平和温泉
銭湯 - 大阪府 大阪市
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【ニューフジバの影】〜タイムストッパー〜
平野区で建築地の下見と打合せ。
そこに見えるニョッキり伸びた、あの場所に向かってたどり着いたのはここ「平和温泉」だ。
平野区と言えども、道を渡れば生野区。
しかも四次元が数十年前に通っていた中学校のそばだ。
相当久しぶりにこの辺りに来たけど、この銭湯の記憶が無い。
校区外とは言え、ほぼ目の前だ。
それもそのはず、その昔、この中学の隣には伝説の銭湯「ニューフジバ」があったため、その影に隠れてしまったのだろう。
家風呂が普及しだす1970年代前半から、銭湯は経営が厳しくなって行った。
公衆浴場という位置付けは、その役割を終え始め、全国浴場新聞では経営に苦慮する銭湯の記事が踊り始める。
そんな中、今では当たり前の各種気泡浴槽や赤外線風呂、露天風呂だけれど、その原点となったのがこのニューフジバなのだ。
最も大きかったのは「本格フィンランドサウナ」や水風呂、休憩場所を作り「健康のための場所」というコンセプトを打ち出したのだ。
これには日本中が衝撃を受けた。
事実、ニューフジバは銭湯業界の怪物で、最大1日4000人来場していたという。
1976年のサウナスパ協会新聞にもその事実が残っている。(画像参照)
改装工事前、平均350人(それでも現在から比べると倍以上の来場だけど)だったのが平均で2000人だから化物という他ない。
当時、ニューフジバに行くと、足の踏み場もない程の人がいて、大混雑。
「ズームイン朝」で中継が来ていたくらい、日本初の健康ランドなのだ。
そんな大混雑のニューフジバは数回行ったけど、あとは巽湯、日の出湯、七福温泉など、今は無き生野の名銭湯に通っていた。
巽東のこの銭湯は丁度内環状線の向こう側となり、地元だった頃の四次元少年は行ったことが無かったのだ。
その後、ヤンキー全盛時代となり、ひ弱で孤独な四次元少年は、カツアゲを恐れて銭湯に行くことが無くなっていった。
ニューフジバは10年ほど前に無くなった。
一つの時代の終わりを告げた事件だ。
しかし今、目の前に、まるで時間が止まったかのように建つ銭湯があった。
〜つづく〜
歩いた距離 0.5km
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