Kushiro Marshland Hostel THE GEEK
ホテル・旅館 - 北海道 川上郡標茶町 事前予約制
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始業式、プロ野球も開幕。以前の私は野球に情熱を傾ける純朴な野球少年でした。当時大好きだった森田先生の『Rookies』という漫画を愛読し、中学にあがってやっと初めて野球部に入部し、それからはトレーニングや球拾いといった下積み時代を三年もの間ベンチ入りすることもなく続けていました。ただ走ることは得意な方でした。体育の授業で女子から「ルイージみたいな走り方!」とかなんとか言われてへこんだりしましたが。
部活中にキャッチボールを開始した時、顧問の先生から「そんなピッチャーみたいな投げ方は止めろ。お前はピッチャーにでもなりたいのか?」と半笑いで言われそこから僕は、野手の一般的な投げ方でキャッチボールをすることにしました。でも、僕は本当はピッチャーになりたかったんだ先生。中三になったばっかりの頃、中体連を前に(最後の公式戦)僕は先生に話しに行った。「先生、おれ、野球辞めます。」先生は驚いた表情で「もうすこしなんだ。もう少し頑張れないか?」「・・・」先生の前で僕は涙が出て止まらなかった。それは、この、今の感情や気持ちを上手に言葉に出来ない歯痒さだった。いくら練習してもベンチに入ることすら出来なくて悔しくて、自分には不向きなスポーツからはもう離れたくなったんだ。努力が足りなかったんだきっと。やり方がちがったんだ。中体連の最後の試合で僕は代打にすら出ることもなく声を涸らし、そしてチームは初戦で敗退し、最後に先生がみんなにかけた言葉を聞きながら同級生や下級生のチームメイトの泣き顔をただ見つめていた。
それから高校二年生になり、某焼肉バイキング料理店でアルバイトをして貯めたお金で硬式グローブを買い、硬式野球部に入った。僕の通っていた高校は男子の総数が少なく、部員も下級生と合わせて10名と、水島先生でも描くのを躊躇うようなチームだった。約2年のブランクは半端なく、まずは体力作りからだった。持久走もわりと得意だったが、鈍った身体は重くめちゃくちゃキツかった。練習試合で初めてヒットを打った時と、試合に初めて出て負けた時の悔しさを経験出来て良かった。卒業まで部活は続けられなかったが、貴重な経験をさせてくれてみんな有難う。僕はやっぱり、歌うことが好きで。野球も好きだけど、いまは見る専かな。
約一カ月以上ぶりのサウナ・・・涙。僕と同じく野球少年だった弟と行きました。(彼は武修館高で、甲子園出場経験有り)弟はロウリュめっちゃ上手かった。2時間フルにつかいきり、久々のサウナを二人で堪能しました。外気浴では雨の雫に心和みました。THE GEEKは春の甲子園なみに胸アツでした。オーナーさんスタッフさん、サウナに連れ出してくれた弟に大感謝。また、行く。頑張れ球児!
#一球入魂
おかえり! たまに連絡よこせ!
ただいま😭✨✨ふつうに会いたいです!笑落ち着いたらまた、連絡さしてもらいやっす!!!♨️
トントゥ有難う御座います😭
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