片岡メン!

2020.12.21

22回目の訪問

12/20(日)夜

『サルトルの実存主義とサウナ』

私はバスケットボール学会の事務局をしている。前日には「学会大会」(オンライン)があり、運営をしていた。主たる運営者の方々の熱意に感動しつつ、安堵の気持ちと共にSKCに。

愛聴しているVoicy「荒木博行氏のbook cafe」にてサルトルの実存主義についての解説があった。

サウナ室で過ごす時間との関連性を強く感じた。

以下、簡単なメモ。

『実存は本質に先立つ』

ペーパーナイフは紙を切る為に存在する。ただし、人間は、特定の目的をもって生まれたわけではない。人間は自由な存在である。自分で、社会と自分との関りを決める権利がある。その代わりに、自分の行動の一切の責任を持つ。

・ただし、人間は自由の刑に処されている、ともいえる。自分の関わりを決めるには不安が付きまとう。ただし、不安は障壁ではなく、責任と不可分である。絶望は障壁ではなく、意思と一体である。


◇サウナ愛好家の葛藤。その先にある本当の喜び。

サウナ愛好家も、ある種、サウナ室での自由の刑に処されている」といえる。
滞在時間を自分で決めることが出来る。10分でも良いし、7分でも良い。
体温が臨界点に達した時に、もう少し滞在しても良いし、直ぐに割り切って退出しても良い。

汗を流し、水風呂中に思うだろう。
あと少し滞在できたかも、、という不安や後悔が襲う。

その数分前は「これ以上は限界だ」と決断をしたにもかかわらず、だ。
もし、「サウナ室の入退場は8分です」と明確に決められていれば、このような感情は芽生えない。ただ、それでは味気ない。

サルトルは語る。
「不安が責任と不可分であるのと同様に、絶望は意思と一体を為す。
絶望の先に、本当の楽観性が始まる。」

サウナ愛好家にも言い換えられるはずだ。


「あと少し滞在できた。数分前の出来事に決断への後悔。それも自分。
サウナ室での限界と戦う時の葛藤。それも自分。
それを乗り越えてこそ、「ととのい」が訪れるのだ」

片岡メン!さんの湯乃泉 草加健康センターのサ活写真
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