寺島浴場
銭湯 - 東京都 墨田区
銭湯 - 東京都 墨田区
ラブイズオーバーでととのう。
寺島浴場でサウナに通い始めた頃の話を思い出したので少し書いておく。
久しぶりに寺島浴場のサウナに入ることができた…
ここに通い始めたのは4年くらい前だろうか、はじめてととのったのは両国江戸遊だが、本格的サウナ通いをしたのは寺島浴場だった。
今日は入ってすぐラブイズオーバーがかかっていた。
「わたしはあんたを〜忘れはしない〜♪」
そうだ、ここに通い始めたのは自分が転職して今の会社に入って、すぐに全社PJを任された頃。まだ入社してすぐだがPJの立ち上げに苦労していた部門メンバーから経緯資料を見せてもらい入社して数カ月程度で徹夜して全社PJの立ち上げをしたのだがそこまでは良かった…その後全社PJが専用会社に移管され、立ち上げた自分もその会社へ出向。そこからが地獄の始まりだった。
PLに任命されたのはいいけど皆知見不足でうまくいくはずもなかった…PJ関係者は委託先含めて150人超えていたと思う。毎日22時くらいまで在宅で残業。あまりにも家に籠もって朝から晩まで仕事していたので流石にメンタル的にちょっとやばくなってきた。
そんなときに、サウナで初めてととのって色々なサウナを試すようになった。
寺島浴場は決して近いわけじゃないけどメガトン級の熱さ・湿度と、地下水の水風呂のクォリティが素晴らしく、いつも夜中に入って閉店間際に帰るを繰り返していた。
でもそのサウナと昭和歌謡に救われて、毎日のPLとしての残業もなんとか乗り越えた。むしろサウナに入るために早く仕事を終わらせようとがんばっていた。
そこから3年弱…あれやこれやあって全社PJは無事終結という終わりを迎えた。良くも悪くもそのタイミングで終了させてよかった。自分はPLとしての任を解かれ、出向元の部門に戻った。そこからは平和の日々であったが、PJ関係者は結構な人数が退職した。
さらにそこから2年ほど経ち、会社的にもあれやこれやあって多くの関係者は退職、ついには自分の上長まで。そしてPJ当時の専用会社の社長やPJオーナートップの執行役員まで辞めてしまった。
そして誰もいなくなった、の状態である。
4〜5年前は休暇中の沖縄で仕事させられるほどクソ忙しかったが、まさかこんな状態になるとは思っていなかった。あの地獄の日々はなんだったのか。。。
あの時の多くの関係者、ほぼ8割くらいはもう退職していると思う。それでも自分は残っているが、これからもサウナを忘れず、何かを胸にととのいたいと思う。〜サ道2024 誰しも何かを胸にととのう〜より。
そんな事をラブイズオーバーを聞きながら思い出した。
2025年はどんな年になるのだろうか…
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