久方ぶりのホーム。
サウナの灯りが消えて、どれくらいたったのかしら。

今やサウナ用語として当たり前となった「ととのう」や「羽衣」、そんな言葉が使われるずっと前から、私はそれそのものを此処で感じていた。

その昔「マルブロ」「オケブロ」なんて呼ばれていた源湯。
幼い頃は母に連れられ女風呂に入ったし、小学校に上がると父と男風呂に入り、ナイロンタオルでガシガシ洗われるのが痛かった。
お風呂上がりには瓶の冷やしあめを買ってもらい、隣のお地蔵さんにアン🙏して、カベチョロ🦎にビビり、手を引かれて帰った。


高学年にもなれば、友達と来ては悪さをしてカミナリオヤジにどやされ、浴室内で走り回り、幾度となく尻もちをついたタイル床。
水風呂では何秒潜れるかなんて競い、お風呂屋さんといえば半分水遊びに行くようなものだった。


そして、最奥にある赤い部屋。
大人しか入れない、灼熱の部屋。
熱湯シャワーによるスチームサウナには、うっすらと演歌が流れている。
入ろうと思っても熱気が拒む、幼心にずっと憧れの部屋だった。


中学生、高校生にもなればサウナにも当たり前に入るようになり、歳を重ね結婚、子供が産まれ、実家をリフォームするためしばらく風呂なし生活となり、また通うようになった源湯。

井戸水を薪で沸かしたここの湯は、本当に肌あたりが柔らかく、疲れが取れる。
そしてスチームサウナは、温度が高すぎないので長く入ることができるため、私がサウナを覚えたのは間違いなく此処である。

先代の林山家の皆さんには、家族一同本当にお世話になった。
孫ちゃんとうちの子がちょうど同世代で、お風呂でもよく遊んだし、番台に座るおばちゃんには、未子があがると拭いて服を着せ抱っこしてもらい、上の子とゆっくり入浴できた。

そんな中、お父さんが体を壊され、薪の段取りなどができなくなってしまい一時閉店。
今現在は「サウナの梅湯」の「ゆとなみ社」が担っている。

昔から地域のコミュニティであった源湯は、若者の集う古き良き銭湯に姿を変えた。

僕にとって源湯は、祖母の家や母校のような場所。
正直、変わってしまった部分は、どこか寂しい気がしないでもない。
しかし、廃業取り壊しから救ってくれた今の経営陣に感謝して、またぼちぼちと通わせていただきます。

今夜もありがとう。

歩いた距離 0.5km

◆13◆(トミー)さんの源湯のサ活写真
◆13◆(トミー)さんの源湯のサ活写真
◆13◆(トミー)さんの源湯のサ活写真
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