2021.01.16 登録
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サウナっていいよね。なんというかさ、最近改めて思うんだな。
「ととのう」とか「サ活」って流行して、ブームになって、サウナ好きって人も増えた気がするし、でかい風呂でリフレッシュ! って気で来ただけの人でもサウナ入るって方多くなったんじゃないかな。
つまり何が言いたいかって言うと、竜泉寺みたいな大きな施設だと、サ室に人もたくさんで、時にはおしゃべりもささやきも聴こえてきて、それが不快かってお話をしようと思うんだ。
つまりさ、なんだかね、僕は最近それも気にならなくなってきたんだな。そりゃ、黙するが語る、静謐に努めるはサウナーとして必至ではあるし、それにこしたこたない。でも諦念って言うのかな、これもまた真理で、サウナに耽美していると、そんな事気にならなくなってくるというか、むしろサ室でなされる「ロウリュがあって……」みたいな会話にほっこりしちゃうんだよ。僕は今日、何故かそう思ってしまったんだ。
サウナブームは悪いことばかりじゃないよ。ととのい椅子に水をかけてからととのう人増えたし、水風呂の前に汗流す人も増えた気がする。
なんて、ビールなんて飲みながら、陶酔の余韻に酩酊を重ねながら思ったのさ。
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10日も経っただろうか、久しぶりのサウナ。
最近忙しかったというのもあるけれど、これを機に一旦サウナから離れ、客観的にサウナを考えるのもアリかな、なんで思ったのがきっかけだった。
でもそれ以上に多忙だった気もするし、そうでなかった気もする。詰まる所、ととのいたいという衝動と、それに冷めた目線を送る冷徹な自己との不毛なやりとりが主だったものであり、実際何か得られたかと言われればそうでもない。
だけどサウナに対する信条を考えることはできた。激混みは嫌だけど、そこにいる自分も激混みの人数としてカウントされる以上要因の一つなのだから、そこまでカッカするのも駄目かなとか、色々考えてはいたみたいだ。
だけどいい加減サウナが恋しくてだね、行くことにしたんだよ。
ところでここは僕のホームの一つな訳だけれど、かれこれ一月近く来ていなかった。でもホームなのさ。そりゃ、北欧に行こうとも思ったよ。でもね、日曜は早朝でも混んでいるでしょう。でも区役所前は適度な人数で、いつでも僕を迎えてくれる。いつでもだからホームって訳なんだね。
ここのストーンは分かりやすいものではない。はっきりと音を鳴らす訳でもないし、実際湿度が上がっているのかも分かりづらいだろう。でもそいつに奥側に、「かける」のではなく「たらす」のだ。すると、まるで僕らが温泉や水風呂に入った時、思わず溢れるあの至高に満ちた吐息のそれと相違ない程の、優しくほがらかな音が舞い上がる。そうして席に戻れば、彼らが透明な水玉となってくっつき虫のようにやってきている。後はもう発汗しまくりなんだな。
つまりそういったさりげない関係がホームなんだってことが、ただ言いたかっただけなんだ。
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怒りの苦さまた青さ
四月の気層の光の底を
唾し歯軋り行き来する
俺は一人の修羅なのだ
宮沢賢治の『春と修羅』の一節、これがいつまでも脳裏をよぎって止まらない。今日の俺は修羅である。周りの人々への怒り、どうしてもおさまらぬ、どうにもならぬ感情が畏怖にも似た、吐きどころのない鬱屈へと変わっていく。そんなものを俺は溜め込んでいた。怒りの苦さまた青さ。
こうなるとね、サウナに行くしかない。サウナは一人になれる空間。その意味がだんだんと分かってくる。
平日早朝。こうなるとマルシンスパ以外ありえない。普段は常に混んでいると聞くが、朝は本当に人がいない。まして日の出の空は美しい。都市の合間から富士が見え、ポルヴォの精霊たちに翻弄されつつ邂逅しながら、それに耽美してしまう。四月の気層の光の底にて。
下界には人の築いた絢爛たる建物たち。そこには年季を帯びたものも多く、俺は(およそその時期に建てられたものでもなかろうが)高度経済成長の狂乱と乱痴気ぶりを思ってしまい、とち狂った人々に悲しげな唾棄を覚え、唾きし歯軋り行き来する。
だがそれですら酔狂に過ぎない。そうして自分だけマトモであると安堵することこそ、最も愚かな愚者であるということ、それこそ一つの真理(ダルマ)であるのだ。そこに激怒すべき相手はおらず、また俺もおらず、かくして俺は修羅となる。それがととのいの境地なのだ。
今日の気分はそんな感じ。発見があるとすれば、あそこのlkiストーブ、中央と真前の左側の小さい石の所が良く鳴ってくれるんだね。
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看板の前にて、怪訝さを薄ら笑いで誤魔化しているようなシュールな顔をして僕は立っていた。
ブルーバックばりの青色を基調に、黄色の矢印。そこに強調されたフォントにて「風呂は風呂やで」の文字。そして「風呂」の字は赤色……なぜ赤と青と黄にしたのさ? なんか、王道的色彩が渋滞起こしちゃってない?
右下におじいちゃんが、さもコラ画像の様に佇んでいる点もポイントが高い。
鉢巻をしているが、正面から簡素的な片結びをしているように見受けられ、ねじり鉢巻のように凝ったものではないことから、日頃常時よりタオル鉢巻をしているのであろうことがわかる。「風呂は風呂やで」のその言葉に嘘はなさそうだ。
ところでこれは意味どっちなんだ? 一家に一室お風呂場のこの時代、憩いを求めておいでなさいなってな事? 風呂は風呂であり、そこに効能やら美容やら快楽やらの欲望に流され、忍従を強いるとはナンセンスだという一つの真理であるということなのか?
肝心のお湯屋は目と鼻の先、とにかく行ってみる。
こちら千代乃湯は清掃の行き届いた、広めの古き良き系の銭湯。開店から、おそらく日が落ちるまでの時間では地元のおじいちゃん方が背中を流しあい、したたかに和気藹々と交流されている場でもあるだろう。
その温かな風景はサ室においてもそう、常連の方々はTV中継されている相撲を見ながら相撲について語らっている。普段はおしゃべりなんて言語道断な主義であるけれど、なんだか、そんな風景がまた温かい。
そう思えるのは、コンフォートサウナの魔法とも見紛う、どこからやってくるのか説明し難いあの湿度が、いつまでも僕を、優しく長居させてくれるからだろう。入室からものの数分で、さらりとした汗が流れた。TV有だがシンプルかつ、良質なサ室である。
水風呂は19°のバイブラ有……なのだが段差はあれど、ある程度深さを確保しているからか気持ちこれよりもちょっぴり冷たい。動いている水、活きている水、ゆるやかな心地になる。
そしてお待ちかね外気浴。ここに来たのは看板もあるけれど、やはり庭園のある銭湯なんて聞いたことがなかったから、それを肴にととのいたいと思ったのが決め手だった。
露天風呂を横切り、全裸で橋を渡る……そんな体験したことある? 腕を背に休めながら、全裸で小さな自然を眺める……嗚呼、スピチュアル。
庭はまだ冬の跡をその景色に残している。池に沈んだ枯れた色々の落ち葉、暗い色の蔓がぐったりと二、三本巻かれた四つ目の庇は裸のまま。それでも彼らは春を待ちわびており、その高揚感は、枝先についた緑の葉や、ひと足お先にと茂った木々たちから密やかながらも感じ取れた。そろそろ、温かな春がやってくるのだろう。
男
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雨、降りしきる。
こうもなると、どうにも余暇ができてしまう。そして余暇ができるとサウナに行きたくなってくる。もちろんこれは必然である。
しかし何処に行こう? そりゃあ、雨を浴びながら艶やかにととのう、なんてのも乙だけど、やはりどうしても晴天の空が惜しくも、恋しくもなってきてしまうだろう。
「あ、そうだ、ニューウイング行こう。」
ふと思う。あそこなら露天ないから、もう一声の責任転嫁を雨に押し付けずに済むし、何よりこんな日にテルマーレで聞く「そなちね」、最高だ。
てな訳でやってきまして、ゆったりコースの2時間。一見短くも感じるけれど、ここニューウイングの2時間はただの2時間ではない。ここからして違うのだ。
丁重に管理された汎用性の高いボナサーム、小室ましてや天井が近いが故にセルフロウリュで一気に昇天できるテルマーレ。18°と入りやすいスタンダードな水風呂、冷えた16°の上、泳げてしまうという贅沢な水風呂。
この選択肢の広さが日々の体調、身体のコンディションの変化に見事対応できており、私達をスピーディーにととのいの境地まで運んでくれる。
それにしてもどちらのサウナにしろ、ここの潜熱(蒸気が皮膚に逃げ込み水滴となり、その際に熱を発する)はどうも他のサウナより熱量が高い気がする。
プロの緻密な計算によるものなのだろうか。もちろんそれは悪い事ではなく、むしろ凝縮された、質の良い水滴なのだ。それは短い時間で、あまみたっぷりの肌に出会わせてくれる重要なものでもある。
と、上記理由から、じっくりいっても文句なし、大満足の3セット。ガッツリいけば、迅速にととのえるが故、ペース配分をうまくやれば6セットとかもいけてしまう。ニューウイング、それはあまりにも濃厚なひとときの別称ではあるまいか……。
テルマーレの選曲もまた、いい。「万平サウナ音頭」にはクスりときてしまったし、「sweet memories」も薄暗いサ室で聞いていると、なんだか胸がムズムズとする。
しかし何よりもまさかtheピーズの「実験4号」が流れてくるなんて思わなかった。私が悪いお酒の飲み方に堕落していた時期、ピーズをよく聞いたものだった。
ハンパな笑顔でこっちだけ見ていた
賑やかなラストにわざとひとり
ハルが歌っている。今ではサウナに没頭し、サウナ前の飲酒はできない事もあって、呑み方も改めることが出来た。
君と最悪の人生を消したい。なんて思わないが、せめてサウナと水風呂による再生、憩いによって、それなりの人生をすすめたい……なーんて思っちゃったねー。柄にもなくさ。昔話は嫌いだけれど、昔の事を忘れやしない。
そんな最小の人生をいきたい。
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早めの夕飯を作りながら、サウナに行きたいと考えた。
サウナ選びは難しい。ここにしようかと思えば朝風呂の方が安い。朝行こうとなる。そこにしようかと思えば意外と遠く時間がない。休みの日行こうとなる。あそこにしようかと思えばアウフグースがやっており人が多い。他の日にしようとなる。兎角サウナ選びは難しい。
選択が難渋してくると、近場で済ませてしまいたくなる……と、『草枕』のように思案しつつ、やっぱ「松の湯」かな、とも思ったが今日は湿度のあるサウナがいいなぁ、と考えたため梅の湯に決定。
到着し、体を洗い、歯を磨く。スッキリとしたところでサ室に入室。
そこそこ人も多く、浴場には所謂ドラクエと呼称されているアレも見受けられ、おしゃべりも少々騒やかに響いていたが、一方サ室の方はといえば静かで、見事無言の世界が出来上がっていた。私がここを愛する理由の一つである。TVの音が大きい気もするが、肌を焼くような苦痛を一切感じさせぬ湿度が私に優しみを与え、それを柔和な気持ちで受け入れる事が出来る。
今日は形にならぬ考えというもの幾ばくかが頭脳の蔓延っていた。悩み事にも似て違う、無意識から前意識に移行しつつあるようなそれ……まあ、そういう日もあるものだ。
唐突な話だが、禅の修行に「公案」というものがある。これは修行者に対し、師が「世界はいつ出来たか」などの、一見回答などないにも思えるような問題を出し、修行者はその問いと一体化するように向き合い、直感的に答えなければならぬというもの。それを思い起こした私は、折角思考がブンブンと回転速度を早めているのであるからと(そこからして「公案」を間違っているのであるが)やってみることに。
「俺は何になりたいか」
「何かになりたい」
「俺はどうするべきか」
「どうかすればいい」
「俺は何をするべきか」
「何かすればいい」
……うーむ、これじゃただの安易な禅問答じゃないか。そもそも理不尽な問いすら思い浮かばない。というか与えられなければ意味がないのでは?
と、この不毛な自問自答を繰り返している内に、程よく蒸されてきたので水風呂へ。
バイブラ付きの20°の水風呂は、長居できつつも程よく羽衣を外してくれる。一つの開放感を胸に抱きつつ、外気浴に向かいながら、一つ思った。
私の悩みや思考なんぞ、禅のそれに比べたら大したことはない。そもそも理不尽な問いですらないものに、うじうじと思考回していたのだな、と。
椅子に身を任せた、その時に一つの境地を感じた。
まあいっかの言葉も浮かばぬまま、薄い思考が回転を止めていき、ととのいの境地をなぞる。
一つ、禅の思想に触れた気がした。
[ 愛知県 ]
いや本当久しぶりに快眠できてしまった……。サ活を残す前に寝落ちしてしまうなんて。
サウナは快楽もそうだけど、やっぱ大切なのはこういった身体へのリラックス、なかなか理解しよーとしなくなってしまった身体を、今一度想起する事なんだなって。
そいつを知る方法だって? 簡単さ。サウナラボに行けばいい。ここでゆったりしていれば、いつの間にか元気になってる。そんな施設なんだな。
ここはね、別段サウナーでなくていいんだ。おしゃれな施設。恋人同士ならデートにもいいだろうね。
それでさ、もし君の周りで疲れた人がいたら、一緒にここへお行きなさいな。男女一緒に入れるサウナもあるから、誰でもOK。
サウナではおしゃべりを控えめに、汗の管理をしっかり。無理をしない。
そのくらい守っていれば、後は何でもいい。ゆるーくかるーい気持ちで行けばいいのよ。誇張でもなく、これがサウナラボを堪能するための唯一のコツなんだ。
無印良品(僕はダサいので、これ以上の例が見つからない)みたいにおしゃれだし、北欧系、ネイチャー系の本もいっぱいだからずっといれちゃう。本なんて難しいそう? 大丈夫、ゆるーくパラパラめくるだけでもいいんだぜ? ほけーとしてないだろ? 最近。
ほら、リラックス、リラックス。
サウナに戻る。一応言及しておくと、サ室は「ドシー恵比寿」に似ていて、構造もそうだが、それ以上に静か。ロウリュもできる。
ほら、ちょっと離れて楽しそうで、控えめな声が聞こえるだろ? それにイライラしない自分がいたならサウナラボを楽しめてる証拠だよ(かといって大声は流石に鬱屈としちゃうけど)。
お隣にはアイスサウナ。
水風呂入る人ってヤバいよな。「あんなのきもちいーわけないじゃん。」
そう思っている君でも、このアイスサウナであれば思わず駆け込んじゃう、駆け込めちゃうだろうな。夏場の冷蔵倉庫とかのバイトって、外からinしたときは気持ちいいよね。要はあの気持ちのまま入っていけるんだ。
サウナトントゥの精霊から火照りを授かった君は、授かり物を人肌に合うようにする為に駆け込む。もちろん、冷やさなくてもいいやーって思うたらば、入らなくてもいい。(ロウリュの水滴とかもあるけど)十分汗はかいているからね。
男性サウナは一人になれる空間。温度は低いから、サウナストーンに意識を持っていってあげなさい。熱気浴をしてたデラワーレ族にとって、石はシャマンなんだってさ。色んな思考を授けてくれるよ、きっと。
サウナかくあるべし、という凝り固まりすぎた人にもオススメ。そんな人には優しいフィンランドのおじさんになる為のレッスンとなる。
さあ皆、ここへおいでなさい。
[ 愛知県 ]
来たぜ、ウェルビー。
ウィル・ビー・ウェルビー。愛知に行く事が出来ると決まってからと言うもの、ずっとウェルビーである、ウェルビーには行くだろうと、そう思っていたのだ。
ウェルビー。もちろんそれは語呂がいいだけではない。風呂もいい。特に水風呂がいい。ここはちょっとやそっとした水風呂ではないと言う事を俺はまだ知らなかった。
知らない、と言えばだけど、ニュービーサウナーの俺はヴィヒタ有りのサウナをまだ体験したことがなく、そんなにいいのか? なぞと訝しんでおったのだが、そんな疑問など、あのロウリュによる湯気蒸気に包み込まれ、かき消されていくかのように納得をする事が出来た。即ち、森のサウナである。
ヴィヒタの香りは優しく俺を包み込んでくれ、今まで体験したことのないサウナを知る事が出来た。
森のサウナ、いい。
まずこれだけは言わせてもらおう。朦朧とした意識において、認識可能な世界が一段上へとメタり、ガンギマった頭脳では確かな言語など存在せず、こう言いきってしまうしかないのだ。あの密やかなる暗がり、彼らの沈黙、大袈裟すぎぬロウリュの小音、その全てが愛おしい。
浴場からおしゃべりが聞こえ、そいつを隣して己が裡に落ちてゆく森の精霊(フェアリーもといサウナー)たち。まるでビルから見下ろした人々を、蟻の如く感じるように、都市にいながら空という別世界へ逃げ込んでいるあの感じ……都市の喧騒を感じながらも、森にいるのは、俺。
H・D・ソローは森の中で鉄道列車の音を聞きながら、おそらくこれと同じ事を思っていたのだろう(『森の生活 ウォールデン』「音」)。
熱熱と熱されたならば、アイスサウナが待っている。ここはもはや、まさしく別世界と呼んでも過言ではない程の凍えぶり。快感に震え、思わず隙間風にも似た声が溢れる。それは悲鳴にも近いような高揚の呼吸であり、この人口楽園にて我が肉体は脱ぎ捨てられる。そして俺は亡霊のようになりながらも凍え、退室を余儀なくされるのだ。
水風呂、なのだろうか。深く、広々とした水風呂にはチェアが沈んでおり、所謂「冷冷交代浴」を楽しむ事も出来る。亡霊は体温の活力を取り戻そうと必死になり、かの肉体を思い出しつつあった。
亡霊は木霊に抱かれながら昇天とし、また最新の自己へと還ってゆく。木製のチェアに身をもたげた時、凡ゆる煩わしさが消え、恍惚の境地より、緩やかなる我が身体への帰還を体験することができる。するともう、そいつは昨日の俺ではなかった。再生、その瞬間である。
これらのそれは暗がりでの出来事。私は今、それを知ったのであった。
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やっとサウナに行けた……。
色々あったけど、やはり月に一回は北欧に行きたいと思うもので、新規開拓もしたいと思いつつも、やっぱりここに来てしまうのです。
今日は6時頃のコンディションが最高に良かった。サ室には僕を含めて2、3人程しかおらず、尚且つ所作も紳士的。セルフロウリュができない故(サ室に桶がなかった、朝は出来ないのかしら)カラカラ気味ではあったが、すんなりと我が裡へと入り込みつつ、どばりと汗をかくことができた。
しかし本日、6時頃が良かったのはそれだけではない。外気が大変に良好で、尚且つ無風。つまりは向かい風にブルブルと冷え込むことなく、ととのいの境地へと至ることができる最高の天気。そんな気候に来たるべき4月を感じつつも、あの空に思いを馳せる。
今日の空には雲が広がっていた。絹のような薄めいた雲の色は白で、そいつは間違いない。それは薄い色をしているかもしれないが、やはり白色。
ふとすると、くしゃくしゃに広がった真白なその色は空と混ざりあい、それは藍色となる。眼球が眼球であることをやめ、まなざしとして、その色を見つけることができる。
そんな空の下、どこからかやはり彼らはやってくる。そう、あの白いふよふよだ。ただの埃が妖精に見えるアレ。僕はこれを「ポルヴォの精霊」と呼んでいる。
polvo(ポルヴォ)とはスペイン語で「埃」という意味で、男性名詞、女性名詞があるスペイン語では男にあたる。しかし同様に男性名詞、女性名詞があるポルトガル語ではpoeira(ポエイラ)となり、そちらでは女。ましてやイタリア語ではpolvere(ポルベラ)といい、これに関しては男かもしれないし、女かもしれないというのだ!
つまり白いふよふよの誰かは男かもしれないし、女かもしれないし、両性具有かもしれないし、無いのかもしれない。皆それぞれが見事しなやかに性を移ろっているのかもしれない。その様はまるで精霊のそれであり、言語的には「埃」の名称に過ぎないかもしれないが、サウナに入ると陶酔の力を借りながらも、その移ろいが見えてくるようになるのではないか。特に北欧のような、空を眺めやすい所では尚更そう思う。
詩的すぎたかもしれない。しかし僕としてはここにpoesy(詩的なもの)という、言葉遊び的な属性も加えてみたいのだ。トランスした頭は詩作はできなくとも、間違いなく風景からポエジーを拾っているから。
7時になってくると人も増え、(全然許せる範囲である)おしゃべり声も耳に入るようになってきたが、それを横目にして、やはり僕はあのポルヴォの精霊たちと戯れ、ととのいの境地において、今日も世界をとめているのでありました。
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これからの成長が楽しみなサウナ。オープンしたばかりだから、周囲の環境配備についてはまだ何とも言えないけれど、サウナ自体は中々のものだ。
到着していきなり驚き。ここはなかなか見ない受付スタイルで、なんと外にフロントがあるのだ! これは新鮮で面白い! 一階の下駄箱に自前の靴をしまいこんだならば、一旦外へ。そこから左手にフロントがあるので、受付、というスタイル。うっかり色んな階をウロウロしちゃったぜ……。
ここの魅力となりうるは、何と言ってもやはり超本格的ジムの存在だろう。あのJNファミリー推奨の筋トレ後のサウナができるのはでかい。
まだまだ成長段階にあり、評価が定めがたい中でもこれは高評価できる! 何しろ本当に本格的で、マジでジム施設であるメガロスとかに匹敵するレベル。
ただし、ウェアと内履の靴は持参しないと施設は利用できないので注意。
サ室は石ストーブのカラカラ系サウナ。上側に空気の流れを促す板が垂らされている。水平なので、ほんの僅かに角度をつけてやれば、より良い流れになりそう(天井側では頭が熱くなってしまいがちで、最上段でやや体に当たる流れが良いか。また、席が一方向にしかないのも一つの理由)。
ストーンはやや大きめの丸石オンリー。ロウリュができない事を考えると、もっとでかい石でもいいと思うけど、ひとまずは保温性が高い、大きめの石であるのは良いチョイス。
汗がマットに染みた後、熱流に触れたそれの温度が上がり、再びそこに座れば(水は熱の伝達が早いから)すっごく暑くなる。サウナマットが欲しい所。
水風呂は18、17.5°の設定。かなり狭いので、将来的に渋滞が心配。減った分が自動で補充されるのは良い。
そして現状ととのい椅子がないので今から行く人はこの点が特に要注意!
お風呂の隣に少なくとも2、3席は配置できそうなので、すぐ設置されるとは思うけど……。
現状はこんなところでしょうか。個人的には多湿系が好きで、ドライは余り入らなかったから一つ発見があった。
多湿系は緩やかにととのえるけど、ドライ系は(ヒリヒリきついからか)ガツンって感じにととのえるんだね。これは発見だった。あとそれとは別で、サウナって皆で創りあげていくものなんだなって。もっともっと良いサウナになってくれ! 期待してるぜ!
男
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お……追われている。確かに評判の良いサウナには入りたい。網羅したい。でも熱狂に任せ、無理矢理にでも時間を作って行っていたら、逆に疲れてしまう。そうでなくとも、あれやこれやとやりたい事、やる事も多くなってきて、あれもこれもと脳内が混雑し、混乱を極めてきた。
『サ道』で「サウナを信じるな!」って言っていたけれど、人間とサウナは信じないくらいが丁度いいんだな、って。
しからば今日は近場の松の湯にて、身と頭脳を癒すことにした。体も動かしたから、シンプルな遠赤外線ヒーターにあたりたかったってのもあるけど。
体を洗い、歯を磨き、水風呂で体のスイッチを切り替える。それが終わればいざサ室へ。うむ、悪くない。
今日は他のサウナと比べるのはナシにしよう。素直な気持ちで、この遠赤外線にほぐされていく。
しかし、なべて銭湯とはそういうものかもしれないが、お客がそれぞれのスタイルを我が物顔にてふるってしまいがちだ。一番驚いたのは、サ室への漫画の持ち込み。マジか、作法がない。
だがあえて注意はしない。ここは銭湯、お湯屋寄りのテリトリーであると判断できるし、私も私で、人がいないベンチに横たわったり、多少の我儘を通せば対等にも思えるからだ。何より、サウナーとしての苛立ちを覚えないに越した事はない。
思うにある施設において、それはサウナーのテリトリーなのか、お湯屋のテリトリーなのか、或いは棲み分けがなされているか。サウナーは常にこの領土の属性を見分ける術を心得ていなければならないように思う。そうでなければ、グチグチと愚痴や呪詛だけを垂れ流し、腹の底に粘ついた憎悪を溜め込んでしまって、体にも、サ活にも悪い影響を与えてしまうだろうから。最も、しっかりとしたヌシがいればいいんだろうけどね。
3セットをこなし、薬湯にて〆る。そうそう、屋根と屋根の間から見える空がいいんだよな。癒される。うんうん、なんだか気持ちよくて、股間のあたりがヒリヒリと……ん?
ってここ今日はチンピリ湯じゃねーか! サウナに夢中で今まであんま入らなかったから気が付かなかった……。
しかもバイブラ付き。この点はラッコのチンピリ湯にはない特徴だ。って事はチンピリブーストできたんですね……。見逃してたなぁ……。
今日のサ活はこんな感じ。サウナーとか、或いはツウぶったりして入るだけではなく、ゆったりと入るのも悪くはないものね。
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ああやべえ……ここは最高のアジトだよ。
まずアジトとか秘密基地って憧れるもんな。ガキの頃よく、ちゃちなもんを作ったもんだ。ダンボールで作ったり、イス四つ並べてその上からでかめの毛布かけたり、ちっちゃい山の木陰に粗大ゴミのTVとかガラクタ並べたりして。
でも結局はパパやママに片付けなさいと言われたり、山の持ち主に叱られたりしてすぐ解体されちまう。子供には秘密基地なんて夢のまた夢だったんだよ。
だけど今は違う。ここ、マルシンスパが俺のアジトになるって訳だ。
サ室に入りまず目に入るは、でかでか堂々と存在するその石ストーブlki。ちょいと見渡せば通常座席と、その対面には他にはないリクライニングな作りの座席(ちょっと驚き)。内外関係なく透視されない窓が三つ。なるほど、名に恥じぬアジトっぷりである。
さらに座席二段目に陣取り驚くはストーブとの距離の近さ。故にかなりの熱々空気を体感できる。しかしそれだけではなく、ここは温度計、12分計まで近くにある。お陰で目が悪くとも色々と測りやすいのが嬉しい。
そして何より、ここに来たら絶対にロウリュをするべきだ。どんな素人でも豪快な蒸気音を巻き上げ、唸らせることができるだろう(奥から前にかけてね! 火傷するぞ!)。流石『サウナランド』のオマケCDになるだけはある。
そして吃驚するほど熱い! 初めて顔が強ばりながら耐えてしまうほど強烈。ただ皆、できればでいい、あと最低1分は耐えるんだ。この後がやべえんだよ。本当。
水風呂も過ごしやすい温度。色が茶、或いは(夜明け前だからか)若干ブラック。黒色なのはなんだかダンディでいい。アジトっぽくてカッコいい。しかも体によさそーだ。人がいない時は浅瀬でぷかぷか浮かんだりする事もできる。「あ、これでられねえわ。」 そう思っちゃった。
バスタオルを纏い外気浴。うっはやべえ。ゃレよ″す、キ″ゑょこれ。
景色も良くて空が見えりゃあ、下界は100万ドルの夜景、昼なら風景って感じ。
しかもね。ここは外気浴の際ロッカーを経由するから眼鏡をかけていける。だから景色もくっきりなのだ! いつものように見えない目で曖昧に揺蕩うのも悪くはないけれど、しっかりと景色を堪能するのもいいもんだな。
すると北欧で見たあの白いふよふよの乱舞が見えてくる。あ、妖精乱舞だ(一先ずそう呼んでいる)。それは精霊との邂逅であって、シャマンのトランス状態のそれに近い。実際は埃などに過ぎないものが、まさしく精霊に見えてくるのだ。
いや本当あまみもヤバイくらいでた。ラッコ以来じゃないかなこんな出たの。これは今日も頑張れるって証拠だな。うん。
さて、今日はどんな作戦でいこうか。
男
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見つけたんだ、楽園を。或いはサンクチュアリをさ。
今日はサ活を始めてから、初めての敗北を体験したばかりだった。つまりはととのえなかったのである。
日は暮れて、あてどない虚しさ、寂寞とした憂鬱と共に、あてもなく街を徘徊してしまうその歩みにて帰路につく。
その最中に灯った小さな灯り。それがラーメン屋さんだったりして、縋るようにそこに入っていくあの感じ……例えるならそんな気持ちで帰りついでに、この梅の湯に向かった訳なのだ。
あぁ、ここだ。ここにくればよかったんだ。そう思う。結果僕は今、ホクホクである。
週替わりらしいが、今回は2階のロッキーサウナ。
まず客層にほっこりとする。老若関係なく騒がしくない、(駅からすこし遠いからか)地元の方々のように見受けられる。なるほど、ここは所謂「おじさんの憩いの場」って感じだ。すると先に行った施設との相違からか、自分がおじさんになったような気分になってきて、それがまた悪いものではない。サウナと共に歳を重ねるのも悪いもんじゃないだろうな、って思えてくる(まだまだ若すぎるけど! 若気の至りと思って許して!)。
またここはオートロウリュが頻繁に行われる。気持ち3、4分に一回。白い石の上を水が垂れ込んでいき、爽快な音を立てている。
故に湿度が高めでとても過ごしやすいのだ。体を拭いてみればわかるが、結露の生成度合が早い。僕もおじさんも、皆ビチョビチョになりながらTVを楽しんだり、心酔したりしている。
水風呂はバイブラ有。水温そのものは高めだが、これのおかげでいい塩梅に身体を冷やすことができる。ただサ室の真横、サ室の先に身の清め場があるので、バッシャバッシャと水を掛ける際は注意が必要。
そして外気浴。ととのえなかったあの喧騒の騒々しさに辟易としていた鬱屈が、全て汗と水に流されたかのように、緩やかにととのっていく。全ては些末事なのだ。ととのえなかった僕も悪い。サウナを信じるな、か。
でも今はここを信じていたい。僕、ここ好きになったから。
一階はコンフォートサウナになっていて、そっちも気になる。週替わりだから入れてしまう。だからこそ飽きがこない、良い銭湯なんだなって。だってまた来たいもの。
本当、良い場所を見つけてしまった。
[ 東京都 ]
今日はアウフグースがやっているとの情報を耳にした。新宿とアクセスもよく、軽く時間を作ってやればお手軽な気持ちでイベントに参加できてしまう。つまりは、行くしかない! 行くだわよ! ってなっちゃうよね。
今回はアウフグースを堪能するために、普段とは異なるペース配分をとる。煙草をふかし、入浴、ウォーミングアップの5分サウナで18時50分にサ室へ。
19時の担当はトルネードK山さん。眼鏡なしの鈍い視力ではよく見えなかったが、されど湘南が似合いそうな、熱波氏の顔つきをその風体から感じとれた。
するりと手慣れた所作でもってロウリュをしてくださる。何の香りだろう? 心地よい。まるで花から直接香りを頂いているような自然な感じがする。しかしどんな花なんだろうな? なんてこのもじもじとした感じと共にアウフグースへの期待が高まる。
K山さんがタオルを仰ぐ。否、これは舞いである。
どっしりと土台をその足で固め、それとは対比的なほど、その手捌きは軽快。スナップの効いた手捌き、タオルも舞うたらば、なんだか風さえも軽快な気分になって私を癒してくれているようだ。
〆のロウリュではペットボトルのほうじ茶にてロウリュをしてくれたのだが、これが手軽に良い香りを部屋に満たしつつ、一気にフロアを変転することができるそのテクにも関心しつつ、うっすらとニマニマしてしまった。グッドバイブス、ありがとうございました。
19時50分からはくるみあべしさんが担当してくださった。背が高くて羨ましい……0.1以下の視力でもそれはよく見える。
アウフグースがこれまた可愛いらしいもので、まるで兎のようにヒュイ、ヒュイと風を送ってくれる。だが風は可愛いらしいものではなくしっかりとしたもの。タオルが兎の耳と錯覚してしまうようなハネかたをしつつも、その風はなかなかに強烈。このちょっとしたギャップがまた良い。
ロウリュもシトラスの香りで心地よい。小分けの3回、プラスで一回。退室する頃にはビショビショになる程の結露と汗で、爽快感がやばかった。グッドバイブス、ありがとうございました。
その後の水風呂は氷投入で最高のととのい。最高でごさいました。
[ 東京都 ]
『サウナランド』という雑誌が発売されている? 邪な転売屋がそれを狙っている?
よし、緊急発進(スクランブル)! ボチョ(神保町)にあるとの情報を得たので行ってきた。
……無事確保。せどらない男爵をなめるなよ? おっと、こいつはせどらないぜ。
しかしせっかく都心に出てきたのだからサウナに行きたい。でも今日は夜勤で時間がない。でも行きたい。しかもいいところに行きたい。ととのいたい。
そんな要望に応えてくれるのがここ区役所前カプセルホテルなのだ。
規模は一見してみて、カプセルホテルのおまけ程度のちっちゃい浴場。お風呂がバイブラ有、無の二種類。
でもね、そのお隣が楽園なんだな、これが。とっても小さな、小さな楽園なのさ。
サ室の隣にととのい椅子があり、そこから2歩もいらない程の距離に水風呂。つまりサ室→水風呂→ととのい椅子→サ室の移動の仕方はちょうどぐるっと一周するかのような回り方になる。これがととのう上ですげえ効率よくなっている。一周、二周とすることが、まさにあのルーティンと重なり、ははあ、こういうことか、となんだか納得してしまう(実際何に納得しているのだかわからないけど、ちょっとしたオーバーラップってとこか)。
サ室は左右に二段、扉側からみて左側にTVがある。僕はTVは見ないのでなるたけ左側の二段目に陣取る。遠赤外線のヒーターがちょっとしたヒリヒリと共に僕をほぐしていく。
そしてここはただ遠赤外線ヒーターを置いているだけではない。そいつの目の前にストーンが置かれているから、ロウリュをすることができるのだ! これにより湿度もいい感じに保てるから、個人的にはとてもありがたい。
ただしあくまでもヒーターの副次効果的な具合に石を温めているからして、なるべく最奥の方、ヒーター側を狙ってロウリュしないと上手くいい音が鳴らない。だからといって奥っ側すぎてもヒーターにかかっちゃいそうで、(大丈夫だとしても)心がヒヤヒヤしてしまう。これがなかなか難しい。
だがロウリュしてみれば、ミントの香りと、多湿過ぎず、熱くなりすぎない程度の緩やかな湯気蒸気の舞い上がりを堪能することができる。これがサクッと高クオリティのヒミツなのだ。
ここはちょっとした時にぜひ来たい。一時間千円。とりあえず新宿に来たならば、「とりあえずビール」の感覚でここで決まりだろう。まさに何周かして、サクッと次の用事へ、なんてのも悪くない。
またここは水曜日か土曜日は、販売用のかき氷に使うようなでっかい氷をたっぷりと水風呂にぶち込むデーや、アウフグースもやっているという。そうしたイベント日目当てで行こうと思えるのも、他のサウナより行きたくなる秘訣なんですね。
[ 神奈川県 ]
ただ、ただ優しかった。
そもそも優しさって何なんだ? ちょっとした気遣い? 大胆なプレゼント?
僕は男だからレディファーストかしら?
いいや違う。きっと善意とか、良心とも呼べるようなもんじゃない。
ずっといられる、そーゆーことを優しさっていうのさ。
サ室に入ってごらんなさい。檜なのかな、とにかくそんな香りがするんだけど、これが不思議でさ。例えば焚き火をするときなんかは比較的最近加工されたであろう薪を使うだろ? 新品のさ。福美湯は板張り造りのサ室なんだけど、例えば僕がよく行く松の湯も板張りなんだが、こっちは真新しさのない香りなんだな。ほどよくこなれた感じ。
匂いは過去を想起させるもの。きっとこれはそいつが福美湯の壁面という仕事における汗の結晶、骨の髄から、また芯から染み出したものに違いない! なんて思いながら、何百年も生きているんだろう、って1900年の亀の島、彼がいたあの風景を思いながら黙々と考えちまうのさ。実際見たこともないにもかかわらずね。
室温もゆるやかなんだ。これがまたいつまでもいられちゃうんだよな。ロウリュがおよそ4分に一度と、比較的短いスパンで焼け石のピンポイントを打っているから、湿度もいい塩梅を保ち続ける。
ここは退室のタイミングが難しい。だって4分待てばロウリュの音を堪能できるもんだから、あと一回、もう一回聞いてからってついつい留まっちゃうんだよ。サウナは苦手って人でも下段ならかなり長居できると思うし。
浴場から王道的カポーン・サウンドが雑多な仕草の摩擦音と共にサ室に響いてきて、片やサ室ではジブリが多用していそーなリラックス効果を期待した曲選の一曲が流れている。何にのめり込むにしろ、まず一つの流れに集中するべきだ。それが己自身に、なんてダサい目的であろうとも。ともすると音楽、ということになる。プログレの方がいいなぁ……そろそろ飽きてくる。あの雑音が気になり始めたその刹那、ロッキーサウナがライトアップ。後光の先には垂れた水から沸き上がる蒸気。全てを掻き消すロウリュの音。しゅぅうう。僕は首を垂れる。そして脱我に満ちた恍惚の顔で、僕の頭は、まるで天に召されるかのように上向きになっていく……。
じっくりときたら、じっくりの水風呂。珍しく羽衣を纏い、長居した。一箇所だけ足元からチョロチョロと水流が吹き出しているんだねここ。どうでもよさそうですっげー重要な役割を果たしている系のちっちゃい流れだけど、羽衣外していくならそのポジションがいいだろう。
銭湯だから人が全くいないってことがなさそうで扉開閉が多いのが弱点だけど、あのロウリュ音は絶対に体験してみた方がいい。サ室の優しさが一気に身に染みるよ
[ 東京都 ]
皆さんサウナを想像してみましょう。
あなたはサウナに入る直前。ここで辺りを見回してみてください。どんな光景が思い浮かぶでしょうか。
私ですか? そうですね……部屋ですかね。部屋。ドシー恵比寿はそんなところ。だけど度肝を抜かされた。ここはいろいろとすごい。
まず他のサウナにおいて、浴場にあたるエリアがシャワーとサ室しかないのだ。いや、ここではロッカー、ましてや洗面所までエリアとして含まなければならないだろう。スペースとしてはシャワーで身を清め、ととのい、これからの仕事などに踏ん張っていくための場所という感じで、一見サウナーがととのうための場所とは想像し難い。だかここには他にはない大きな特徴があるのだ。
サ室に入ると、いきなり素晴らしい体験をする。私はほぼ12時ジャストに来たのであるが、おそらく他のサ室に比べ、人がいないという条件が同じであろうとも、それ以上に驚くほどの静かなのである。まるでサ室そのものが静寂を抱擁しているかのようだ。ミントの香りが心地よく、底へ、底へと落ちていける。
先程ロッカーまでエリアとして加味しなければならないと書いたのはこの静寂故であり、他の方が脱衣している音、物を置いた音までこのサ室へと届いてくるからだ。
茹で上がり茫漠とした脳から伸びる聴覚系の神経は、静寂を感受しているが、確かにその日常音をしっかりと聞き入れている。他の静寂系サウナと異なるのは、ロッカーでのやりとりが日常的な音として聞こえるからであり、サウナ、温泉でゆったりと非日常を享受しながら発される音とはまた違った静寂を生み出す点にある。
雑音にも思えるそれは音楽の盛り上がりを助長させるものだ。セルフロウリュをすれば焼き上がり、舞い上がるかのような蒸気の音にうっとり聞き入ってしまうが、その時、その直後に訪れる静寂を聴くこと(普段の数倍は心地よく聞こえるはずだ)。そう、これこそがドシー最大の魅力なのである。
冷却は水風呂がないのでウォーターピラーにて行う。冬ならば常温一択だ。凄まじい冷水が一直線、頭上から伸びるように落ちてくる。
まずは一礼するかのようにして頭部からくらう。次に胴体に冷水をぶち当て、脚部にも軽くあててやる。最後に「押忍」のポーズをとるようにして首元に水をあて、そこから伝うように全体を冷やしていく。そして最後に一礼。
これが私が試したなかで見つけた最適解、「一礼の構え」である。
そうして外気浴、ないし室内休憩をしてみればもう、景観など拘らずとも陶酔しちまうってわけなのさ。
[ 東京都 ]
一ヶ月もしないうちにまた来てしまった……。だって古本、古書店街のボチョ(神保町)が近いんだもの。今日はせどらない漁りがしたかったんだけど、うっかり来ちゃうんだな、やっぱり。
ここは僕をサウナーにした生誕地でもある。こうした背景があると、ついついただのサ談も美談にしがちだけれども、それにしたって北欧のととのいかたは唯一無二の、代替不可能な体験であると思う。それは何故か。
それは言うなればミニマル・テクノのようなものだからではないか。北欧は他の浴場に比べ、広々としているとは言い難い。規模だけで話をするならば、むしろショボいとまで言えてしまうかもしれない。
しかしこの必要最小限性とでも言うのだろうか、とにかくむしろ広大ではないが故にルーティンの間に入り込む移動時間が極端に短くなることがサウナ→水風呂→外気浴ルーティンのグレードを上げてくれるのだ。まるでトラックの繋ぎが上手くいったDJのように、次のステップにすんなりといける。
また、個人的にはここの空が好きだ。ミニマル・テクノにおける僅かな変化はここにあたる。
ととのった頭でインフィニティチェアに身を携えると、飛蚊症か、或いは埃に過ぎないものが、ふよふよと飛んでいるのが見えて来る。白い色をしたそれは、不動にも思えるほどの雲一つない空に流動感を与えている。
頭脳は世界を止めている。だが確かに世界は流れている。静と動の混在、或いはその狭間、あいだ。ここでは特にそれを意識できる。
鳩が一直線に飛んでいる、まるでジェット機のように。レーダーなんてまるで必要のないかのように迷いなく飛んでいる。
また別の鳩がやってくる。これも北欧の醍醐味の一つに数えるべきだろう。ここはたまに鳩が羽を休めにくるのだ。ハロー、と意識の中で会話をしてみたり。ここの鳩とエレベーターのsaunyaは癒やし要素だと思う。
やっぱりここ好きですわ。