上野ステーションホステル オリエンタル2
カプセルホテル - 東京都 台東区
カプセルホテル - 東京都 台東区
青森弾丸の帰り、東京下車予定を上野下車にしてサウナ入って帰る的な
ま、お金掛からないしってことで
妻子には一報済み(笑)
元カノから、「自由だね君は」ってチクっと刺されて、心を痛めたんだが(笑)
元カノと会いたい訳ではないが、同窓会でどうしても会ってしまうので…
いやぁ、何の不自由もないかもだけど、自由であることが不自由って感じてるから
ネットにも同意見あり、参考になるな
自分を見つめかえさんと(笑)
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(引用元)
https://mount-love.blogspot.com/2021/03/blog-post_30.html
ほんまコレ↓
自由ほど不自由なものはない
人は自由を求める習性がある。束縛や拘束をされるくらいなら、何もない自由の方が良い。選択も判断も行動も自分の意思で行える環境に憧れるものだ。それだけ日常の生活が何らかの形で自分の人生が物理的にも精神的にもフィックスされているからそう思うのだと想像する。自由になれない不満を抱くのだ。しかしながら実際に自由になってみると、それはそれで不満を感じるものなのだ。人間はある程度、何か固定した定期的なタスクが全く無くなってしまうと、不安から来る感情なのか分からないが、あまり居心地の良いものではないのようである。「好きにしていい」とか「ご自由にどうぞ」などと言われると、初めは有り難く嬉しい気持ちになるが、結局は自由を持て余してしまうことが多い。
自由になりたい理由の本質は、何かがやりたいからだと思う。何もしたくないから自由になりたいのではない。日々の雑事に追われて疲弊して自由を求たくなるのは一時的な話だ。自分の身体や心に余裕が出来てしまうと、再び何かを始めたくなるものだ。人生を計画的に考えていれば良いのだろうが、自由だけを求めて自由になったならば、その後のことを考えなければ、不自由の時よりも苦痛かもしれない。自由を求めるのは、自分の想いや考えに対して障害を感じているからだ。拘束や束縛そのものに不満があるわけではなく、その拘束や束縛が自分にとって不本意だと思っていることだから不自由なのだ。実際のことであっても精神的なものであっても、どちらでも不自由だと自分が感じているのならば自由を選択した方が良いだろう。
先の計画が未定であっても実際に自由になるから、様々なことを考えることが出来るのは間違いのないことだから、不自由でいるよりは自由を選択した方が良いと思う。自由を謳歌している中で何かが見つかることこそ、自分らしい選択が出来ると思う。自分らしい人生を送ることこそ幸せな人生だ。
以降、省略…
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