安里 アンリ

2020.07.22

1回目の訪問

水温は冷たければ冷たいほどいいと考える水風呂キンキン至上主義者であった私は、当初はここの水風呂はぬるいのでキマりきらぬなどと放言していた。

サ室は、サウナ料金を取らない街銭湯のサ室として白眉、そのムンムンの湿度たるや一歩足を踏み入れるや否や陶然たるものがある。

サ室にTVは無く、時が止まったかのような昭和〜平成初期の歌謡曲が漫然と流れる中、私は常に3曲しっかり聴くと決めている。

サ室のスピーカーの塩梅か、低域が殆ど効いておらずどの曲もベースラインがかのポールマッカートニー氏が弾くバイオリンベースが如くのポコポコ具合で実にヌケがよく聴きとりやすい事おびただしい。昭和の歌謡曲というのはベースの旋律がしっかりと練られた楽曲が多く、その仕事ぶりにほとほと関心しながら豊潤なる湿度と3曲分のベースラインを堪能して汗みずくになった私はサ室を出、行水をして汗を流し、そして水風呂に入る。

広い水風呂に浮かびながら「嗚呼あと2℃、せめて1℃水温が低ければ...!」とぼんやりとした頭で思っていた。

サウナとは、ただ、そこにあるだけのもの。

もっと暑いのがいい冷たいのがいいなどと、自らが火を起こした訳でもチラーを買い込んできた訳でもないのに雑念と傲慢さに絡めとられてサウナ浴が貧しいモノになってゆく。あゝ何の為のサウナ浴か。

その雑念、傲慢、謂わば邪念を洗い流す為、私は轟轟と飛沫をあげる水風呂に備えつけられた滝下に向かった。

浴びる。ひたすら滝を浴びる。眼を閉じたまま天を仰ぎ、時には俯いて我が傲慢なる心臓の鼓動を聴く。

どれ位の時間が経っただろうか。

下顎まで水に埋め、滝に打たれ続けた私の眼はいつの間にか開くともなく薄っすらと開いていた。

飛沫はキラキラと輝き、波打つ水面の波の角が鋭く尖り、その数は無数とも思え、水の青さは何処までも碧く、暖色的な壁のタイルはさながら鈍く光る黄金のようではないか。

私の網膜は私だけのもの。私の網膜が捉えたその景色は紛れもない真実であり、なんぴとたりとも異論を挟み込む余地などない。

私の網膜が捉えた景色を感知する脳髄は、その機能を暫し止めたようにも、飛躍的に活動領域を広げているようにも思えた。

ニルヴァーナ。

私は無であると同時に、総ての全てであった。

人はサウナトリップと言う。

確かにその瞬間、私は小さな旅に出たのかもしれない。

その行き先は、きっと誰もが語りえぬ言葉の深奥に潜ませた場所であるに違いない。

そう、サウナとはただそこにあるだけのもの。

其処から何処にだって行けるのだ。

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