がない。
時刻は20時。年端も行かない兄弟だけで銭湯に来なければならない理由は、私が40にして独身であることよりもはるかに切なくて哀しいはずだ。
彼らもまた、消えた「家族」に胸を痛めたかもしれない。
最後の水風呂を終え、彼らに数分遅れて湯を上がった。
店先の喫煙スペース。やはり「家族」は光を失っている。
寒風の吹く夜道を進む兄弟はさぞ心細いだろう。そして彼らの帰る先には誰が待つのか。いや、誰かは待つのか。
咳こむ私の眼前を、駐車場から飛び出してきた車が横切った。
母親の運転する車の後部座席であの兄弟がメチャクチャ笑いながらSwitchに興じていた。
おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。
[ 北海道 ]
徐々にだが確実に日常が戻ってきている。
まだ油断はならないが、離れざるを得なかった人や場所が少しずつ元通りになってきている。
何が言いたいのかというと、「昨夜ススキノでバカみたいに飲んだので今日は死に体だった」ということだ。
二日酔いほど虚しいことはない。「なんであんなに飲んだんだろう」「しばらく酒はやめよう」という後悔と誓いの中で嘔気や頭痛が過ぎ去るのを待ち続ける時間に、生産性はゼロだ。
「二日酔いにはサウナがよい」という話を聞いたことがある。多分これは間違っている。間違っているどころか却って身体に悪いのではないかと思う。
なので、身体を第一に考えれば今日はサウナに行くべきでなかった。
だが、私は身体を第一に考えていない。そもそも身体を第一に考えていればあんなに飲みはしない。
後悔と誓いを昇華するため、美春湯に向かった。
サウナの前のウォーミングアップ。いつものように薬湯へ。
日替わりの薬湯は本日「ワイン」だった。
オーマイガッ、と本当に声が出た。
酒の匂いすら勘弁してほしい。ワインとはあんまりだ。
いや、入ったけどね。入るよ、そりゃ。よかったよ、ワイン。よい匂いだったさ。色も綺麗でね、うん。
ワインを纏ってのサウナ室。汗とともにアルコールも流れ出ているような気がしないでもない。それでも二日酔いがサウナで治るとは思えないが、少なくとも後悔と誓いを繰り返していた心は軽くなった。
初め「汗とともにアセトアルデヒドが〜」と書いて「うわっ、ダジャレになっちゃってんじゃん!」と書き直したのは内緒です。
[ 北海道 ]
午前中に健康診断を終え、ひと息ついてから望月湯へ。
受けておいてこんなことを言うのはよくないが、私は健康診断が嫌いだ。
短期間とはいえ禁酒、禁煙、断食を強いられた挙句、血液やら尿やらを搾り取られるだなんて、もはや拷問だ。
拷問の極め付けはバリウムである。変な粉と変な汁で腹をパンパンにしておいて「ゲップをするな」とは何事か。無理な注文である。無理過ぎて「とんちか何かか?俺、一休?」と思っていた。
この時点で屏風の虎を捕らえるのと同じくらい無茶なのだが、地獄は続く。
変な機械の台に寝かされ
「お尻の左側を少しあげてください」
「右に3回、回ってください」
などとほざきやがる。
しまいには
「逆さになるので手すりをしっかり掴んで頑張ってくださーい」
だ。
いやいや、ニュートンが何を発見したのかお前知ってんのか?それともあれか?「ゼロ・グラビティ」観てから来たのか?重大インシデントの防止策が「頑張り」って正気か?
拷問フルコースを耐え切った私は病院を足早に出て、喫煙可の食事処に飛び込んで久しぶりのニコチンとメシを堪能した。我慢の果てに待っていたのは、この上ない快感だった。
腹の具合を気にしつつの望月湯は、いつもと変わらなかった。腹も大丈夫だった。
ただ、季節のせいか水風呂は私の手に負えないレベルとなっていた。冷たすぎる。
耐えに耐え、外気浴ではなく内湯へ飛び込んだ。
我慢の果てに待っていたのは、この上ない快感だった。
[ 北海道 ]
本当に心から謝りたい。スチームサウナに。
スチームサウナといえば、いわゆるサウナ施設やスーパー銭湯における脇役という認識だった。
「本場フィンランド式」などと銘打たれた立派なサウナ室に隠れ、朝な夕なピシューピシューと蒸気を吐き続ける哀しきサウナ。
立派なサウナ室がロウリュだアウフグースだと盛り上がる中、ピシューピシューと蒸気を吐き続ける哀しきサウナ。
少なくとも私にとってスチームサウナはそんな存在だった。
もちろん嫌いなわけではない。脇役には脇役の味、存在感がある。ドラゴンボールでいえばナッパ、刺身盛り合わせでいえばタコ、単位でいえばデシリットル。スチームサウナはそんな存在だった。
福の湯にはスチームサウナしかない。つまりここでは主役だ。
エンタメ界には脇役をメインに据えたスピンオフ作品があったりするが(『ボクは岬太郎』『闘将!!拉麵男』etc)、福の湯はなにかのスピンオフではない。
「とはいえスチームだろ?」
ニヤニヤしながら足を踏み入れた私を強烈な蒸気が襲った。
「熱い!ヤバい!間違いない!」
初めての訪問ということを差し引いても、その衝撃は筆舌に尽くし難いものだった。
ごめん、スチームサウナ。完全にナメていたよ。
思い返してみると、「スチームサウナ」といっておきながら蒸気が全く感じられないところも少なからずあった。福の湯を見習えといいたい。そんなスチームサウナはジョウキを逸している(ドヤ顔&ほろ酔い)
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少し前のことだが、職場で女性の先輩から
「マリトッツォって知ってる?」
と話しかけられた。
(…マリトッツォ?)
全くピンと来なかった私はヤマを張って
「世界三大テノールの人ですよね!」
と答えかけたが、すんでのところで思い出した。流行ってるらしい菓子だ。オズワルドがラジオで話題にしていた。
「なんか菓子ですよね!」
難を逃れた。「なんか菓子」という言い回しのバカっぽさはともかく、その後の会話を続けることができた。ありがとう、オズワルド。
この国では定期的に外国の謎な食い物が流行る。ナタデココにパンナコッタ。記憶に新しいところではタピオカか。
誰しもそうだろうが「流行りに乗るのはダサい」と考えていたことがあった。思春期に特有の患いである。
だがオッサンとなった今は「乗らない」のではなく「乗れない」になってしまった。「流行りに乗るのはダサい」などと斜に構える権利はない。
昨今、サウナブームなどといわれている。
私自身がどう考えているかはともかく、客観的にはブームに乗っているということになるだろう。それを否定するつもりはない。「乗れない」オッサンなのだから、「乗っている」と思われるだけでもありがたいと受け止めるべきなのかもしれない。
金曜夜の鷹の湯。サウナには私と大先輩。
決めつけてしまって申し訳ないが、大先輩はおそらくサウナブームを知らない。求道者のようなその所作はブームとか流行りの枠組みを超越していた。
カッコいい、と思った。
思春期の患いはまだ燻っている。
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「風が吹くと桶屋が儲かる」という諺がある。一見つながりのなさそうなことでも実は関係がある、といった意味合いだろうか。
「風が吹く→埃が目に入って盲目の人が増える→盲目の人は三味線を始める→三味線は猫の皮を使う→猫が減ってネズミが増える→桶が齧られまくる→桶屋が儲かる」ということだ。現代の感覚だとツッコミどころが多すぎるものの、スーパーコンボの完成である。ぷよぷよなら「ばよえ~ん」だ。
「俺が風呂道具を携えて出勤すると怒られる」という諺は私がいま作った。これまでは偶々だと思っていたのだが、どうも関係がありそうなのだ。
「風呂道具を携えて出勤→風呂やサウナのことしか考えられなくなる→Googleマップを開く→『本気出したら美香保湯まで歩けちゃうんじゃね?いやいや、無理だっつーのwww』→上司に会議資料を催促される→『できてねーしwwwそれも無理だっつーのwww』→怒られる」
以上である。
皮肉なことに怒られるとサウナ欲は加速するので、結果オーライだ。むしろ自ら怒られに行っているきらいすらある。会議のひとつやふたつが吹き飛んだところで何だというのだ。
今日の美春湯はサウナがいつもより少し熱かった。
帰り道はあえて南郷通を避けた。本日、札幌は今季一番の寒さだったらしい。火照った体をびゅうと寒風が襲った。桶屋が儲かるだろうな。
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所用のため珍しく西区へ。
札幌は西と東で全く表情が違う。なので東の人間である私が西側を訪ねるときには、他所の組が仕切るシマに足を踏み入れるくらいの覚悟を要する。
アウトレイジと化した私は発寒南駅に降り立った。「うちのシマに何の用だ?」と言わんばかりの視線が刺さる。
「木村、もういいよ、帰ろう」と言いかけたが、グッと堪えた。木村もいない。
今日のカチコミは笑福の湯。番台の姉御に500円玉を差し出したところ、何事かをゴニョゴニョと言われた。
「"fxxkin' 東札幌"ぐらい分かるよバカ野郎!」
と言いかけたが、聞き直すと「券売機ご利用下さい〜」とのこと。危なかった。そもそも映画が違う。
洗身を終え、まず湯へ。ここの湯がとんでもなく熱いという話は東にも届いていた。
とはいえ、だ。鷹乃湯の叔父貴に比べたらたかが知れている。躊躇せず飛び込んだ。
「ぐうおぉぉおお!」
木村が小指を噛みちぎったときと全く同じ声が出た。
ナメたことを言って申し訳なかった。バッティングセンターで椅子に縛り付けられるかと思ったが、笑福の湯は手打ちにしてくれた。鷹乃湯の叔父貴に引けを取らない強烈さだった。
サウナ室もなかなかに強力だったが、東の看板を背負っている以上、簡単に身を引くわけにはいかない。文字通り、しのぎを削った(ストーブと)
浴後、狭いながらも落ち着きのある休憩スペースでガラナを飲んだ。盃を交わしたということで、これからは兄弟分としてお付き合いいただきたい。
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札幌で音楽が楽しめる場所はどこか。
Zepp Sapporo、PENNY LANE24、はたまたKitaraかPrecious Hallか。
ひと口に音楽といっても様々なので、答えは難しい。
難しいが敢えて言いたい。札幌で音楽を楽しむなら東豊湯のサウナか月見湯のラドンだ。
「東豊湯も月見湯も有線流してるだけだろ」などという意見もあろう。夢がなさすぎる。
私はDJ TohoとDJ Moon-Viewingの存在を信じている。
ツボを押さえた選曲と程よいリバーブ。若かりし頃、Derrick MayやWestbamなど世界的なDJのプレイを数々味わったが、東豊湯と月見湯での体験には及ばない。
今日もDJ Tohoはヤバかった。
「愛が止まらない/Wink」に「青葉城恋唄/さとう宗幸」をカットイン。「愛も広瀬川の流れも止まらない」というメッセージ性の強いプレイが冴える。
そしてピークタイムにはビッグアンセムの「浪漫飛行/米米CLUB」をドロップ。フロアを埋め尽くしたヘッズ(俺一人)もこれには声を合わせて大熱唱。声が漏れていたのか窓越しにかつてのヘッズがこちらを一瞥していたが、そんなことなんて気にならないくらいフロアの熱量は最高潮に達していた。サウナだから熱量が高いのは当たり前とか言ってはいけない。
そういえば、もうひとつ音楽を楽しめる最高の場所があった。望月湯だ。演歌縛りだが、妥協を許さないそのスタイルには好感しかない。
望月、つまりDJ Moon-Viewingだ。箱によってスタイルを変えているのだろう。さすがだ。
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曇天模様の空の下、トボトボと望月湯へ。
本日のかわり湯はコーヒー湯。私はコーヒーが好きだ。
とはいえ「このコクとほのかな酸味。さすがクリチーバ農園の豆は違いますね」などとチョビひげ丸メガネで語るようなレベルではない。単に好きなだけだ。
豆はいつも宮越屋で購入しているが、これも別にこだわりとかいう高尚なものではない。美味しくていつでも気軽に買えるという理由だけしかない。
強すぎるこだわりを持つことは自分を縛りつけかねないし、自覚のないままに通ぶってウンチクや専門用語を垂れ流すみっともない人間になってしまう危険性もある。気軽、カジュアルでよい。チョビひげはいらない。
コーヒー湯を堪能し、サウナ室へ。いや、今日に限っては焙煎室といったほうがよいかもしれない。日曜夕方、大入りだった。
焙煎室に集う我らはつまり豆である。短時間の浅煎りで出て行く豆、じっくりと深いロースト香を醸すまで留まる豆。豆、豆、豆。一応断っておくが下ネタではない。
コーヒーは好きだが、焙煎時間とか産地とかそんなことは気にしていない。気軽に飲める美味しいコーヒーがあればそれでよい。美味しいコーヒーのためにわざわざ金や時間を使う人もいるようだが、「わざわざ」な時点で浮いている。
サウナもまた然りだ。気軽に気持ちよくなれればそれでよい。「わざわざ」はいらない。自覚のないままに通ぶってウンチクや専門用語を垂れ流すみっともない人間になっちゃダメだ。チョビひげをむしり取り、丸メガネを叩き割った。
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「文化の日」は鷹の湯を満喫してやろうと目論んでいたのだが、定休日だったので1日遅れで訪問。
ところで私は「文化の日」をどう祝ってよいのかわからない。
「元日」は新しい1年の始まりを、「こどもの日」は子ども達の健やかな成長を祝うが、「文化の日」は何をどう祝うのか。
そもそも「文化」とは何だ。
辞書を引くと「世の中が開けて生活水準が高まっている状態」とある。
となると、文化祭は「世の中が開けて生活水準が高まっている状態の祭」ということになる。なんかヤバそうな祭だ。新興宗教の祭典感がすごい。
同様に文化放送は「世の中が開けて生活水準が高まっている状態の放送」である。これもなんか凄そうだ。「大竹まこと ゴールデンラジオ!」どころではない。指導者の誕生日を祝う式典について伝える某国のニュース映像が思い浮かんだ。
「銭湯文化」とか「サウナ文化」とかいうが、これは一体どういう意味なのか。
よくわからないが、仕事帰りにふらりと鷹の湯に立ち寄り熱々の湯と静寂のサウナを享受できるのは、世の中が開けて生活水準が高まっている状態にあるおかげだ。ありがとう、文化。
帰路、ちょっとお買い物をと思っていた店はすでにシャッターが下りていた。長湯をした私が悪い。下ろされていたのが文化シャッターだったのは言うまでもあるまい。
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投票を済ませてから大豊湯へ。
私は特定の支持政党がないので、選挙のたびに政策やら公約を調べ、その時点で自分の考えに近い人、政党へと票を投じている。最近では「質問に答えるだけで各政党とあなたのマッチング率を判定!」みたいなサイトもあったりして、大変ありがたい。
ありがたいが、当然ながらこういったサイトでは質問の範囲における相性しかわからない。今回でいえば「選択制夫婦別姓制度に賛成ですか?」とか「国民一律の給付金を再度実施すべきと考えますか?」といった質問が多かった。「サウナにテレビは必要ですか?」とか「アウフグースやロウリュなどのサービスはお好きですか?」といった質問は出てこなかった。
もしかしたら私の知らないところで「サウナストーブ完全廃炉!」とか「サウナ室の湿度引き下げ!」とか、そういったマニュフェストを掲げている人間がいるかもしれない。夫婦別姓や給付金に気を取られて、そんな奴に票を入れてしまってはたまらない。慎重に慎重を重ね投票した。
大豊湯のサウナ室は大入りだったが誰も選挙の話はしておらず、腰の手術が終わったとか、行きつけのスナックが潰れたとか、そんな話題ばかりだった。大人なら選挙や政治にはある程度の興味を持つべきと思っているが、銭湯のサウナ室はその限りでない。これでよいのだ。
浴後の脱衣場、見上げれば今日も燦然と「万歳、我らサウナ党」の書が掲げられていた。
しまった、比例代表はサウナ党だったな。
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朝から激務の予感が漂っていたので、お風呂道具を携えて出勤。
予感は現実となり、終業時に私のサウナ欲はピークを迎えていた。
久しぶりに路線バスへ乗り込み、湯めらんど跡地などを横目にしつつ北郷へ降り立った。
私は大豊湯へ向かった。
「本日定休日」
そうかそうか。なるほどね。こういうことってあるよね。わかるわー。
その場にドラゴンボールが7個落ちていたら即座に集め
「大豊湯を開いておくれーっ!!!!!」
と叫んだだろうが、残念ながら二星球しかなかった。
トボトボと環状通を南下。オートバックスもバーガーキングも私を笑っていた。惨めだ。
疲れとストレスに惨めさが加わった私の身体は重かった。皮肉なことだが、ゆえにサウナ欲はより高まった。いまこそ共栄湯だ。
共栄湯の訪問回数は決して多くない。嫌いなわけではもちろんない。
ついつい別の施設を訪ねてしまうのは、共栄湯があまりにも我が家から近いためだ。
「いつでも行けるし、別のところにしよ〜っと!」となることが多い。
時計台に入ったことのある札幌市民が少ないのと同じ仕組みである(実際のところは知らん)
共栄湯を出た私の足取りは軽かった。疲れもストレスも惨めさも木っ端微塵だ。
「遠くの大豊湯より近くの共栄湯」とはよく言ったものである。
足取りの軽い帰り道。ドラゴンボールが落ちていたとしても、もはや神龍に頼むことなどない。
いや、時計台に入ったことのある札幌市民がどれくらいいるのかは訊いていたかもしれない。
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寒い。寒過ぎる。
つい先日まで扇風機を抱えていたというのに、冬の気配がビンビンに迫ってきている。
「北海道の人は冬が大好きで寒さに強い」
たぶん大きく間違ってはいない。この前、職場の人たちがスノーボードを新調したとか何とかで盛り上がっていた。
私はマイノリティだ。ゴーヤが食えない沖縄の人、サッカーが下手なブラジルの人、私は彼らに同情を禁じ得ない。
今シーズン初の手袋をし、チャリで美春湯へ。
寒さに耐えたのちの湯やサウナは何ものにも代え難い。その点だけにおいて、寒さを甘受している。
我慢の果てに待つのはいつだって至上の快感だ。ここから下ネタを展開するのは容易だが、美春湯に免じてやめておく。
間もなく雪という名の殺人兵器が降ってくる。チャリにも乗れなくなるが、幸い美春湯は我が家から徒歩圏内である。
美しい春をこじんまりとしたサウナで待つのも悪くないだろう。
(お詫び:最後に下ネタを放り込んで『結局下ネタ言うのかよ!』みたいな感じにしたかったんですが、できませんでした)
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先週は毎日のように災難が降りかかるという、地獄のような1週間だった。
占いとか運勢の類は全く信じていないが、こうなると人知を超えた何らかの力が働いているとしか思えない。
日々バチ当たりに過ごしている自分が全て悪い。
墓参りはしばらく行っていない。毎日北枕で寝ている。霊柩車が通っても親指を隠さない。
そんな自分が悪いのだ。
これを機に占いとか運勢とか全面的に信じようと思う。パワースポット行きまくり、幸せになれる壺とか買いまくり、出家しまくろうと思う。
いや、ちょっと待て。あることに気がついた。
先週、サウナに行ってないじゃん!ただの不運じゃないじゃん!危なく出家するとこだったよ!
サウナに入ると運気が上がるとか、そういうことを言いたいわけではもちろんない。
サウナに入ると脳がシャキッとする。サウナは余裕をもたらす。言いたいのはそういうことだ。
厄介な案件が降りかかってきた時、「災難だ」と思うのか「チャンスだ」と思うのか、全ては脳みそ次第だ。余裕のある脳みそはどちらか。いうまでもあるまい。
幸や不幸は運気のせいではない。つまるところ認知の問題だ。
「認知サウナ行動療法」を生み出した私は東豊湯へ向かった。
大きなお風呂とサウナは私に余裕を与えた。
先週は地獄みたいだったけど、今週は月曜から最高の風呂とサウナだなんて、幸先良すぎるな。何があっても大丈夫。やってやろうぜ。運とかオーラとか、そんなんじゃない。未来は僕らの手の中だ。
最高の1日だった。めざまし占いが1位だっただけのことはある。
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鼻炎の症状が派手に出て、日曜だというのに朝から死に体だった。
こうなるとヤル気とか元気とか、あらゆる「気」がなくなってしまう。
しかし日曜をこのまま終えるわけにはいかないと、自分を奮い立たせて望月湯へ。
なんでも今日は「銭湯の日」らしい。「10月10日」すなわち「1,010」で「せん、とー」ということだ。
銭湯の日もそうじゃない日も望月湯は、いや銭湯は素晴らしい。
2月22日じゃなくても猫は可愛いし、11月11日じゃなくてもポッキーはおいしい。それと同じことだ。
10月10日といえばいまだに「体育の日」と思ってしまうが、いつからか「10月の第2月曜」になっているし、名前も「スポーツの日」に変わった。でもオッサンはたぶん今後一生「体育の日」と呼び続ける。
たくさん語呂合わせができそうなので、10月10日はきっといろんな記念日になっているのだろう。望月湯のサウナ室で汗を流しながら考えた。
「とと」と読んで、サッカー好きとしてはまず「totoの日」が思いついた。それから「魚の日」もありえるだろう。
読み方を「じゅーじゅー」とすれば「焼き肉の日」も確実だ。
最高のサウナで「気」を取り戻し、浴後の答え合わせ。
「totoの日」は正解。
「魚の日」は「毎月10日」らしいので三角。
「焼き肉の日」はかすりもしなかった。「やきにく」の語呂合わせで「8月29日」が正解だった。
…いやいや「829」じゃ「やにく」じゃん!
どうも今日は「き」が足りないことばっかりだ。
「829」だけにパニックになりました。
ご静聴、ありがとうございました。満足です。
[ 北海道 ]
後ろ手に縛られたブリーフ一丁の男が2人。
「道が火で塞がれている!行けますか⁉︎」
「問題ないです!Mですから!」
土曜のゴールデンタイムには少々ふさわしくないコントだったが、キングにふさわしいのは彼らだった。通を気取って「お笑いに順位をつけるなんてナンセンスだよ」と嘯いていた私が、彼らのその順位に狂喜した。
四十路のおっさんが一介のお笑い芸人に入れ込むのは相当に気持ちの悪いことだ。そんなことはわかっている。おっさんが入れ込んでよいのはホステスとキャバ嬢だけだ。でも、彼らには入れ込まずにいられなかったんだ。
鷹の湯のサウナストーブ。小窓の向こうに火が揺れている。熱い。まだ行けるか⁉︎
「問題ないです!Mですから!」
考えてみれば快楽のためにサウナ、水風呂へ体を晒すのは相当マゾヒスティックな行為だ。
鷹の湯ならこれらに加えて熱々の湯まで用意されている。今日も締めとして浸かった。ギギギと声にならない声が出てしまう。ブリーフ一丁の、太ってない方の男はこうも言っていた。「何が起きても無事に生きて帰るのが真のMですから!」と。
もちろん今日も無事に帰った。ただ、自分がMなのかどうかはわからない。
「究極のMはSにもなれる。逆もまた然りである」
そんなことを言っている人がいた。多分、そうなのだろう。となると、Sとは何なのか。Mとは何なのか。
言うまでもない。Sは鈴木、Mは水川だ。
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下校中の小学生をかき分けて望月湯へ。
望月湯の開店は14時半だが、開店直後は混んでそうだなと考え15時めがけて訪問。
到着は14時58分。完璧だ。が、入り口に何やら張り紙がある。
「本日、都合により午後2時50分の開店とさせていただきます」
結果的に開店直後の訪問となってしまった。
しかし全く混んでおらず、大変快適だった。
開店直後のサウナは温いのではないかと思っていたが、これも杞憂だった。
熱々のサウナ室で考える。2時50分という江頭感溢れる開店時間。開店を20分遅らせなければならない事情とは何だったのか。
「寝坊」
王道である。王道だが歩いてはいけない道だ。真昼間にそんなはずはない。
「見たいテレビがあった」
ドラマの再放送とワイドショーしかやっていない時間帯だ。「『ルパンの娘』見たいから開店20分遅らせちゃお〜っと!」なんてわけがない。そんなもんは廃業してしまえだ。
「お湯と間違えて水を張ってしまった」
お母さんが年に1回くらいやらかすやつ。風呂屋がそんなヘマをするはずはない。
「セーブポイントがなかなかなかった」
そろそろ一息つきたいなって時に限ってセーブポイントがないのよ。仕方がないから電源つけっぱなしで離れたりすると、お母さんが「ついたままだったから消しといたよ」ってね。お母さん、色々やらかしすぎだよね。
「お母さんが来た」
珍しくチャイムが鳴ったから玄関開けてみたら「お、おふくろ⁉︎」ってやつね。大荷物を抱えた母ちゃんが「しっかし東京の空気は汚くて吸えたもんじゃねえべよ」っていう。ついにお母さん自身が原因になっちゃったよね。
たぶん全部間違っているが、理由は何であれ臨時休業とかじゃなくてよかった。
今日も望月湯はお母さんと同じくらい優しくて温かかったです。
[ 北海道 ]
取引先のお偉いさんにネチネチと小言を言われたダメージが一晩経っても癒えず、救いを求めて月見湯へ。
仕事をしていれば理不尽な叱責や苦言を喰らうことは少なからずある。
若かりし頃は「申し訳ございません!」と言いつつ、心の中で
(クソが。リングの上だったら俺の方が絶対に強いからな)
とフラッシングエルボーを叩き込む空想をし、自分を保っていた。格闘技の経験はない。
しかし歳を重ねた現在は哀しいかな
(こいつにはリングでも勝てないかもしれん)
と水面蹴りですっ転ばされるシーンが頭をかすめることも多くなってしまった。
満員御礼のサウナ室。誰も声は発さない。私が昨日の一件に思いを巡らせているように、皆それぞれ何事か思案しているのだろう。もしかしたら私と同じように
(何であんなこと言われなきゃならないんだ!)
という人もいるかもしれない。逆に
(ちょっと昨日は言い過ぎたな…)
という人だっているかもしれない。
でも、みんな裸で同じように汗をかきつつ押し黙っている。立場も何もかも無効化するサウナはつくづく素晴らしい。
昨日のあの人だって、裸になって一緒にサウナに入ればきっとわかり合える。機会があれば勇気を出して誘ってみよう。その人は女だけど性別も無効化されるので問題ないだろう。
[ 北海道 ]
「敬老の日 65歳以上の方は入浴料金200円」とのことだったが、惜しくも25歳ほど届かず450円で入湯。
街の銭湯を訪れる客の年齢層は高めだが、ここ大豊湯は群を抜いている印象だ。今日も多くの大先輩方で賑わっていた。
敬老の日であることを思えば私は彼ら一人ひとりの背中を流し、万歳三唱をしたうえで1,000円ずつ配って回らねばならないが、感染リスクを考慮して断念した。すまん、先輩方。
「老害」という言葉が市民権を得て久しいが、年齢と人間性の良し悪しには何ら関係がないはずだ。チャリに乗りながらスマホをいじっているクソガキは立派な害悪だが、そいつを「若害」などとは呼ばない。サウナ室でマナーをしっかり守っているご老人も、「マナー?何それ食えるの?」と言わんばかりのクソったれな若者も目にしたことがある。逆もまた然りだ。
「老害」という言葉がダメだとは思わない。だが、ご老人が、あるいは老いるのがいけないことであるかのような認識が広がるのは少し怖い。何しろ私も現在進行形で老いているのだ。
きんさんぎんさんを全国民が敬った、あの頃の気持ちを思い出せと言いたい。同じクラスだった高田君に「きんさんぎんさんのCD買ったぜ!」と高角度の自慢をされたことが思い出される。高田、お前は間違ってなかった。今必要なのはお前のそのハートだ。
100歳の老婆2人にレコーディングを強いることが敬いなのかどうか。しばしサウナで考えた(考えてない)
日程や人数、部屋数を指定して、空室のあるサウナを検索できます。