千代の湯
銭湯 - 東京都 世田谷区
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【ミレニアム・ポティトゥ②】〜デッドリー・ドライブ〜
※前回のあらすじ
ほぼ建築の話。今回も建築の話しかないので、興味ない方は次次回へ読み飛ばして下さい。
越屋根の謎も解明されないまま、しっかり身体を洗う。
お風呂セットは、いついかなる時にも入れるよう、肌身離さず持っているのだ。
脱衣場もそうだったが、浴室も広々としている。
おおよそ梁間で柱、柱間で4間半、桁行きで5間はあろうかと言う空間。
先ほど書いたように天井まで6mほどある。
ここまで書けば、建築をやっている人なら分かるはずだ。
今はもう、作れない建物であると言うこと。
厳密に言えば作れるのだが、当時の技術と同じくしては出来ないと言うことだ。
つべこべ言うと1000ページくらいなるので先に進む。
築何年だろう…
僕の知る限り、この建て方は戦前のもの。
古ければ大正時代もありえる。
戦後は材料や人手全てが足りておらず、現しで見える無節の柱は使えないはず。
通し柱は無節の5寸で管柱4寸と言ったところか…測れないが目測はそんなもの。
ただ、脱衣場と浴室の間にある「大黒柱」は10寸角だ。
ペンキで塗り潰してあるので、最初、鉄骨造と見間違えたほどだ。
番台後ろの出入り口の通し柱も5寸。
木造大空間を作り慣れてるヤツしか出来ない作りだ。
大黒柱から伸びる横架材、つまり梁は松の13寸だろう。
これが、戦前建築だと思う1番の理由は
「耐震壁を楣(まぐさ)上で取っている」と言うところだ。
〜つづく
矢継ぎ早のサ活お見事ですな❗️😆 四次元さんのサ活は公共の乗り物では見れない(笑ってしまうから😝)けど、今回のサ活は興味深く読ませてもらってます。✌️ これなら、電車でも読めますね😆
オモロですねー(^^)手に職を持っている視点からのサ室レポ!先人達の知恵は、素晴らしいな
専門知識があるからこその建物の歴史的な魅力まで伝えられるサ活に興味深々✨難しい建造物の歴史書を見ると眠たくなるけど😅四次元さんの様に噛み砕いて説明してくれると分かり易く興味も湧く…銭湯サウナを違った角度から楽しめるの良いですね✨その専門知識にパチパチ👏トントゥ❗️
保釈金の足しに。
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