2019.10.05 登録

  • サウナ歴 37年 1ヶ月
  • ホーム 湯乃市 藤沢柄沢店
  • 好きなサウナ 今日行くサウナが好きなサウナ。 好きな世界観を広げながら歩きます。
  • プロフィール 10歳の頃から家族と毎週のように行く足立区にあったラドンセンターが大好きだった。 今はマーケティングの戦略をデザインする人。 株式会社フライング・ブレイン代表。 鎌倉のウェルネスカンパニー、株式会社SPIC 執行役員/社長室。 外気浴前のルーティンはミネラル(MINERALion)→水分→高濃度ビタミンC(Lypo-C)。 DJ、スケボー、湖と魚、山と湯。音と言葉と景色を集めながら、妻と娘と暮らしています。
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宮崎直哉

2026.05.10

1回目の訪問

二日連続The Ice Bath Club。
2店舗目は、体験としてかなり潔い。

まず動線がいい。
ロッカーに荷物を放り込んで、カーテンの中でさっと水着に着替える。ここで一度、モードが切り替わる。

そのまま一分後にはシャワー。
もう説明はいらないというスピード感でサウナに入る。

目の前には水風呂が2種類。
今日の設定は6℃と11℃。
マグネシウムの入ったお風呂もある。
選択肢はあるのに、迷う余白はあまりない。

壁が少ない設計も効いている。
閉じていないのに落ち着く、あの独特の開放感。

east coastの店舗と違ってチェアがない。
つまり「休む」ことを前提にしていない。少しストイック寄りだ。

一時間で5セット。
やることは単純で、入る・冷やす・戻す、それだけ。

シンガポールはそもそも外が暑い。
だからサウナが日本ほど“温め直し”として機能しない。
むしろここでは、芯まで冷えるための装置になっている。

その結果どうなるかというと、思考が静かになる。
余計な熱が抜けて、身体だけが軽く残る。

整うというより、削ぎ落とされる感覚に近い場所だった。

さて、日本に帰る!

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10

宮崎直哉

2026.05.09

1回目の訪問

「水に肩まで沈んで、命の合図を聞く」

シンガポールは、外を歩いているだけで肌が湿る街である。
空気がもう、ぬるい。
マンゴーが熟れていきそうな湿度の中を歩かずGrabで到着。

常夏の国に「アイスバス・クラブ」という名前の施設があると仲間から聞き、それは冷たいに決まってるだろ、と胸が躍った。

タンジョン・カトン通りで扉を開ける。
中はいきなり、ノリノリのテンションだった。

受付を済ませてcoolな更衣室を抜けると浴室へ。
11度の7度で水風呂が3つ並んでいる。
日本のサウナ界で「シングル」と崇められる10度未満の水風呂が、ここではドリンクのサイズみたいに、ふつうにあるのである。
シングル、トール、グランデ、みたいな顔で。

意を決して7度に肩まで沈んだ瞬間、私は自分の心臓を思い出した。
ドン、ドン、と内側から殴ってくる。
膝から腰から胸から、命の管理権が一瞬、自分の手を離れる。冷たい、という感覚を人生で一番ちゃんと味わっている。
これがいわゆる、命の合図、というやつか。
生きてるってこういうことだったか、と妙に納得してしまう。

横を見ると、現地の欧米人が、ふつうの顔で同じ7度に入っている。
上がるなりApple Watchを覗き込んで頷いている人もいた。
女性も多い。みんなプロテインを飲んで、仲間と笑っている。
水に入って、笑える。

文化として根付くと、こういう顔になるのか、と思った。
私はサウナの260本以上のエッセイを書いてきた。
つまり「整い」の現場でずっと生きてきた人間である。

だから断言できるが、日本のサウナには別の宝物がある。整い椅子の絶妙な角度、ロウリュの儀式、湿度のひとつまで愛するような静けさへの作法。あの空気は、世界中どこを探しても、たぶん日本にしかない。

シンガポールの彼らから、私がそっと盗みたかったのは、軽やかさだった。
日本ではシングルの水風呂は「あの店だけ」「マニアの聖地」みたいな扱いを受ける。私もずっと、ありがたがってきた人間だ。
でも彼らは、7度を朝のコーヒーくらいの顔で飲み干していく。
「特別」を「日常」に降ろす、その腕力。
これが、ちょっと羨ましかった。

施設併設のカフェに移って、プロテインシェイクを飲みながら、ふと、日本のサウナ上がりに飲むキンキンの瓶牛乳を思い出した。
私はあれを、本気で世界遺産級だと思っている。
違う本質ではあるが、本質である。
旅って、つくづくいいな、と思う。海の向こうで氷水に浸かりながら、日本の整い椅子のあたたかさを、思い出している自分に気づく。

なんなんだろうな、この感覚。
我ながら、なかなか悪くない時間の使い方である。
10セット堪能しながらそう思った。

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8

宮崎直哉

2026.04.14

4回目の訪問

灼熱と覚醒のあいだに

上野で泊まるなら北欧、という選択をする人間は、たぶん二種類いる。

「サ道のあそこか」と聖地巡礼的な好奇心で来る人と、「昨晩も」という言い方が自然に口から出るようになった人と。私はとっくに後者だ。

北欧は1992年創業。
上野駅浅草口から徒歩1分という立地で、長年「東北からの出張客を迎える宿」として機能していた。いまやサウナーの聖地として語られるようになったが、施設そのものは開業当初とほぼ変わっていない。
変わったのは時代の方だ。
人々がようやく、この場所の正体に気づいたと言える。

特徴的な赤い外壁の建物に入ると、まず更衣室がある。
館内着があるのが地味にうれしい。
長居が前提の施設だと、自然と体がそれを知っている。

第1サウナ室は、フィンランドのSAWO社製ストーブを使用し、室温110℃を超える。熱反射板によって熱がまんべんなく拡散し、赤いタイルと赤みがかった照明が視覚から「ここは灼熱の場所である」とこちらの脳に通達してくる。7〜8分でもう充分、というのは誇張でも弱さでもない。それほどの密度がある。セルフロウリュをすれば白樺の香りが室内に広がる。目が醒める。本当に、文字どおりに。

静寂を求めるなら第2サウナ室へ。テレビがないぶん、自分の内側と向き合う時間になる。ベテランのサウナ愛好家たちが黙って汗をかいている空間は、妙な連帯感がある。言葉を交わさなくても、同じものを目指している気配が満ちている。

水風呂を経て、露天風呂へ。「トゴールの湯」と呼ばれる新潟県栃尾又温泉付近産出の鉱物を使った湯で、上野駅から歩いて1分の場所にいるとは思えない開放感がある。空が見える。都市のノイズが遠くなる。
ここ本当大好き。
いつもただいまという言葉と一緒に孤独をとことん楽しむ場所である。
本を持ち込めたらもっと良いんだけどな。

ここからが北欧の本領だと私は思っている。
施設側が「外気浴こそが北欧の強み」と明言し、季節に応じてサウナ温度・水風呂温度を微調整しているという。
老舗なのに、あきらめていない。その細やかさが身体に届く。

ととのったあと、カプセルに戻ると深く眠れた。
翌朝5階のレストランで朝定食を食べながら、「昨晩もよかった」と思った。「また来よう」ではなく「また来ることになるだろう」という静かな確信として。

北欧には、人を元の自分に戻す力がある。
疲れていたことすら忘れて踏み込んだ場所で、「あ、私はこういうものだった」と思い出させてくれる。
それがここの、ちょっと怖いくらいのパワーだ。​​​​​​​​​​​​​​​​

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24

宮崎直哉

2026.04.10

1回目の訪問

後輩の助手席

わたしには九州に後輩が何人かいる。
そのうちの二人が「こもれび、絶対いい」と言ってきた。
そのうちの一人、しかも女の子が、わざわざ車で連れてきてくれた。
普通、こういう経験は人生でそんなに何度もない。というか、たぶん数えるほどしかない。後輩の女の子が運転する車の助手席に座る、というだけで、わたしの自尊心と緊張感は交互に揺れ動いていた。「先輩らしくしなきゃ」と「先輩らしさってなんだ」が、音楽に合わせてリズムよく交替していた。
そして着いたのが、佐賀市にある新しい温浴施設だった。

源泉掛け流し、という言葉には、ある種の「本気」が宿っている。
地下1,126メートルから湧き出すナトリウム炭酸水素塩泉。「美肌の湯」とも呼ばれるその湯に浸かると、肌にまとわりつくようにトロリと柔らかく、知らぬ間に日頃の疲れと雑念が落ちていく。雑念が落ちる、というのは比喩ではなくて、湯の中で実際に「あ、さっきまで何か考えてたな」と気づくあの感覚のことだ。何を考えていたかは、もう思い出せない。
内湯・露天を合わせて8種類の湯船。岩風呂、電気風呂、壺湯。どこへ入っても源泉がかけ流されていて、湯上がりの肌はしっとりと潤っている。ここで「ぬるぬるする」と言う人と「すべすべする」と言う人に分かれるのだが、わたしは完全に後者だった。言葉の選択が、そのままその人の機嫌を表している気がする。

この施設の真骨頂は、サウナだ。
男湯には「ISOサウナ」という、国内最大級のスタジアムサウナがある。大型スクリーンが2面。映像と熱が同時に身体を包む。熱風が鼓膜と心臓をじんわりと刺激してくると、「これが現代のサウナか」と思わず膝を立てたくなる。そしてわたしは実際に膝を立てた。
女湯には「HAJUサウナ」という香りをテーマにしたサウナと、露天に樽型のバレルサウナがあるという。セルフロウリュができる仕様で、ただ熱いだけではないと後輩は言っていた。うらやましい、とは言わなかったが、顔には出ていたと思う。

施設を出るとき、後輩が「連れてきて良かった」と笑った。
その言葉には余計な計算がなかった。「いい場所を共有したい」という、それだけの気持ちが乗っていた。そういう言葉を、わたしはときどきうまく受け取れない。「気を遣わせてしまった」とか、余計な翻訳を挟んでしまう。
でも今日は、素直に受け取れた気がした。
温泉のせいか、サウナのせいか、あるいは助手席に座らせてもらったせいか。たぶん全部だと思う。
持つべきものは後輩で、持ち帰るべきは心の余韻だ。そういうことを、わたしは980円で学んだ。

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1

宮崎直哉

2026.04.10

5回目の訪問

ウェルビー福岡

[ 福岡県 ]

福岡に来ると、だいたい迷う。どこに泊まるか、ではなく、「今日は何をしに来たのか」を、自分に問い直してしまう。打ち合わせなのか、休息なのか、それとも逃避なのか。答えが出ないまま、気づけばウェルビー福岡のフロントに立っている。
今回はプレミアムルーム「ペフメア(Pehmea)」にした。フィンランド語で「ふわふわした、柔らかい、なだらか」という意味らしい。センサー付きの鍵でしか入れない。案内板によれば「許された者のみが入れる空間」とある。我ながら大げさだと思いながら、なぜか少し姿勢を正した。
部屋に入ると、まずリクライニングのベッドが目に入る。ふかふかだった。大型テレビ、コンセント、耳栓、館内着。必要なものが全部ある。高いビジネスホテルではない。でも確実に、今夜ここで安心して眠れる、という確信がある。この「安心して眠れる」という感覚を、私はずっと軽く見ていた気がする。

サウナは24時間いつでも入れる。フィンランドサウナ、セルフロウリュ、茶室風の個室「からふろ」、サウナ室内に水風呂まである。焚き火の映像が流れる暗い休憩スペース、コワーキングスペースも4室。要するに「やろうと思えば何でもできる」施設だ。仕事も、ととのいも、孤独も、全部。
夜中の2時に、誰にも連絡せず水風呂に入れる。朝6時に目が覚めたとき、そのまま浴室に直行できる。ロビーに戻れば朝食が無料で待っている。外出は24時間OK。つまりこの場所は、「行き先のない夜」に強い。

ふと思ったのだけど、「いつでも帰れる場所がある」という感覚は、人によって全然違う。実家がそれだという人がいる。特定のカフェだという人もいる。私にとってそれは旅先のサウナ施設だったりする。カプセルホテルを「拠点」と呼ぶのに少し照れがあるけれど、実態はそうで、ウェルビーのペフメアには「ここにいていいよ」という空気がある。
センサーキーが重要なのかもしれない。「あなたにはここに入る権限がある」という、物理的な宣言。チェックインしたとき、つまり金を払ったとき、その権利が発生する。極めてシンプルだ。でも、それが意外と人を落ち着かせる。

翌日、プレミアムルームの宿泊者は正午まで館内にいられる。朝食を食べて、もう一度サウナに入って、コワーキングスペースで少し仕事をして、また湯に浸かって、ようやくチェックアウト。
この過ごし方を「だらだらしてる」と言う人もいるだろう。私はそれを「回復」と呼んでいる。回復には時間がかかる。眠れば終わりではなく、「何もしなくていい時間」がある程度続かないと、身体は元に戻らない。朝7時に水風呂から上がって暗い休憩スペースに倒れ込んだとき、「あーよかった」と思った。それで十分だと思う。

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宮崎直哉

2026.04.09

1回目の訪問

中洲川端の駅を出て、一分も歩かないうちに見えてくる。「グリーンランド」。名前だけ聞けば遊園地か何かかと思うけれど、実態はサウナ&カプセルホテル。
ロウリュを浴びて、水風呂に飛び込んで、外気浴で宇宙と合一して。それだけでじゅうぶんのはずなのに、なぜか3階のスナックみどりに立ち寄ってしまう人が後を絶たないという。週末になると、女将が厳選したレコードが回る。バーカウンターに、ジャズの名盤が流れる。サウナ上がりのほてった体で、生ビールを一杯。
悪くない。というか、かなりいい。
スナックみどりを語るとき、避けて通れないのが真空管アンプの話だ。国内有数の音響チーム・小松音響が手がけた真空管アンプが、4台ディスプレイされている。4台。
私は決してオーディオマニアではない。スペックを語れる知識もない。ただ、あのオレンジ色にぼんやり灯る管の光を見ると、深いところで「欲しい」という気持ちが湧き上がってくる。理屈じゃない。あの光に、負ける。
サウナで毛穴が全開になっているせいか、深夜の中洲という特殊な磁場のせいか。欲しいと思う気持ちと、自分にはまだ早いという気持ちが同時に来る。この感覚、真空管アンプに限った話じゃない。
書評つきで紹介された漫画の棚の前に立ったとき、もう少し複雑な気持ちになった。読書コーナーには、誰かが丁寧に言葉を添えた漫画がずらりと並んでいる。
私はとりあえず、全部の書評を読んだ。漫画よりも先に、書評を読んだ。これはいったい何をやっているのか。
書評というのは、その人の「世界の切り取り方」が出る。同じ作品でも、何に反応したか、どこを引用したか、誰に薦めたいと思ったか。女将の書評を読みながら、この人はこういうふうに物語を読む人なんだ、と感じた。
そこで少し、自分の孤独に気づく。
グリーンランド中洲店のコンセプトは「おじさんたちのユートピア」だ。リモートワークの孤独感、社会との関わりの希薄さ。そういう時代に「1人でいられる場所」として生まれた空間だという。
読んだとき、少し笑ってしまった。笑ったあと、ちょっと胸が詰まった。
「ユートピア」というのは、極上の幸福を求めているわけじゃない。ただ、ほっとできる場所だったりする。
真空管アンプのオレンジ色の光。書評つきの漫画。女将が選んだレコード。これらは全部、「1人でいることを、悪くないことにするための装置」だと思う。
それに気づいたとき、さっきまで喉から手が出るほど欲しかった真空管アンプへの渇望が、少し違う色を帯びた。あれはアンプが欲しいんじゃなくて、あの光の中にただ座っていたい、ということだったのかもしれない。
それがわかっただけで、一杯飲みに来た甲斐はあった。

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宮崎直哉

2026.04.07

4回目の訪問

ウェルビー福岡

[ 福岡県 ]

博多のキャナルシティ脇、祇園の路地を少し入ったところにウェルビー福岡がある。「サウナーの聖地」という言葉を使うと少し大げさな気もするけれど、全国からわざわざ飛行機に乗ってくる人がいるというのは、おそらくその言葉が正しいということだ。

グッズ売り場に来て、私はいつも少し時間をかける。

ウェルビー福岡で買えるのは、主に三つ。サウナハットが5,500円、サウナマットが2,500円、そしてMOKUタオルが1,500円。どれも実用品として一線を画す質感をしている。

なかでも目を引くのが、SAUNA&co.とのコラボサウナハットだ。大阪・泉州産のタオル地でつくられていて、薄手なのに吸水力が高く、速乾性もある。そこにウェルビー福岡のロゴが大きく刺繍されている。通販では買えない。ここにしかない。「御朱印」と表現した人がいたが、いい喩えだと思う。ここに来て、ここで蒸されて、ここで買った。その証明書だ。

MOKUタオルも同様で、薄くて軽い。びっくりするほど水を吸う。これもロゴ入りで、1,500円という値段は正直安いくらいだと思う。サウナ施設のグッズにしては珍しく、使えば使うほど意味が増す種類のものだ。
私は、MOKUタオルを2枚買った。

福岡に着いたその日、仕事が終わってからウェルビーに飛び込んで、1時間半ちゃんと蒸された。翌朝また仕事がある。でも帰る前にグッズ棚の前に立った。1枚は自分用。もう1枚は、オフィスで待っている後輩ちゃんのためだ。

彼女は佐賀から毎日、福岡のオフィスに1人で出社している。チームの誰もいない拠点に、毎朝ひとりで来ている。彼女はそれを特に嘆かない。嘆かないどころか、他の会社のメンバーと飲み歩いている。

後輩とは言え仲間には健やかでいて欲しいものだ。
この小さなタオルが彼女に健康を届けてくれますように。

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8

宮崎直哉

2026.04.05

1回目の訪問

巌流島から帰ってきて、サウナに入るという体験を、私はまだうまく言語化できていない。
照葉スパリゾート門司店の露天スペースに出ると、目の前に関門海峡が広がる。行き交う貨物船。対岸の山口県。そして少し先に、さっきまでいた巌流島。宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘した場所が、外気浴スペースから見える。そういう施設が、この世にある。
サウナ室は95度。かなり高い。中央に鎮座するストーブが、じわじわと全身に迫ってくる。逃げ場がない。逃げない。それがサウナというものだ。
全館ナノ水を使っているらしい。1メートルの10億分の1の分子が動いている水、と説明書きにある。正直、違いはよくわからない。でも、なんとなく肌が柔らかい気がした。信じることにした。プラシーボでも、気持ちよければいい。
水風呂は14度、バイブラで泡立っている。体の輪郭が溶けていく。
外気浴のベンチに横になる。潮風が来る。海の匂いがする。今日一日、ここまで来る道のりがゆっくり、コマ送りで浮かんでくる。新下関の朝の空気、唐戸市場の喧騒、小倉の桜と白いお城のコントラスト、巌流島の石碑の前に立ったときの、あの静けさ。
問題が消えるわけじゃない。ただ、今日見てきたものと、今ここにある自分が、ちゃんと繋がった気がした。
よく汗をかいた。ミネラルもビタミンも、潮風と一緒に出ていった。MINERALionとLypo-Cを補充する。出したものを入れ直す。
で、サウナの外気浴スペースから巌流島が見えると、だから何なんだって話なんだけど。いい一日だった。

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宮崎直哉

2026.04.05

3回目の訪問

ウェルビー福岡

[ 福岡県 ]

森のサウナと、40度の水風呂

知り合いに、サウナに行くたびに全種類制覇して記録している人がいる。「今日はケロ三セット、からふろ二セット」と報告してくる。聞いていないのに。

その人のことを、どこかで微妙だと思っていた。

ウェルビー福岡で、森のサウナを三回おかわりしながら、ほかの三つも全部入りきった今夜、その人に謝りたい気持ちになっている。欲張りは遺伝子レベルの話だった。

今日は朝から動いていた。新下関を早朝に出て、唐戸市場、門司港、小倉、巌流島と巡った。小倉で桜を見た。白いお城と桜のコントラストが、息をのむほど綺麗だった。こういう瞬間に限って、言葉が先に出ない。DJでいえば、曲と曲のあいだの一瞬の無音。何かが鳴り終わって、次がまだ始まっていない、あの数秒。桜はいつもそれをやる。毎年わかっているのに、毎年不意打ちを食らう。

そういうものを一日分ため込んで、夜に博多に流れ着いた。

柄杓に水をすくって、石にかける。じゅっ。この一秒のために、今日一日かけて来た気がする。暑いだけのサウナは白湯だと思っている。ロウリュのある湿度と香りと、石に水をかける小さな儀式の総体が、魂
と呼ばれるなにかに届く。スペックじゃなくて、作法の話なのだ。

水風呂はシングル、5度前後。入った瞬間、幕が下りる。朝からため込んだ唐戸市場の喧騒も、小倉の桜も、全部いったん5度の水に沈む。問題が消えるわけじゃない。ただ、問題と自分のあいだに隙間ができる。
ちなみにここ、「40度の水風呂」というものがある。どう見てもお風呂だ。でも水風呂と呼ぶ。意地を張りながら現実に負けている。その綻びが妙に愛おしい。博多華丸さんの専用ロッカーもある。それだけでいい。

よく汗をかいた。ミネラルもビタミンも、たっぷり出た。寝る前にMINERALionとLypo-Cを補充する。出したものを入れ直す。それだけなのに、好きなんだこの儀式が。

明日の朝、体がどう答えるか。それが今夜の楽しみだ。
おつかれ、今日の私。新下関から博多まで、よく来た。森のサウナ、三回も。我ながら。

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宮崎直哉

2026.02.22

1回目の訪問

函館の空は、サウナーに対して妙に正直だ。

HOTEL&SPA センチュリーマリーナ函館のサウナ室に入った瞬間、まず思うのは「88度?優しい顔してるじゃないの」という油断である。だがこれは、北海道の人間関係と同じで、表情は柔らかいが芯はしっかりしているタイプだ。オートロウリュが始まった瞬間、その本性は一変する。蒸気が、背中を追い越して首筋に回り込み、「ああ、あなたはちゃんとここにいるのね」と確認してくる。湿度の設計が正確なのだ。温度ではなく“熱の質量”で包んでくるタイプ。これはわかる人にはわかる、優秀なサウナの証拠である。

しかも窓の向こうには函館の街がある。これがまたずるい。普通、人は苦しい時、目を閉じる。でもここでは開けたくなる。駒ヶ岳の輪郭と街の静かな呼吸を見ていると、自分の汗が「努力」ではなく「循環」に変わっていく気がする。サウナとは我慢ではなく、納得なのだと教えられる。

そして水風呂。15度。数字だけ見れば標準的。でも、入った瞬間にわかる。「あ、これは仕事ができる15度だ」と。水深がきちんとあるから、体表だけでなく体幹まで一気に冷える。表面だけ冷たい水風呂は、言ってしまえば名刺交換だけの関係。でもここの水は違う。ちゃんと握手してくる。信頼できる冷たさだ。

プロの視点で言えば、この施設の真価は“導線”にある。サウナ、水風呂、そして階段を上がった先の天空外気浴。この「少し歩かせる距離」が絶妙なのだ。人間の血流は、移動によって完成する。座ってすぐ整うのは初心者の幸福、本当に深い整いは、移動の途中で始まる。

外に出て、函館山を正面に見た瞬間、世界が一度リセットされる。心臓の鼓動が、都市のリズムと同期する。自分が“個人”から“風景”に戻る瞬間だ。

隣にいた観光客らしき男性が、小さく「やば…」とつぶやいた。

その語彙の少なさを、私は深く尊敬する。整いとは、言葉を奪う現象だからだ。

ここは、ただ汗をかく場所ではない。自分の輪郭を、もう一度やさしく描き直す場所である。

函館の空は、そのためにちゃんと用意されている。

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宮崎直哉

2026.02.21

2回目の訪問

本日和風浴場にて
こちらのサウナは石が強い

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宮崎直哉

2026.02.18

1回目の訪問

久々に訪れた喜助の湯は、完全にサウナランドになっていた。
風神サウナで身体を温め、鬼サウナ「炎」で一気に限界の輪郭をなぞる。ロウリュの熱は容赦なく、逃げ場はないのに、不思議と安心がある。すべてが意図され、導かれている熱だからだ。

清冷泉に身を沈めた瞬間、世界が静かに切り替わる。冷たさは刺激ではなく、再起動のスイッチだった。外気浴に座ると、身体の奥で何かが整列していくのがわかる。努力も根性もいらない。ただ、この順路を辿るだけでいい。

ここは風呂ではなく、温度で自分を再構成する場所だ。
喜助の湯は今日、サウナランドとして完成していた。

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宮崎直哉

2026.02.17

2回目の訪問

ウェルビー福岡

[ 福岡県 ]

久しぶりにウェルビー福岡に入った。
リニューアル後は初めてだ。
なのに懐かしさより先に、「ここはもう後戻りしない場所だ」という確信があった。

昔は風呂があり、食事があり、だらりと過ごす余白があった。今は違う。浴槽は消え、残ったのはサウナと、水と、休むための椅子だけ。余計なものを削ぎ落とし、「ととのう」という一点にすべてを集約している。

フィンランドサウナの熱は逃げない。上段に座ると、熱がまっすぐに自分の芯に触れてくる。からふろは暗く静かで、自分が社会の中の役割ではなく、ただの身体に戻っていくのがわかる。アイスサウナの冷気は、思考を止め、「生きている」という感覚だけを残す。

気づけば、何かを得たというより、余計なものを置いてきた気がした。

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宮崎直哉

2025.12.21

1回目の訪問

150cmの選択と、インコの一撃!

深酒している。
仮眠してしまい深夜1人で入ることに。
仲間はもうととのい先にぐっすり寝ている。

初めての場所だし、土地勘もないが敦賀の楽しさに心がざわついている。

湯だけは、やけに澄んでいる。クリアすぎて、こちらの酔いが少し恥ずかしい。温泉というのは、時々こちらの状態を映す鏡になる。今日はだいぶ正直に映っている。

サウナに入る。黙って座る。オートロウリュが来る。時間どおりだ。こちらの気分など一切聞かない。蒸気が落ちてくる。ありがたい。今夜のような1人の夜は物理だけでいい。

水風呂へ。段差がある。選べる深さ。これは罠だ。選ばされるということは、覚悟を問われている。もちろん私の選択は150cm。理由はない。深酒した夜は、だいたい深い方に行く。沈む。世界が一段静かになる。頭が遅れて、ようやく身体に追いつく。

インコの一撃。
名前に油断する。ロープを引く。落ちてくる水。強い。雑だ。だが、この雑さがいい。考えが一発で吹き飛ぶ。誰にも見られていないのに、なぜか少し笑う。

外に出る。ととのいゾーン。横になる。風が当たる。ミストが来る。天井を見る。何も考えないつもりで、何も考えない。すると、呼吸の位置だけが決まる。身体が先に答えを出す。

あ、整ったな。
はっきりわかる。説明はいらない。

ここは ドーミーイン若狭の湯 敦賀。
初めてで、一人で、深酒して、それでもちゃんと整う。

だから何なんだ?

だから、今日はこれでいい。
明日のことは、明日の酔いに任せる。

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宮崎直哉

2025.12.20

2回目の訪問

湯に入った瞬間、舌が先に気づく。あ、これ塩だな、と。
温泉で味の話をするのもどうかと思うが、真岡では避けて通れない。
いちごの街で、なぜか海の味がする?
これはもう、ミステリーのテーマ設定として完成度が高い。

調べてみると、この湯は地下1500メートル。
太古の海水が地層に閉じ込められ、気の遠くなる時間を経て温め直され、ようやく地上に出てきた「化石水型温泉」らしい。
要するに、海が熟成されて出てきたと思えばいい。
ワインなら高級だ。

ナトリウムと塩化物がたっぷり。
だから塩味がするし、風呂上がりにやたら冷めない。
身体にフタをされた感じがして、外気に出ても湯の余韻が離れない。
江戸時代なら「名湯発見!」と札が立っただろう。
(熱海の温泉が江戸時代では圧倒的な立場だったように)

いちごの香り、ガラス越しの景色、金魚鉢みたいな開放感。
その中で、体にまとわりつくのは太古の海。
時間のスケールが急にでかくなる。
さっきまでスマホを見ていた自分が、急に地層の一部になった気がするゲシュタルトの崩壊。
バイブラが強く体をうかばせておると、その太古のガスが穴から入って大変!

だから何なんだ?
この温泉はあったまるためだけじゃない、時間を浴びるためだ。

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宮崎直哉

2025.12.19

1回目の訪問

真岡市の「いちごの湯」に来ている。

サウナに入ってまず思ったのは、背板が1×4材だということだ。
ホームセンターで普通に買えるやつ。
ここに地域性を乗せられる余地がある。
真岡なら、いちごでも木綿でもSLでもいい。 
サウナはただ熱ければいい時代を、とっくに通り過ぎているので、温泉道場らしくこだわってほしい。
しかし、細かな段差にも行き届いたバリアフリーの手すり。
ここに公営だった時から受け継がれる愛というか、熱を感じる。
第三セクター由来の住民想いは、一般企業ではなかなか発想できない。

サウナ室にほんのり漂う、あれは何だ?
いちごの匂いが3%ほど。
真岡市民の汗にいちごが染み込んでいるのか、それともいちご系ボディソープの仕業か?
どちらでもいい。
考えている時点で、もうこの街に絡め取られている。
音楽が流れるの早い。
平成は平均時間が5分だった曲も、今は3分。
音楽がタイマー代わりになる。

ガラス張りの浴室から外を眺めていると、水槽の金魚になった気分になる。ああ、うちの金魚たちも、あんな顔でぼんやりしているのだろうか。
人間は金魚に憧れ、金魚は人間を知らない。
その関係性が、ちょうどいい。

温泉はなぜか塩味がする。
江戸時代にリッチであるとされた泉質である。
なぜ塩味なのかは、今は調べない(後で調べよ)
湯に浸かりながら考えることと、後で調べることを分けられるようになったら、人は少し大人だ。

内湯がいい。
ジェット、バイブラ、静かな湯。
動中の静、静中の動。
しかも中央で全部つながっている。
人生もこうありたい。
分断されているようで、実は全部同じ湯だ。

外気浴は、栃木の風が冷たい。
余計な演出はいらない。
風は嘘をつかない。

薬湯は塩味がなく、少しカルキ臭がする。レジオネラ対策だろう。
安心は、だいたい少し無粋な匂いがする。
 
そして、シンボルは大きな時計。
温浴施設では時間を忘れたい? 違う。
あれだけ堂々と時間を突きつけられると、逆にどうでもよくなる。
とにかく大きくて無骨なクラシックな時計が泰然自若とそこにある。

真岡は、いちごの街で、農業と工業が共存していて、SLが走り、祭りが多い。つまり、ちゃんと生活している街だ。
いちごの湯は、その生活の湯気みたいなものだろう。

だから何なんだ?
おふろcafeはここでも素晴らしい仕事をしている。

CCCのご一行と、紫波町役場のスーパー公務員とのありがたい湯だった。

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宮崎直哉

2025.12.04

2回目の訪問

ひづめゆ

[ 岩手県 ]

紫波町の初雪の日に湯へ向かうなんて、誰かが仕掛けた演出かと疑いたくなる。
役場でシンガポールの客人と町のプロジェクト説明に立ち会い、オガールで余韻を噛みしめるつもりだったが、気づけば足は湯治場のほうを向いていた。
計画どおりに休むほど、人は器用じゃない。

湯へ入る前に green neighbors の新作ハードサイダーを二缶、買ってしまった。
風呂前の一杯は背徳であり、儀式であり、言い訳でもある。
「飲んでから考える」という生き方を許せる年齢になっただけの話だ。

思えば、この風呂に入りにくることが紫波町との最初の接点だった。
草彅洋平くんと濱田織人くんと訪れたあの日のことを、昨日のことのように思い出す。
ここから何かが始まったのだ。

ほどなくして仲間が商店街を歩いてやってきた。
偶然とも言えるし、必然とも言える。
いや、ひづめゆが我々を呼んだのだ、と強がり混じりの宿命論を唱えたくなる。
説明など不要で、「そういう日だ」とうなずくのが大人の流儀だ。

身体を洗い、炭酸泉で下茹でする。
サウナ→水風呂→外気浴。
この三点ルーティンは議論に似ている——熱くなり、冷め、風に当たるとようやく本音が浮かぶ。

外気浴の椅子には初雪が積もっていた。
普段あるホースは冬眠したらしく、自分のタオルで雪を拭いて座る。
サービスが削られると、かえって整うことがある。
人は自分で席を作ったほうが、腹が据わるのだ。

三巡したあとは「酸冷交代浴」。
炭酸泉から水風呂へ——私が勝手に名付けたこの入り方が、いまや施設の語彙として息づいている。
このサウナをデザインした小川翔大くんが、今月紫波を旅立つという。
寂しいけれど、こんな大いなるものを残してくれたことに感謝したい。
そしてこれからも、あの日のやりとりをふと思い出すのだろう。
人は案外、湯と建物ではなく、名前のない瞬間を覚えているものだ。

湯気の向こうではクラフトサケの可能性が語られていた。
そのPodcastのスポンサーになるきっかけまで、湯の中で生まれた。
風呂屋というのは意思決定の場である。
世の会議室の空気が薄いだけだ。

帰り際に Big Apple を買って飲む。
水を一滴も使わないその酒が、妙にありがたかった。
なぜか?
初雪と熱気のあいだで、「余計な水分はいらない」と教わった気がしたのだ。
だから何なんだ、と言われても、こんな瞬間のために人は湯に通うのだろう。

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宮崎直哉

2025.11.28

7回目の訪問

“塩サウナの生贄”になれる場所を紹介しよう。実際、ここは塩分が濃い。湯から上がってそのままサウナに突入すると、浸透圧で身体がキュッと締まる。ダイエット広告より説得力があって、鏡の前の自分がちょっとだけ“やれる男”に見える。

特にRAKU SPA 管轄になってからのアップデートは妙に洒落ている。
タオルマットが敷かれ、オートロウリュは毎時00分、照明も明るくなった。
この3つだけで、これまで微妙だったサウナ室は蘇った。

常連ほど「毎時間58分になったら走れ」が暗黙のルール。
宗教儀式のようだが、これを知っているのは常連だけでほくそ笑む。
こんな裏技絶対に一見には教えてやらない。

ここのシャンプーとリンスがやけにいい。
ジム併設だからだろうか。
「汗と海風と塩」を相手にする髪に、妙に優しい。
人生もそうだが、人は「塩対応」を浴びた時ほど“良いコンディショナー”を求めるのだろう。

いっぽうで、コラボの内風呂には近寄らない。
天然温泉を前に、ギラギラした人工の湯に浸かる気はしない。
恋人を横目に合コンへ行くような背徳感がある。
湯にも倫理があるのだ。

深夜利用は格別だ。
客のいない岩盤浴で寝そべり、5時まで時間を溶かす。
夜景は独占できるが、妙にラップ音が多い。
霊か、配管か、はたまた深夜料金の代償か。
まあいい。ここでは人も建物も、塩と湿気でちょっと歪んでいるのだから。

そして夜明け前、露天で海風を肺に流し込むと、妙な確信がやってくる。
ここは“癒し”でも“健康”でもなく、塩と熱と夜景と、ほんの少しの違和感を、自分の都合よく混ぜ直して帰る場所だ。

だから何なんだ?

整うってのは、身体じゃなくて言い訳の方が先なんだ。
そのことに気づいた奴ほど、またここへ戻ってくる。

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宮崎直哉

2025.11.18

1回目の訪問

こおりやま駅前の夜風は冷たく、駅前サウナ24の赤いネオンだけが妙に健気に灯っていた。出張の帰り道など、ろくに寄り道もしないのだが、その日はどうにも胸の内に“余白”があって、そこに温度を足すようにサウナへ滑り込んだ。

原料工場を歩いた一日だった。何度も資料で追い、口で説明し、数字で管理してきた“あの成分”が、実際にはもっと深く、もっと手触りのある物語を持っていることを、現場で思い知らされた。自分は分かっているつもりだった。だが、原料のタンクに体を寄せると、その奥に沈んでいる歴史とか、風土とか、製法に込められた執念みたいなものが、こちらの襟をつまんで引き寄せてきた。

そう考えながら入った駅前サウナ24は、まるで私のプロジェクトそのもののようだった。

サウナ室は100℃近くまで上がっていて、数字だけ見れば“強い”。だが入って数分で気づく。温度の割に湿度が追いついていない。肌に乗ってこず、喉だけが乾いていく。熱量はあるのに、伝わってこない。まるで私がこれまで訴求してきたメッセージのようで、笑ってしまった。

“数字は強い。だが届いていない。”

昭和の銭湯みたいな薄暗い壁と、常連たちのゆるい空気。それらが妙に居心地よくて、逆に思考が明晰になった。高温サウナのはずなのに、どこか“あと一滴の蒸気”が足りない。いや、それは蒸気だけではない。人は、熱があるだけでは動かない。湿度―つまり“伝わる理由”が必要だ。

原料の奥行きは今日、知った。まだ語っていない物語は山ほどある。だが私は、その“蒸気”を製品の訴求にのせきれていなかった。熱量だけで押し切ろうとしていたのかもしれない。高温サウナが、がらんと乾いた部屋のように。

私はサウナに座りながら、静かに反省した。熱だけでは足りない。湿度を与えるのは、物語であり、実感であり、現場の手触りだ。工場で嗅いだ匂い、職人の視線、タンクを叩いた時の響き―その全部が、湿度になる。

水風呂に沈むと、今日の気づきがひやりと芯まで染み込んだ。ようやく伝わる温度が整った気がした。

サウナ24の昭和レトロな天井を見上げながら思った。

私の仕事も、このサウナと同じだ。
温度を上げるだけなら、誰でもできる。
そこに湿度を足して、はじめて“伝わる”。
そして、その湿度は机の上には落ちていない。現場にしかない。

だからなんなんだ?
―いや、今日の出張は、その“なんなんだ”を探す旅だった。

駅前の夜風は、少しだけやわらかくなっていた。

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宮崎直哉

2025.11.15

6回目の訪問

視察という名の小旅行は、いつも理由が後づけになる。岩手から仲間が来たから、まずは腹ごしらえだと市場へ向かい、ラーメンと寿司を並べて平らげた。これで「視察前の儀式」が整った気がして、我が家に戻ってジンをちびちびやりながら町の未来について語り合った。未来の話というのは、酒が入るとやけに勇ましくなるが、まあそれも悪くない。

15時、Raku Spa Bay 横浜へ。かつて極楽湯の買収前に来たことがあったが、同じ建物とは思えない。ちょっと手を加えるだけで、世界はここまで“整う側”の姿になるのか。サウナ室はタオルマットが敷かれ、オートロウリュが勝手に蒸気を撒く。たったこれだけの違いで、人は幸せに向かって転がりやすくなるらしい。サウナ経験が教えてくれた最大の発見だ。

3度の「ととのい」を、90分で回収した。効率が良すぎて、むしろ何か不正をしているような気分になったが、身体が軽くなるのだから正義だ。

塩浴できる温泉は、今日も抜群に気分がいい。窓はない。格子状の木材がはめ込まれただけの造りで、外は見えないのに広々と感じる。不思議だ。岩手にもこんな造りを持っていきたいが、あちらだと熊が入ってきてしまうのだろうか。いや、高所に作れば大丈夫か。そんなことを考えるのが、湯船に浮かぶ副作用だ。

久しぶりの晴天だったのも良かった。視察というより、単なる楽しい一日だった。だから何なんだ、という話なのだが。

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