ととのいの向こう側に
サウナイキタイアドベントカレンダー 4日目の記事です。
※この物語はフィクションですが、サウナの効果については事実です。
1.はじまり
「あ~、今日も疲れたな~。
客先では失敗するし、プレゼンはグダグダ。
課長には怒鳴られるし、もう駄目だ~。」
俺は三豆不労男(ミズ フロオ)36歳。
さえない疲れたサラリーマンである。
この年になって嫁さんもいないし、
仕事もダメダメ。惰性で生きる毎日だ。
「はぁ。うんこが札束に変わらねぇかなぁ」
どうしようもないことをつぶやきつつ、
疲れた体に鞭打って家路につく。
「たまには違う道で帰ってみるかぁ。」
ちょっとした気まぐれであった。
なんとなく違う道を通って帰る気になったのである。
それは冷たい風が身体に吹き付ける、
冬の始まりを感じる日のことだった。
「……ん?」
見慣れない帰り道をキョロキョロしながら歩いていると、地味ではあるが、存在感のある青い看板を見つけた。
「カプセルホテル&サウナ……か。
たまには広い風呂に入るとするか。」
まるで誘蛾灯に引き寄せられる虫のように、
俺はサウナへ吸い込まれていったのだった。
とてつもない初体験をすることになるとは想像もせずに……。
2.サウナ発見
「銭湯も久しぶりだな~。」
身体を洗ってゆったりと湯舟につかる。
やはり広い風呂は気持ちいい。
自宅の狭いユニットバスでは、味わえない解放感だ。
「ん?」
ふと奥に目をみやると、
風呂場の奥に続く道に気づいた。
「なんだ?奥に何かあるのかな。」
興味本位で足を運ぶ。
水風呂があり、その奥には2種類のサウナが存在していた。
「ふーん。サウナか。あんまり得意じゃないんだけど、たまには入ってみるか。」
「ボナサームサウナ」と書かれたサウナの扉を開けると、フワッと木の良い香りが鼻をつく。
心地よい熱気が身体を包み込んだ。
「おっ。これはいいな。気持ちいい。」
サウナの中では先客が3人ほど。
サウナに慣れていない俺は、隅っこの方に陣取った。
「……君、ここは初めてかな?」
年齢不詳のひげをモジャモジャと生やした男が話しかけてきた。
妙な帽子※をかぶっている。
某NHK番組のノッ〇さんが被ってるような帽子だ。
妙な男に絡まれてしまった。
※サウナハット。サウナー御用達の帽子。
髪の毛や耳を熱気から守る効果がある。
被っている人がいたら、サウナ玄人とみて間違いない。
フロオ「……ええ、まぁ。あなたは常連さんですか?」
ヴィヒ・太郎「私はヴィヒ・太郎。プロのサウナーだ。これも何かの縁だ。私のサウナ談義に耳を貸す気はないかな?」
フロオ「あっ、はい。」
どうやらめんどくさいやつに絡まれたようだ。
3.ヴィヒ太郎のサウナ談義
ヴィヒ太郎「サウナの基本は、サウナ→水風呂→休憩を1セットとし、これを何度も繰り返すことだ。すると、“ととのう“といわれる特別な体験が訪れる。」
フロオ「ととのう?」
ヴィヒ太郎「そうだ。全身の不調がすべて整っていくような感覚。それはとても気持ちの良いものだ。世界が広がっていく感覚。体中のストレスが体中から溶け出していくような感覚。ディープリラックス状態だ。あまりの心地よさに、ニルヴァーナトリップ、合法ドラッグと表現する者もいる。」
フロオ「なんかこわいですね……」
ヴィヒ太郎「この“ととのう”感覚を体験したことのない人間は、人生の90割損をしている。」
フロオ(9割じゃなくて……?)
ヴィヒ太郎「夜はぐっすり眠れるし、食欲は増進する。美肌効果もあるし、体の免疫力は上がる。そして何より気持ちがいいのだ。サウナというのは神が人類に与えたもうた最高の施設だよ。」
フロオ「なんか怪しいTVショッピングか、雑誌の裏に広告が載ってる眉唾金運グッズみたいですね」
最近不眠症気味だったし、食欲もなかった。
肌はボロボロに荒れ放題で、風邪を毎月のようにひいていた。
もしかすると、サウナで何かしら改善するかもしれない。
ヴィヒ太郎「だまされたと思って、何度かやってみるといい。初心者はサウナ5分、水風呂30秒~1分、休憩5分これを1セットとし、3セットやってみなさい。」
そうつぶやくと、ヴィヒ太郎はうつむいて動かなくなった。
フロオ「ありがとうございます。」
怪しい男だが、悪い人間ではなさそうだ。
俺のためにサウナの良さを説いてくれていた。
4.水風呂
ヴィヒ太郎に言われた通り、サウナで5分間汗を流し、水風呂に入ろうとする。
ヴィヒ太郎「待ちなさい。水風呂は神聖な場所だ。身体を清めてから入りなさい。」
汗を掛水か、シャワーで流してから入るようにとのことだった。
水風呂を利用する際の重要なマナーのようだ。
フロオ「ぐあっ!!!冷たい!!!」
水温計は15度をさし示していた。
フロオ「無理だろ……。死ぬよこれ、心臓麻痺とかで」
ヴィヒ太郎「足からゆっくりだ。」
いつの間にか背後に接近していたヴィヒ太郎がつぶやく。近いよ……!ヴィヒ太郎さん……!
フロオ「わかりました!くっ……!」
なんとか肩まで浸かることができた。
だが……
フロオ「冷たい!死ぬ!」
ヴィヒ太郎「そのまま動かないことだ。しばらくすると“羽衣”をまとうことができる。」
フロオ「羽衣……?」
じっとしていると、不思議な感覚が身体を襲う。肌に突き刺さるような冷たさが、徐々に和らいでくるのだ。
ヴィヒ太郎「それが“水の羽衣”だよ。」
水風呂に浸かり、身体を動かさずにいると身体の周りにある水が肌になじみ、身体を包みこむ様な感覚を覚えるのだ。
この現象を、通称”水の羽衣”と呼ぶらしい。
フロオ「楽になってきた……。というか気持ちいい……」
アツアツに火照った身体を、キンキンに冷えた水風呂が、一気に冷やしていく。気持ちがいい。
脳髄が凍っていくような感覚。吐息が冷たく、気持ちがいい。
ヴィヒ太郎「そこだ!そのタイミングで出なさい。」
あっという間に1分経っていた。
ヴィヒ太郎「水風呂から出たら、しっかり身体の水分をふき取りなさい。これは休憩する時に、身体を冷やしすぎないためと、サウナ室を濡らさないために行う。」
言われたまま、身体の水滴をふき取る。
ヴィヒ太郎「さぁ、ここが休憩スポットだ。思う存分休憩すると良い。」
水風呂のそばにプラスチックのイスが並んでいた。
ヴィヒ太郎「タオルを水風呂の水で濡らして、アイマスクのように使うのもおすすめだ。おっと、浴槽につけるんじゃないぞ。マナー違反だ。ちゃんとかけ水用の桶を使いなさい。」
(この人なんでこんなに親切にしてくれるんだろう……。俺の事好きなのかな……?)
イスに座り深呼吸をする。気持ちいい。心臓がドクンドクンと脈打つのを感じる。
何故か身体の中から暖かさをポワーッと感じる。
だが、トリップするような感覚は得られなかった。
ヴィヒ太郎「“ととのう”までは経験と時間が必要だ。何度か繰り返すうちに、”ととのい”が訪れるだろう。継続することだ。あと、これは重要なことだが次のセットに入る前に、絶対に水分補給を忘れないように。一度のサウナ入浴で身体から500mlの水分が抜けるといわれている。水分補給を怠ると、脱水症状を起こす可能性がある。私は水分補給を怠って、倒れた人間を何人も見ている。」
フロオ「わかりました。ありがとうございます。」
5.そして“ととのい”は訪れた
ヴィヒ太郎さんのレクチャー通りに、セット数をこなしていく。
2度目は体が慣れてきたのか、少し長くサウナに入ることができた。
隣に座ったヴィヒ太郎がつぶやく。
ヴィヒ太郎「フロオ君。無理だけは禁物だ。サウナとは我慢大会ではない。身体を整えることが最も重要な目的だ。気持ちいいと思える範囲内で出なさい。」
フロオ「はい、ありがとうございます」
(勉強になります!ヴィヒ太郎さん!でも、アンタ、もう合計30分以上も入ってるじゃないか!めっちゃ無理してるじゃないですか!)
※長時間のサウナ入浴は危険です。
ヴィヒ太郎の真似は決してしないでください。
1回あたり5分~9分が最適なサウナの入浴時間と言われています。
3セット目の水風呂が終わり、休憩用のイスに座り、深呼吸したときにそれは訪れた。
「!?」
手足にビリビリとしたしびれが走り、閉じた目に光が飛び込んでくるような感覚。
なんだこれは!き、きもちいい……。
世界が無限に広がっていく。
意識が拡張していく感覚。
宇宙。
生命の起源。
生きる喜び。
「スゲエ……」
思わず感嘆の声が漏れる。
全身の力が抜け、身体を動かしたくなくなる。
このままずっと座っていたい。
じわじわポカポカとした身体的な気持ちよさと、脳みそがジンジンする気持ちよさ。そして、全身を包み込むやさしい多幸感。
「世の中にこんな気持ちいいことがあったのか……!」
ヴィヒ太郎「それが“ととのい”だ」
いつの間にか隣のイスに腰かけたヴィヒ太郎がつぶやく。
ヴィヒ太郎「初サウナで“ととのう”なんて、なかなかセンスがあるじゃあないか。」
ヴィヒ太郎の言葉も耳に入らないほど、恍惚としていた。
(アヘェ……)
ヴィヒ太郎「今日はこの辺にしておくといい。欲張ると体への負担が激しい。物足りないくらいがちょうどいい。」
フロオ「わかりました……ありがとうございます……(とろ~ん)」
締まりのない顔で答える。
ヴィヒ太郎「湯舟に浸かって水風呂で締めるといい。」
ヴィヒ太郎に言われるまま、湯舟に浸かると休憩で冷えた身体が一気に温まり、サウナとはまた違った快感が身体を駆け巡る。
フロオ「ひえっ!きもちいい!なにこれ!」
熱いお湯で体中がジンジンする。
思わず「あ“あぁ”~~~!」と声が出てしまう。
サウナ、来てよかった。
ヴィヒ太郎兄さん……!ありがとうございます……!
6.それから……
衝撃のととのい初体験を終え、帰宅したフロオは、その日数か月ぶりに熟睡した。サウナの効果だ。
それ以来サウナにハマってしまったフロオは、毎週のように自宅近くのサウナへ通っている。
乾燥気味だった肌は潤いを取り戻し、朝はシャキッと目が覚め、日中眠くなることもない。風邪も全くひかなくなった。
日々の生活に張りがなく、モノクロの景色を過ごしていたフロオだったが、サウナに入り始めてから人生が一変した。
人生が鮮やかに色づいたのだ。
活力が湧き始めたことで、仕事の成果につながり始めた。
週に1度のサウナで、どんなに忙しくとも、疲れが身体に蓄積することはない。
サウナに入れば吹き飛ぶのだ。
サウナが日々の励みになっていた。
ずっと声をかけられなかった、総務のフロコさんとも最近良い感じだ。
今度食事に行くことになっている。
仕事を終えたフロオは、寒空の下家路につく。
雲一つない夜空を見上げ、満月に照らされながらフロオはつぶやく。
「サウナイキタイ。」
おわり