Emotional Sauna(エモーショナル サウナ)
サウナイキタイ アドベントカレンダー 11日目の記事です。
おはようございます、こんにちは、おやすみなさいの方もはじめまして。
栃木県の蕎麦とサウナです。
「エモい」
いわゆる若者の言葉イメージが先行してしまうところ…。僕自身はまもなく四十路。そんな僕はエモといえば、ハードコアパンクルーツであるエモコアを連想してしまう。やれあのバンドはエモだ、そうでないだの話になるとおじさん臭くなってしまうので割愛…。
今回featureしたフレーズ「Emotional(エモーショナル)」は僕自身が施設へ向かうスイッチの一つなのかな、と思っています。そして、生まれてしまったからには人間には欠かせないフレーズなのかなと。生きている以上0歳から死ぬまで、生涯付き纏い、そして寄り添う。
サウナにINしても、最後まで「ソレ」は寄り添う。単純にEmotionalとは「感情的な」で括れないからだ。蓋を開けたら最後まで悪夢みたいな2020年、しかしこれもひとえにエモーショナルとサウナで乗り切れたようなものだ。
そんな単語の意味合いから振り返る場としてここで幾つかの意味合いと共に記させていただきます…。
1.感情に動かされる
まず、僕自身がサウナを始めたのは友人の一言(かれこれ3年?とか経つのであろうか…)。
当時ツイートした内容はもう残していないのだけれど、何気なく「何か新しいことにチャレンジしようかな」的ニュアンスで呟いたところ「サウナでしょう」と言われたような、そうでも無いような…。
しかしながらただただ、まずそこの言葉に何故か心が揺れた。感情を動かされた、動かされてしまったのである。ことの発端はそういったことがあった。サウナイキタイユーザーの皆様も、きっとことの発端は感情に動かされたから通い出したのでは…?なーんて思っていたり。
2.情にもろい
置き換えれば、同情するということでしょうか。サウナの中にいると、同情することは多々ある。前の段に座っている漢の背中、汗なのか涙なのか。きらりと光るその汗に同情する。
僕がよく行くサウナでは地元の人生の先輩方がどの時間帯でも居てくれる。毎日来ている常連の先輩方の会話が心地よく耳を傾けると、ついつい同情してしまう内容など本当に面白い。まだまだ打ち解けられていない僕は心の中で深く頷く。
年齢の上では、敵わないが僕自身それなりに波乱万丈な生き方をしてきた方なので、思わず声をかけてしまいたくもなる。しかし、そこは口を出さずに心で訴えかけ、気づくと8分。扉を開け、掛け湯をし水風呂に入り浄化。流し去るのだ。
まぁ、またサウナ室に入ると続いていたりするのだけれど…。
3.感激しやすい
今年もサウナで感激した。
8月12日、炎天下の仙台に僕は立っていた。仙台の友人に久しぶりに汗蒸幕のゆに連れて行ってもらえるからだ。道中、彼の遭遇した面白恐怖体験を淡々と聞いていると気づくと施設に着いていた。
そびえ立つ汗蒸幕のゆ、感激その1である。
汗だくになった身体を清め、あのドームに入った。感激その2である。
数セット決め、気づくと僕は外気浴でトリップしていた。慌てふためき目を覚ますと、彼は「気持ちよさそうだったから、起こさなかったよ」と声をかけてくれた。感激その3である。汗蒸幕を知り尽くしている彼の周りへの目配りに感激した。
時間の問題でそこまで堪能はしなかったのだが、最後に「おっ!」と感激した。マイナスイオンルーム。汗蒸幕のドーム、ロッキーサウナ、水風呂、外気浴、どれも素晴らしいのだが、通い続けている人こそ、たどり着くのがマイナスイオンルームなのかも知れない。
ほんの数秒いただけで、違いがわかった。感激その4である。違いのわかる男というほどの身でもないのかも知れないが、わかってしまった。ここに長居してしまう地元民。なるほど、となった。
↑※退館後、完全にレイドバックしている蕎麦とサウナ。「蕎麦とサウナ、感激〜〜」である。
その後、昼食で立ち寄ったサウナ飯として利用したショップの、ラーメン、唐揚げにも偉く感激したものだ。
こちらはちょうど、運営されている会社的にいろいろ切り替えの時期?で食べられたのも本当に巡り合わせだった。界隈の人であれば、ピンと来るであろう仙台の名店。ご馳走様でした。
感激カウントするのも途中で忘れてしまうくらい感激が止まらない仙台であった。
4.感情に訴える
はっきり言ってここは自問自答である。多くは語りたくないので割愛してしまうと、マイホームサウナで見かける常連の先輩方以外の所作である。
僕自身、毎日行っているのであれば言ってもいいかな?とは思うが、週数回程度の利用者がしゃしゃりでるのは如何なものか?と自分自身の感情に訴えかける。そう「我慢だ」と。
おそらくサウナイキタイユーザーは我慢強い。みなさん、目にして感じてしまった体験は様々な吐口にその思いを吐き出しているはずだ。その場は黙ってこなして平然としている様を想像すると感服である。
行動にまで移さなかったのだが、内心背後からかかと落とししてやろうかと思ってしまった日があるのはここだけで記そう。いずれ彼らもこの感覚になって、気づいてくれると信じ僕は自分へ訴えかけ、そういう日もあるよなと家路へ急ぐ。
5.感動的な
今年は当たり前が色々と奪われた。
そう、僕の日常に寄り添ってくれていたホーム「宝湯」が、世間的に温浴施設も自粛ムードになってしまいサウナ休止となってしまった。とはいえ僕自身としては自粛明けに即INしたわけでも無く、個人的事情も踏まえなんとも2ヶ月も空いてしまったのだ。その日のサウナ、水風呂は今年一番グッと来た。感動だった。
当たり前が奪われてしまうというのは、人生の中でなかなか出くわさないと思う。その日からはたまに帰り際に番台で色々と状況のお話しを交わしたりしている。当たり前の日常がまた急にいなくなってしまうのは寂しいことだ。サウナに入る入らないに限らず、毎日噛み締めて行こう。
これはこれである意味では貴重な一年だったのかも知れない。
↑「宝湯」オーナーであり栃木県公衆浴場業生活衛生同業組合理事長の稲垣オーナー。
↑年明けに作成したどインディなローカルステッカーにも宝湯のイラストを取り入れプレゼントしました。とても喜んでいただけていたので嬉しかったです。
6.情緒の
正直僕自身、サウナにはメンタルのスイッチ一つで入りに行こうかな〜、と動かされていると思う(年を重ねるにつれ身体の悲鳴をあげるとボディメンテナンスとして行くこともあるが…)。
喜怒哀楽の怒と哀。大体この二つの感情。仮に感極まってサウナ室でウルッとしても、水風呂前にザバッと掛け湯し汗も涙も洗い流す。たどり着くまでに背負ってきた感情も汗と共に排水溝へと…。
倦怠感やら心の毒素を抜くことで迎えるレイドバック。一般的な「ととのう」より僕はこれを求めているのかも知れないのかも知れない(どっち!?)
とまぁ6項目にも分けてしまい、一個人のサウナへの向き合い方というかそんな話をしてしまったのですが。簡潔にいえば、「こんなクソみたいな時代だけど、みんな息抜きしましょ」。
サウナ苦手でも、慣れると体も心も健やかになるよってことですね。もっと広がることを願います。
最後に…
皆さんがサウナ室入る時とかルーティンありますか?
僕は関取(十両以上)が時間一杯になった時、関取が呼び出しの方からタオルを渡され汗を拭うのですが好きな力士の所作を真似て、体を拭き取りサウナ室へ入ります・・・。
↑こんな感じです。このイラストは豪栄道関(武隈親方)の所作を描いてみました…
宝湯でそんな動きをしている輩がいたら僕かも知れません。
今年は栃木SC戦観戦絡めた宝湯コース行けませんでした。来年こそは!
これからもサウナが日常にあるという日々に感謝!
汗蒸幕の下りはtexas is the reasonが脳内再生されました☺️
サウナと感情の密接さ、改めて考えることができました⛄サウナに行く前・サウナ中・サウナ後…エモーショナルスイッチが入って、理性で押さえつけられてた色んな感情たちが自然に流れ出すような。とにかくサウナのある日常に感謝ですね✨