【閉店】湯あそびひろば 6・3の湯
温浴施設 - 愛知県 西尾市
温浴施設 - 愛知県 西尾市
あまりに暑くて、クンクン(犬)の川遊びまで今日は見合わせ。エアコンの効きが悪いぜ。ただ、サウナだけは欠かさず行くよ、6・3へ20時入湯。財布に銀貨が3枚見えたんで、安心して全裸になったら全部50円玉だった。ギャフン。もう一回着直して受付両替、銭湯あるある。
水通し今夜は忘れんかった。サ室、8月に入ってからアツアツ続きでたまらんコンディション。2セット目にアウフグース、最上段でギリギリの攻防。お陰でクレープ生地みたいな祝福のあまみが出ました。今宵も良いサウニングだった、5セット連取!お祝いの塩ライチ。
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【読書まとめ・風呂とエクスタシー17】
世界風呂史の総論が終わり、風呂の伝搬についての各論が続く。その中から、日本におけるサウナとトルコ風呂について抜粋。まずサウナは、1956にメルボルン・オリンピックがあったとき、射撃選手として参加した許斐氏利氏が、その5年前から銀座で経営していた「東京温泉」という施設にサウナを導入したのが始まりである。
「トルコ風呂」という用語の伝搬については混迷を極める。元はロシアのバニアを原型とした、ヨーロッパ発の箱形のスチーム・バス(この時点で勘違い!)がアメリカに入り、さらに1800年代後半に個人用の、箱の中に入って頭だけを出す経済的な蒸し風呂が商業化された際、オリエンタルでエキゾチックなイメージを印象付けようとアピールするため「トルコ風呂」と名付けられた。
このアメリカ式のスチーム・バス「トルコ風呂」が日本に入った際(既によく似たものは箱根の温泉にあった)、客にサービスする女性がつき、「ミス・トルコ(後にトルコ嬢)」と呼ばれた。初期はずらっと箱形の「トルコ風呂」が並ぶ浴場だったが、後に個室のトルコ風呂が出現し、客とトルコ嬢の一対一の関係が生まれ、風俗産業の花形となる。本来の風呂の意味から乖離した上、バンコクなど東南アジアまで日本から輸出された。風俗店の奇妙なネーミング、ついに「大使館トルコ」という名の店まで現れ、間違い電話が本物の大使館に掛かるに至り、トルコ風呂の協会に名前の変更を要請した結果、「ソープランド」とその名を変えて今に至る。
風呂が風俗産業に変わったケースは、江戸時代の「湯女風呂(ゆなぶろ)」もそうで、湯女風呂が栄えて吉原が衰退したのち、1657年幕府は湯女風呂を取り潰し、湯女を大量検挙して吉原送りにした。大阪では幕末まで続いたとのこと。
さすがの文才に
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