2017.11.29 登録
[ 大阪府 ]
まだ爆風アウフグースのサービスが始まったばかりの頃の当施設のサ活を投稿した後、そのまま約半年も放置していた事を、まずお詫びさせていただきます。まさか、こんなにも沢山の方々に読まれる事になるとは1㎜も想定していませんでした。。
その後も当施設には通い続けていますが、ブロワーを使ったアウフグースの質は確実に向上し続けています。
私のかつてのサ活で僅かながらでも恐怖に似た感情を持った方がいるとするなら、今は何一つ心配には及ばない、と断言させていただきます。
昼間にサービスをしてくれる若者は、優しく「の」の字を描くように風を送ってくれるし、爆風紳士も物腰柔らかく、緩急をつけたブロワーの上下運動にはもはや「愛」すらをも感じさせる域に。
爆風アウフグースが始まった頃は、さながらブロワー片手の邏卒にサウナ亡者どもが打擲を受けているが如き様相を呈しており、極めてスパルタンなサービスであったと言えましょう。
そして、私はそのスパルタンさ、打擲される事に喜悦を感じる酔狂なサウナ亡者であったにすぎません。
しかし、今、当施設の爆風アウフにその種の不必要なスパルタンさは解消され、ブロワーから吹き付ける熱風は「愛」と「調和」の調べを奏でていると言っていいでしょう。
今日はアウフグースサービスの前には、高温サ室の扉を開放して新鮮な空気を取り込んだ後、ブロワーを持った若者と爆風紳士が連れ立ってサ室にやって来る。
爆風紳士が凛と立ち、紳士に見守られながら若者が丁寧なロウリュと熱波の循環をする。ペパーミントのアロマに満ちた幸福な空気と熱気が、ゆっくりと、そして確実に私の全てと調和してゆく。うっとりとしていると紳士が口を開く。
「個人攻撃いる人いますか?」
....攻撃...!?!
......あゝ、この単語ひとつに込められた意味、思い、そして決して長くはないかもしれないが、その歴史。
迷わず挙手。
攻撃してください、私を、攻撃してください....!
勿論、その攻撃は愛と調和を前提とした攻撃であり、私の哲学的領域にうずくまる瓊ノ浦もディエゴ・マラドーナも穏やかな表情のまま微動だにせず、その神の手は静かに鎮座ましました。
「今は全てのスタッフが同じサービスができるよう指導しています」
と爆風紳士。自然湧き起こる拍手。
このサ室で初めて聞く拍手。
今、ここには「愛」と「調和」だけがある。
美しい。
素晴らしいサービスを、ありがとうございました。
(4Fレストランで食べた出汁巻きサンド、最高でした)
[ 大阪府 ]
消えゆく銭湯の再生、という非常に意義ある事業に取り組まれているゆとなみ社様が大阪で最初に手掛けた門真市にある当該銭湯にイン。
見た目以上に深いジャグジー風呂、たおやかな曲線美がそのまま身体へのフィット率の高さを示す寝風呂を堪能してからサ室へ。
銭湯サウナにしては充分な広さ、木材の深い色、威厳と優しさを同時に内包して静かに聳立する遠赤ストーブ、2つ並んだスツール椅子、室温は92℃を指し、重すぎず、そして軽くもない湿度が悦びに満ちた意識の扉をそっとノックする。穏やかかつささやかでありながらも、そこには豊潤なメッセージがある。そう、サ室にはよく練り込まれたメッセージが宿っているのだ。
2段ある座面は既に先客がいた為、自然、床に設置されたクッション性の座面を持ったスツールに座る。
サ室では常にサウナマット越しに硬い木の座面に座らざるをえないしそれを不自然にも不満にも思った事はなかったが、このスツールには新鮮な驚きと意外性がある。
そう、サ室内で柔らかな座面に腰をかける事は意外に初めての経験であり、その意外性は速やかに「優しさ」に変換されて臀部からじっくり全身を包み込んでゆく。
窓を備えた壁側に設置されたスツールに腰をかけて天を仰ぐと、私の後頭部が窓の深い縁に丁度収まる。頭部は頸椎を起点に仰角ほぼ90°、静かに目を閉じてそのまま両手両足を投げ出す。あゝ、嘗てサ室内でこれ程までに弛緩しきった体勢を取った事があろうか?いや、ないと断言する。(このような体勢が取れるのも当該サ室が充分の広さを持っているから)
私の身体が液体と固体の中間相を呈している状態からかろうじて固体である肉体を選び取り、サ室を出て汗を流し、水風呂へ。
この日はチラーの調子が悪かったらしく、体感19℃程であったがそれもまた佳き。
若干の矛盾を孕みながら、私は「スローサウナ」という言葉を使う事がままある。
猛烈な熱さと強烈な冷たさと対峙した後、ととのい椅子の上でサウナトリップ、身も蓋もない言い方をするとラリったようになるのもサウナの愉しみ方のひとつだが、穏やかな熱のサ室と優しい緩さを湛えた水風呂でゆっくりとした時間の流れを感じるのもまた王道。
サウナ浴とは人間社会の貪欲性から離れ、人生を、1秒1秒の時間を、より濃厚に感得する為にあるのだから。
私はその状態をスローサウナと呼んでいる。
全てがスローで丁度いい。
4セット程キめ、私は完全に満足して当該銭湯を後にした。
ご馳走さまでした。
[ 大阪府 ]
透明な碧さを湛えた柔らかな日差し射す早春の午後、私は大阪市住吉区にある当該銭湯のサウナ室で、どっしりと汗をかいていた。
室内の温度はちょうど100℃を指している。暑い、否、熱い。
充分すぎる位の高温と豊潤なる湿度を纏ったこのサ室は手入れが行き届いており、大きめに取られた窓から射し込む光と共に、当該銭湯の意志とメッセージが伝わってくる。
この高温と陶然たる湿度の中で、私という存在が蒸しあげられるのにそう時間はかからない。サウナストーンにほとばしるオートロウリュの水と、それがたてる心地よい微音が部屋の湿度を上げ、街の銭湯サウナとしては出色のこのサ室を更なる高みに引き上げる。
12分はおろか、10分いることも儘ならぬ。汗みずくの私はサ室を出、汗を流し、深めの水風呂にその身を沈める。
嗚呼。。。
....体感、13℃ほどだろうか??
冷気は身体の末端から入りこんでくる。故に、この水準にまで冷えた水風呂は手足の先を水面から出すことによって、より長く浸っていられる。
よく冷えた透明な水との境界線を無くし、その実存性を融解させてゆく肉体の先にある、水面上に浮かんだ二つの掌。
それは自然と重なって、祈りの姿勢にはなはだ近いものとなる。
祈り。
そう、それは祈りなのだ。
自らを超越するモノに相対した時、そしてその超越が善なる意志を宿している事を感知した時、人は自然と祈りの姿形を取る。
その祈りの先に、そして祈りの内容に具象性を意識することはない。
祈るともなく祈る、この無意識的かつ本能的な祈りこそ最も純度が高い祈りであると同時に、自らを超越するものと同一化する為の所作と言えるのではなかろうか?
そのような在り方で、ただ、露天の水風呂に射す光、この光の濃ゆさは何だろう、この光の秘密は何だろう?と思うともなく思っている私という存在は、その時、すっかり私を超えていたのだ。
....そう、この水風呂の中で。
大阪市住吉区にある、小さな四角に区画された、この光射す水風呂の中で。
....気がつけば、5セットも繰り返していた。
サ室で蒸しあげられ、水風呂で祈り、それを5回も繰り返していたが、あの熱さ、あの冷たさの中にいて、それでも共通するモノがあった。
そう、朝日温泉に射す光は、どこにいても濃ゆい変わらぬ光の色で、総ての全てを照らし続けていたのです。
(※ロビーではクラフトビールが充実していて、この境地を経てから呑むインペリアル・スタウトは最高っした)
男
[ 大阪府 ]
【閲覧注意】
※婉曲的表現と雅語の使用を心掛けましたが、読む人によって、特に女性にとっては不快な表現があるかもしれません。ご注意ください※
大阪サウナシーンのトップランナーに一躍躍り出た感があるなにわ健康ランド湯〜トピア。
今回はそのサ室、水風呂、休憩スペースの素晴らしさより、当店の名物である爆風アウフグースに焦点を当てて述べさせていただく。
...非の打ち所がない素晴らしいサウナ浴を一頻り体験した後の17:30、時は来た。
関東の名サウナ施設、SKCを思わせるブロワーを使う件の爆風アウフグース、前回はまだ不慣れなようにも見えた爆風紳士のアウフグースがどのように進化しているかも見所の一つであった。
鷹揚としていながらも手早くサービスが始まる。
ストーンから立ち昇る熱気をブロワーで循環させる所作は格段に向上し、室内は素晴らしき熱気に満たされる。短期間で見事なまでの進化ぶりだ。
「風いる人いますか〜?」
敬語になってる。迷わず挙手。
以前はブロワーの上下運動もなく胴体に直接噴射で悶絶したが今回は如何、あ、前回ちぎれ飛びそうになった私の薄い胸板に転がる小梅の種に似た2粒のそれを守護ろうと膝上に置いていたタオルを胸元に持ってきたその刹那、
その、刹那であった.....
.....両脚の付根にある私の最も哲学的な領域に爆風巍然と吹き付けて、瓊ノ浦は翔ぶが如くに翻り、私のディエゴ・マラドーナは尋常ならざる熱風に巻き上げられ、その神の手を激しくわななかせた。
「あっつうううううう!!」
私は瞬間的にはこのような定型的で愚鈍な反応しかできなかったが、
瓊ノ浦、あゝこの小さき港に嘗てこれ程の熱波爆風が吹き付けた事があったであろうか?いや、ないと断言する。西暦208年、後漢末の赤壁にてかの名将・周瑜提督が曹操軍にけしかけた火船による襲撃はかくやあらんと思わせるものであった。まさに時空を超えた衝・撃・波....!
私の哲学的領域が焼け野原になるかと思われたその時、私は遅まきながらようやく理解したのである。
そう、この素晴らしきサービスに以前は無かったブロワーの上下運動が加わっている....!
愚かにも自らの哲学的領域を完全無防備にして熱波爆風吹きッ晒し状態にしたのは100%私の責任であって、爆風紳士の責に帰するものではない。
「ありがとうございました」
以前とは一味違う丁寧な態度でサ室を去る爆風紳士。
確実な進化を堪能させていただき感慨無量。
あゝ湯〜トピア最高!
[ 兵庫県 ]
関西サウナシーンの横綱、神戸サウナの営業時間は緊急事態宣言中の平日は12:00〜21:00と知らなくって、久しぶりの神戸サウナに勇んで午前中に乗り込んだも畢竟、私は暫く待ちぼうけを喰らってからオープンと同時にIN。
瓊ノ浦まで念入りに洗体し、柔らかな陽射し射すフィンランドサウナ室へ。
ほぼ1番風呂と言っていい🇫🇮サ室は何もかもが澄み切った空間で、その静謐の中で開いてくる一つ一つの毛穴との対話を愉しむ。
サ室を出て、ヴィヒタで全身をしばきあげ、赤くなった身体を暫し風に晒した後、水風呂には入らずにそのままロウリュサービスを行うメインサ室へ。
一回分水風呂を飛ばした後に受ける熱波、そしてその後の11.7℃の水風呂で得られる体験は最早文字や言葉で表現できる範疇のものではない。その上で、冬場の風に晒される外気浴たるや大・涅・槃、グレート・ニルヴァーナ以外のナニモノであると言うのか。
そう、30分おきに催されるロウリュサービスは熱波を受ける側のタイムテーブルの組み方が重要で、1回水風呂を飛ばす事で合理的かつ理想的なタイムテーブルが組み上がるのだ。
メインサウナで熱波を浴び、水風呂に入り外気浴、この時点で時計は15or45分頃を指し、🇫🇮サ室でとっぷり汗をかき終わる頃には時計はロウリュサービス5分前を指している。
故に水風呂には入らず、ヴィヒタで身体をしばきあげて冬の風に吹かれるに留める。水風呂に入っているとロウリュサービスに間に合わないのだ。
夏場ではこうは行かぬ。身体を一瞬で冷やしてくれる風などどこにも吹いておらぬ。これは冬場ならでは、神戸サウナならではのタイムテーブルでありサウナ浴体験である。オススメさせていただきたい。
この水風呂1回飛ばしを2〜3セット程キめこめば、後は時間を気にせずのんびりとサウナ浴を愉しむ。
熱波を一回でも多く浴びたい、合理的なタイムテーブルとは何ぞや?といった卑俗な欲望から解き放たれ、🇫🇮サ室のサウナストーンにゆっくりと水を落とす。
入室15分を越えてからのセルフロウリュの喜悦。
ゆっくりと降りてくる熱を帯びた水蒸気は、さながら「やさしさ」という名のオーロラが天から舞い降りてくるかのよう。
そして、空の青さをそのまま写し映える水風呂へ。
....その時、私は、美しいフィヨルドの中で波も立てずに清冽に佇む水面に零れ落ちる、輝く氷河のカケラになっていた。。。
天を仰ぎ、目を閉じる。
その瞳が2度と開かなくても、私は決して驚かないだろう。
[ 大阪府 ]
最近リニューアルしたと聞き及び、やって来たのは近鉄布施駅徒歩7分、なにわ健康ランド湯ートピア。
健康の地、そしてかのトマス・モアが説いた理想郷、ユートピア。この殆ど力技とも言えるどストレート極まるネーミングセンスに脱力、否、ほとばしる期待は雲を突く昇り龍が如き烈々たるものがある。
入店し、まずは湯船の良さに驚く。特に檜風呂は出色で檜に刻まれた悠久の時間がさながら私の全細胞に染み込むようだ。両掌で掬った湯が指の間からゆっくりと零れ落ちてゆくのを見つめながら、刻まれる時間に思いを馳せる。
高温サウナ。暑い。湿度も温度も申し分がない。特に寝転びスペースが秀逸で、他のサウナ施設の寝転びスペースでは温度的に不満を覚える事があるのだが、ここは文句無しに暑い。
そして目玉のひとつがSolt Meditation Sauna。フィンランドのサ室を模したであろう薄暗く静謐な空間。室温80℃代。セルフロウリュ可。水はアロマ水。そして塩をも設えてある。この森の香りが立ちこめるメディテーショナブルで幽玄なサ室で塩に包まれながら目を閉じていると、さながら母の胎内に戻ったかと錯覚する程に脳と宇宙との連結が早い。単純にフィンランドサウナと銘打っていない所にこの施設の自信と誇りを感じる。
水風呂は体感15℃代。パキッと冷えているも冷たすぎず、それぞれのサ室とのバランスを考えると絶妙なチューニングと言える。自身が水に融解してゆくが如くの涅槃域にあっという間に到達可能。
そしてもう一つの目玉が、大阪初上陸、かのSKCを髣髴とさせる爆風アウフグースである。
しかし、こちらは色々な点で面食らった。
特に余計な口上などない。掃除のおじさんが入ってきたのかな?という鷹揚さで何となく始まり「風いる人〜」とのっそりと訊かれるので挙手すると、ゴワーーーー!!と爆風が胴体に一極集中で浴びせられる。その激しさは私の乳首がちぎれ飛ぶかと思う程。
爆風にもう少し上下運動があってもいいと思うが、動転しているのでうまく言えず、私はおじさん、もとい老紳士に「顔面に浴びせてください!」と口走ってしまい、紳士が「やめといた方がいいで」というのをおして浴びる。ぐわああああーー!!痛ええええ!!!
...茫然自失で言葉が出ない中、紳士は「他は〜?」と聞くも、恐れをなしたか誰も挙手しない。すると紳士は「終わり〜」とだけ言ってサ室を出ていった。。
(もっと語りたいが文字数不足なのでこの辺で。湯ートピア最高!!)
[ 大阪府 ]
今は引っ越してしまったものの、私は青春時代の久しい期間を当該銭湯のごく近所に住んでいたのもあって都合13、4年程こちらには足繁く通っている。
その間、外観や待合室に改変はあったものの風呂やサウナのスペックに変更は無かったのだが、コロナ禍の自粛期間を経たサ室周りのマイナーチェンジはサウナ愛好家にとっては一大事とも言える変革で、その報に接する否や垂涎おびただしく止まりえぬ事態であった。そう、リラックスチェア、またの名をととのい椅子の導入である。
ご多分に漏れず奇数日は男湯は遠赤サウナ、女湯は塩サウナである。
ガツン!とクる暑さ、という点でタテバの遠赤サ室のオリジナリティは出色である。昭和ストロングスタイルのカラッカラのドライ感ではなく、かと言って豊潤な湿度に陶酔できるというスタイルでもない。純粋に、ただひたすらに暑い。私の皮膚に、毛穴に、細胞のひとつひとつに「暑さ」の何たるかをさながら殴りつけるかのように教えてくれる純度の高い暑さだ。
ともすれば暴力的とさえ言えるそれを眼を閉じて受け止め、受け止め切った私が、この激しさこそ当該サ室特有の「愛」なのだと感得できた頃、私は覚束ない足でサ室を出、汗を流し、極楽風呂と銘打たれた水風呂に入る。
極楽風呂とはよく言ったもので、広さ、深さ、水温、そのどれもがこれ以上はないと言っていい絶妙のトライアングルで構成されている。
足先から浸して数瞬の刺すような冷たさ、全身を浸す時にやってくるやや強めの萎縮の先に、刺激と萎縮の反動からくる解放が待っている。
そう、深い碧さをたたえる水との境界線を失った肉体と意識が其処に現出するのだ。
それ即ち透明になった私。
永遠が瞬間に凝固され、無数の瞬間が永遠に融解する。自らが透明になり、半露天形式になっているこの水風呂の中から空を見上げていると、極楽とは空の彼方にあるのではなく、今、自分の内に在ると悟るともなく悟るのだ.....
気付けば私はまたサ室にいる。もはやその暑さに暴力性など寸毫とて感じ得ず、ただ愛が、愛のみがあった。
水風呂と何往復か済ませた後、私の肉体はととのい椅子の上に横たわっていた。
全身がジンジンとし、意識は此岸と彼岸の間を揺蕩っている。
これはととのい椅子どころの話しではない、在るのはグレートニルヴァーナ、即ち大・涅・槃。
大涅槃椅子だ。
....嗚呼、光が、見える。
心地よい音楽も。
.....お迎えが来たのかもしれません。。。
男
[ 大阪府 ]
水温は冷たければ冷たいほどいいと考える水風呂キンキン至上主義者であった私は、当初はここの水風呂はぬるいのでキマりきらぬなどと放言していた。
サ室は、サウナ料金を取らない街銭湯のサ室として白眉、そのムンムンの湿度たるや一歩足を踏み入れるや否や陶然たるものがある。
サ室にTVは無く、時が止まったかのような昭和〜平成初期の歌謡曲が漫然と流れる中、私は常に3曲しっかり聴くと決めている。
サ室のスピーカーの塩梅か、低域が殆ど効いておらずどの曲もベースラインがかのポールマッカートニー氏が弾くバイオリンベースが如くのポコポコ具合で実にヌケがよく聴きとりやすい事おびただしい。昭和の歌謡曲というのはベースの旋律がしっかりと練られた楽曲が多く、その仕事ぶりにほとほと関心しながら豊潤なる湿度と3曲分のベースラインを堪能して汗みずくになった私はサ室を出、行水をして汗を流し、そして水風呂に入る。
広い水風呂に浮かびながら「嗚呼あと2℃、せめて1℃水温が低ければ...!」とぼんやりとした頭で思っていた。
サウナとは、ただ、そこにあるだけのもの。
もっと暑いのがいい冷たいのがいいなどと、自らが火を起こした訳でもチラーを買い込んできた訳でもないのに雑念と傲慢さに絡めとられてサウナ浴が貧しいモノになってゆく。あゝ何の為のサウナ浴か。
その雑念、傲慢、謂わば邪念を洗い流す為、私は轟轟と飛沫をあげる水風呂に備えつけられた滝下に向かった。
浴びる。ひたすら滝を浴びる。眼を閉じたまま天を仰ぎ、時には俯いて我が傲慢なる心臓の鼓動を聴く。
どれ位の時間が経っただろうか。
下顎まで水に埋め、滝に打たれ続けた私の眼はいつの間にか開くともなく薄っすらと開いていた。
飛沫はキラキラと輝き、波打つ水面の波の角が鋭く尖り、その数は無数とも思え、水の青さは何処までも碧く、暖色的な壁のタイルはさながら鈍く光る黄金のようではないか。
私の網膜は私だけのもの。私の網膜が捉えたその景色は紛れもない真実であり、なんぴとたりとも異論を挟み込む余地などない。
私の網膜が捉えた景色を感知する脳髄は、その機能を暫し止めたようにも、飛躍的に活動領域を広げているようにも思えた。
ニルヴァーナ。
私は無であると同時に、総ての全てであった。
人はサウナトリップと言う。
確かにその瞬間、私は小さな旅に出たのかもしれない。
その行き先は、きっと誰もが語りえぬ言葉の深奥に潜ませた場所であるに違いない。
そう、サウナとはただそこにあるだけのもの。
其処から何処にだって行けるのだ。
日程や人数、部屋数を指定して、空室のあるサウナを検索できます。