しゅんしゅん

2023.04.18

3回目の訪問

【瞬春紀行2023】
こんにちは。陳瞬春です。
十数年振りにこちらに越してきまして、軍人湯に何度か行ってきたのですが、何故「軍人なの?」という質問がありましたので、説明していきたいと思います。

私が引っ越してきた伏見区の深草エリア(伏見稲荷、深草、藤森、墨染エリア)は、明治以降は軍都として栄えた地域です。

特に越してきた人が驚くのが『師団街道』と『軍道』が現在でも名前として残っていることだと思います。

日露戦争の際、当時のすべての師団を総動員したために、本土にある駐留師団がなくなってしまいました。そのため新たに4個師団が創設されたという経緯があり、その一つが京都の「第16師団」でした。その「第16師団」の兵舎のある深草と京都駅、師団司令部を結ぶ軍用道路として敷設された南北の街道が『師団街道』となります。

『軍道』は、直違橋通り沿いにも陸軍の施設ができたことから『師団街道』と直違橋通りを結ぶために敷設された道路です。その区間に琵琶湖疏水と京阪電車が通っており橋によって超える道路のことを指し、北から、『第一軍道』、『第二軍道』、『第三軍道』の3つの道路が走っています。『第一軍道』は京都兵器支廠と京都練兵場の間を通る道路で直違橋通と師団街道とをつないでいます。『第二軍道』は京都練兵場の正門に面する道路でした。師団司令部庁舎(学校法人聖母女学院本館として現存)につながる道として重要視されたようです。『第三軍道』は野砲兵隊の正門に面する道路でした。京都衛戍病院(現在は国立病院機構京都医療センター)につながる道になっています。

深草エリアが陸軍に関係が深いとことがお分かりになったかと思いますので、「軍人湯」の由来は何となく想像できるかと思います。陸軍の方がほっとする場所だったのかと思います。

では現在でも陸上自衛隊の御用達施設かといえば全くそんなこともなく、地域の触れ合い銭湯といった趣があります。レトロで、なんとなくゆっくりできる、不思議な雰囲気があります。

軍人の方は流石にサウナには入ってはいないとは思いますが、もし、今から100年前に軍人湯にサウナがあったらどう思っていたかなあと思うとちょっと面白いなあと思ったのでした。

サウナ室は相変わらずパンチが効いていて、熱いと思います。6〜7分位のスパンでサウナ室を出て、柔らかいお湯で汗を流して、伏見の名水(軟水)の水風呂にゆっくり浸かり、さらには上から降り注いでくる伏水を感じたあと、鏡で自分の顔を見てみると、何となく精悍な顔つきになったような気がします(あくまで気がするだけです。思い込みなだけです)。ありがとうございました。

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