旭湯
銭湯 - 大阪府 堺市
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へんてつもない旭湯にてサ道を考察
入墨男よ、サウナを信じるな。ととのうとは何か?ただの言葉だ。特別な状態を追い求めてはいけない。なぜなら、そんな状態はこの世に存在しないからだ。幸せを信じ、追い求めることが、幸せでない苦しみを生み出すのだ。サウナとは、身体を温め、水風呂に入り、身体を休める。ただ、それだけのことだ。そこにあるのは、安らぎと喜びだけ。それ以上求めてはいけない。あるがままに、その安らぎと喜びを感じていればいいのだ。サウナを信じるな。
聖典、聖地、瞑想、そして導師。サウナを取り巻く言葉には、宗教じみたものが多い。そもそもサウナの本場、フィンランドではサウナは教会に匹敵する神聖な場所だと言われている。「サ道」に足を踏み入れた者たちは、サウナを「信じる」。そして、「ととのう」を目指す。「サ道」で「ととのったー」というとき、マンダラのようなCGが展開するのもどこか関連している。
サウナは宗教なんかじゃない。サウナで身体を温め、水風呂に入り、休憩する。それだけでいいというわけだ。これは「マンガ サ道」1巻の最後で語られている内容でもある。
ととのうことから解放された人は、穏やかで晴れやかな顔を見せる。それからもサウナには通い続けるが、もうととのうことに固執していない。
サウナとは一つの趣味である。趣味を追い求めれば、いつしか古参(マニア)と呼ばれる層が生まれ、必然的に新参(ニワカ)ができて、上下関係なども生まれてくる。古参が後生大事にしているのが聖典や教義であり、教祖や導師だ。だが、たかが趣味にそんなこだわりはいらない、一時的にあってもいいが、固執し続ける必要はない、というのがサ道の着地点だった。マニアのこだわりからサウナを解放したのだ。
そういえばシーズン1にて「ととのう」ことを捨てた最終回に、熊本地震を背景に持つ「湯らっくす」を組み合わせたのも上手かった。大きな災害を前にしたら、ととのう、ととのわないどころじゃない。風呂は疲れを癒やし、サウナは心を落ち着かせる。それでいいじゃないか。よく出来た最終回だったと思う。
男
凄く!勉強なりんした! 暑くなった体をさます!ただそれだけ!
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