朝日温泉
銭湯 - 大阪府 大阪市
銭湯 - 大阪府 大阪市
透明な碧さを湛えた柔らかな日差し射す早春の午後、私は大阪市住吉区にある当該銭湯のサウナ室で、どっしりと汗をかいていた。
室内の温度はちょうど100℃を指している。暑い、否、熱い。
充分すぎる位の高温と豊潤なる湿度を纏ったこのサ室は手入れが行き届いており、大きめに取られた窓から射し込む光と共に、当該銭湯の意志とメッセージが伝わってくる。
この高温と陶然たる湿度の中で、私という存在が蒸しあげられるのにそう時間はかからない。サウナストーンにほとばしるオートロウリュの水と、それがたてる心地よい微音が部屋の湿度を上げ、街の銭湯サウナとしては出色のこのサ室を更なる高みに引き上げる。
12分はおろか、10分いることも儘ならぬ。汗みずくの私はサ室を出、汗を流し、深めの水風呂にその身を沈める。
嗚呼。。。
....体感、13℃ほどだろうか??
冷気は身体の末端から入りこんでくる。故に、この水準にまで冷えた水風呂は手足の先を水面から出すことによって、より長く浸っていられる。
よく冷えた透明な水との境界線を無くし、その実存性を融解させてゆく肉体の先にある、水面上に浮かんだ二つの掌。
それは自然と重なって、祈りの姿勢にはなはだ近いものとなる。
祈り。
そう、それは祈りなのだ。
自らを超越するモノに相対した時、そしてその超越が善なる意志を宿している事を感知した時、人は自然と祈りの姿形を取る。
その祈りの先に、そして祈りの内容に具象性を意識することはない。
祈るともなく祈る、この無意識的かつ本能的な祈りこそ最も純度が高い祈りであると同時に、自らを超越するものと同一化する為の所作と言えるのではなかろうか?
そのような在り方で、ただ、露天の水風呂に射す光、この光の濃ゆさは何だろう、この光の秘密は何だろう?と思うともなく思っている私という存在は、その時、すっかり私を超えていたのだ。
....そう、この水風呂の中で。
大阪市住吉区にある、小さな四角に区画された、この光射す水風呂の中で。
....気がつけば、5セットも繰り返していた。
サ室で蒸しあげられ、水風呂で祈り、それを5回も繰り返していたが、あの熱さ、あの冷たさの中にいて、それでも共通するモノがあった。
そう、朝日温泉に射す光は、どこにいても濃ゆい変わらぬ光の色で、総ての全てを照らし続けていたのです。
(※ロビーではクラフトビールが充実していて、この境地を経てから呑むインペリアル・スタウトは最高っした)
男
このよく練り込まれた癖の強い文章、、、大好きです。
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