湯の泉 東名厚木健康センター
温浴施設 - 神奈川県 厚木市
温浴施設 - 神奈川県 厚木市
この地のらっこから私のらっこ人生が開幕したのであります。
らっこの熱量を求め彷徨う子らっこのようなのらりくらりする様は社畜の昼休みのようであります。
純烈がコンサートしそうな大広間の風情、曼荼羅模様の衣を纏いし汗腺を鍛え上げた熟達者の貫禄を感じつつも私はこの地に控える草津と薬湯を乞いていたのです。
変わらないその熱量と薬湯との相性の良さ、人間の奥底にある代謝が目覚めたかのような熱量が体から発散されるものであります。
今日は晴天、心地よさは雲を突き抜けて宇宙らっこに届くようであります。
平日の昼間は穏やかなルーティンを自由自在に組めるものであります。綿密なタイムスケジュール管理の元、薬湯で身体に息吹をもたらし、サ室でチャクラを解放すれば容易く八門遁甲の陣を扱えるものであります。
浴室には真っ赤に茹で上がったマイトガイも多く見受けられるのです。あやつらはみんな忍だったのだとやっと気付いたのです。
私がこの施設に足を運ぶ時は人生の帰路に立っている事が多いのです。
春を思い、冬との決別を果たす戦いの狼煙を上げるサウナでありました。
恐ろしき上級蒸務取締役達のサ室での所作は昭和から積み上げてきた歴史のzipファイルを解き放つ刹那を感じるのです。
回り道に人生の深さを持ち、らっこに捧げた汗の量だけ徳を積んでいるような蒸され方をしている聖職者まみれであります。
麦飯石が何かいまだにちんぷんかんの私にとってこのサ室のえげつない熱さはなんなのかといまだに自問自答が止まらないのであります。
あの薬湯がより一層体の熱さに拍車をかけて何回戦する間にさらなる代謝を生み出す永久機関なのかもしれません。
健康になってるかどうかはさておき、身体の中の秘められた何かを目覚めさせるものは確かにあるような気がするのです。らっこ信者は皆らっこを見た瞬間に汗を流して五体投地を行うようなものであります。
思えばこの施設に足を運ぶのは相当懐かしいものであります。人生の酸いも甘いも知っていく過程にこのらっこは人生のバランスをとってくれているような気がするのです。全てはらっこによって培われてきた人生なのだと悩みの種を摘むような働きをもたらしてくれるのです。
もっと綺麗に刻んでサウナを堪能する予定がらっこの洗脳で闇雲にサウナを楽しみ、子供の頃のような青春を持って外気で心の火照りを慈しんでくれるのです。
心の加速は止まらない欲情に歯止めをかけてくれるのです。
草津に浸ればもうそこは群馬なのです。白根山の麓にいるような硫黄臭を感じて青春は疾走していくのです。
日々の営みの片隅にいるこの施設に足を運べば社畜で疲弊し切って失われた時が歩を進めていくような感覚に浸れるのです。
いやーいい1日だな
男
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