2019.10.05 登録
[ 神奈川県 ]
「6padの亡霊」
今日もRAKU SPA BAY。何度目だって話だけど、回数を数えはじめたら終わりが近い気がして、あえて数えないようにしている。今日初めて内湯のチェアに座ってみた。これがまあ、見事に“整いすぎない”椅子で、妙に落ち着く。そこから視界に入ってきたのは、ジム帰りっぽい若い男子たち。やたらと体が締まってて、妙に肩周りが主張している。なんか懐かしいな、と思った。大学までの自分が、まさにあんな感じだったから。
でも別に、当時の自分は筋肉を見せびらかしていたわけじゃない。服はだいたいHIP HOPなオーバーサイズで、腹筋も胸筋もだいたい隠していた。むしろ隠すことで、自分がどういう人間かを語らずにすんでいた。筋肉はあったが、言い訳に使うほどの自信はなかった。鏡の前に立っても、何かを誇るような視線は送らなかった。ただ、ただ、削っていた。
あの6pad——割れた腹筋——は、自信の象徴というよりも、何かを取り戻したかった結果として偶然できたものだった気がする。たぶん、当時の自分は何かを必死に埋めていた。部活、トレーニング、タンパク質、プロテインバー。全部その延長線上にあった。けど今はもう、そんな生活からはずいぶん遠ざかってしまった。今の腹は、ビールと夜更かしと、ちょっとした余裕でできている。
なのに今日、あの内湯のチェアでぼーっとしてたら、不意に「もう一度6padに会いたいな」と思ってしまった。誰に見せたいわけでもない。SNSに載せる気もない。ただ、自分自身の中に一度確かに存在していたものに、再び触れてみたくなった。多分それは、体型というより、あの頃の意志に再会したかったのかもしれない。
でもまあ、筋トレを始めるかっていうと、そうでもない。やる気はないけど、懐かしむくらいはしてもいいだろう。あの頃の自分も、たまには思い出してもらえたら嬉しいはずだ。今日の整い時間は、そんな再会をふと思い出させる、ちょっと湿った風の中にあった。だから何なんだって話だけど。
[ 神奈川県 ]
湯気の向こうで、ちょっと笑う──RAKU SPA BAY 横浜にて
7月8日。湿っぽい火曜日の午後。
甥っ子が電車に乗ってやってきた。足立区から、ひとりで。
中学二年。週に1〜3日しか学校に行かない彼が、この日は登校を果たしたうえでの来訪。
それだけでちょっと偉い。
仕事を終え、彼を連れて向かったのはRAKU SPA BAY 横浜。
館内着とタオル付きで、シャトルバスも出ていて、口コミどおり“めんどくさくない”場所だった。
まずは食事。デミグラスのオムライスとビーフサラダ。
野球少年の体に配慮したメニューに、彼は文句も言わずしっかり完食。
なんだか、それがうれしかった。
青いTシャツと黒のパンツに着替えて、サウナへ。
オートロウリュ。湿度もちょうどいい。
黙って座る彼の顔が、少し大人びて見えた。
水風呂のあと、外気浴の椅子で風に吹かれながら「風、いいね」とひとこと。
それだけで、来た甲斐があった気がした。
今日はよく喋る。というか、ぽつぽつと話しかけてくる。
「この建物、前ホテルだったの?」「あの観覧車、止まることあるのかな」
普段と違って、終始ニコニコしていた。
開放されたというより、安心してる感じ。たぶん。
その後、浅いプールサイドでぼんやりし、最後は漫画コーナーへ。
何を読んだのか、私は知らない。
でも何かを読んだ彼は、少しだけ誇らしげに「やっぱ、いいわここ」と言った。
「また来たいな」
「また来よう」
それで十分。オチなんて、ない。
[ 東京都 ]
草加での仕事を終え、足立区へ。
仕事仲間とともに仕事をこなし、ちょっと寄り道。
案内したのは、地元の堀田湯。
自分にとっては何度目かになるお気に入りの銭湯だが、仕事仲間と一緒に来るのは初めてだった。
その前にふうりゅう。
担々麺が食べたくなり、せっかくだから親父も呼び出した。遠慮せずに「奢って」と言って、ちゃんと奢ってもらった。
変わらない親子の関係に、どこか安心する。
仕事仲間と親父が同じテーブルで担々麺を啜っている光景も、妙にしっくりきた。
少しマックに寄って仕事の続きを片付けてから、堀田湯へ。
95〜105℃の高温サウナは、湿度がしっかりあって熱が刺さる。ほうじ茶の香りとアロマロウリュが交互に訪れる空気の波に身を委ねる。
仕事の疲れや気の張りが、じわじわと汗とともに抜けていく。
そして160cmの水風呂。
深く、冷たく、静か。水に沈むと、何かのスイッチがふっと切り替わるような感覚が訪れる。
同行した仲間にその感想をしっかり聞けなかったのが少し悔やまれる。どんなふうに感じていたのか、聞いておけばよかった。
風呂上がりは日東へ。
昔から通っている町中華。ここで甥っ子と幼馴染が合流し、4人でテーブルを囲む。
巨人戦がテレビに映っていて、ビールと餃子とともに自然と会話もほぐれていく。
ただ、楽しみにしていた天津丼がメニューから消えていたことには静かにショックを受けた。10歳の頃から変わらず食べ続けていた味。消えてしまうと、もう会えない。
そのまま4人で玄海へ。
少し落ち着いた空間で、ビールをもう一杯。刺身をつまみに、さっきまで熱と冷を往復していた身体が、ゆっくり日常に戻っていく。
巨人は勝っていた。
そのことが、妙に今日の締めにふさわしく感じられた。
朝から晩まで、仕事と風呂と酒と地元の時間。
誰かと一緒にそれを重ねることで、ただの一日が少しだけ輪郭を持ちはじめる。
来月もまた、この町に来る予定がある。
次は何を食べて、誰と風呂に入り、どんな余白が残るのか。それを楽しみにしている。
[ 神奈川県 ]
横浜みなとみらい 万葉倶楽部、リニューアルオープン。
2025年6月24日、横浜みなとみらい万葉倶楽部がリニューアルして営業を再開しました。
館内は全体的に明るく、きれいに。床や壁、畳などが新しくなり、どこもすっきり気持ちいい空間に生まれ変わっています。
サウナには自動ロウリュが追加され、いいタイミングで蒸気が出てくるのがうれしい。
新たに炭酸泉も加わり、お風呂の楽しみ方も広がりました。
客室には和洋室タイプが登場。ゆっくり泊まりたい人にとって、選択肢が増えたのもありがたいポイントです。
今回のリニューアルに合わせて、神奈川県民限定の割引や、まぐろ解体ショー、ビアガーデンなどのイベントも開催中。
20周年という節目にふさわしく、より気軽に、楽しく、使いやすくなった印象です。
横浜の海を眺めながら、サウナに入って、おいしいものを食べて、夜はぐっすり。
[ 神奈川県 ]
平塚の住宅街を抜けてたどり着くその場所は、温泉というより“湯の楽園”。露天7種、内湯6種、サウナ2種。
まず、この湯船のラインナップに圧倒される。
地下1,500mから湧くナトリウム・カルシウム泉は、肌にぬるりと絡み、数分で身体の芯まで届く。
(やはり炭酸泉による酸冷交代浴が楽しい。)
階段状の高温サウナに腰を下ろせば、自動ロウリュのアロマミストが15分おきに襲来。
熱波と香りの波に意識が遠のいていく。ここでは「ととのう」は自然現象だ。
そして驚くのは、リラックススペースのクオリティ。
Yogiboのある岩盤浴エリアで溶け、3,000冊の漫画とともに沈没する午後。
リクライニングでTVを流しながら、小さな現実逃避が始まる。
食事処もここでは“癒し”の一部だ。
休日の幸福を、家族単位で満喫できる設計。
ただ、完璧ではない。
古びた設備には時の流れを感じる。
それでも、湯乃蔵は“日常の向こう側”を見せてくれる。
混雑知らずの穏やかさ、1日いても飽きない居場所。
私は今日もここで、静かに“ととのい”を繰り返す。
[ 東京都 ]
都会の静寂にほどける夜──「サウナ北欧」深夜2時の記憶
旧友の帰省に合わせた飲み会のあと、気づけば3人。
これから日本を旅する仲間とともに、新大久保からタクシーで上野へ。
目指したのは、かねてより訪れてみたかった「サウナ北欧」。
本当は、名物の牛すじカレーを食べさせたかった。
深夜でも注文できると聞いていたが、この日は残念ながらクローズ。
空腹よりも、少しだけ悔しさが勝った。
けれど、施設の扉を開けた瞬間、その気持ちはすっと溶けた。
ここには、食事以上の体験がある。そんな予感があった。
高温サウナは、この日は90℃台後半。
ヒリつく熱さと対峙しながら、黙って座る。
サウナ室は広めで、空間に余裕がある。そのせいか、深夜でも10人近くが静かに汗をかいていた。
セルフロウリュは、残念ながらこの日は行われていなかった。
けれど、その分、サウナ本来の「間」があった。
テレビの音がBGMのように遠のき、熱と自分だけが残る。
そして水風呂。約14℃、深さも十分。
火照った身体を沈めると、皮膚がキュッと引き締まる。
誰も騒がず、誰も急がない。ただ、交互浴のリズムだけが時間を刻む。
外気浴スペースには、ととのい椅子がずらりと並ぶ。
ビルの隙間から夜風が吹き抜け、静かな都会の空気が身体に染み込む。
この瞬間、言葉はいらなかった。3人で来たけれど、それぞれがひとりだった。
最後に入ったトゴールの湯は、ぬるくてやさしかった。
ここまで身体を酷使してきた者に与えられる、静かなご褒美のようだった。
カプセルルームも清潔で、ロッカーがすぐそば。
寝具はやや硬めだったが、背筋が自然と伸びるような心地よさがあった。
⸻
この夜、「整う」というより、「ほどけた」。
誰とも深くは話していないのに、帰るころには、何かがほぐれていた。
「サウナ北欧」は、熱い、冷たい、気持ちいい…だけでは語れない。
都市に生きる人が、ふと立ち止まるための静かな止まり木のような場所。
名物カレーは次回の楽しみに。
でも、今夜この空気を味わえただけで、もう十分だった。
[ 神奈川県 ]
鷲の湯、という生活のスパイス
1人で過ごす日曜に寂しさを覚えて自転車で向かう。
横浜・神奈川区の町に、ぽっかりと残された“昭和の余韻”——鷲の湯。
ここはただの銭湯ではない。日々に埋もれた自分をふと掘り起こしてくれる、そんな場所だ。
静かなる贅沢、530円+200円の宇宙旅行
入口をくぐれば、タイルの壁、昭和の面影。けれど湯船は本気。
黒湯の温泉は、とろりと肌に絡み、都市生活でこわばった皮膚感覚がじわじわと解凍されていく。
しかも、ジェット、電気風呂、北投石、炭酸泉……とにかくラインナップが多い。これが銭湯の守備範囲かと目を疑う。
サウナと黒湯水風呂、その温冷の舞
追加200円のサウナ。温度は100℃超えもあり、すぐにあまみが現れる。
そこからの黒湯水風呂。これがまた極上。20℃前後のまろやかなタッチ。
そして外気浴は——控えめ。けれど、わずかなスペースでも風が通れば、世界は変わる。
雑味もリアルも全部含めて「鷲の湯」
混雑。ドライヤー20円3分で乾かない問題。刺青の人。
そう、全部ある。けれど、それでも通いたくなるのはなぜだろう。
きっと、不完全だからこその“生活の呼吸”がここにはある。
総評:銭湯がここまでやるか?
「温泉+炭酸泉→露天→黒湯水風呂→サウナ→また黒湯」このルーティンだけで、心身が整う。
そして最後は生ビール300円。トータル1,030円。コスパなんて言葉がチープに思える体験。
鷲の湯は、都市生活者のささやかな逃避行。
生活のそばに、こういう場所があるって、なんかいい。
[ 東京都 ]
―昭和と熱気が交差する、街の名湯サウナ―
中央線・阿佐ヶ谷駅から徒歩5分。商店街を抜け、阿佐ヶ谷弁天社の静かな佇まいを横目に進むと、突如として現れる大木と石柱の門。その奥にあるのが、昭和28年創業の銭湯「玉の湯」だ。
ここは、ただの風呂屋ではない。古き良き日本の銭湯文化と、現代のサウナ愛が絶妙に融合する、稀有な「時間旅行」空間である。
魅力の本質は“温度差”
男湯にのみ設置されたサウナは、ヒノキ香る2段式。遠赤外線ストーブが放つ熱気は、じっとりと肌を包み込むというよりも、鋭く、攻撃的に身体を焼いてくる。「乳首が熱い」とまで言わしめるこの熱さ、まさに本気の銭湯サウナだ。
そして、その熱を受け止めるのが、井戸水かけ流しの水風呂。16℃前後の冷たさに加え、バイブラ付きの水流が身体を一気に鎮めてくれる。さらに特筆すべきはその配置。銭湯絵に描かれた富士の海景を眺めながら肩まで沈むと、まるで水面に浮かぶような感覚に包まれる。「大海原に溶け込む感覚」は、まさにここでしか得られない体験だ。
建物は語る。銭湯というタイムマシン
格天井、青瓦、イルカのタイル、アンティークレジ。すべてが現代の設計図から外れた“懐かしさ”で構成されている。レトロ好きにはたまらない空間であり、ロビーでは瓶のコーラやアイスを片手に、誰もが“あの頃”の時間を過ごす。
浴室には電気風呂、ジェット、ぬるめの薬湯と揃い踏み。薬湯は店主の気まぐれによる日替わりで、天気と気温を読みながら「今日は冷え込むからにごり湯」「今日は暑いからミント系」と、季節と対話するような選定がされている。
店主の哲学が息づく“空気の良さ”
現店主・末岩尚人さんは元サラリーマン。銭湯経営は突如訪れた人生の転機だったという。だが彼は、単に風呂を守るのではなく、「また来たい」と思わせる空気を整えることに注力している。
マナー違反には毅然と注意しつつも、誰にでも声をかける優しさがある。設備よりも人の心に届く“ぬくもり”こそが、玉の湯を玉の湯たらしめている。
サウナ後の“余韻”もまた、名物
風呂上がりは、すぐ近くの「鳥正」で昭和の空気に酔い、あるいは「gion」でナポリタンに癒されるのも乙。銭湯→町飲み、という文化的動線が、ここにはまだ息づいている。
[ 神奈川県 ]
湯船に浮かぶアジア
―黒湯×バリ、異文化スパの融合―
スパ・リブール ヨコハマを一言で言えば「異国が、湯になって溶けている場所」。
神奈川の地下から湧き出すとろり黒湯は、まるで美容液のよう。そこに流れるガムランBGMと南国の装飾が、現実をなめらかに剥がしていく。横浜でバリ旅。コスパ抜群のトリップ体験が、1,000円台で待っている。
“ととのい”を超えた、沈み込みの快楽
―サウナと岩盤浴の二段構え―
ここは「ととのう」だけじゃない、深く沈み込む場所。
高温ドライサウナで身を焦がしたあとは、地下水の水風呂で現世をリセット。屋上テラスに設けられたハンモックで風に溶けるのが、ここだけの儀式だ。さらに岩盤浴では、脳がひらいて思考が冴える不思議な体験も。
“手ぶら天国”の真価
―アメニティ充実度、横浜随一―
クレンジング、化粧水、シャンプー、バスタオル…すべて完備。
スキンケアもドライヤーもブランド品で揃えられ、文字通り「スマホと身体」だけでフル体験可能。初見でも準備ゼロで飛び込める、横浜の温泉ラウンジだ。
書斎?寝床?逃避行?
―休憩エリアの多層性がすごい―
ハンモック、リクライナー、マンガ2,000冊、コワーキング風エリア…。
それぞれの「過ごし方」を受け止める構造の豊かさに驚かされる。
目的のない来館者すら、2〜3時間は優しく包み込んでくれる設計。時間感覚が消えていく。
ただし、惜しいのは「空気」
―惜しむらくは喫煙ゾーンの匂い漏れと接客ムラ―
せっかくの非日常が、一部の接客の無機質さと喫煙エリアの煙の越境で台無しになる瞬間がある。とくに漫画コーナーとレストラン周辺に立ちこめるニオイには、もうひと工夫が欲しい。
美肌×没入=リピーター製造機
―“もう一度”を誘う設計思想―
泉質、空間、価格、導線、時間消失感…そのどれもが“また来たくなる”計算で作られている。
だからこそ、口コミは”惜しい”を抱えながらもリピーター率が高い。
“100点ではないが、70点を120分で極上に変える”設計。まさに完成された「日常の逃避」装置だ。
異国にあって、どこか懐かしいものに出会うと、人は少し戸惑い、そしてほっとする。中国遼寧省、国境の町・丹東にある「江戸温泉城」は、そんな感情を揺さぶる場所だった。
館内に一歩足を踏み入れると、畳の香りと和風の意匠が旅人を迎える。ここが中国であることを忘れそうになる。岩盤浴や湯上がりの広間、そして丁寧に模された日本の温泉情緒。だが、この温泉城が真に特異なのは、五階の露天風呂から見える「風景」にある。
湯けむりの向こうに、鴨緑江がゆったりと流れ、その対岸には北朝鮮の町並みが静かに佇む。高層ビルもネオンもない、時間が止まったような景色。その素朴さと閉ざされた空気が、湯のぬくもりと相まって、奇妙な現実感をともなう。
五龍背温泉の湯が50元で楽しめることに感謝しながら、私は長湯を決め込んだ。湯に浸かりながら、国家と国家のあわいで、平和のかたちを考える。湯は境界を知らない。けれど、景色は語る。そこにあるのは「近さ」と「遠さ」の同居。
この施設が模倣か本家かという議論など、湯に流してしまえばいい。国境の湯に浸かるこの体験こそ、現代のパラドックスを映す鏡なのだ。江戸温泉城は、旅人に思索の時間をくれる。滑稽さと静謐さが共存する、奇妙に美しい場所だった。
[ 静岡県 ]
メインディシュのないコース料理
サウナは、コース料理に似ています。
最初に体をじんわり温めるサウナは、まさに前菜。
次に訪れるメインディッシュ、それが水風呂。
そして最後に味わうのが、夜空の下でととのう外気浴というデザートです。
伊東ホテルニュー岡部のサウナは、前菜も外気浴も申し分ありません。
L字型の小さな空間にこもる熱、湿度のバランス、心地よい発汗。
露天スペースの椅子に身を預ければ、旅の疲れもほどけていきます。
しかし、どうしても欠けている一品があります。
それが「水風呂」という名のメインディッシュです。
現在はぬるめの冷水シャワーで代用されていますが、
これは言うならば、ハンバーグコースの主菜が「水煮の挽肉」になっているようなもの。
「サウナをきちんと楽しみたい」という思いで訪れた人にとっては、
一番のクライマックスがすっぽり抜けてしまっている印象です。
もちろん、すべての利用者が水風呂を求めているわけではないでしょう。
でも、せっかくここまで完成度の高い“料理”を用意されているのですから、
あとひと品、水風呂という“本格”を添えていただけたら。
その瞬間、大江戸温泉物語のサウナは“本物”として語り継がれると思います。
[ 神奈川県 ]
まさか、また万葉の湯。
昨夜は後輩の相談に付き合って、
サウナで蒸されて、そのまま一泊。
朝風呂で伸びをして、アイスを食べて、仕事場に行き一日中真剣に働いた。今日はいい会議と仕組みができて満足。
「今日はゆっくり帰るか」と思った矢先。
スマホが鳴る。弟から。
「今どこ?……え?マジで?俺らも今、万葉の湯に来てるんだけど」
笑った。昨日と同じ場所で、まさかの家族リレー。
弟は相変わらずエネルギー満タン。
不動産で独立してから、目の色が変わった。
仕事の話を少し聞いて、
「あんたも頑張ってんな」と内心うなる。
甥っ子たちは少年野球のトップクラス。
風呂上がりの牛乳片手に、肩で風切って歩いてる。
将来はどこ目指すんだ?と聞けば、
「プロかアメリカ!」と即答。気圧される。
義理の妹には、ポケット入れてたLypo-Cを一本。
「え、嬉しい!」
やっぱり“いいもの”は女性が一番よく知ってる。
そのお母さん――つまり弟の義母も来ていて、
久々に顔を見たけど、ピンピンしてて安心した。
「あら、昨日も来てたの?」と笑われる始末。
湯につかり、笑い声が響き、
テラスでジュースを飲みながら風を浴びる。
サウナは話をととのえ、家族は心をととのえる。
偶然のようで、必然みたいな時間。
万葉の湯は、ただの温浴施設じゃない。
誰かとの縁がふっと湧く、ちょうどいい交差点。
また来よう。たぶん、すぐ来る。
この感じ、クセになる。
[ 神奈川県 ]
話そうか、まずは蒸されながら。
定時を少し過ぎた頃、後輩からぽつりと「ちょっと…話、聞いてもらえますか」。
会議室じゃない。カフェでもない。
向かったのは、万葉の湯 みなとみらい。
靴を預け、エレベーターで上がる。
館内着に着替えれば、もう会社の空気は抜け落ちていた。
「じゃ、サウナ行こうか」
湯けむりと一緒に、言葉がやわらかくなる。
92℃のサウナで、後輩がぽつりぽつり。
人間関係のこと、仕事の自信のなさ、
「今は成長できてない。宮崎さんの部署に異動できませんか??」なんて素直なことまで。
水風呂でリセットして、外気浴で言葉がほどける。
「一度じっくり考えます。」
それは諦めじゃなく、余白が生まれたってこと。
その瞬間を見た気がした。
夜はラウンジで湯上がりビール。
「泊まってっちゃいます?」
その言葉に、迷いなく頷いた。
窓から見える観覧車、
お互い黙ってスマホをいじる間も、心地いい。
気がつけば、さっきまでの相談なんて、
もう蒸気の中に溶けていった。
働く人間は、たまに“ととのいながら話す”くらいがちょうどいい。
サウナは解決をくれないけど、整理はしてくれる。
そして万葉の湯は、泊まりまで面倒を見てくれる。
明日からまた、ちょっとマシな顔で仕事に向かえる。
そんな夜だった。
[ 神奈川県 ]
徳を積むサウナ
東白楽駅から徒歩1分、「徳の湯」はその名のとおり、徳を積みに行く銭湯だ。サウナに浸かり、水風呂で震え、外気浴で空を見上げる——ただそれだけのことが、人生の輪郭をくっきりさせる。
サウナ室は100℃近い熱さだが、なぜか心地よい。遠赤外線の熱がじわじわ染み込み、10分もすれば自分が蒸し芋か大福か何かに思えてくる。常連の場所取りや井戸端会議が炸裂することもあるが、それすらこの場のスパイスだ。嫌なら砂時計でも眺めて「無」になればいい。
その後の水風呂は、ただの水ではない。備長炭でろ過された澄んだ水が、12℃前後のショック療法のような冷たさで襲ってくる。最初は「ぎゃっ」と叫びそうになるが、次第に冷水が体に染みわたり、過剰な思考がすーっと消えていく。ある種の禅である。
外気浴のととのい椅子に座ると、空がでかい。目を閉じれば、遠くから子供の笑い声や誰かの鼻歌が聴こえる。自分が湯けむりのなかに浮かぶ一粒の泡になったような気がしてくる。「ああ、人間っていいな」と思う。裸の付き合いとはよく言ったものだ。
脱衣所の壁には、「市の湯」「仁の湯」の由来が貼ってある。市は情報と出会いの場。仁は思いやりと調和の心。つまりこの銭湯は、人徳を高める場所というわけだ。湯に浸かるたび、少しずつ自分の中に“徳”の貯金が増えていく気がする。誰かに優しくできる余白が生まれてくる。
だから僕はここに通う。汗をかき、冷たさに耐え、空を仰ぐ——それは小さな修行であり、ささやかな幸せの獲得だ。サウナとは、心の垢を落とす装置なのかもしれない。
[ 東京都 ]
眠気の彼方、SHIZUKUに沈む
深夜2:00。
タコ焼きを抱えた公平ちゃんと駅前で別れ、僕はひとりSmart Stay SHIZUKUへ向かった。
帰るには、まだ名残惜しい。整いきった身体がもう一度、熱と冷に触れたがっていた。
SHIZUKUは、静謐そのものだった。
新しく清潔な空間。サウナは約100℃。オートロウリュが12分ごとに熱を送ってくる。
テレビも音楽もない。沈黙が熱の輪郭を引き立てる。
身体は芯から温まり、思考は穏やかに鎮まっていく。
水風呂は深く冷たく、文句のつけようがない。
シャープな冷却。まさに仕上げ、のはずだった。
「……少しだけ、休もう」
そうつぶやいて、休憩スペースのリクライニングへ。
そこから先の記憶がない。
整いの頂点を越えたその先に、眠気という重力があった。
気づけば外は静寂の底。僕は、何もせずに終わった。
けれど、それすらも整っていた。
SHIZUKUの空間は、ただ機能的ではない。深夜2時の余白を、そっと受け止めてくれる。
サウナの熱、冷水の冴え、そして休憩所の無音──どれもが過不足ない。
公平ちゃんと別れたあと、ひとりで見た静かな夜。
サウナでも、夢のなかでも、きっと整いは続いていた。
[ 東京都 ]
湯気の中のインターステラー
この日、僕と公平ちゃんは「品川サウナ」に降り立った。
2度目の訪問にもかかわらず、同行者が変わるだけで風景は一変する。まるで同じ星に、異なる角度から着陸したかのようだった。
扉を開けた瞬間、ヒノキの香りが静かに迎えてくる。
フィンランド式のドライサウナは85℃。セルフロウリュの水が焼けた石に落ちる音は、まるで遠く離れた惑星との交信音。湿度と熱が理知的な均衡を保ち、汗がまるで呼吸のように自然に流れ始める。
公平ちゃんが、少し誇らしげにロウリュを決める。
次に足を踏み入れたのは、和式低温蒸気サウナ。
畳の上、茶葉の香りと共に立ち昇る柔らかな蒸気。これは、茶の湯とサウナが静かに融合した空間。余白のある静寂が満ち、思考が浮遊する。そこには、透明な宇宙人との無言の呼吸が確かにあった──幻想か、真実か。
水風呂セクションでは、温度という概念が三つの星に分化していた。
目覚めの鋭さをもたらすシングル(10℃)、沈黙を深くたたえた深風呂(19℃)、そして体温との境界を曖昧にする不感温浴(34℃)。これらの違いは、もはや感覚の哲学に近い。
屋上では、風が言葉を持っていた。
「おかえり」と。畳に身を預け、重力が和らぐのを感じる。
室内にはプラネタリウムが投影され、静かに星が巡る。身体は地上にありながら、意識は確実に軌道上にいた。
そして、この施設の真骨頂はその“進化性”にある。
開業直後から細部の改善を重ね、水はけ、照明、空調、すべてが計算され尽くしている。
それはまるで、宇宙船のチューニングを続ける科学者たちの手つきのようだった。
他のサウナと何が違うのか?
答えは、ひとつ。ここには物語がある。
品川サウナは、感性の軌道をわずかにずらし、我々を“日常の外側”へと送り出す装置だ。
僕は静かにタオルを巻き直し、次なる目的地──たこ焼き屋へと向かった。
次のフライトには、十分すぎるほど整った準備が整っていた。
[ 神奈川県 ]
RAKU SPA BAY 横浜へ、静かにひとり向かう。
リニューアル後、これで2度目だ。初回の新鮮さが少し落ち着いて、空間との距離感が心地よい。知っている場所を再訪することの安心感と、わずかな変化に気づける余白。そういう時間が、今の私には必要だったのかもしれない。
岩盤浴は2種。温度は高めだが、むしろその熱量に自分の思考が焼かれていく感覚がある。頭の中に溜まっていた未整理の情報が、汗と一緒に流れ出ていく。情報社会に生きていると、「何もしない」という行為がいかに贅沢で、回復的かを思い知らされる。
外気浴スペースに出ると、ベイブリッジと夜景。都市の構造物があんなにも美しく見えるのは、内側が整っている証拠かもしれない。景色に意味を与えるのは、いつだってこちら側のコンディションだ。
RAKU SPAは、単なる温浴施設ではない。
ここは「整理」する場所だ。体も、思考も、感情も。
ひとりでいることで、それがより明確になる。
2度目の今日は、そのことをはっきりと理解できた。
[ 神奈川県 ]
RAKU SPA BAY 横浜── 湯と本と夜景と、ちょうどいい距離感
風呂屋には二種類ある。
「たまに行く、贅沢な場所」と、「ふと行きたくなる、居場所」。
かつてのINSPA横浜は前者だった。ちょっと気取った大人のための隠れ家。
それが「RAKU SPA BAY 横浜」になって、どう変わったのか。
結論から言うと── 肩肘張らずに行ける、いい温浴施設になった。でもまだまだここは穴場だ!
まず、値段がちょうどいい。
以前は「今日は特別だから」と気合を入れないと行けなかったが、今は平日1,540円、土日祝1,980円。フラッと寄れる価格帯。「特別な日じゃないけど、ちょっと整いたい」、そんな日の選択肢に入る。
館内を歩くと、やたらと目につくのが漫画。
10,000冊以上、しかもリクライニングチェアや半個室完備。温泉に来たつもりが、気づけば手元に漫画、次の瞬間には「ちょっと湯に浸かってまた続きを……」という無限ループ。風呂と本、これほど相性のいい組み合わせがあっただろうか。
岩盤浴は男女共用に なった。
これ、何気に革命的だ。これまでは「じゃあ、またあとでね」と別れていたのが、「一緒に行こうか」に変わる。デートの選択肢にもなるし、友人同士でも気軽に誘いやすい。岩盤浴でゴロゴロしながら、たわいない話をする時間もまた、いい。
そして、サウナが進化していた。
フィンランド式+オートロウリュ搭載。熱波に焼かれる感じではなく、湿度がじっくり回る仕様。サウナ室に入った瞬間、「ああ、わかってるな」と思った。サウナーの求める「ちょうどいい」が、そこにはあった。
さらに、小学生の利用OK。
これまで「大人のための隠れ家」だったのが、ファミリーでも楽しめる温浴施設へ。賛否あるかもしれないが、家族で来られる場所になったことで、「日常に馴染む湯処」になったのは間違いない。
そして、変わらなかったものもある。
それは、横浜ベイエリアの夜景。
露天風呂で外気を感じながら、眼下に広がる光を眺める時間。風は優しく、景色は静かにきらめく。ああ、これこれ。これがあるから、また来たくなる。
「RAKU SPA BAY 横浜」は、以前のINSPA横浜とは違う。
でも、ただ安くなっただけじゃない。気取らず、ほどよく整った、通いたくなる温浴施設に進化していた。
風呂に浸かるも良し、サウナで蒸されるも良し、本に没頭するも良し。
今日はどう過ごすか、選べる自由がここにはある。
またふらっと、湯と本と夜景を求めて来ることになるだろう。
[ 神奈川県 ]
駅前の喧騒を離れ、反町浴場の暖簾をくぐると、昭和の香り漂う銭湯が出迎えてくれます 。奥のサウナ室に入れば、燃えるガス遠赤ストーブ(電気?)が唸りを上げ、室内は温度計が100℃近くを指す超高温の世界 。カラカラに乾いた熱気に最初は息を呑むものの、一息ごとに肌から汗がじわりと滲み出し、次第に「気持ちいい…」と快感に変わります 。テレビの音をBGMに、12人ほど入れる木張りのサ室で黙々と蒸されれば、日頃の雑念も蒸発していくようです。「ガツンと熱い昭和ストロングなサウナ」と評する声もうなずける体感です 。
ほてった体で勢いよく水風呂へ飛び込めば、「良い感じに冷たい❣️」と誰もが声を上げる井戸水仕立ての冷涼が全身を包みます 。キンと澄んだ14℃前後の水は4人がゆったり浸かれる広さと深さを持ち、肩まで沈めば足先まで刺激が行き渡るようです。驚くほど柔らかな水質で、肌あたりはまろやか 。火照りがスッと引いて毛穴が引き締まると同時に、心まで研ぎ澄まされていきます。井戸水に含まれた成分のおかげか、上がった後は肌がスベスベになると評判です 。
体を冷やしたら、扉の先の半露天スペースへ。夜空の下、外気浴用の椅子は二脚ほどと少なめですが 、運良く腰掛けて見上げれば、静かな住宅街の空気に月明かりが滲むようです。時おり頬を撫でる風が熱を帯びた身体に心地よく、「外気浴はたまに吹く風が最高に気持ち良かった」との言葉に思わず頷きます 。目を閉じると遠く街の気配もかすかに、心身がふわりと宙に溶けていく――これが整うということなのでしょう。
ふと耳を澄ますと、サウナ帰りの休憩ベンチでは地元常連の年配客と初訪問の若者が笑い合っています。先ほどサウナ室で意気投合した二人でしょうか、世代を超えて弾む笑い声が銭湯にこだましていました 。平日昼下がりの静けさも良いですが、週末の夜に若い人たちが増えても店内は不思議と落ち着いた雰囲気だといいます 。初心者から常連まで誰もが垣根なく語り合い、湯上がりに腰掛けて飲む瓶牛乳の旨さに頷く光景は、昔ながらの銭湯文化そのままに温かな物語を紡いでいるようです 。ここ反町浴場では、遠赤サウナの灼熱と井戸水の氷涼、そして外気浴の風のハーモニーが織りなす極上の“三重奏”が、今日も訪れる人々を陶然と整わせてくれています。
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