サウナは街を記憶する
サウナイキタイ アドベントカレンダー 10日目の記事です。
12月10日を担当します、Lukeです。
神戸生まれ東京育ち、若手の社会人です。赤提灯の飲み屋が好きです。tokyobikeに乗っています。
よろしくお願いします。
私はこれまで様々なサウナ施設に入ってきました。きっとみなさんもそうでしょう。
ただ、今回はサウナの良さを伝えたいなんて、主観を押し付けるようなことはしません。せっかくの機会なので、サウナを通して個人的に考えたことを少しだけ書かせていただきます。
1. ある日、サウナ室で
暖簾をかき分け、靴を下駄箱に入れる。
料金の支払いとともに下駄箱のキーを渡すと、阿吽の呼吸でタオルとロッカーキーが渡される。
服を脱いで内湯の扉を開ける。なぜか一周してサウナの導線を確認してしまう。
風呂とサウナに入って時々休憩をしているだけなのに、こんなにも施設の個性が出るのかと感じることが多い。
同様に、施設によってお客さんの個性もかなり色濃く出ていると感じる。
サウナ室で汗を流しながら考える。
このサウナ室は何十年もの間、こうやっていろいろな人が訪れ、身も心も清める憩いの場になっているんだな。
すぐに閉店したり移転したりすることは少ない銭湯やサウナという施設は、ずっと街に寄り添っている存在なのかも。
そんな時、ふと「サウナは街を記憶しているのではないか」という一つの仮説が生まれた。
2. サウナとの出会い
そもそも、サウナとの出会いはいつだったか。
そうだ、ヨーロッパを1ヶ月ほどフラフラしていた時に、ハンガリーのブダペストにあった公衆浴場を興味本位で訪れたのが最初だった。
当時の私はお金もそんなに持っていなくて、長距離バスや電車、徒歩での移動が多かったヨーロッパの地で、疲れ果てていた。
お湯に浸かることができるのも嬉しかったけれど、それ以上にサウナが足を軽くしてくれたことを今でも鮮明に覚えている。
帰国してからも、一人暮らしと親和性が高いと感じた銭湯で、サウナに入るようになった。
サウナが日常の楽しみになり、休日には友人と一緒にサウナ開拓をするようになった。
3. TOKYO
サウナ開拓とは言え、最初は近所に行っていた。
それはよく知っている街の、知らない一面を覗いているかのようだった。前から気になっている飲み屋に勇気を出して入るような感覚だ。
サウナイキタイを眺める時間が増えてくると、徐々に行ってみたいサウナが積みあがってくる。
ふと予定が空いた週末に、少し足を伸ばして訪れたことのない駅で降りてみた。
結論から言うと、私はサウナを通して、住み慣れてよく知っていると思っていた東京の魅力が、まだたくさんあることを感じた。
カバンひとつで旅に出るのが好きなので、国内外問わず様々な都市に訪れているけれど、東京はとても面白くて懐の深い街だと思う。
ひとつの街として語るには広すぎるし、様々な側面を持ちすぎている。
エリアによって歴史や住んでいる人の特徴も変わってくるし、新しく開発されて性格が変わってくる街も多い。
一駅乗ると繁華街が住宅街に変わっているどころか、北口と南口で全然雰囲気が違うこともある。
地下鉄や鉄道、同じ沿線での共通点や愛着もある。
空港を出た瞬間に、匂いが変わってここが海外であることを感じると聞いたことがあるけれど、東京にもその地域の人々の生活や、昔から根付く文化が、匂いのような形となって街に漂うのだと思う。
それが「街の記憶」だ。
4. サウナ×街歩き
例えば、昔からの住宅街でありながら最近コーヒーで盛り上がってきた街には、老いも若きも一定のマナーを守りつつトレンドを抑えている、渋くて粋な銭湯サウナがある。
繁華街にある温浴施設には、宿泊ができたりイカツイお兄さんが汗を流したりしているストロングスタイルのサウナが多かったりする。
地元民が「最寄り駅を言ってもピンとこないだろうな」と思って近くの大きめの駅の名前を出すような駅には、小さいけれど銭湯価格の480円でサウナまで入れたり、みんな自分の風呂桶を持っていたりする施設が愛でられている。
郊外まで足を伸ばすと、駐車場付きで露天もゆっくり楽しめる非日常型の施設があって、家族連れや部活帰りの大きいバッグを抱えた学生を見ることも多い。
そんな様々な味を持つサウナに入る前には、ちょっとした散歩をする。
コーヒーを飲み、定食屋に入り、気になった雑貨屋に入ってみるなどの軽い街ブラをする。
サウナの後は赤提灯がぶら下がっている店で飲んだり、隣の卓の話に少しだけ耳を傾けたりして、その街の雰囲気を感じる。
そんな体験のひとつひとつが、サウナの楽しみ方をより奥深くしてくれる。
サウナ自体を楽しむことはもちろんだが、サウナを街の象徴として、そこで生活している人のストーリーに思いを馳せる。そんな楽しみ方ができれば、また明日からも頑張ろうという気力が湧いてくる。
5. 記憶とは
サウナ開拓をしていて思うことがひとつあった。
それは、「記憶というものは体験の積み重ねなのだろう」ということだ。
この場合、記憶というよりは思い出といった方が適切かもしれない。
オンラインで出来ることはたくさんあるし、いかにも体験できたような気持ちにさせてくれる技術もたくさんある。
しかし実際に足を運び、偶発的な出会いやアクシデント、その日の天気や気温、話したこと、見た景色がどんどん積み重なっていく体験は何にも代え難い。誰にも奪うことができない大切な記憶、思い出だ。
「サウナは街を記憶する」
元のテーマに戻ろう。この仮説は合っていたのだろうか。
今のところ、サウナは街を記憶しているようにみえる。
その土地のサウナが愛されていれば、これからも記憶は積みあがっていくだろう。
私はこれからもその街のサウナにお邪魔しようと思います。
私のサウナの記憶はここに集めています。
■サウナノキオク
https://www.instagram.com/sauna_memory_tokyo
とても良文!読んでいて情景が色々浮かびました!! 素敵な記事をありがとうございます😊
今日はホーム銭湯に行こうと思ったけどすこし足を伸ばしてみようと思います🙏
同じ神戸出身です!素敵な文章でした。ありがとうございました。
深イイ話、ありがとうございます。
サウナトラベラーですね!
37では全く足りないくらいの共感でした。