2019.10.05 登録

  • サウナ歴
  • ホーム 湯乃市 藤沢柄沢店
  • 好きなサウナ 今日行くサウナが好きなサウナ。 好きな世界観を広げながら歩きます。
  • プロフィール マーケティングの戦略をデザインする人。 株式会社フライング・ブレイン代表。 鎌倉のウェルネスカンパニー、株式会社SPIC 執行役員/社長室。 外気浴前のルーティンはミネラル(MINERALion)→水分→高濃度ビタミンC(Lypo-C)。DJ、スケボー、湖と魚、山と湯。音と言葉と景色を集めながら、妻と娘と暮らしています。
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宮崎直哉

2025.12.04

2回目の訪問

ひづめゆ

[ 岩手県 ]

紫波町の初雪の日に湯へ向かうなんて、誰かが仕掛けた演出かと疑いたくなる。
役場でシンガポールの客人と町のプロジェクト説明に立ち会い、オガールで余韻を噛みしめるつもりだったが、気づけば足は湯治場のほうを向いていた。
計画どおりに休むほど、人は器用じゃない。

湯へ入る前に green neighbors の新作ハードサイダーを二缶、買ってしまった。
風呂前の一杯は背徳であり、儀式であり、言い訳でもある。
「飲んでから考える」という生き方を許せる年齢になっただけの話だ。

思えば、この風呂に入りにくることが紫波町との最初の接点だった。
草彅洋平くんと濱田織人くんと訪れたあの日のことを、昨日のことのように思い出す。
ここから何かが始まったのだ。

ほどなくして仲間が商店街を歩いてやってきた。
偶然とも言えるし、必然とも言える。
いや、ひづめゆが我々を呼んだのだ、と強がり混じりの宿命論を唱えたくなる。
説明など不要で、「そういう日だ」とうなずくのが大人の流儀だ。

身体を洗い、炭酸泉で下茹でする。
サウナ→水風呂→外気浴。
この三点ルーティンは議論に似ている——熱くなり、冷め、風に当たるとようやく本音が浮かぶ。

外気浴の椅子には初雪が積もっていた。
普段あるホースは冬眠したらしく、自分のタオルで雪を拭いて座る。
サービスが削られると、かえって整うことがある。
人は自分で席を作ったほうが、腹が据わるのだ。

三巡したあとは「酸冷交代浴」。
炭酸泉から水風呂へ——私が勝手に名付けたこの入り方が、いまや施設の語彙として息づいている。
このサウナをデザインした小川翔大くんが、今月紫波を旅立つという。
寂しいけれど、こんな大いなるものを残してくれたことに感謝したい。
そしてこれからも、あの日のやりとりをふと思い出すのだろう。
人は案外、湯と建物ではなく、名前のない瞬間を覚えているものだ。

湯気の向こうではクラフトサケの可能性が語られていた。
そのPodcastのスポンサーになるきっかけまで、湯の中で生まれた。
風呂屋というのは意思決定の場である。
世の会議室の空気が薄いだけだ。

帰り際に Big Apple を買って飲む。
水を一滴も使わないその酒が、妙にありがたかった。
なぜか?
初雪と熱気のあいだで、「余計な水分はいらない」と教わった気がしたのだ。
だから何なんだ、と言われても、こんな瞬間のために人は湯に通うのだろう。

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2

宮崎直哉

2025.11.28

7回目の訪問

“塩サウナの生贄”になれる場所を紹介しよう。実際、ここは塩分が濃い。湯から上がってそのままサウナに突入すると、浸透圧で身体がキュッと締まる。ダイエット広告より説得力があって、鏡の前の自分がちょっとだけ“やれる男”に見える。

特にRAKU SPA 管轄になってからのアップデートは妙に洒落ている。
タオルマットが敷かれ、オートロウリュは毎時00分、照明も明るくなった。
この3つだけで、これまで微妙だったサウナ室は蘇った。

常連ほど「毎時間58分になったら走れ」が暗黙のルール。
宗教儀式のようだが、これを知っているのは常連だけでほくそ笑む。
こんな裏技絶対に一見には教えてやらない。

ここのシャンプーとリンスがやけにいい。
ジム併設だからだろうか。
「汗と海風と塩」を相手にする髪に、妙に優しい。
人生もそうだが、人は「塩対応」を浴びた時ほど“良いコンディショナー”を求めるのだろう。

いっぽうで、コラボの内風呂には近寄らない。
天然温泉を前に、ギラギラした人工の湯に浸かる気はしない。
恋人を横目に合コンへ行くような背徳感がある。
湯にも倫理があるのだ。

深夜利用は格別だ。
客のいない岩盤浴で寝そべり、5時まで時間を溶かす。
夜景は独占できるが、妙にラップ音が多い。
霊か、配管か、はたまた深夜料金の代償か。
まあいい。ここでは人も建物も、塩と湿気でちょっと歪んでいるのだから。

そして夜明け前、露天で海風を肺に流し込むと、妙な確信がやってくる。
ここは“癒し”でも“健康”でもなく、塩と熱と夜景と、ほんの少しの違和感を、自分の都合よく混ぜ直して帰る場所だ。

だから何なんだ?

整うってのは、身体じゃなくて言い訳の方が先なんだ。
そのことに気づいた奴ほど、またここへ戻ってくる。

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1

宮崎直哉

2025.11.18

1回目の訪問

こおりやま駅前の夜風は冷たく、駅前サウナ24の赤いネオンだけが妙に健気に灯っていた。出張の帰り道など、ろくに寄り道もしないのだが、その日はどうにも胸の内に“余白”があって、そこに温度を足すようにサウナへ滑り込んだ。

原料工場を歩いた一日だった。何度も資料で追い、口で説明し、数字で管理してきた“あの成分”が、実際にはもっと深く、もっと手触りのある物語を持っていることを、現場で思い知らされた。自分は分かっているつもりだった。だが、原料のタンクに体を寄せると、その奥に沈んでいる歴史とか、風土とか、製法に込められた執念みたいなものが、こちらの襟をつまんで引き寄せてきた。

そう考えながら入った駅前サウナ24は、まるで私のプロジェクトそのもののようだった。

サウナ室は100℃近くまで上がっていて、数字だけ見れば“強い”。だが入って数分で気づく。温度の割に湿度が追いついていない。肌に乗ってこず、喉だけが乾いていく。熱量はあるのに、伝わってこない。まるで私がこれまで訴求してきたメッセージのようで、笑ってしまった。

“数字は強い。だが届いていない。”

昭和の銭湯みたいな薄暗い壁と、常連たちのゆるい空気。それらが妙に居心地よくて、逆に思考が明晰になった。高温サウナのはずなのに、どこか“あと一滴の蒸気”が足りない。いや、それは蒸気だけではない。人は、熱があるだけでは動かない。湿度―つまり“伝わる理由”が必要だ。

原料の奥行きは今日、知った。まだ語っていない物語は山ほどある。だが私は、その“蒸気”を製品の訴求にのせきれていなかった。熱量だけで押し切ろうとしていたのかもしれない。高温サウナが、がらんと乾いた部屋のように。

私はサウナに座りながら、静かに反省した。熱だけでは足りない。湿度を与えるのは、物語であり、実感であり、現場の手触りだ。工場で嗅いだ匂い、職人の視線、タンクを叩いた時の響き―その全部が、湿度になる。

水風呂に沈むと、今日の気づきがひやりと芯まで染み込んだ。ようやく伝わる温度が整った気がした。

サウナ24の昭和レトロな天井を見上げながら思った。

私の仕事も、このサウナと同じだ。
温度を上げるだけなら、誰でもできる。
そこに湿度を足して、はじめて“伝わる”。
そして、その湿度は机の上には落ちていない。現場にしかない。

だからなんなんだ?
―いや、今日の出張は、その“なんなんだ”を探す旅だった。

駅前の夜風は、少しだけやわらかくなっていた。

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宮崎直哉

2025.11.15

6回目の訪問

視察という名の小旅行は、いつも理由が後づけになる。岩手から仲間が来たから、まずは腹ごしらえだと市場へ向かい、ラーメンと寿司を並べて平らげた。これで「視察前の儀式」が整った気がして、我が家に戻ってジンをちびちびやりながら町の未来について語り合った。未来の話というのは、酒が入るとやけに勇ましくなるが、まあそれも悪くない。

15時、Raku Spa Bay 横浜へ。かつて極楽湯の買収前に来たことがあったが、同じ建物とは思えない。ちょっと手を加えるだけで、世界はここまで“整う側”の姿になるのか。サウナ室はタオルマットが敷かれ、オートロウリュが勝手に蒸気を撒く。たったこれだけの違いで、人は幸せに向かって転がりやすくなるらしい。サウナ経験が教えてくれた最大の発見だ。

3度の「ととのい」を、90分で回収した。効率が良すぎて、むしろ何か不正をしているような気分になったが、身体が軽くなるのだから正義だ。

塩浴できる温泉は、今日も抜群に気分がいい。窓はない。格子状の木材がはめ込まれただけの造りで、外は見えないのに広々と感じる。不思議だ。岩手にもこんな造りを持っていきたいが、あちらだと熊が入ってきてしまうのだろうか。いや、高所に作れば大丈夫か。そんなことを考えるのが、湯船に浮かぶ副作用だ。

久しぶりの晴天だったのも良かった。視察というより、単なる楽しい一日だった。だから何なんだ、という話なのだが。

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宮崎直哉

2025.11.06

1回目の訪問

KIWAMI SAUNA

[ 愛知県 ]

名古屋の浅間町に、古民家をリノベしたサウナがある。
名前はKIWAMI SAUNA。
名前がとにかく強い。極まっている。
店の側がそう言い切ってしまうのだから、こちらも腹を括るしかない。

入ってみると、評判通り、細部まで気が利いている。
庭は和風で、水風呂は深くて、2メートルもある。
潜れる。いや、潜らせてくれる。
水中で耳が水に包まれると、だいたいの雑音は消える。
社会から一時的に切り離される瞬間だ。
人はこういう「切断」を求めてサウナへ行くのだと思う。

サウナ室は呼吸がしやすい。
息がしやすいということは、生きていていいと言われている感じがする。
ロウリュの香りが鼻に入ってくると、身体が理由なく許されていく。
こういうのを人は「ととのう」と言うのだろうが、
結局のところ「まあいいか」と思えるだけの話だ。

ただ、値段は少し高い。
水風呂に塩素のにおいがする日もある。
水飲み場が無いのは、ちょっとした「なんで?」だ。
世の中はだいたい、良いものと惜しいものが隣り合っている。

畳の部屋「蔵」で横になると、非日常というより、ただの現実逃避だ。
でも、現実逃避は悪いことではない。
人間は、逃げ道があるから生きられる。

ラムカレーがうまいとか、アジフライが厚いとか、
そのあたりの話はもう、どうでもいいのだ。
うまいものは、うまい。
ただそれだけのことだ。

休日は混み合う。
SNSにはリピーターがたくさんいる。
つまり、この店は「必要とされている」ということだ。

でも、必要とされているから何なのか。
人気だからどうだというのか。
サウナは結局、汗をかいて、水に沈んで、風に当たるだけだ。

それでもまた人は行く。
なぜか。
それが人生の中で、「何もしなくていい場所」だからだ。

だから何なんだ?
そう思う自分ごと「ととのう」ために、人はまたサウナに入るのである。

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宮崎直哉

2025.09.14

1回目の訪問

一度来たことがあるのか?ないのか?そんな事ばかり考えて最初はなかなか集中できなかった。

熱気に包まれながら、頭の中では「あれ、この壁、前にも見たような……」と勝手に再生が始まってしまう。似ている。いや、そっくりだ。昔、地方で朝いちばんに入ったあの浴室に。湯気しかない浴室にぽつんと自分だけいて、時が止まったような朝。その記憶に重なって仕方がない。

それを思い出していたら、汗を流すタイミングを逃し、水風呂に飛び込むのが妙に遅れた。
で、その水風呂がまた妙に冷たくて、いや冷たすぎず、ずっと入っていられる感じで、「これはどこの水なんだろう?」と考えてしまう。山からの伏流水?そういう説明を聞いたことがあるような気もする。

次に椅子に腰をおろす。目を閉じると、記憶の中のあの地方の浴室の匂いがまたよみがえってくる。すると「ここだったのか?」とまた頭が勝手に結論づけようとする。いや違うだろう、と思い直しては、また堂々めぐりに入る。

旭川は今回で二度目だ。前回の記憶がまるで残っていないから、なおさら似ているだの、違うだのと考えてしまう。
全国をうろうろしていれば、似たサウナぐらいいくらでもある。それなのに「ここがあのときの場所だったのかもしれない」なんて、どうでもいい謎解きをしながら汗をかいている。

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宮崎直哉

2025.07.31

1回目の訪問

羽田空港から始発の便で青森へ。機内ではほとんど眠れず、半ば夢の続きを引きずるようなまま、空港から青森魚菜センターへ直行した。朝の空気に胃が驚いたが、名物のカレーはどこか懐かしい味がして、旅のリズムがようやく整った気がした。

「まちなか温泉青森」に着いたのは午前10時過ぎ。ビジネスホテルのような見た目に少し不安を覚えたが、中に入ると予想以上に清潔で広々としていた。受付の対応も簡素で心地よい距離感だった。

浴室は青森ヒバの香りがほのかに漂い、熱すぎない湯温が身体にやさしかった。広めの主浴槽に浸かりながら、天井のやわらかな光をぼんやりと見上げる。こういう時間が欲しかったのだと思う。

ドライサウナは温度計が90度を指していたが、肌あたりは柔らかく、じんわりと芯から汗が出る。テレビの音も控えめで集中できる。水風呂は深さと冷たさのバランスが良く、キリッと身体を引き締めてくれた。

その後の外気浴が、とにかく素晴らしかった。屋外のととのい椅子に身を沈めると、青森の空と風が一気に包み込んでくる。呼吸が深くなり、思考が遠のく。気づけば二時間も眠ってしまっていた。風にさらされながら、ここまで深く眠ったのはいつぶりだろう。

館内には無料のマッサージチェアや宿泊者用の漫画コーナーもあり、湯上がりの余韻をゆっくりと味わえる。日帰りでも十分だが、泊まりで訪れた価値があった。

久しぶりの休みに、ただ湯に浸かり、風にあたり、眠る。そんな単純なことが、これほどまでに救いになるとは思わなかった。まちなか温泉青森は、派手さはないが、静かに整う力を持った場所だった。

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宮崎直哉

2025.07.17

26回目の訪問

スカイスパYOKOHAMA

[ 神奈川県 ]

ふたたび、横浜のスカイスパ。
いや、別に初めて来たわけじゃない。ここのサウナに通うのは、なんだかんだ理由がある。だけど今日の理由は、ちょっと特別だった。

甥っ子と来るのはこれで2度目。
中学で野球部に入って、肩まわりが急にゴツくなってきた、あの小さかった男の子だ。ひとたび風呂に入れば、彼は迷わずあの“ぬるい風呂”へ向かう。水風呂のとなりにあるやつ。おそらく彼にとっては、唯一「落ち着いて入っていられる場所」なんだろう。冷たすぎず、熱すぎず、ちょっと気が緩む温度。まるで彼の今みたいだ。

私はといえば、会社帰り。
最近、新しい事業の種みたいなものを探して、サウナに来ることが増えた。ビジネスアイデアって、会議室じゃなかなか生まれない。逆に、こうやって汗と一緒に思考をととのえることで、ふと何かが降りてくることがある。いわば、スチーム付きブレインストーミング。

無言の時間を共有するってのは、案外、会話より深く繋がる。
今日も、彼はとくに何も言わないけど、しっかり何かを受け取って帰っていく気がした。お湯に浸かるって、不思議だね。肩書きも年齢も超えて、同じ時間に包まれる感覚がある。

まあ、だから何なんだって言われたら、それまでなんだけど。
でもさ、「ぬるい風呂が好き」って言える中学生って、ちょっとかっこよくない?

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宮崎直哉

2025.07.16

1回目の訪問

温度の正義、というのが、さやの湯処にはある。

酸冷交代浴――なんだか化学の授業の小テストに出てきそうな言葉だが、実際にはもっと感覚的なものである。
炭酸泉で皮膚の下を血流が駆け巡るように感じるあの一瞬、そしてそのあとに入る水風呂で「はぁ〜〜……」と漏れる、冷たさというより「沁みる」感覚。それを繰り返す。人によっては人生もそうやって繰り返してるのかもしれないが、こっちはもっと肌感覚に素直である。

サウナ→炭酸→水風呂→炭酸→水風呂。
整い椅子に腰掛けると、風が過ぎる。
目の前にあるのは、落ち着きすぎた日本庭園と、なんだか主張の強い五右衛門風呂。その丸い縁に沿ってお湯がちょろちょろとこぼれていくのを見て、「ああ、無駄とは贅沢なのだな」と思う。

シェイプアップバスでは、空気圧という名前の圧力社会に揉まれる。シュウウウッと身体が押され、揉まれ、疲労なのか快楽なのかわからないまま、出た頃にはふくらはぎが「ありがとう」と言っていた(ような気がした)。自分の身体のパーツと会話するのも悪くない。

サ飯の十割蕎麦は、豪華というより誠実だ。十割という言葉の潔さ、風味のぶれなさ、そして何より風呂上がりの身体に沁みていくあの優しさ。だれが言ったか「汁は飲むな」と言うが、あれは蕎麦湯の文化を知らぬ者の戯れ言だと思いたい。

人の感想はあてにならないが、自分の身体が語る声には耳を傾ける価値がある。そういう意味で、さやの湯処は語りかけてくる。「疲れ、持ってるでしょ?」って。

でも、だから何なんだ。明日もまた肩に力が入るプロジェクトがやってくるのだ。とはいえ、今日くらいは脱力の勝ち。
酸冷交代浴、これぞ大人のための抜け道である。

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宮崎直哉

2025.07.11

5回目の訪問

「6padの亡霊」

今日もRAKU SPA BAY。何度目だって話だけど、回数を数えはじめたら終わりが近い気がして、あえて数えないようにしている。今日初めて内湯のチェアに座ってみた。これがまあ、見事に“整いすぎない”椅子で、妙に落ち着く。そこから視界に入ってきたのは、ジム帰りっぽい若い男子たち。やたらと体が締まってて、妙に肩周りが主張している。なんか懐かしいな、と思った。大学までの自分が、まさにあんな感じだったから。

でも別に、当時の自分は筋肉を見せびらかしていたわけじゃない。服はだいたいHIP HOPなオーバーサイズで、腹筋も胸筋もだいたい隠していた。むしろ隠すことで、自分がどういう人間かを語らずにすんでいた。筋肉はあったが、言い訳に使うほどの自信はなかった。鏡の前に立っても、何かを誇るような視線は送らなかった。ただ、ただ、削っていた。

あの6pad——割れた腹筋——は、自信の象徴というよりも、何かを取り戻したかった結果として偶然できたものだった気がする。たぶん、当時の自分は何かを必死に埋めていた。部活、トレーニング、タンパク質、プロテインバー。全部その延長線上にあった。けど今はもう、そんな生活からはずいぶん遠ざかってしまった。今の腹は、ビールと夜更かしと、ちょっとした余裕でできている。

なのに今日、あの内湯のチェアでぼーっとしてたら、不意に「もう一度6padに会いたいな」と思ってしまった。誰に見せたいわけでもない。SNSに載せる気もない。ただ、自分自身の中に一度確かに存在していたものに、再び触れてみたくなった。多分それは、体型というより、あの頃の意志に再会したかったのかもしれない。

でもまあ、筋トレを始めるかっていうと、そうでもない。やる気はないけど、懐かしむくらいはしてもいいだろう。あの頃の自分も、たまには思い出してもらえたら嬉しいはずだ。今日の整い時間は、そんな再会をふと思い出させる、ちょっと湿った風の中にあった。だから何なんだって話だけど。

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宮崎直哉

2025.07.08

4回目の訪問

湯気の向こうで、ちょっと笑う──RAKU SPA BAY 横浜にて

7月8日。湿っぽい火曜日の午後。
甥っ子が電車に乗ってやってきた。足立区から、ひとりで。
中学二年。週に1〜3日しか学校に行かない彼が、この日は登校を果たしたうえでの来訪。
それだけでちょっと偉い。

仕事を終え、彼を連れて向かったのはRAKU SPA BAY 横浜。
館内着とタオル付きで、シャトルバスも出ていて、口コミどおり“めんどくさくない”場所だった。

まずは食事。デミグラスのオムライスとビーフサラダ。
野球少年の体に配慮したメニューに、彼は文句も言わずしっかり完食。
なんだか、それがうれしかった。

青いTシャツと黒のパンツに着替えて、サウナへ。
オートロウリュ。湿度もちょうどいい。
黙って座る彼の顔が、少し大人びて見えた。
水風呂のあと、外気浴の椅子で風に吹かれながら「風、いいね」とひとこと。
それだけで、来た甲斐があった気がした。

今日はよく喋る。というか、ぽつぽつと話しかけてくる。
「この建物、前ホテルだったの?」「あの観覧車、止まることあるのかな」
普段と違って、終始ニコニコしていた。
開放されたというより、安心してる感じ。たぶん。

その後、浅いプールサイドでぼんやりし、最後は漫画コーナーへ。
何を読んだのか、私は知らない。
でも何かを読んだ彼は、少しだけ誇らしげに「やっぱ、いいわここ」と言った。

「また来たいな」
「また来よう」

それで十分。オチなんて、ない。

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宮崎直哉

2025.06.27

2回目の訪問

堀田湯

[ 東京都 ]

草加での仕事を終え、足立区へ。
仕事仲間とともに仕事をこなし、ちょっと寄り道。
案内したのは、地元の堀田湯。
自分にとっては何度目かになるお気に入りの銭湯だが、仕事仲間と一緒に来るのは初めてだった。

その前にふうりゅう。
担々麺が食べたくなり、せっかくだから親父も呼び出した。遠慮せずに「奢って」と言って、ちゃんと奢ってもらった。
変わらない親子の関係に、どこか安心する。
仕事仲間と親父が同じテーブルで担々麺を啜っている光景も、妙にしっくりきた。

少しマックに寄って仕事の続きを片付けてから、堀田湯へ。
95〜105℃の高温サウナは、湿度がしっかりあって熱が刺さる。ほうじ茶の香りとアロマロウリュが交互に訪れる空気の波に身を委ねる。
仕事の疲れや気の張りが、じわじわと汗とともに抜けていく。

そして160cmの水風呂。
深く、冷たく、静か。水に沈むと、何かのスイッチがふっと切り替わるような感覚が訪れる。
同行した仲間にその感想をしっかり聞けなかったのが少し悔やまれる。どんなふうに感じていたのか、聞いておけばよかった。

風呂上がりは日東へ。
昔から通っている町中華。ここで甥っ子と幼馴染が合流し、4人でテーブルを囲む。
巨人戦がテレビに映っていて、ビールと餃子とともに自然と会話もほぐれていく。
ただ、楽しみにしていた天津丼がメニューから消えていたことには静かにショックを受けた。10歳の頃から変わらず食べ続けていた味。消えてしまうと、もう会えない。

そのまま4人で玄海へ。
少し落ち着いた空間で、ビールをもう一杯。刺身をつまみに、さっきまで熱と冷を往復していた身体が、ゆっくり日常に戻っていく。

巨人は勝っていた。
そのことが、妙に今日の締めにふさわしく感じられた。

朝から晩まで、仕事と風呂と酒と地元の時間。
誰かと一緒にそれを重ねることで、ただの一日が少しだけ輪郭を持ちはじめる。

来月もまた、この町に来る予定がある。
次は何を食べて、誰と風呂に入り、どんな余白が残るのか。それを楽しみにしている。

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宮崎直哉

2025.06.25

3回目の訪問

横浜みなとみらい 万葉倶楽部、リニューアルオープン。

2025年6月24日、横浜みなとみらい万葉倶楽部がリニューアルして営業を再開しました。

館内は全体的に明るく、きれいに。床や壁、畳などが新しくなり、どこもすっきり気持ちいい空間に生まれ変わっています。
サウナには自動ロウリュが追加され、いいタイミングで蒸気が出てくるのがうれしい。
新たに炭酸泉も加わり、お風呂の楽しみ方も広がりました。

客室には和洋室タイプが登場。ゆっくり泊まりたい人にとって、選択肢が増えたのもありがたいポイントです。

今回のリニューアルに合わせて、神奈川県民限定の割引や、まぐろ解体ショー、ビアガーデンなどのイベントも開催中。
20周年という節目にふさわしく、より気軽に、楽しく、使いやすくなった印象です。

横浜の海を眺めながら、サウナに入って、おいしいものを食べて、夜はぐっすり。

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宮崎直哉

2025.06.21

2回目の訪問

平塚の住宅街を抜けてたどり着くその場所は、温泉というより“湯の楽園”。露天7種、内湯6種、サウナ2種。
まず、この湯船のラインナップに圧倒される。
地下1,500mから湧くナトリウム・カルシウム泉は、肌にぬるりと絡み、数分で身体の芯まで届く。
(やはり炭酸泉による酸冷交代浴が楽しい。)

階段状の高温サウナに腰を下ろせば、自動ロウリュのアロマミストが15分おきに襲来。
熱波と香りの波に意識が遠のいていく。ここでは「ととのう」は自然現象だ。

そして驚くのは、リラックススペースのクオリティ。
Yogiboのある岩盤浴エリアで溶け、3,000冊の漫画とともに沈没する午後。
リクライニングでTVを流しながら、小さな現実逃避が始まる。
食事処もここでは“癒し”の一部だ。
休日の幸福を、家族単位で満喫できる設計。

ただ、完璧ではない。
古びた設備には時の流れを感じる。

それでも、湯乃蔵は“日常の向こう側”を見せてくれる。
混雑知らずの穏やかさ、1日いても飽きない居場所。
私は今日もここで、静かに“ととのい”を繰り返す。

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宮崎直哉

2025.06.17

3回目の訪問

都会の静寂にほどける夜──「サウナ北欧」深夜2時の記憶

旧友の帰省に合わせた飲み会のあと、気づけば3人。
これから日本を旅する仲間とともに、新大久保からタクシーで上野へ。
目指したのは、かねてより訪れてみたかった「サウナ北欧」。

本当は、名物の牛すじカレーを食べさせたかった。
深夜でも注文できると聞いていたが、この日は残念ながらクローズ。
空腹よりも、少しだけ悔しさが勝った。

けれど、施設の扉を開けた瞬間、その気持ちはすっと溶けた。
ここには、食事以上の体験がある。そんな予感があった。

高温サウナは、この日は90℃台後半。
ヒリつく熱さと対峙しながら、黙って座る。
サウナ室は広めで、空間に余裕がある。そのせいか、深夜でも10人近くが静かに汗をかいていた。

セルフロウリュは、残念ながらこの日は行われていなかった。
けれど、その分、サウナ本来の「間」があった。
テレビの音がBGMのように遠のき、熱と自分だけが残る。

そして水風呂。約14℃、深さも十分。
火照った身体を沈めると、皮膚がキュッと引き締まる。
誰も騒がず、誰も急がない。ただ、交互浴のリズムだけが時間を刻む。

外気浴スペースには、ととのい椅子がずらりと並ぶ。
ビルの隙間から夜風が吹き抜け、静かな都会の空気が身体に染み込む。
この瞬間、言葉はいらなかった。3人で来たけれど、それぞれがひとりだった。

最後に入ったトゴールの湯は、ぬるくてやさしかった。
ここまで身体を酷使してきた者に与えられる、静かなご褒美のようだった。

カプセルルームも清潔で、ロッカーがすぐそば。
寝具はやや硬めだったが、背筋が自然と伸びるような心地よさがあった。



この夜、「整う」というより、「ほどけた」。
誰とも深くは話していないのに、帰るころには、何かがほぐれていた。

「サウナ北欧」は、熱い、冷たい、気持ちいい…だけでは語れない。
都市に生きる人が、ふと立ち止まるための静かな止まり木のような場所。

名物カレーは次回の楽しみに。
でも、今夜この空気を味わえただけで、もう十分だった。

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宮崎直哉

2025.05.18

1回目の訪問

鷲の湯

[ 神奈川県 ]

鷲の湯、という生活のスパイス

1人で過ごす日曜に寂しさを覚えて自転車で向かう。

横浜・神奈川区の町に、ぽっかりと残された“昭和の余韻”——鷲の湯。
ここはただの銭湯ではない。日々に埋もれた自分をふと掘り起こしてくれる、そんな場所だ。

静かなる贅沢、530円+200円の宇宙旅行

入口をくぐれば、タイルの壁、昭和の面影。けれど湯船は本気。
黒湯の温泉は、とろりと肌に絡み、都市生活でこわばった皮膚感覚がじわじわと解凍されていく。
しかも、ジェット、電気風呂、北投石、炭酸泉……とにかくラインナップが多い。これが銭湯の守備範囲かと目を疑う。

サウナと黒湯水風呂、その温冷の舞

追加200円のサウナ。温度は100℃超えもあり、すぐにあまみが現れる。
そこからの黒湯水風呂。これがまた極上。20℃前後のまろやかなタッチ。
そして外気浴は——控えめ。けれど、わずかなスペースでも風が通れば、世界は変わる。

雑味もリアルも全部含めて「鷲の湯」

混雑。ドライヤー20円3分で乾かない問題。刺青の人。
そう、全部ある。けれど、それでも通いたくなるのはなぜだろう。
きっと、不完全だからこその“生活の呼吸”がここにはある。

総評:銭湯がここまでやるか?

「温泉+炭酸泉→露天→黒湯水風呂→サウナ→また黒湯」このルーティンだけで、心身が整う。
そして最後は生ビール300円。トータル1,030円。コスパなんて言葉がチープに思える体験。

鷲の湯は、都市生活者のささやかな逃避行。
生活のそばに、こういう場所があるって、なんかいい。

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宮崎直哉

2025.05.17

1回目の訪問

玉の湯

[ 東京都 ]

―昭和と熱気が交差する、街の名湯サウナ―

中央線・阿佐ヶ谷駅から徒歩5分。商店街を抜け、阿佐ヶ谷弁天社の静かな佇まいを横目に進むと、突如として現れる大木と石柱の門。その奥にあるのが、昭和28年創業の銭湯「玉の湯」だ。

ここは、ただの風呂屋ではない。古き良き日本の銭湯文化と、現代のサウナ愛が絶妙に融合する、稀有な「時間旅行」空間である。

魅力の本質は“温度差”

男湯にのみ設置されたサウナは、ヒノキ香る2段式。遠赤外線ストーブが放つ熱気は、じっとりと肌を包み込むというよりも、鋭く、攻撃的に身体を焼いてくる。「乳首が熱い」とまで言わしめるこの熱さ、まさに本気の銭湯サウナだ。

そして、その熱を受け止めるのが、井戸水かけ流しの水風呂。16℃前後の冷たさに加え、バイブラ付きの水流が身体を一気に鎮めてくれる。さらに特筆すべきはその配置。銭湯絵に描かれた富士の海景を眺めながら肩まで沈むと、まるで水面に浮かぶような感覚に包まれる。「大海原に溶け込む感覚」は、まさにここでしか得られない体験だ。

建物は語る。銭湯というタイムマシン

格天井、青瓦、イルカのタイル、アンティークレジ。すべてが現代の設計図から外れた“懐かしさ”で構成されている。レトロ好きにはたまらない空間であり、ロビーでは瓶のコーラやアイスを片手に、誰もが“あの頃”の時間を過ごす。

浴室には電気風呂、ジェット、ぬるめの薬湯と揃い踏み。薬湯は店主の気まぐれによる日替わりで、天気と気温を読みながら「今日は冷え込むからにごり湯」「今日は暑いからミント系」と、季節と対話するような選定がされている。

店主の哲学が息づく“空気の良さ”

現店主・末岩尚人さんは元サラリーマン。銭湯経営は突如訪れた人生の転機だったという。だが彼は、単に風呂を守るのではなく、「また来たい」と思わせる空気を整えることに注力している。

マナー違反には毅然と注意しつつも、誰にでも声をかける優しさがある。設備よりも人の心に届く“ぬくもり”こそが、玉の湯を玉の湯たらしめている。

サウナ後の“余韻”もまた、名物

風呂上がりは、すぐ近くの「鳥正」で昭和の空気に酔い、あるいは「gion」でナポリタンに癒されるのも乙。銭湯→町飲み、という文化的動線が、ここにはまだ息づいている。

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宮崎直哉

2025.05.13

1回目の訪問

湯船に浮かぶアジア

―黒湯×バリ、異文化スパの融合―

スパ・リブール ヨコハマを一言で言えば「異国が、湯になって溶けている場所」。
神奈川の地下から湧き出すとろり黒湯は、まるで美容液のよう。そこに流れるガムランBGMと南国の装飾が、現実をなめらかに剥がしていく。横浜でバリ旅。コスパ抜群のトリップ体験が、1,000円台で待っている。

“ととのい”を超えた、沈み込みの快楽

―サウナと岩盤浴の二段構え―

ここは「ととのう」だけじゃない、深く沈み込む場所。
高温ドライサウナで身を焦がしたあとは、地下水の水風呂で現世をリセット。屋上テラスに設けられたハンモックで風に溶けるのが、ここだけの儀式だ。さらに岩盤浴では、脳がひらいて思考が冴える不思議な体験も。

“手ぶら天国”の真価

―アメニティ充実度、横浜随一―

クレンジング、化粧水、シャンプー、バスタオル…すべて完備。
スキンケアもドライヤーもブランド品で揃えられ、文字通り「スマホと身体」だけでフル体験可能。初見でも準備ゼロで飛び込める、横浜の温泉ラウンジだ。

書斎?寝床?逃避行?

―休憩エリアの多層性がすごい―

ハンモック、リクライナー、マンガ2,000冊、コワーキング風エリア…。
それぞれの「過ごし方」を受け止める構造の豊かさに驚かされる。
目的のない来館者すら、2〜3時間は優しく包み込んでくれる設計。時間感覚が消えていく。

ただし、惜しいのは「空気」

―惜しむらくは喫煙ゾーンの匂い漏れと接客ムラ―

せっかくの非日常が、一部の接客の無機質さと喫煙エリアの煙の越境で台無しになる瞬間がある。とくに漫画コーナーとレストラン周辺に立ちこめるニオイには、もうひと工夫が欲しい。

美肌×没入=リピーター製造機

―“もう一度”を誘う設計思想―

泉質、空間、価格、導線、時間消失感…そのどれもが“また来たくなる”計算で作られている。
だからこそ、口コミは”惜しい”を抱えながらもリピーター率が高い。
“100点ではないが、70点を120分で極上に変える”設計。まさに完成された「日常の逃避」装置だ。

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宮崎直哉

2025.04.12

1回目の訪問

異国にあって、どこか懐かしいものに出会うと、人は少し戸惑い、そしてほっとする。中国遼寧省、国境の町・丹東にある「江戸温泉城」は、そんな感情を揺さぶる場所だった。

館内に一歩足を踏み入れると、畳の香りと和風の意匠が旅人を迎える。ここが中国であることを忘れそうになる。岩盤浴や湯上がりの広間、そして丁寧に模された日本の温泉情緒。だが、この温泉城が真に特異なのは、五階の露天風呂から見える「風景」にある。

湯けむりの向こうに、鴨緑江がゆったりと流れ、その対岸には北朝鮮の町並みが静かに佇む。高層ビルもネオンもない、時間が止まったような景色。その素朴さと閉ざされた空気が、湯のぬくもりと相まって、奇妙な現実感をともなう。

五龍背温泉の湯が50元で楽しめることに感謝しながら、私は長湯を決め込んだ。湯に浸かりながら、国家と国家のあわいで、平和のかたちを考える。湯は境界を知らない。けれど、景色は語る。そこにあるのは「近さ」と「遠さ」の同居。

この施設が模倣か本家かという議論など、湯に流してしまえばいい。国境の湯に浸かるこの体験こそ、現代のパラドックスを映す鏡なのだ。江戸温泉城は、旅人に思索の時間をくれる。滑稽さと静謐さが共存する、奇妙に美しい場所だった。

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宮崎直哉

2025.04.03

1回目の訪問

メインディシュのないコース料理

サウナは、コース料理に似ています。

最初に体をじんわり温めるサウナは、まさに前菜。
次に訪れるメインディッシュ、それが水風呂。
そして最後に味わうのが、夜空の下でととのう外気浴というデザートです。

伊東ホテルニュー岡部のサウナは、前菜も外気浴も申し分ありません。
L字型の小さな空間にこもる熱、湿度のバランス、心地よい発汗。
露天スペースの椅子に身を預ければ、旅の疲れもほどけていきます。

しかし、どうしても欠けている一品があります。
それが「水風呂」という名のメインディッシュです。

現在はぬるめの冷水シャワーで代用されていますが、
これは言うならば、ハンバーグコースの主菜が「水煮の挽肉」になっているようなもの。
「サウナをきちんと楽しみたい」という思いで訪れた人にとっては、
一番のクライマックスがすっぽり抜けてしまっている印象です。

もちろん、すべての利用者が水風呂を求めているわけではないでしょう。
でも、せっかくここまで完成度の高い“料理”を用意されているのですから、
あとひと品、水風呂という“本格”を添えていただけたら。

その瞬間、大江戸温泉物語のサウナは“本物”として語り継がれると思います。

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