天然温泉 湯どんぶり栄湯
銭湯 - 東京都 台東区
銭湯 - 東京都 台東区
【湯道とは何か?♨️】
先日公開された、映画『湯道』を観てきた。
すべての銭湯好き、お風呂好きに観ていただきたい名作である。
そんな素晴らしい作品を観た後は、「銭湯に行きたい!」という気持ちが私史上トップレベルに高まっており、そうとなれば行くしかない。
選んだのは、素敵な銭湯がひしめく台東区、湯どんぶり栄湯さん。
「湯道」とは、一体何なのだろうか。
「お風呂に入る」あるいは「お湯そのもの」に、「道」を見出すのは、なかなか難しい。
「茶道」「華道」「武道」のように、何かを極める過程をひたすら積み重ねるというのは、リラックス〜なお風呂のイメージとは少々結びつきづらい。
ふと考えると、お風呂との関わり方には、大きく2つある。
サービス提供者と、サービス利用者だ。
私は、生粋のサービス利用者。
お風呂を楽しむ。ただ、それだけ。
お風呂は、体と心を温めてくれて、きれいにしてくれて、また明日からもがんばるぞ〜という気持ちにさせてくれる、そんな存在。
身につけているものを取っ払って裸になって、デジタルなものからも離れて、肉体的にも精神的にも、ありのままの自分を見つめられる場所。
では、サービス提供者の目線では、どうだろうか。
お風呂は、人に価値を提供するための商売道具であると同時に、思想を具現化したものでもあるのではないか。
「こういう風に人を幸せにしたい」「こういうことを大切にしたい」という願いの表れなのではないか。
そう考えると、サービス利用者・サービス提供者に共通するのは、少々ドライな表現になるが、「お風呂とは、幸せになるための手段である」ではないだろうか。
サービス利用者は、自分が幸せになるために、お風呂を利用する。
サービス提供者は、人に幸せになってもらうことで自分が幸せを感じられるように、お風呂を提供する。
もしそうであれば、そこには「どのようにお風呂を用いるか」「どのようにお風呂と関わるか」という方法(way)が存在するように思える。
「どうすれば、より気持ちよくお風呂に入れるか?」
「どうすれば、より気持ちよくお風呂に入ってもらえるか?」
その答えを模索し、実行、観察、試行錯誤を積み重ねていく過程そのものが、「道」となる。
それこそが「湯道」なのではないか。
いや、考えすぎだ。
そもそも「湯道」なんてものは、ないのかもしれない。
人が勝手に生み出した、妄想であり、虚構なのかもしれない。
それでも、いいのだ。
私の中にある「お風呂って、最高!」という気持ちは、誰にも否定することのできない真実なのだから。
歩いた距離 4km
男
湯道を見るとすぐに銭湯に行きたくなりますよね😊サ道や湯道など色々ありますが、相手を思いやるマナーを持って、あとは各々が楽しむだけかなあ、と。やはり、お風呂は最高ですね!
NORIさん、風呂トントゥありがとうございます!自分だけでなくみんなで楽しめるように、相手を思いやるマナー、とっても大切ですよね☺️
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