【閉店】湘南ひらつか太古の湯グリーンサウナ
温浴施設 - 神奈川県 平塚市
温浴施設 - 神奈川県 平塚市
国会図書館でも大宅壮一文庫でも良いのですが、アクセスできる人は、ためしに70年前後の記事を軽く漁ってめちくださいな。昨今のサウナブームは所詮分衆化された事象と分かると思います。あの頃は繁華街の一等地にどんどん施設がオープンしています。週刊文春が「昨今のサウナ風呂の盛り上がりはトルコ風呂を凌駕する」みたいな見出しを掲げていたりして、おおらかな時代ですねぇ。
数の多い団塊世代を相手に、経営者も右肩上がりを夢見て雨後の筍のように増えたサウナ施設。その後のバブル崩壊と温泉ブーム、ファミリー向けスーパー銭湯の隆盛を乗り越えて生き残ったのが、我々が訪れる施設な訳です。つまりめちゃ広い裾野からバトルロイヤルで勝ち上がった猛者中の猛者。柳生新陰流や薩摩示現流といったところでしょうか。そりゃあどこも刮目すべきポイントがあるに決まってます。
その昭和サウナの中でも、令和時代にがっちりキャッチアップしている施設には特徴があることに気がつきます。創業者に加えて中興の祖とも呼べるキーパースンがいることです。時の洗礼には一人では立ち向かえません。
たとえば二代目がよりブラッシュアップ・洗練させたのは、ここグリーンサウナをはじめ数多いです。銭湯でも皆さん思い当たりますね。血縁ではなくとも、常務や支配人と呼ばれる人たちが盛り上げてきたところよ、すぐに浮かびます。そういえば、しきじも元々はファンだった今の経営者が買い取って今のように育てたんですよね。
ユニクロや星野リゾートは極端な成功例としても、儲けを後継者の視野、見聞に先行投資して家業に回収するサイクルがないと、チェーンのスーパー銭湯とは明らかに違うビジョンやディティールって生み出せないのかもしれません。
(まったくの余談ですが、屋久島出身者に教えてもらった、けっこう好きなエピソード⇨「屋久杉伐採で現金収入があった屋久島は、子供たちを東京の大学に進学させることができた。結果、官公庁やメディアなど中央で働く屋久島出身者が多く、その人々の情報とコネクションで、あの時代に世界遺産に認定され、今は伐採が禁止された」なかなか含蓄のある話だなあと)
さて今日は朝10時台にいったものの想定以上に混んでいました。テントサウナは90分待ちといわれたものの45分くらいで入れました。気温20℃超えると、熱々なので回転も早いですね。(昭和の平塚で「回転」といえばサウナでも寿司でもなかったそうです….失言)
閉館までにレストランの未食メニューを潰していかねば。今日はタンメンをいただきました。滋味深くて美味しかったです。レストラン横の外気浴スペースも涼しくて◯
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