昭和50年代 サウナバイトの思い出
開店する施設もあれば、廃業する施設もある。
きっかけは、今年9月 新宮温泉ふくの湯さんに行った際Twitterにその看板の画像をライドオン!とアップ。すると、福岡のサウナーさんがリプライしてくれ、数日後グリーンランドで行われた集まりに参加させていただきました。
それまで、何度か顔を見たことあるサウナーさん、被っているサウナハットでたぶん○○さん?と思ったことはありましたが、話をしたことはありませんでした。
それが、ヘルスイン長尾湯の水風呂は気持ちいい!
グリーンランドの唐揚げは九州最強!
などと、純粋にサウナの事を話す楽しさ。
解放、悟り、自由、そう解脱(大げさか(笑))と同時に、昭和50年代に自分がサウナでアルバイトをしていた時の事が甦ってキタノデス!そこで、その時の思い出や記憶を綴っていきたいと思います。
その名は健康サウナドック
昭和55年3月 春日部市立春日部中学校を卒業し、鳥羽商船高等専門学校に入学するまでの間 父親の知り合いのサウナでバイトする事になりました。
以降 昭和60年9月に同校を卒業するまで、春休み、夏休み、冬休みアルバイトしてました。(途中一度、冬休み 鳥羽のホテルでバイト)
そこで、今回何か資料をと春日部市立図書館で当時の電話帳を閲覧したところ大変な事実が発覚。「春日部健康サウナ・春日部健康サウナ・・・」無い・・・「健康サウナドッグ!」そうです、肝心な施設名さえも記憶違いだったのです。よろしくメカドックもびっくり、そう言えば健康サウナドッグだった。当時は単純に「サウナ」と呼んでいたから、正式名は記憶から消えていたんでしょう。
調べた電話帳は
昭和57年の職業別電話帳(日本電電公社 埼玉中央版)
90年12月~91.10 NTTタウンページ(NTT 埼玉中央版)
ちなみに春日部以外だと
浦和市
アロー、ナイスデイ、ラドンキングダロンサウナ、和風サウナ足立
上尾市
サウナ柏座、ニュー東京レジャーセンター
岩槻市
いわつき温泉ジャンボ
大宮市
大宮健康センター、ゆの郷、女男サウナ、オータニ東京、サウナ・ミヤコ、サウナワコー、ジャンボサウナスカーレット、日産サウナ、パークプラザ大宮
桶川市
桶川スポーツセンター、健康センターふるさと
久喜市
久喜菖蒲工業団地管理センターサウナ室
幸手市
幸手サウナ
現存している施設もありますが、ほとんど今は無い施設ばかり。
個人的には工業団地がめっちゃ気になる。
そうそう、電話帳の広告の欄、健康サウナドッグの広告を見た記憶があったんですが、今回の三冊には載っていませんでした。これも記憶違いだったかもしれないんですが、ピクト画の様な感じで麦の穂を持った男性の絵柄が思い浮かぶんですよねー。
健康サウナドックって!
初めてのサウナ=初健康サウナドッグ 小学校3年か4年生だったかなー。昭和49年か50年頃。ラーメン屋をやってる父親が連れて行ってくれました。
その数年前には開業してたはずですから、創業は昭和40年代前半だったのでしょうか?廃業したのは、かすかべ湯元温泉が出来た前後、昭和の終わりか平成の初めだったと思います。健康サウナドッグ 春日部駅の東口 古利根川を渡った八丁目にありました。通りに面して駐車場が5、6台、その奥にサウナ施設、庭園、塀を隔ててオーナー宅アパート、そしてその奥にも駐車場。
企業では無く個人オーナーさんでした。
サウナ施設は平屋建て、エントランスで下駄箱(40~50)に靴をいれフロントに預けて料金を支払う。
フェイスタオルとロッカーキーを受け取り右に進むと更衣室、上下に高い事務用ロッカー(4人用)がコの字の二辺に配置され、中央部分にタオル入れが配置。更衣室を奥に進むと突き当りにトイレが二か所、突き当り左が浴室扉です。
入ってすぐ右にサウナ室。
サウナストーブは電気式のサウナストーンが置いてある電気式。
座席は二段あり、サウナマットは敷いてありませんでした。(サウナマットを替えた記憶はない)
テレビや12分計は無く、温度計そして砂時計がいくつか置かれていましたね。収容人数は12,3人だったのかなー?10人入ったらちょと狭い感じです。温度は100°オーバーだったのははっきりと覚えています。ベンチ部分は白木(これははっきりとした記憶)、壁も木製だった記憶があります。全体的に明るいサウナ室でしたね。
サウナ出てすぐ前がジェット風呂、真ん中が白油 一番右が水風呂でした。水風呂に温度計は無く、水道かけ流し。気持ちいいと感じたことはありますが、冷たい!と感じたことはありませんでした。また、当時は営業時間中に従業員が水質検査をすることはありませんでした。
(定期的な保健所の検査はあったと思いますが、単なるバイトだったので
気にしてませんでした。)
洗い場は3列,、5人くらい。シャワーはホースにシャワーヘッドが付いたタイプ。蛇口は温水、冷水ともひねる水道タイプでした。
アメニティーは洗い場真ん中の島に、歯ブラシ、かみそり(一枚刀)、各洗い場にシャンプー(一輪挿しの花瓶の様な容器に青い業務用シャンプー)、リンス(同容器に白いリンス)固形石鹸、軽石、丸い洗髪ブラシ。
※ボディーソープ、ナイロンタオルは無かった(後ほどエピソードに!)
洗い場奥の外壁部分はガラス張りになっていて、奥の庭園の景色が見えます。ガラスドアがあって、外に出る事は出来たのですが、出る人はほとんど居ませんでした。一番左の部分に立ちシャワー2台があり、休憩室の扉が配置されてました。
浴場を出ると2畳ほどのスペースがあり、そこにバスタオルとパンツが置いてあります。バスタオル、フェイスタオル、パンツ共、業者さんが洗濯をして配達してくれました。パンツはオレンジ色の薄い木綿製、サウナ室内で履くのでは無く休憩用。ガウンはありませんでしたね。
二畳のスペースを出ると、休憩室。
左側壁面がドレッサーが3台、奥は軽食カウンターとマッサージ室。
右側と手前側は大きなはめ殺しのガラス。ここから庭園が眺められかなり高級な造りでしたね。庭園は池こそ無いものの、立派な木が植えられていて、年に数度植木職人さんが入って居ました。
ちなみに、入泉料は1500円くらいだったような。
30数年前、令和の現在とほぼ変わりませんからちょっとお高め。
客層は市内の中小企業オーナーさんや、個人商店主のサロン的な場にも
なってましたね。
また、入れ墨お断りでは在りませんでしたから、その関係者も居ましたね。
バイトのお仕事!
営業時間は12:00~24:00。
早番の時は11:00に出勤し浴室の清掃。
シャンプー等やドレッサー廻りの備品の補充。
営業が始まると、洗い場の整理整頓、備品の補充、軽食の調理提供。
休憩室の片づけやマッサージのお客さんを探したりもありました。
軽食のメニュー(値段は全て覚えてません)本格的な食事はほとんどなく、今のスパ銭のように飲食でガッチリ!と言う発想は無かったと思います。
飲み物
- ビール メーカー失念。小瓶、業務用の柿の種を小皿で付ける。
- コカ・コーラ瓶
- アイスミルク 紙パック牛乳をグラスに入れ氷で、お好みでガムシロ
- ミルクセーキ 牛乳、卵黄、ガムシロ、氷をシェーカーで振る(はじめてシェーカー振りました。)
- トマトジュース 業務用缶をグラスに氷入れて、一緒に卓上食塩を提供
- 昆布茶 柿の種添え
- ホットコーヒー なんとネスカフェ
- アイスコーヒー 初めは無かったが、途中から業務用を提供。
- レスカ レモンスカッシュ 生レモン半分しぼってグラスに入れ氷と炭酸水ガムシロいれて。ガムシロ抜きのオーダーもありました。
食べ物
トースト
三斤の長いパンを4つ切りの暑さに切り、二枚焼きのトースターで焼く。バターでは無く業務用マーガリン台形に半分に切り卓上食塩を添える。
ハムトースト
パンを二枚6枚切りに切り、トースト。マヨネーズを塗る。ハムはフライパンで焼いて、キュウリと共に挟む。
玉子サンド
パンを薄切りにして、マヨネーズとマーガリンを塗る。卵はフライパンで玉子焼きを造り挟む。
以上
ラーメン屋の息子で店で手伝いはしてましたが、本格的な調理は未経験。
見よう見まねでやってましたが、今の時代だったらクレーム来てたかもしれませんね。それから、数年後 レトルトおでんや冷凍のピラフも出すようになりましたね。
遅番の場合は夕方4時ごろ出勤、早番の人が食事休憩に入ります。
やる事は、早番と変わりません。
21:00ピークを過ぎると早番の人が上がります。
24:00営業が終了するとサウナの火を落とします。
浴場の後片付けと簡単な掃除の後、ぬるくなったサウナで歓談。
夜1時ごろ お疲れさまーとチャリで帰宅でした。
そうそう、その日の入場者が100名を超えると1000円入りの大入り袋がもらえました。まー年末年始など特に忙しい日だけだったですけどね。
思い出エピソード
その筋の話
その筋の方も結構来店しました。
偉い方には、付き人がニ三人付いてきます。
偉い方がサ室を出て、水風呂に向かえば風呂桶で掛水を掛ける。
洗い場では、当然 付き人さんが背中を流します。
前述したように、当時はボディーソープがありませんでした。
そこで、付き人さんが風呂桶にお湯を貯め、固形石鹸を泡立てて自家製ボディーソープを造り泡立てていました。で、その自家製ボディーソープを用意した付き人さんは、偉い方を追ってサウナ室へ。
その数分後、浴室巡回に来た自分。
「誰だよー 風呂桶出しっぱなしで」と桶を手に取り床に中身を流した瞬間、サ室の扉が!!
「おりゃー お前何してんだー!」大激怒の付き人さん
「こらー」 付き人さんを叱る偉い方。
「すいません、すいません」 ただただ頭を下げるばかりでした。
タバコ
昭和後期 嫌煙などあまり無かったように記憶しています。
休憩室のリクライングソファー横のテーブルにはウイスキーのグラスにタバコが無料で提供されてました。
健康サウナドックでは、セブンスターとハイライトが半々の割合。
お客様の要望があれば、チェリー、缶ピースもフロントに準備してありました。当時このサービスは他の施設でもありましたねーー。
以上 長々とお付き合いありがとうございました。
廃業後数年、オーナーさんは亡くなりました。
当時の事を知る人は少なくなっているのかもしれませんが、時折かすかべ湯元温泉でも健康サウナドッグと思わしき会話も聞こえてくることもあります。
オシャレなサウナーさんとは無縁のおっさんの思い出話でしたがどこかのサウナでお会いした時には、一緒にサウナを楽しみましょう。
自分の乗船している船は、瀬戸内海→博多、鹿児島。
愛知→高松、広島です。その地方のサウナーさんよろしくです。
あっ 健康サウナドッグ 知ってる方いましたらTwitterでメッセージ下さい。
サウナー大先輩のわだりんさんのお話やエピソードは本当に勉強になりますントゥ🤗 また、どこかのサウナで😆
貴重なお話をありがとうございます!時を越えてそこを訪れたような気分になりました☺️
とても面白かったです!!
お若い頃からサウナにご縁があったんですね!
ノスタルジック溢れる良い記事でした。ありがとうございます
若かりし頃の記憶力にビックリ!
昔のサウナの話、すごく興味あります。働いてた側の人の話ってなかなか聞けないですよね
昭和感・・とても貴重で味わい深いお話でした 🐤
興味深く読ませていただきました。誰も調べないでただ残っているだけの記録より、少ない人数でもハッキリと記憶に残っている方が尊い事だなって思いました。
ボディーソープ流して怒られる所ワロタ