天空のアジト マルシンスパ
温浴施設 - 東京都 渋谷区
温浴施設 - 東京都 渋谷区
高村光太郎の智恵子抄という詩に
智恵子は東京に空が無いといふ
という一節がある☆
空を覆い尽くす建物に囲まれた東京では故郷で見た大きな空を見れないと望郷に想い馳せる作品だ。
一カ月ぶりのマルシンスパ 、104度のサ室、久しぶりのセルフロウリュ、熱せられたサウナストーンの上で飛び跳ね踊る水滴を眺め、静かに幸せを噛みしめる昼時。
体感18度の深めの水風呂に沈み込み、はやる気持ちを宥め外気浴スペースでゆっくり深呼吸しながら大きな青に吸い込まれる。
遮るものが何も無い果てのない空を見上げると、こんなにゆっくり空を眺めることなんていつぶりだろう?と思う。
仕事に忙殺される毎日を過ごしていると、小さい頃公園を走り回ってはジャングルジムのてっぺんに登り見上げた空と変わらぬ表情でそこに空があるという当たり前の事を一瞬忘れてしまう時がある。
それが大人なのだろうが、ほんのり切ない気持ちになってしまう。
しかし、あの頃はサウナの良さも水風呂の良さも外気浴の良さも何も知らない小僧だ。
知らない方が幸せだと思う事も多々あるのが人生だが、幾多の紆余曲折を繰り返し続け今こうして笹塚で空を見上げている自分の人生だって誇らしいものだ☆
高村光太郎と智恵子もこの笹塚の天空のアジトで外気浴をしたら、あんな叙情的な唄は生まれなかっただろう。
ということはその詩に心震える自分もいなかったわけで、知る事の悦びを感じざるを得なくなる。
15時のロウリュに合わせ改めて洗体をしていると、左肘の先の部分に一本の毛を見つけた。
張り付いた毛かと思い引っ張ると、左肘の頭頂部に生えていた。
その一本の毛を眺めながら心は『何故ここに?』『いつから?』と止めどなく疑問が湧き出し、左肘から一本の肘毛を生えさらばえる自分を受け入れきれず、こんな事知りたくなかったと、訳の分からぬ恥ずかしさ、やるせなさ、様々な気持ちが入り乱れ、その結果、浴室に常備されているT字剃刀を以って静かに一本の肘毛と別れを告げた。
こんな現実も飲み込んで明日から生きていくのだと思い、休憩スペースでサウナーに向け作られた塩レモンサワーを飲むと一筋の涙が頬を伝った。
悲しいわけではない。
塩が異様に辛かったわけでもない。
大きな欠伸をしただけだ☆
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