よしもん

2025.05.09

1回目の訪問

サウナ飯

春の宵に小雨が降り始めた頃、僕は仕事の残滓を体にまとわりつかせたまま、まるで逃げるようにサウナへ向かった。数週間ぶりの出社の帰り道、久しぶりに見る外の世界が、奇妙なほど鮮明で、かつ遠いもののように感じられた。

最初の部屋は「戸棚」と名付けられていた。文字通り、戸棚のように狭く圧迫感のある空間で、まるで自分自身の内面に閉じ込められたかのようだった。空気は水蒸気で飽和し、呼吸するたびに肺の中に湿度が浸み込んでくる。それはまるで熱帯雨林の奥深くに迷い込んだかのような錯覚を覚えさせた。濃密な湿気が、会議資料の数字や明日のスケジュールを頭の中から一つ一つ溶かし出していく。思考が水蒸気のようにぼんやりと霞み、現実の輪郭が曖昧になっていく。

二番目は「狂喜乱舞」。その名の異様な明るさとは裏腹に、僕は静かに座り、汗の粒が額から滴り落ちるのを、まるで自分とは無関係な現象のように眺めていた。ほかの客たちの咳払いや、木の軋む音が、遠くから聞こえてくる。

「瞑想」と名付けられた三番目の部屋に入った瞬間、僕は確かに別の次元に踏み込んだのだった。薬草の香りが濃密に満ちた空間は、まるで古代の寺院の奥深くに迷い込んだかのようで、時間の概念そのものが曖昧になっていく。前半の仕事に関する思考の断片は、ここでついに完全に消失した。後半は、ただ熱そのものを受け入れることだけに意識が集中する。

最後の「手酌」で、僕は解放されたような、しかし同時にどこか物悲しいような気分になった。私語が禁止されているからだろうか、普段は気づかない小さな音—歩く足音、水の滴る音、誰かの深い呼吸—が異常なほど明瞭に聞こえてくる。まるで世界のすべてが音楽的な構造を持っているかのようだった。

水風呂に身を沈める瞬間、僕は一瞬、自分が存在しているのかいないのかわからなくなった。極端な温度差が、意識と身体の境界を曖昧にする。その後の内気浴では、屋内の薄暗い照明の下で、僕はただ座り、急激な温度変化による身体の変化を静かに観察していた。

最後に、日高屋の蛍光灯の下で冷えたビールと餃子を前にした時、僕はようやく日常に戻ってきたのだと実感した。しかし、その日常は、サウナに入る前のそれとは微妙に違って見えた。まるで同じ部屋の家具の配置が少しだけ変わっているかのように、世界が僅かにずれているような気がした。

おそらく、これは一種の儀式だったのだろう。テレワークという孤独な日常から、出社という社会への回帰、そしてサウナという個人的な瞑想空間を経て、再び日常へと戻る。その循環の中で、僕は何かを失い、何かを得たのかもしれない。それが何なのかは、まだわからないけれど。​​​​​​​​​​​​​​​​

よしもんさんのサウナ東京 (Sauna Tokyo)のサ活写真

日高屋 赤坂一ツ木通店

餃子

サウナ飯 supported by のんあるサ飯
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