句点。
世の中。
ものごとの「区切り」というものが、
どんどん曖昧になってきている気がする。
例えば、コンビニはいつまでも開いているし、
話の続きは携帯電話でいつまでも続けられる。
昨日見逃した番組だって明日に回せるし、
聴きたかったレコードだって検索すれば耳に入る。
正月前に買い溜める事も、
「いついつ会おうね」といった約束をする事も、
テレビの前で待機する事も、
ウキウキとレコード屋さんに向かう事も、
今は必要ないのかもしれない。
それでも世界は、
24時間くらいの周期で回っているらしい。
便利の代償。
それはきっと、後からついてくるのか。
あっという間に歳を取るのか。
そんな風に考えるようになったのは、
きっと、サウナに通い始めた頃だろう。
サウナは生身だ。
裸という事もあるけど、心も生身になる。
まとわりついた「様々」を払うが如く、
サウナ室で汗をかく。
流れる全身の想い想いを反芻しながら、
じっと考えを巡らせる。
滴った想いを流し落として水風呂に入れば、
思考はどこかへ吹き飛んでいく。
椅子に座りながら、いったい何が残っているのか。
そこには何も残ってないかもしれない。
だとしたら、それは全て小事だったんだろう。
思い出せない想いなんて、たいした事じゃない。
そんな事より、今日一日が終わるんだな。
明日は何をしようかな。
あの人は今頃、なにしてるのかな。
眠いな。
いや、眠くはないな。
なんだったっけな。
とりあえず、またサウナ室へ戻ろう。
それを繰り返すほど、
自分がどんどん動物になっていく。
それはもう、ただの「生」。
情報化社会で生きる事での取捨選択だの、
心と身体のデトックスだの、
それどころじゃない。
今、生きているし、ただそれだけ。
そこで一回、生活に「。」を付ける。
そんな癖がついてきてから、
なんだか一日一日が、
随分はっきりと区切られるようになったし、
随分はっきりと思い出せるようになった。
サウナの根幹は、今日一日を「整える」事。
そんな言い訳をしながら、
僕は今日も、サウナに向かうのです。
美しい
清々しい
句点も区切りも曖昧になって連続的な世の中。何だか息苦しい…無意識に流されてる自分を見つめ、同時に自分を取り戻す作業なのかもしれませんね。サウナは。
サウナが句点という考え方、面白いですね。朝サウナをする方にとっては一字下げ、昼サウナをする方にとっては読点なのかなぁとか思いました。人生という文章を読みやすくする便利なツールになりますね。
良い