2022.01.10 登録
[ 神奈川県 ]
前回初めて行った ととやに又行きたくて、その周辺のサウナと言う事でこちらである。(しかし、ととやは本日大繁盛で入れなかったのであるが・・)
こちらは、サ室の外から見ると狭い感じであったが、入ってみると左側がかなり広々としている。
左側一段目は、キングサイズのベッドぐらいのひろさがある。
二段目はその1/3の面積である。
時計や砂時計等の時間をはかるものは無い。
水風呂も広く冷たさも文句がない。
清潔な良い銭湯である。
ただし、サ室内に漫画を持ち込んで読んでいるご常連多数。
こちらのスタイルと受け止める必要がある。
男
[ 神奈川県 ]
久しぶりに永楽湯である。
今回は永楽湯の名前の由来である永楽町と隣の真金町について書いてみたい。
永楽湯の周りはラブホがチラホラ残っているものの現在は至って普通の住宅地である。
永楽町を語るには、横浜の遊廓の歴史に触れねばならない。
幕末、横浜港開港に伴い(居留地の外国人等も相手にする)遊廓の必要性が高まった為、時の幕府は、現在の横浜スタジアムがある横浜公園に港崎(みよざき)遊廓をオープンさせる。
しかし、ほどなくして所謂 豚屋家事の大火により消失。移転を余儀なくされる。その後も大火により、数度の移転を繰返し、高島町から永楽町、真金町の永真遊廓に移転して昭和の赤線廃止(売春防止法施行)をむかえるに至る。
永楽湯周辺を歩くと碁盤の目のように町割りが整備されているのは、この名残である。
桂歌丸さんは、真金町の遊廓の息子として生まれたのは、よく知られた話しである。
横浜公園(スタジアム)には、遊廓 岩亀楼の灯籠が残っており、高島町の遊廓跡地 付近は今も岩亀横町と呼ばれる一帯があり、そこには遊女が通った 本当に小さな稲荷神社が現存する。
又、永楽湯から至近の真金町鷲神社の柱には、遊廓からの寄進の証が確認できる。
サ活に来られた折には足を延ばされるのも又一興である。
男
男
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