やすらぎの湯 ニュー椿
銭湯 - 東京都 豊島区
銭湯 - 東京都 豊島区
黙祷はニュー椿の開店待ちをしている時。
故郷の島国が未曾有の大震災に襲われた時、俺は遠い南の島国で、日本の9倍という強烈な日差しの下、呑気にビールを飲んで泥酔し、ビーチで出鱈目な河内音頭を踊っていた。
何という恥さらしだろうか。
大学卒業を目前にした卒業旅行でパラオ共和国に行っていたのだ。
帰ってきた時、日本は大騒ぎだった。
普段は長閑で平和なこの西巣鴨という街も、空気が淀み、どこか殺伐としていた。
それを見た時、ようやく俺はとんでもないことが起きていたのだと思った。
あれから9年経って、この国がどれくらいあの災害から立ち直っているのか、俺には正直わからない。
なぜなら俺はその大きな揺れを感じていないからだ。
帰国後も度々続く小さな余震。
その都度周囲の人々が身体を固くする。今の今まで酒を飲んで談笑していた人たちの顔から笑顔が消える。
それを見るたびに「ああ、俺はもうこの人達と同じ視線でこの世界を見ることはできないのだ」と強く感じた。
だって、俺にとってはちょっと頻繁に起きるけど他愛のない地震、に過ぎないというのが本音だ。
故郷でそんな大変なことが起きていることも知らずに、俺は呑気にビールを飲んで河内音頭を踊っていて、へらへら日焼けして帰ってきて、そして9年経った今もこうしてあの日と変わらない呑気なへらへら顔で、こうやって塩サウナで塩を全身に揉み込んでいる。7分×4
当時はまだそんな言葉はなかったように思うが、サウナーだってきっとたくさん亡くなったに違いない。
俺はもし明日死んでしまうとしてもサウナに入るし、そしてその最期のサウナはここニュー椿の塩サウナがいい。
こんなことを言うのは不謹慎だろうか。
外気浴で風に吹かれながら空を見上げると、流れる雲がゆっくりと千切れたりくっついたりしていた。
何も失わなかった俺なんかがこの件に触れること自体がおごかましいのかもしれない。
それでも俺は、もっとととのいたかったであろう、亡くなったサウナー達の無念を抱えた魂達が、少しでも安らぐことを祈った。
天国にサウナはあるのだろうか。あるといいなぁ。
ニュー椿入り口横に生えている椿の木は、今年もとても綺麗な花を咲かせている。
経験しなかったこと、できなかったことを対岸の火事と感じてしまうのは、人間誰しもあり得ることだよね。だから、「お前に俺の気持ちがわかるのか!」と言われても、正直わからない。でも、思いやる心、いつか経験して免疫ができることで、人間ってのは成長していくんだと思う、今年も綺麗に咲き誇った入口脇の椿のように。
コメントすることができます
すでに会員の方はこちら