立川湯屋敷 梅の湯
銭湯 - 東京都 立川市
銭湯 - 東京都 立川市
早めの夕飯を作りながら、サウナに行きたいと考えた。
サウナ選びは難しい。ここにしようかと思えば朝風呂の方が安い。朝行こうとなる。そこにしようかと思えば意外と遠く時間がない。休みの日行こうとなる。あそこにしようかと思えばアウフグースがやっており人が多い。他の日にしようとなる。兎角サウナ選びは難しい。
選択が難渋してくると、近場で済ませてしまいたくなる……と、『草枕』のように思案しつつ、やっぱ「松の湯」かな、とも思ったが今日は湿度のあるサウナがいいなぁ、と考えたため梅の湯に決定。
到着し、体を洗い、歯を磨く。スッキリとしたところでサ室に入室。
そこそこ人も多く、浴場には所謂ドラクエと呼称されているアレも見受けられ、おしゃべりも少々騒やかに響いていたが、一方サ室の方はといえば静かで、見事無言の世界が出来上がっていた。私がここを愛する理由の一つである。TVの音が大きい気もするが、肌を焼くような苦痛を一切感じさせぬ湿度が私に優しみを与え、それを柔和な気持ちで受け入れる事が出来る。
今日は形にならぬ考えというもの幾ばくかが頭脳の蔓延っていた。悩み事にも似て違う、無意識から前意識に移行しつつあるようなそれ……まあ、そういう日もあるものだ。
唐突な話だが、禅の修行に「公案」というものがある。これは修行者に対し、師が「世界はいつ出来たか」などの、一見回答などないにも思えるような問題を出し、修行者はその問いと一体化するように向き合い、直感的に答えなければならぬというもの。それを思い起こした私は、折角思考がブンブンと回転速度を早めているのであるからと(そこからして「公案」を間違っているのであるが)やってみることに。
「俺は何になりたいか」
「何かになりたい」
「俺はどうするべきか」
「どうかすればいい」
「俺は何をするべきか」
「何かすればいい」
……うーむ、これじゃただの安易な禅問答じゃないか。そもそも理不尽な問いすら思い浮かばない。というか与えられなければ意味がないのでは?
と、この不毛な自問自答を繰り返している内に、程よく蒸されてきたので水風呂へ。
バイブラ付きの20°の水風呂は、長居できつつも程よく羽衣を外してくれる。一つの開放感を胸に抱きつつ、外気浴に向かいながら、一つ思った。
私の悩みや思考なんぞ、禅のそれに比べたら大したことはない。そもそも理不尽な問いですらないものに、うじうじと思考回していたのだな、と。
椅子に身を任せた、その時に一つの境地を感じた。
まあいっかの言葉も浮かばぬまま、薄い思考が回転を止めていき、ととのいの境地をなぞる。
一つ、禅の思想に触れた気がした。
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