松の湯
銭湯 - 東京都 府中市
銭湯 - 東京都 府中市
人生を生きている間に奇跡というものに出会す事はどれくらいあるのだろう?
奇跡といってもピンキリで些細なものから言葉を失ってしまう程のものまで、深く考えれば自分が今こうして生きていることさえ含め、今も世界のどこかで奇跡は起きていることなのだと思う。
コロナ禍の今だから余計にそう思いを馳せる夏の暑い昼下がり、自分は言わずもがなサウナでのととのいを求め今日は銭湯で過ごしていた☆
最近の銭湯サウナはソーシャル・ディスタンス、飛沫感染防止の為、人数制限、時間制限を課す施設が多いが、こちらはかなり奥深い住宅地にある為か、人数制限を課しているのに定数にいったところを見た事がないくらい貸切できてしまうところだ。
三時間かけて幾多のルーティンをこなし、フラフラになりながら脱衣場で着替えていると隣にこれから湯船に入る為にベンチに座りゆっくり服を脱いで準備している90代と思しき老人がいた。
その隣で座りながら身体に塗り薬をまんべんに塗っていたところ、その老人が
『あれぇ?・・・どこいった?』
とゆっくりと鞄を漁り、顔を上げ、また鞄を漁ることを繰り返し続けていた。
自分が一通り塗り薬を塗り終えた時、老人が話しかけてきた。
『すいません・・・鍵見ませんでしたか?』
『鍵?どんな鍵ですか?』
『あそこの』
と指差し言うが、そのあそこの指の先を見ると左右に首振る扇風機しか見えず、あそこがどこなのか分からないまま二人で一緒に探し出したが、その鍵の形態も不明な為見つからず、落ちた肩を更に落とした老人は、
『仕方ないか・・・ありがとうございます。』と石鹸とシャンプーを入れた桶を抱え立ち上がった。
その瞬間微かな音が自分の耳に届いた。
自分の視線は狭い脱衣場を一周し、ある一点で止まった。
その先にお尻の肉に挟まった小さな鍵をぶら下げたまま浴場へ入ろうとする老人の背中があった。
眼鏡を額に上げたまま、眼鏡を探す喜劇役者以上の奇跡に遭遇し、自分は言葉を失い逡巡した。
こんな時なんて言えばいいのだろう?
自分が声をかけなければ老人は鍵を無くした喪失感に苛まれながら、そのまま湯船に浸かってしまうだろう。
自分はコロナ禍に入ってから一番の大きな声で叫んだ。
『お爺さん!ケツ!ケツに鍵が!』
いきなりの通った声に驚き振り返った老人は自分の視線に手を落とし、尻肉に挟まった鍵を手に取り掲げながら満面の笑顔を自分に送り
『あったねぇ』
と呟き浴場へ入っていった。
奇跡が通り過ぎた脱衣場にいた他の客達が笑いを堪えるため俯いたまま、静かに服を急いで着始めた。
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