和合の湯
温浴施設 - 静岡県 浜松市
温浴施設 - 静岡県 浜松市
サウナと私と、あのテレビ
サウナ室の扉を開けた瞬間、むわりと熱が頬にまとわりつく。
そして、耳に飛び込んでくるのはテレビの音。
バラエティ番組の笑い声、天気予報のBGM、どこかの街の事件を報じるアナウンサーの声。湿度を帯びた熱気の中、その音は意外にもはっきりと響いている。
私はサウナ室の上段、いつもの位置に腰を下ろす。
木のベンチに肌が触れる感覚が心地よい。ちょっと前まではこのテレビの存在がどうにも好きになれなかった。静寂に包まれたサウナこそ理想だと思っていたからだ。
音のない空間で、自分の呼吸と向き合う——それがサウナだと、そう信じていた。
だが、何度も通ううちに、その思いも少しずつ和らいできた。
たしかにテレビの音は雑音ではある。
けれど、今の私にとってそれは、日常の延長線上にある、ある種の「ぬくもり」でもある。誰かの笑い声や、知らない町の天気予報。そのすべてが、無言のサウナ室に一滴の生活感を注いでくれる。
サウナの熱は徐々に体の奥へと入り込み、額から汗が落ちる。
その瞬間、テレビの音も、他人の気配も、すべてが背景のように溶けていく。私は黙って、目を閉じる。
熱に身を委ねる。ただそれだけの行為が、少しずつ心を解いていく。
頃合いを見て立ち上がり、水風呂へ向かう。
冷たさが肌を突き刺すように浸透し、一気に意識が研ぎ澄まされる。体から熱が抜けていくと同時に、余計な考えも流れ落ちるようだ。冷水の中で深く呼吸をすると、静かさが戻ってくる。
そして、外気浴。
露天の休憩椅子に身を預け、空を見上げる。風が肌を撫でる。
けれど、鳥の声はしない。風鈴もない。テレビの音声は消されていて字幕表示。
ここにはただ、無音の風景が広がっている。音がないわけではない。けれど、耳に入ってくるのは露天の岩風呂から滝の如く循環するお湯の音や、誰かが歩く時に地面を擦る音、そして自分の呼吸音だけだ。
それが今の私にはちょうどいい。
自然の音ではなく、人間の営みの中で「無音に近い何か」を感じることができる場所。それが、このサウナ、和合の湯での外気浴だ。
サウナ室のテレビ。
最初は邪魔者だった存在が、今ではどこか頼もしく思える。熱と冷たさと、ほんの少しの人間の気配。それが揃って、ようやく私は「整う」ことができるのだ。
今日もまた、私はあのテレビのあるサウナに向かう。
静けさとは、音の有無ではなく、自分の内側のざわめきを鎮める力のこと。
そう思えるようになったのは、きっと、ここで何度も汗を流してきたからだ。
また来よう。ここに。
そう思いながら、また来た道を帰る。
以上
男
あのテレビが微笑んでるような気が! タイトルの「、あのテレビ」とシンクロして引き込まれました。テレビが微笑んでる絵が映りました☺️
トントゥに嬉しいコメントありがとうございます! 友達のような存在のあのテレビ、変わらないいつものサウナ室のあのテレビ。そんな景色です。
コメントすることができます
すでに会員の方はこちら