2020.01.11 登録
[ 神奈川県 ]
平日 夕
人出 多
「窓を開けると僕の頬を撫でていった」
いろいろとこれからのサウナについて、計画している友人と、さまざなサウナを訪れるようになった。
溝口が誇る名施設。
お風呂は温泉炭酸泉、シルキーバス、ジャグジー、露天風呂と抜かりない。
シャンプー系も安価なものではない。
水風呂は温度がちょうどよすぎるからか、ついつい長居してしまう。
寝転んで4人、入れる感じです。4人目はいくぶん、浅いところになりますが。
サウナはスタジアム。しっかりと熱してくれる。
間引かれているため、10人レベルの行列ができることも。
すばらしいのは塩サウナ。
入った瞬間、何も見えません。自分の手すら見えなくなります。
「なんだ!これ!何も見えない!」となります。
塩を塗り、座り、もくもくと視界を埋め尽くす湯気は不思議と僕らをどこかに連れていってくれます。そうだ、僕はこういった景色をどこかで見たことがあるのだ。いつだっただろうか?
気がつくと僕は祖父の運転する車の後部座席にいた。助手席には祖母が小学生になったばかりの兄を膝に抱いていた。僕だってそこに座りたかった。
車は祖父の実家の長野に向かって走っていた。
僕と兄は朝早くの出発に胸を躍らせていた。
でも僕らはそのまま起きてい続けるには幼すぎた。車が高速に入って少しして僕らは眠ってしまった。
目覚めると車は高速を降り、山道を走っていた。辺りは本当に真っ白だった。雪ではなく霧だ。
どこだろう?ここは。
不安もあったけど、祖父と祖母がいるのだ。きっと守ってくれる。
兄は祖母の胸の中でまだ寝ていた。
窓を開けると霧が車内に入ってきて、僕の頬を撫でていった。
ドアを開けて塩サウナに新しく人が入ってきた。
表情はわからない。
けれど、きっと、必ずこう思っているはずだ。
「何も見えない!」
歩いた距離 5.6km
[ 東京都 ]
平日 夕
人出 少
「また会えるかな?」
雨の予報だった。
現にそれなりの雨が駒込の町をぬらしていた。
こんな日はロスコの外気浴がいい。
天然のシャワーがほてった体も心もクールにしてくれる。
友人とジャグジーの外気浴中に出くわす。
これもまたサウナの恩恵の一つだ。
でも、特に会話はない。
黙欲に徹している部分もあるけれど
しゃべるためにサウナに来ているわけではないからだ。
会話をしているグループもいる、もちろん。
そんな彼らを、じとりと見る方もいる。
「きっと」と僕は思う。「何年ぶりかの再会か、とんでもなくタフなことがあったのだろう」
施設側のお願いには準じたほうがよいのはもちろんだけど
「外出しないでほしい」のお上の要請を自分たちが聞いていないことを棚上げにするのも何か違う。
不要にリスクを上げる必要がないのは前提にしろ、自己判断で「外出」しているのだから、「覚悟」は必要かもしれない。
食べれば太るし、食べなければやつれるのだ。ヴォネガットじゃないけれど、そういうものだ(So it goes.)。
そう思わないと「不要ないらだち」を抱える窮屈な世界になってしまう。
今、世界を襲う災厄の「症状」のひとつだ。
サウナ室で寝転びながら、そんなことを考えていると
友人が入ってきた。
僕は起き上がり、声を出さずに言った。
「また会えるかな?」
友人は頭にタオルを巻きながら頷いた。
外気浴中、ふと横を見ると友人が座っていた。
そこにあなたがいる。
ここに僕がいる。
それだけは奪われてしまってはいけないのだ。
歩いた距離 4.5km
[ 栃木県 ]
週末夕方
人出 多
「たんぽぽの綿毛が舞う」
目を覚ますと窓から初夏の陽光がさしていた。
時刻は10時。
まだ一日ははじまってすらいない。
気づいたら電車に揺られていた。
終点は宇都宮。餃子と南大門が僕を待ってくれている。
所要時間は約2時間。
思えば、こんなことすら最近はしていなかった。
車窓から流れ行く景色を見る。なんと幸せだろうか。
宇都宮も晴れていた。餃子屋まで歩いていく。
餃子とビール。完璧な100%の組み合わせだ。
餃子屋から南大門まで歩く。もちろん道に迷う。10分ほどでつくはずが40分は歩いたろうか。でも、道に迷ってよいのだ。なんたって今日は100%の休日なのだから。
関東屈指の広さのサウナ。温度の違う水風呂。子どもたちがはしゃぐプーロ。
黙浴なんて子どもたちに守らせなくたってよいのだ。
19時からのロウリュが始まる。
湯気が立ち上る。舞う。踊る。100%だ。
お風呂上がりに食事処で飲むビール。
帰りの電車の中、ボックス席に座り、窓の外はもう見えない。窓に映る男は少し微笑んでいた。
彼の笑顔を見て、僕も笑う。
翌朝、夏日の晴天の中、出勤のために歩いていると風が吹いた。風の行方を見届けたくなって、顔を上げると、たんぽぽの綿毛が舞った。踊った。
綿毛がキラキラと陽光を受け輝く。
100%だ。
歩いた距離 6km
[ 東京都 ]
日曜 深夜
人出 中
「グルシンバイブラ」
赤坂の誇る名サウナ。
混んでいることを除けば…と思い、仕事終わりの深夜に来訪。
でも、さすがは赤坂。混んではいないけれど貸し切りとはならない。
サウナ室の上段が埋まる程度の人の入り。
2時から清掃に入るので、急がずに長い目の2セットをしよう。
いつもより1〜2分長めに蒸されてみる。
そうして、グルシンバイブラ。
初めて入ったときは数秒だった。
慣れてきてからは数十秒入っていられるようになった。
そして日曜深夜の今回。
あれ?1分少し入っていられる…
体がほどけていく。。
おすすめはグルシンに入ってから、14〜15度の水風呂に入るコースです。
14〜15度が「水に感じない」というハイな感覚を体験できます。
歩いた距離 1.8km
[ 東京都 ]
平日 朝
人出 少
「なんというスチーム!!」
浴槽に階段が2つ。
上るとスチームサウナ。
下るとドライサウナ。
裸で階段を踏みしめると、なんだか非日常に足を踏み入れた気分になる。
スチームはとにかく熱いのでドアを開閉して調整してくださいのはり紙どおり、これはすごい。
笑ってしまうぐらい熱い。
しきじの薬草蒸し風呂を思い出させる。
レストランが休止中ということで、おいしそうなお弁当が販売されていた。
休みの日にまたゆっくりと来ようかな。
[ 東京都 ]
平日 昼
人出 中
「鳩が飛んだ」
友人がどうしても行きたがっていた北欧。
3人で休みを合わせて、予約をとる。
働くようになり、家族を持った友人とは「遊ぶ」ではなく
「飲む」ことしかできなくなっていた。
それがサウナに行くということでワクワクしたり
ソワソワしたり、なんだか、あのころみたいだ。
シューズキーを預け、名前を告げ、支払い
ロッカールーム前でタオルとガウンをピックアップ。
ガウンを羽織り、1階上のサウナへ。
扉を開くと、何度も繰り返し見た彼らの世界が友人たちを待っていた。
照れくさそうに笑った。
サウナ室の角、水風呂の中、外気浴の椅子の上。
どこにでも彼らはいた。
僕たち3人が外気浴の椅子に座ったとき
友人たちが思わず微笑んでいた。
きっと彼らを思い出しているのだろう。
曇り空の隙間から、太陽が顔を出して、僕らを照らしてくれた。
鳩が飛んだ。
僕らは空を横切っていく鳩を目で追いかけた。
そうだ、自由なんだ。
飛んでいいんだ。
どこまでも飛んでいっておくれ。
そう願わずにはいられなかった。
歩いた距離 2.5km
[ 東京都 ]
祝日 夜
人出 多
「1010だけど銭湯」
仕事帰りに文字でしか知らなかった駅で降りる。
それだけで気分はピクニックですね。
Googleマップのナビで行こうとするとホテル ジュラクの中を通り抜けるトリッキーなナビをされるので注意です。
入り口はワテラス側です。
水風呂にハッカ油がトッピングされていたからか
水温15.5度よりも涼感があります。
かつての施設が改修されて
しっかりと「1010」になっていて、きれいですし、客層もスパ感があります。
でも、中には地元の方が何人かいて、でもやっぱり銭湯として、この町に存在してるんですよね。
だからなのか、価格はかなり安いです。
銭湯であることへの配慮もあったのかもしれません。
歩いた距離 0.8km
[ 東京都 ]
祝日 夜
人出 少
「障害と諦めるはイコールであってはいけない」
サウナ室に入ると、タオルが一時的になくなっていた。
床には何枚かのヴィヒタの葉が落ちていた。
壁に飾ってあるヴィヒタの葉は少なくなっていた。
誰かが間違ったウィスキングをしてしまったのだろうか。
気持ちはわかるけれど、生木でしないと…
それにしても、CIOの努力には感服する。
ととのい椅子が増え、氷が増え、ヴィヒタが増え、ビート板が増えた。
施設として、決してA面シングルのような華やかさはないかもしれない。
けれども、アルバムのコンセプトソングのような存在感と、たしかなぬくもりがある。
ここの水風呂に入っていると、よく思い出すのがMr.Childrenの「DISCOVERY」内の「image」なのも偶然ではないように思う。
この施設の進化は僕にある種の義足を連想させる。
「ギソクの図書館」という施設を作った方が「走るという当たり前のことを障害ゆえに諦めようとしている人たちが当たり前に走れるように」というコンセプトで設立した施設だ。
障害と諦めるはイコールであってはならないのだ。
CIOもそうだ、かるまるなんかと比べて、いくつかの障害はあるだろう。しかし、それは「できない」ことではないのだ。
工夫を重ねて、ちょっとしたアプローチでできるようになったり、また違う輝きを放つことばかりなのだ。
充実していくCIOのサウナ環境を見つめる僕の脚から流れた汗が、床に落ちるヴィヒタの葉をしめらせていった。
歩いた距離 1.3km
[ 東京都 ]
週末 夜
人出 中
「まるでシャボンのやうに」
仕事に向かう途中、広場の中、シャボン玉で遊ぶ笑顔の園児たちがいた。
風のいたずらでシャボン玉は少し離れたところを歩く僕の鼻先に当たり、はじけていった。
晴れた5月の朝はそんな風景を眩しくしてくれた。
仕事が終わるころは雷雨の予報だったけれど
雨が降る前にロスコに着けたのは幸運だ。
1セット目のサウナを寝転び続けて終え、地下水の水風呂につかり、ジャグジーゾーンの外気浴をしようとしたら、雨が降り始めた。
大粒の雨だ。
ジャグジーを足湯代わりにしながら、僕は2セット目へ向かう。
外からは雷の音さえ聞こえてきた。
3セット目の外気浴中に体に降りしきる雨を見つめる。
体に当たり、はじけていく雨粒。
僕は朝方のシャボン玉ではしゃぐ園児を思い出していた。園児とシャボン玉。5月の陽光。
もしも、と僕は思う。もしも、僕が中原中也と同時代の詩人だったならば、きっと「まるでシャボンのやうに」というタイトルの詩を綴っただろう。
でも、僕は詩人でもないし、マスクをつけなければいけない時代に生きている。
雨粒はそんなことを考える僕の鼻先に当たり、またはじけていった。
歩いた距離 1.3km
[ 東京都 ]
平日夜
人出多
「ヴィヒタ、ビート板、進化し続けている」
サウナハットをかぶってる方や、若い方も増えてきているCIO。
残念なことに緊急事態宣言下で、お酒の販売はストップしている。
けれど、施設としては進化は止まらない。
ヴィヒタや、ビート板と、かつてはなかったサウナクオリティがどんどんと!
あとは本当にサウナ室に湿度がもっと加われば…
ロウリュできれば最高なんですけども。
けれど、今日もしっかりと癒されました。
ありがとう、CIO
歩いた距離 1km
[ 栃木県 ]
平日 昼〜夜〜朝
人出 中
「溶けていく!僕は今、溶けていく!」
翌日も、湯船の多さも、水風呂の種類もここにとっては当たり前かもしれない。
そう思うほどに
そのどれ一つとっても、すばらしいクオリティが並んでいる。
夏場では真価を感じられなかったプーロは
この季節ならば「溶けていく!僕は今、溶けていく」と感じる空間となる。
[ 東京都 ]
平日 夜
人出 少
「今日もここがあって、よかった」
賑わいを奪われた飲み屋街を抜けると
ニュー大塚の黄色い看板が辺りを照らしている。
毎度、電子決済ができることに小さく驚き、LINEのスタンプカードを取得し
2階への階段を足早に上る。
煮えたぎる湯船。
まろやかな水風呂。
湿度がしっかりとあるガスサウナ。
お湯の出ないカランはご愛嬌。
他の常連と同じく、さあ、今日も頭を空っぽにするために漫画を読みながらサウナだ。
そんなことができる場所はここ以外にない(お店的にはダメなはずだけど)。
「ONE PIECE」をひさしぶりに読み、涙が流れても、汗とすぐに一体化して、周りには悟られずに済む。
外気浴で空を見上げると半月が見えた。
今日もここがあって、よかった。
どうか明日も…そう願わずにはいられなかった。
歩いた距離 1.5km
[ 東京都 ]
週末 朝
人出 中
「時が止まったサウナ」
下町サウナである。
それはまぎれもない。
けれど、湯船の種類(複数のジェットバス、炭酸泉、電気風呂)の多さや
サウナ横にシャワーがあったりと、創業当時からサウナを愛する気持ちがあったのではないか。
サウナ室はそう、時が止まっている。
ブラウン管のテレビは色がにじんでいるし、室内に時計はない。
テレビが時刻を示してくれるタイミングでなければ、あの部屋の中では時が止まっている。
そして、それがすばらしい。
ただ、熱さに身を置き、汗をかく。
自分の心拍の音を聞きながら、汗をぬぐう。
二段しかないが、二段目はゆったりとしたつくりで、あぐらをかいても誰にも迷惑をかけない。
背中にお花を背負った方もいて、今が春なんだと思い出させてもらえた。
客の顔ぶれを見ていると、ほぼ常連だろう。
町の中にここがある。そのあたたかみはサウナとはまた別のぬくもりを僕に与えてくれた。
歩いた距離 1.2km
[ 東京都 ]
週末夜
人出 中
「来ちゃった、と彼は言った」
いろいろな予定を済ませて、一息つくと当然のようにサウナに行きたくなった。夕方の日暮れのせいもあったかもしれない。
一人でいつものサウナもいいけれど、なんだか、ふと友人を誘ってみる。
リアクションは微妙だ。しかたない、家族もあるし、当日の誘いで動きづらくなっていくのが父親だ。
夜になり、諦めて一人でサンフラワーに入った。
いつもは90分コースだけれど、なぜだか3時間コースにしてしまった。余った時間はのんびりとお酒を飲みながら過ごすのもいい。
頭を洗って、体を洗って、ひげを剃っているときに隣の洗い場に誰かが座った。
「来ちゃった」と彼は言った。
友人だった。時刻は21時を過ぎていた。
僕は思わずにんまりと笑って「おかえり」と言った。
誰もいないスチームサウナにこもって、2人で「あそこのサウナに行ってみたい」なんて未来の話をした。
過去の話ばかりしたくなってしまうのが大人なのだとしたら、僕らはサウナのおかげで、まだ子どもでいられるのかもしれない。
水風呂に飛び込んだあとに浮かべる表情もあるいは子どものそれに見えなくもない。
90分コースで入った友人の退館のタイミングに合わせてお会計をする。僕にはまだ60分ほど時間が残っていたけれど、これでいい。これがいい。
これは未来への投資だったのだ。いつかの自分に向けたタイムカプセルのようなものだ。
巣鴨の夜は少年2人を包んでくれるかのようだった。
歩いた距離 6km
[ 東京都 ]
週末 夕方
人出 中
「ここにしかないぬくもりを」
思えばサウナは熱くて、冷たくて、涼しい
この3つがそろっている場所というキーワードで説明できる。
でもぼくたちは違うサウナに行くし、行きたいし、探している。
仮に自宅にサウナを作ったとしても
きっと僕はサウナ遠征を続けるだろう。
それはどこかでCDとライブの違いに似ているかもしれない。
今日もどこかで僕が待っていて、僕を待っていてくれるサウナがある。
そう思えただけで世界は彩りを増してくれた気がした。
歩いた距離 2.5km
[ 東京都 ]
平日 夜
人出 中
「四角形の移動をしていこう」
仕事終わりにサウナに行く。
自分にとっては当たり前になろうとしている。
駅からまっすぐ家に帰るのではなく、寄り道して散歩気分でサウナに向かう。
一歩一歩、はやる気持ちを表すかのような自分の足取りに微笑んだり。
人は自宅と職場や学校とあと一つ(主にコンビニやスーパー)の3点の三角形の移動が日常ルーティンになってしまうらしい。
これが4点の四角形の移動になると途端に時間の流れ方が変わると聞いたことがある。
サウナが自分の日常になったことで
自然と四角形の移動になっていた。
時間はとてもゆったりと僕が僕のために使っていることを深く自覚することができた。
さあ、明日はどこのサウナを4つ目の点にしようかな。
歩いた距離 2km
男
[ 東京都 ]
平日夜
人出 多
「夕暮れで伸びる影を踏みにいこう」
目下、人気上昇中のCIO。
外気浴も一人のみだけどできるのだから死角はない。
満室のサウナ室から出て、水風呂に飛び込み
外気浴スポットから見える東京の夜景を見ていると
なぜだか、子どものころの夕暮れを思い出した。
友達と別れなきゃいけない時間になって、お互いに大声で再会の言葉を叫び合っている。
でも本当はもっと遊んでいたかった。次の日なんて月よりも遠かった。
西日がつくりだす影はどんどんと伸びていく。まるで僕の心の中の名残惜しさを形にしたかのように。
でも友達は離れていく。僕もそうだ。
僕の足元には友達の影が伸びてきていた。影を踏みたかった。でも恥ずかしくてどうしても踏むことができなかった。
そんな友達とも今は疎遠になってしまっている。風の噂によれば、二十歳を前に親と大喧嘩をして勘当をされたそうだ。
もしも、と僕は思う。もしも、あのとき僕が影を踏んでいたらと。
もう一度、もしもと思う。もしも、どこかで君の影が伸びているのを見つけたら
今度こそは必ず踏んでやる。
そんなことを考えながら大塚の非常階段で、くしゃみが出た。
[ 神奈川県 ]
平日 昼
人出 多
「黒湯の水風呂にとろけよう」
綱島駅から送迎バスに乗り込み、10分ほど。
広く、きれいで、ハレの日気分へと変えてくれる。
黒湯をこれでもかと味わえる。
炭酸泉すら、黒湯!
日本庭園のような露天風呂には整い椅子がたっぷりとある。
高温サウナはアウフグースサービスもやっているようだったが
運悪く出くわせなかった。
塩サウナはスチームタイプではないが、じっくりのんびりと汗を流すことができる。
特筆すべきは黒湯の水風呂だ!
足を入れた瞬間、とろみが体を包む。
全身を沈めると、どこまでが自分でどこからが水なのかわからなくなる。
いいサウナのある街に住みたくなった。
そんなふうに自分の街を好きにさせてくれるサウナの偉大さに
またひとつ、感服したりして。
[ 栃木県 ]
週末夕方
人出 多
「星空に包まれながら、外気浴」
佐野厄除け大師からタクシーに乗ったときに
思わず買ったお守りの鈴がチリンと鳴る。
地元に愛されているな、と素直に感じる「やすらぎの湯」。
ドライサウナは広く、清潔感もある。
ガスストーブが2基。
煌々と炎が燃え上がる。
厄除け大師で見かけた「厄除けの炎」を思い出した。
ミストサウナはぬるめのミストが降り注いでくるタイプだったからか、誰も入っていない。
わりと嫌いじゃないんだけどな。
もう少し熱くてもいいかもしれない。
塩サウナはタイル張りの室内、ガスストーブ、90度程度、テレビあり。
一段のみなので体感は70度ぐらいか。塩を塗り、いつまでも入っていられる。
そして、外気浴。
夕暮れ、空がグラデーションになっていく。
何セット目かで、青は群青に変わり、やがて深い紺色になっていった。
そしてぽつりぽつりと瞬き始める星たち。
ただ星を眺めながら、時間を過ごすなんてことを当分していなかった。
暇や隙があれば横や下ばかり見回してしまっていた。
そうだ、おうちに帰ろう。
あなたには帰るおうちがあるのだ。
なんという、まばゆさだろうか。