わたしたちはととのいたい（あるいはととのいたくない）

サウナイキタイ アドベントカレンダー24日目の記事です。

わたしたちはととのいたくない

私は「ととのう」という言葉からいつまで逃げ続けているのか。

「ととのう」という言葉が使われるようになって久しい。サウナブームの到来とともに「ととのう」という言葉は一気に世に広がり、老若男女問わずサウナ後の恍惚を「ととのう」と表現するようになった。

一方で、サウナのレビューや感想で「ととのう」という言葉を使わない人も多いように見受けられる。おそらく意識的に避けているのだろう。かくいう私も「ととのう」という言葉を未だ自発的に使えない。

サウナのあと、水風呂を経ての休憩はたしかに恍惚をおぼえるが、それを「ととのう」という言葉で表現するのは少し違和感がある。「頭がシャキッとする」という人にとっては「ととのう」という言葉こそ意を得た表現であろうが、個人的には「浮遊感のなかぼんやりと思考が右往左往し、頭の中がとっちらかる」といった感じで、「ととのう」というよりむしろ「臨死」に近い。

人類の死こそが地球の浄化につながり、ひいては宇宙が整理されると考えれば「ととのう」でも良いのかもしれないが、それは一個人が担うにはあまりに重すぎる言葉である。

そんなふうに「ととのう」という表現を意味もなく深掘りして勝手に違和感をおぼえたり、新しい言葉に同調圧力のようなプレッシャーを感じて慣れ親しむことができなかったり（私たちは未だに『イオン』を『ジャスコ』と、『X』を『Twitter』と呼ぶことをやめられない）、流行に乗って「若者ぶっている」と思われるのを恐れていたり（この多様性の時代に、いまだおじさんはおじさんらしい振る舞いが求められている）。

もしくは、あえて流行っている言葉を使わないことこそが「真の」サウナーと信じていたり（しかし『ワンピース』を読まなかったりテレビを見ないことを個性として“センス系サブカル”を自称するのが許されるのはせいぜい中高生までである）、はたまたタナカカツキのライバルだったりと様々な理由はあろうが、おおかたに共通しているのは「プライド」だ。

「ととのう」とたった一言を言わないだけで守られるプライド。他者からみるとくだらないことであろうが、当人にとってはアイデンティティに直結する重要な一要素である。

私たちは「ととのわない」ことでくだらないプライドを守っているにすぎない。

しかし「ととのわない」のは簡単だが、これではただの偏屈にすぎない。意識をアップデートすることなく「ととのう」から逃げてしまっていいのか。本当に私はととのいたくないのか。

なぜ「ととのう」という言葉がこれだけ広まったのか、今いちど「ととのう」と向き合うべきではないのか。

「ととのう」とは何なのか。

あなたたちはととのっているのか

そもそも「ととのう」という言葉を使っている人たちは、みな同じ恍惚を共有しているのか。

当然そうとはいえまい。人によって体質は異なるし、サウナの楽しみ方ももちろん違う。ほどほどに身体があたたまったところでサウナから出る人もいれば、茹で蛸になる寸前までサウナにこもっている人もいる。キンキンの水風呂にじっくり数分浸かる人もいれば、ぬるめの水風呂に十数秒で満足する人もいる。休憩時間、水分補給、ローテーションの回数まで人それぞれだ。

「ととのうというのは、サウナ・水風呂・休憩を繰り返すと訪れる快感や浮遊感のことです」といった模範解答はあれども、真の意味で同じ感覚を共有していると断言することなど誰にもできない。各々が「これがととのった感覚だ！」と信じているにすぎない。

それならばなぜ皆「ととのう」ことができるのか。

それはサウナが一般的になり、一つのエンターテイメントとして確立されたいま、「ととのう」という言葉が本来の意味を離れてしまったからだ。

いまや「ちょっと気持ちよかったなあ」くらいでも気軽に「ととのった」と言ってしまっていいのだ。もとより「ととのう」の正解などあるまい。「ととのうとは何か、なぜととのうと表現するのか」という探求自体がもはやナンセンスである。

そもそも「ととのう」に限らず、人はいくら言葉を尽くしても、本当の意味で感情を完全に共有することなどできないはずだ。

友人やパートナーと「楽しいね」「面白いね」「怖いね」などと笑い合っているときでも、一から百までぴったりと感情の波形が重なることなどありえないだろう。ただ感情が同じ方向を向いているというだけだ。

それでも同じ言葉をかけあい、感情を共有しようと擦り合わせること自体に喜びがある。

「ととのった」と言われたとき、「ほう、君は私と同じととのいを得たんか、私と同じ恍惚を感じられたんか、サウナと水風呂は何分ずつ入りはったん、休憩はどれくらいしはったん、何セット廻ったん、どんな浮遊感を感じどんなととのいを得はったん、そもそも君にとってととのうって何なん？」と詰める人など（おそらく）そうそういないだろう。

「サウナ上がりのこの感じ、気持ちいいけどサウナの記事で読んだ感覚とはちょっと違う気がするなあ、私は悟りは得られなかったなあ、じゃあととのうとは違うのかなあ、気持ちよかったけどととのったわけじゃないのかなあ」みたいなことを考え続けて悶々と修行のようなサウナライフを過ごす必要もあるまい。

ただただ自分自身の快楽を追求し、良きところで「ととのった」とすればいい。過程はどうあれ、サウナを楽しんだ事実こそが現代の「ととのった」なのだ。

つまり、サウナの喜びさえそこにあれば「ととのっていない」ことなどありえないのである。

ビギナーに「それは本当の意味でととのったとは言えないよ」というありがたい言葉と正しい（？）サウナの入り方を訓示する、高尚なサウナーもいなくはないだろうが、そういう奴は口にサウナストーンを詰めて水風呂に沈めてやればいい。

わたしたちはととのいたい

「ととのう」はもはや本来の意味を越えた広義的な言葉となったからこそ、これほど世に浸透したのだ。

「私はサウナを楽しみました」という喜びを、「私はサウナが好きです」という愛情を、「私はサウナに感謝しています」という祈りを、「ととのった」とたった一言で表現できる。「ととのう」はサウナを愛する人たちにとってのエスペラントだ。これは同調圧力ではなく、相互理解のための共通言語である。

私たちは結局、他人の感情を理解することはできない。違う人間だから理解できるはずもない。そして苦しみ、諍い、傷つけあう。

それでも根底ではみなわかりあいたいと願っているはずだ。年齢や性別、言語や人種、文化や価値観がどれほど異なっていようとも、人と人には心が通じ合う瞬間がある。

そしてサウナを愛する私たちは「ととのった」と伝えるだけでいい。それだけで心を通じ合わせることができる。すべての垣根を越えて「私はみなさんと同じように、今日もサウナを愛しました」と伝えることができる。

休憩スペースに座る人たちはみな、一様に穏やかな表情を浮かべてサウナ後の余韻を楽しんでいる。老いも若きもみな同じ顔をしている。この人たちが何を考えているのか、心底まで理解できることは永遠にないけれど、それでもみなサウナを満喫したことだけはよくわかる。

本当の意味で感情を共有することなどできなくとも、せめて私はあなたたちの敵ではないと、仲間であると伝えたい。

だから、これからは私もととのいたい。「ととのわない」ことで守られる程度のプライドなど犬に食わせてしまえ。「ととのう」ことで私はようやく世界とつながることができる。

「ととのう」とは「あなたたちとわかりあいたい」というささやかな願いであり、「あなたたちとわかりあうことができる」というささやかな希望なのである。