2019.09.13 登録
[ 北海道 ]
オリビアは歌う。
≪Let's get into physical.Let me hear your body talk,body talk≫
(身体感覚に入っていきましょう。あなたの肉体の声を聞かせて、体で話をしましょう)
これは中年男性が千成湯で送る日常の記録である。
―
まずは主浴で冷えた体を一気に温める。今日は晩白柚の湯。主浴のあつ湯に世界一大きい柑橘が3つ浮かんでいる。とてもいい匂いだ。体が起き始める。
すぐさま、ちんちんに冷えたバイブラ水風呂に入る。
ギュンッと全身が縮こまる。ここで軽い絶頂を迎える。が、無論これは始まりに過ぎない。
―
熱々のサウナに入る。
古い木の匂いが鼻をくすぐる。晩白柚のような万人が好む匂いではないかもしれない。ただ、単純な「いい匂い」よりも、俺だけがわかるという愉悦を感じ、少しだけにやつく。
水風呂で冷やされた体に熱が入り込んでくる。穴という穴が無理やり拡張されていくのがわかる。熱は強引に体に入ってくる。
肌の感度がどんどんあがっていく。毛穴に熱がねじ込まれていくのがわかる。無理やりだ。でも、嫌じゃない。ぜんぜん嫌になれない。抵抗できない。ねじ込まれる。拡張されていく。
―
大粒の汗がすぐにあふれ出す。サウナ室は男も濡らす。ひじの裏に浮かぶ太い血管が脈打ち始める。腕にびくびく動く青い筋が浮かんでくる。自分の意志とは関係なくビクンビクンしている。制御が効かない。少し恥ずかしい。もう出たほうがいいかな。
「だめ。我慢。もうちょっと我慢して。まだいっちゃダメ」
サウナはうるんだ瞳で言う。
―
限界まで我慢し水風呂へ。
ちんちんの冷水が温め切った体をギュッと締めつける。暴力的に穴という穴が閉じさせられる。その勢いで心臓が高鳴る。耳の奥でどくどくと血の流れる音が聞こえる。体の表面がどくんどくんと抵抗し始める。
「痛いでしょ?つらいでしょ?でも、我慢してね。気持ちよくしてあげるから」
水風呂はいたずらっぽい笑顔で言う。
―
脱衣所の扇風機の前で涼む。やわらかい空気の流れが縮こまる穴をじょじょに開けていく。風が肌を触れるか触れないかのところをやさしくなでる。ぞくぞくとした感触が全身を覆う。毛が逆立つ。唇が濡れる。フェザータッチが続く。そして、私の理性は失われる。
―
休憩から戻って晩白柚の湯へと戻る。もう1度世界一大きい柑橘の匂いを嗅ぐ。脳天を貫くほどの恍惚。鋭敏になっているのは肌だけではない。これだから銭湯通いをやめられないのだ。
―
私は銭湯でこのようなボディトークを1人でしている。あなたもお近くの銭湯に行ってみてはどうだろう?少しのやましさを抱えて。
[ 北海道 ]
トスはあがった。
スパイクを打ち込むなら今だ。
そんな思いで仕事終わりに鷹の湯へと馳せ参じた。私は令和から「すぐやるマン」、略して「やりマン」として生きていくと決めたのだ。
――――――
私は銭湯は日常を少し彩るものだと思っている。スーパー銭湯だと華やかすぎるし、サウナ施設だと、もうそれは祭りだ。
これ、これこういうのでいいんだよ。
そんな感想が銭湯にはちょうどいい。ささやかな喜びでいい。
――――――
先客が1人。ちょうどその方と入れ替わりになるところだったが、明らかに様子がおかしい。
色白の男性の肌は、胸のあたりから足先までがぴっちりとピンクに染まっている。浴場で何かが起こっているらしい。
「こいつは事件の匂いがするな」
ピンときた。
これは覚悟を決めてのぞまねば殺られる。
――――――
『待ってくれよッ!!!!』
主浴に足をちょこんと入れたら、思わず叫んでいた。
覚悟を決めていたにも関わらず、その上をいく激熱ぶりだ。下手したら、低温調理用の温度だ。でも、これが鷹の湯なのだ。俺はここで退くわけにはいかない。なんせ、上がったトスを打ち込まねばならぬのだ。
せいやぁッ!!
……
…………
ギギギギギギギギ
はだしのゲンのムスビのような声が出る。出ちゃう。声が出ちゃうの。出したくないのに、出ちゃってるの。
数十秒入っているのがやっとだった。しかし、そのあとの水風呂のうまいことうまいこと。
そうやって、アイドリングした後のサウナ。暗くて、高くて、あたたかいサウナ。出ちゃってる。今度は汗が出ちゃってる。
もうね、いろんなところからいろんなものがいっぱい出ちゃった。
――――――
脱衣所で自分の体を見てみる。色黒の肌がどどめ色に染まっている。たぶんあまみとは違う。ただただ赤と黒が混じっただけのおじさんの色だ。
肌がピンクに染まるというのはそれだけで勲章だ。実にうらやましい。
鷹の湯からの帰り道、真冬の札幌の風がほほをなでる。こんな残念お肌だというのに心地よい。今日も1日ごくろうさまでした。じんわりとねぎらいの言葉が込み上げてきた。
これこれ、こういうのでいいんだよ。
[ 北海道 ]
自分が特別な人間ではないと知ったのはいつだっただろう。
気づいてはいる。だが、それを心から認めることがまだできない。
中年になった今でも、心のどこかで『何者かにならなくてはならない』という思いがある。それが、何者でもない私を苦しめる。
だったら、雪の降り積もった『森のゆ』に行けばいいか。
思いついたとき、私は自転車で雪道を走り出していた。
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日曜日。さすがに混んでいる。
そんな喧騒など、窓から見える景色がすべて消してくれる。
雪の白の中に立ち続ける葉のない木々はまるで死んでしまったかのようだ。だが、彼らは生きている。その小さな躍動に耳を傾けてしまえば、自然の中に溶け込む準備ができる。
隔たりのない露天。自分と自然との境目があいまいになる。聞こえてくる汽笛。青みがかる白い山々。縮み上がるおちんちん。
俺は特別ではない。
だが、俺は俺の特別を見つけることはできるみたいだ。
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いつものように、これをハンモックに乗りながら書いている。
もうさ、なんかさ、それだけで最高じゃない?伝わるといいな、このかんじ。
[ 北海道 ]
生まれて初めて私が男湯に入ったのは、ここ東豊湯だった。
いくつのときだったかはもう覚えていないが、「やっと解放された」という思いが強かった。その喜びは今日の訪問でも自然と湧き上がった。
女湯に入る少年を快く思わない女性も多いと思う。
その半面、その少年も、えてして快く思っていないことも多いと思う。
私がそうだった。
子どものころ、家には風呂がなかった。だから、銭湯には行かなくてはならなかった。入るのはいつも女湯だった。
自分とも、そして母とも違う姿かたち。見てはいけないとはわかりつつ、興味がないというのも嘘だ。思わず目がいってしまった後に、「ああ、してはいけないのに」と落ち込む。
そして、女湯にいる自分が「一人前ではない」という自覚。ひとりでは何もできないという事実がつきつけられているようなものだ。いくら振り払おうとしても、羞恥心はあとからあとから込み上げてくる。「今、クラスメイトに会ったら、俺は終わる」という恐怖もある。
だから、初めて男湯に入ったときの喜びはひとしおだった。この解放感を経験していなかったら、もう銭湯に行こうとは思わなかったかもしれない。
それほど、女湯に入れなければならないという状況は苦しかった。
大人になった今、東豊湯をよく見てみると、子どものころにはわからなかった仕事が見てとれる。
天井がさびているから気がつきにくいが、浴槽のふちから、カラン周りがピカピカに磨かれている。サウナの中には、なにかのアロマの香りが立ち上っている。水風呂は飲めるほどの水質を保ち続けている。
地域に密着した銭湯。
そこに漂う思い出や歴史に思いを馳せ、銭湯サウナを巡るのはいかがだろうか。サウナに求めるものはもちろん人それぞれだが、これもまたサウナの魅力の楽しみ方の1つだ。
1枚、許可をもらって写真を撮った。
地域の子どもたちの感謝の掲示物。
この写真のように、東豊湯は今も地域の中で機能している。
※ちなみに掲示物はロビーにありました。いくら人がいなくても脱衣所で写真を撮るのは「メッ」!
[ 北海道 ]
冬は目が覚めてすぐに心の中の学級委員長(女子)が騒ぎ出すことがある。
「先生、おふろニスタ君がまた自律神経壊しましたー」
それを合図に心の中のクラスメイトたちが責め立て始める。
「先生に自分の自律神経を大事にできない奴は他人の自律神経も大切にできないって言われたばかりです」
「昨日は、先生から止めろって言われてたのに、寝る前にスマホをいじってました」
「おふろニスタ君はいつもだらしないです」
「最近、暴飲暴食ばっかりしてます」
「おふろニスタくんが自律神経をまた壊したのは自業自得だと思います」
「きっとまた壊します。もうおふろニスタ君に自律神経を触らせるのはやめたほうがいいと思います」
このクラスは私を責めるときだけ一致団結しやがる。それを「絆」とか言い始めたらぶっ飛ばすからな。
「おふろニスタ、みんなお前を思って言っているんだぞ?だから、言ってくれるだけありがたいんだ。それに言われる原因を作っているのはお前なんだから」
やさしいふりをして、心の中の担任が一番えげつない。お前か。お前がこのクラスを作ったんだな?
今日の朝も、この学級会が行われた。もうやだ。動きたくない。そう思って、昼まで布団の中でうだうだしていた。
そんな体を引きずって月見湯に行った。
月見湯に着いた途端、である。頭の中で音楽が流れ始めた。
≪奇跡のセッション感じな
奇跡のセッション感じな
奇跡のセッション感じな≫
もうわかる。来て正解だ。
――――――
未だかつてないほどの混みようだ。サウナは1人出れば1人入れるようになるくらいのすし詰め状態だ。それでも私はかまわない。
頭の中の音楽は流れ続けている。
≪また時代が
俺を呼んでる
気がするのさベイビー
嘘なんかじゃないぜ≫
≪待ってろ今から本気出す
待ってろ今から本気出す
本、本本本気出す(woh)≫
外気浴で青空を仰ぎながら、踊りだしそうな気持ちをおさえるので必死だった。人がいなければ踊っていた。
――――――
月見湯をあとにする。
帰るとき、来るときよりも心持ちはいつも軽い。口笛を吹きだしそうな私に、心の中の学級委員長(女子・長身・メガネ)が言う。
「不器用だけど、自分にできることをしようとする感じ、あたし嫌いじゃないよ」
い、委員長……
≪ティティティ
ティ―ネイジャーフォーエヴァー≫
帰り道、まだまだ頭の中では音楽が流れていた。
[ 北海道 ]
あけおめメールが来た。
あけましておめでとう、と言える相手がいるだけでとてもめでたい。年の初めがいつもより少し明るくなった気がする。寒いねと言える相手のいる温かさ。
そんな昼下がり、共栄湯にてしょうが湯が実施されていることを知る。元日のハレの日にふさわしい。ほくほくしながら、自転車をこぐ。そして、気づく。
財布がない。
実は昨年も共栄湯に行った際に同じことをしている。この1年で2回目だ。
来た道を戻る。
思い起こせば、私の人生はこんなことの繰り返しだ。昨年の12月には手袋を3つもなくした。いつまで同じことを繰り返し続けるつもりなんだ……今日は1月1日だっていうのに……
青空に暗い影が忍び寄ってくる。
――――――
靄のかかる共栄湯浴内。
蒸気が冷え切った体と心をあたためてくれる。体を軽く洗い、まずは大きなあつ湯に行こう。熱いふろと水風呂の交互浴は大事だ。サウナを味わうまでの大切な助走の時間。助走は長くとったほうがより遠くへ跳べるって聞いたって、歌っているのを聞いた。
交互浴を繰り返すたびに少しずつ少しずつ体がフラットへと調整されていく。
そして、しょうが湯。
バイブラのついた浴槽にしょうがの袋が浮かぶ。完全にジンジャエールだ。私は令和2年からジンジャエールになったのだ。
ジンジャエールだったら、財布を忘れたり、手袋をなくしたりしてもしょうがないね。ありゃ、お上手。こりゃあ、春から縁起がいいや。
――――――
サウナに入ると、テレビでは全力でたすきをつなぐ男たちが熱いドラマを繰り広げていた。見ているだけで汗が流れる。手に汗も握る。体のいたるところがびちゃびちゃだ。
サウナ→水風呂→サウナ→水風呂→サウナ→水風呂→大休憩
以前、Twitterで見かけたハードなサウナ入浴法を実践する。この入り方、体に悪いと思う。それくらいキマル。そんなこたぁどうでもいい。ぶっ飛ぶのだからしょうがない。あら、うまい。さすが私だ。このままでは帰りにジンジャーに初もうでしちゃいそうだ。
あれ、なんか俺、ウキウキしてね?これも共栄湯の力なんだろうなぁ、たぶん。
――――――
最後はしょうが湯でしめる。
令和2年元日。しょうがにまみれたおかげで、自分のミスがちょっとしたお茶目に思えてきた。
どうだろうか?しょうがの力で、昨年からため込んでいた私の臭みはちゃんと消えただろうか。それだけが心配だ。
ま、むずかしいことはさておき、今日は元日、お正月。四の五の言わずビールだビール!
[ 北海道 ]
日曜日。休日。
しかし、体が動かない。心も動かない。男の子の日がまた来てしまった。
だが、今日は夜がもっとも長い日。冬至。踏み出した先にゆず湯が待っている。
行く場所は決めている。美春湯。「美しい春」という言葉が似合う女性的な心配りがいたるところに感じられる、札幌は白石区にあるバンダイスタイルの銭湯。ここでやさしさに包まれたなら、小さいころにいた神様にもう1度会えるかもしれない。
――――――
美春湯は美しい。
「キレイ」でも「綺麗」でもない。「美しい」だ。
たとえば、お客さんが使えども使えども崩れない椅子と桶のピラミッド。
たとえば、ジェットバスの中に沈めてある移動式の椅子。
たとえば、切ってあるゆずが入った袋とぷかぷか浮かぶゆず。そして、香る柑橘。
たとえば、ピカピカに光った銀色のカラン。まばゆい脱衣所の鏡。
たとえば、狭くてもしっかりと汗が流れる銭湯の静寂。その目の前に設置された汗を流すためのシャワー。
美春湯には隅々にまで心配りが見てとれる。だからこそ、客である我々も少しの心配りができるのだ。
こいつは「綺麗」ではしっくりこない。「かわいい」でもない。
やはり美春湯は美しい銭湯だ。これがバンダイスタイルの銭湯なのだから驚くしかない。
――――――
音のない小さなサウナで汗を流し、キンキンキンキンに冷えた水風呂でガンギマッタあと、ゆず湯に入る。
柑橘の香りが鼻に抜ける。
あれ、オレ、なんで落ち込んでたんだっけ?ゆずの芳香が脳をリセットしてくれる。今のオレなら、もしかしたら、明日から、美春湯みたいに少しだけ心配りができる人になれるかもしれない。
そんなふうに思って帰ってきた。
けど、ホワイトベルグがうますぎて、もうなんか全部どうでもいいやー。M-1おもしれー。
[ 北海道 ]
化粧なんてどうでもいいと思っていたけれど、せめて今夜だけでも綺麗になりたい。
心の中の中島みゆきが歌い出す。
露天から見える森に雪の化粧が施されている。
木々は丸裸だ。私たちくらい素っ裸だ。
おそらく今日の雪化粧はすぐに消えうせてしまう。根雪になるにはまだ時間がかかる。今だけの薄化粧だ。
間もなくいやになるくらいの雪が降り積もる。
その頃にはこれでもかこれでもかと白く塗られた姿になるだろう。
厚化粧と書くと印象が悪いだろうか?だが、芸妓には芸妓の美しさがある。その姿を見るのもまた楽しみだ。
でも、チャリなんだよなー、交通手段。
【ハンモックからこんにちは】
[ 北海道 ]
最近、決断することに疲れていた。
支配されることを嫌悪している。支配することも大嫌いだ。
となると、自分の人生を自分で決めざるをえなくなる。ずっとそれがかっこいいと思っていた。
ただ、あまりに選択と決断と責任がひっきりなしに押し寄せてきすぎる。もしかしたら、俺は間違った道を進んでいるのかと不安がよぎる。
そんなとき月見湯のブログにこんなことが書いてあった。
「サウナではサウナマットを使いましょう」
ささやかだが、キッパリとした文面だった。
そんなの考えたこともなかった。でも、自然と思えた。「サウナマット買わなきゃ」と。
神は細部に宿る。清掃する姿をはじめ、月見湯は細かい部分にまで気を配っているのがわかる。こんな仕事をする人たちなら信じられる。
信じられない奴の信じられない判断に従えなくてここまで来てしまった。長らく信じられる人たちの判断に身を委ねる心地よさを忘れていた。
考える余地もない。
体が0になる。なにも考えない。なにも身にまとわない。なにも背負わない。
こんな気持ちになれる場所、銭湯やサウナ以外にあるのだろうか?
札幌に降りしきる雪は全裸の体にたちのぼる湯気を彩る。
白い。いい。とてもいい。
冷たい地面から足を守るにも新品のサウナマットちゃんは役に立つ。
雪降る夜空に手を挙げる。ありがたいことに今は私一人だ。
踊り出したい気持ちを抑えるのに必死なくらい。それだけ満たされていく。
必然、あの歌が頭に流れ出す。
クーリスマスが今年もやってくるー
えー、やだー
[ 北海道 ]
迷うことはもうやめたはずだった。
そんな決意は幻だったのだと、いつも失ってから気づく。
森のゆの森から紅葉は去っていた。
裸の私が見つめる先には裸の木々だ。森のゆを利用してから初めて森と対等な立場になった。
今日はあたたかい。だが、北海道の空気にはもう冬の気配がまじっている。
紅葉の残り香の漂う森を前に暖かな日差しが降り注ぐ。それでも季節は待ってはくれない。秋はもう別の場所へ旅立ってしまった。
雪がそろそろくるだろう。
森の見えるサウナと深い水風呂と肌を艶やかにする温泉に入ったあと、雪の積もるはだかんぼうの森をはだかんぼうの私がデッキチェアに座りながら眺めるときがくる。
明るい未来の話だ。
今度は迷わずに来よう。思い立ったときがそのときなのだ。
雪降りしきるときに。
チャリで。
【ハンモックからこんにちは】
[ 北海道 ]
自転車屋の店主は言った。
「札幌のサイクリストの聖地は『手稲山』『銭函』、そして『支笏湖』だ」
私は素直だ。
言われたからには行くしかない。ただ、先に言ってほしかった。支笏湖をチャリで行くとこんなにきついだなんて……
――――――
ずっと上りだ。どこまで上るのかもわからない。いつまで上るのかもわからない。不信感の塊である。ここまでくるとちょっとの下りなんていらない。どうせあとで上るんだから、とすさんでくる。
時間もかかる。丸駒温泉に到着するまでに気力のほとんどを使い果たしている。
――――――
丸駒温泉の看板を見て、ほっと胸をなでおろす。ボロボロだけれど、着いたのだ。私はやり遂げた。しかし、そこからまだ3kmあるらしい。
その3kmを進む間、鹿があらわれる。しかも、こっちに向かって突進してくる。思わず叫ぶ。「てめぇ、鹿!この野郎、鹿!」こちらに余裕などない。話の分かる相手で本当によかった。
――――――
「当店の日帰り入浴は15時までになっております」
この言葉ほど絶望的なものが世の中にあるだろうか?いや、ない。
中年男性が全力で同情をかうための表情を浮かべ、赦しを請う。
「札幌から……自転車で……来たんです」
「1000円になります」
粋な店員さんだ。私は幸せ者だ。
――――――
くたびれた体にサウナが身にしみる。90℃を指しているがいつまでも入っていられそうだ。暗めの照明、手の届く狭さ。静かなクラシック。そして、鼻をくすぐる甘い木のにおい。五感が研ぎ澄まされる。
水風呂はない。だが、ここには秋の空気がある。支笏湖の透明な水で冷え切った大自然の空気だ。
支笏湖をのぞくウッドチェアのある露天。圧倒的なまでのロケーション。トブ。そして、浴場から15m離れた天然の岩場を利用した露天。目をつぶると波の音がどこから聞こえてくるのかわからなくなってくる。もしかしたら、私の体は溶けてしまったのかもしれない。自分が支笏湖の一部になった錯覚に陥る。
――――――
「え?今から自転車で札幌に帰るの?」店員さんは言う。
「はい!熊さんが怖いですね!」精いっぱい元気を装って答える。
本当はとても怖かった。今、このサ活が書けていてよかった。もう自転車で行こうとは思わない。たぶん。
[ 北海道 ]
サンボマスターの『手紙』という曲をご存じだろうか?
その中にこんな歌詞がある。
〈いつもこの僕はあなたのことを好きだという一言で片づけてしまって
本当のあなたの意味はちっとも僕は知ろうとしなかったんだ〉
強い言葉は、多くの繊細な思いや感情を飲み込んでしまう。それがいい意味で使ったものでも、悪い意味で使ったものでも、だ。
あまりに便利なその言葉を多用すると、それ以上の物事を見えなくしてしまう。
かわいい
やばい
好き
この言葉たちに含まれているのは文字通りの意味だけではないはずだ。もちろん悪い言葉ではない。それでも、思考を停止させてしまうような使い方には十分注意すべきだ。
そして、私にはもう1つ気になる言葉がある。
『昭和レトロ』
もう月見湯のことをこの一言で片づけるのをやめませんか。
ーーーーーー
もちろん月見湯にただようなつかしさを否定はできない。
壁をのぼる鯉や年季の入ったタイル。固定式のカランに、クラシックなフォントの掲示物。
たしかに昭和レトロと表現したくなる。
しかし、もっとよく見てほしい。
脱衣所の扇風機にかかるハートのモビール。何度も何度も繰り返される浴場と脱衣所の清掃。インターネットを駆使した宣伝活動。何度も何度も張り替えられる手描きのポスター。
月見湯を月見湯たらしめているのはハード面の懐かしさ、レトロさだけではない。
そのハードを運営するソフト面も日々更新され続けているのだ。
その日々の努力は私たちに向けられている。だから、月見湯では安心していっちゃえる。なんだったら、全員とんじゃえばいいのだ。ハードとソフトどちらもそのために磨かれているはずなのだから。
ーーーーーー
また長々と書き連ねてしまった。だが、私がこのサ活で伝えたいこと、それはただ1つ。たった1つの事実だけだ。
おで、月見湯、すき。
ね。結局、シンプルな言葉が1番伝わりますね!(手のひらクルックル)
[ 北海道 ]
スナフキンは言った。
『僕のものではないよ、だけど僕が見ている間は僕のものなのかもね』
彼は一体何を言っているのだろう。残念ながら、私はスナフキンではない。フィンランドに住むハンサムガイではなく、札幌に住むしがない中年男性だ。
だが、札幌のおじさんにはまったく理解できなかったスナフキンの言葉が今日ふとわかってしまった。
そう、『森のゆ』で。
雨があがった曇り空の広がる午前、午後からの仕事を頑張るためには心の栄養が必要だった。
それは自然であり、風であり、森であり、山であり、おふろであり、サウナであり、水風呂であり、外気浴だ。
となれば、『森のゆ』に行くしかない。
サイクリングロードを自転車で駆け抜け、森のトンネルを抜ける。そして、思う。
「この森のトンネルも俺がそう思えば『森のゆ』の一部と言ってもいいのではないか。そうか、ここはすでに『森のゆ』だったのだ」
サ道でもあったではないか。サウナとはサウナ室のことを言うのではなく、サウナと水風呂と休憩を含めてサウナなのだ、と。
『森のゆ』は行きの森と露天の森と帰りのハンモックも含めて『森のゆ』なのだ。【で、写真は森のトンネル】
サウナ室からのぞく森に、楓の赤が映える。森の木々が黄色に染まってきている。新しく導入されたサウナマットもおしりにやさしい。
水風呂で肌の鋭敏さを作り上げ、外気浴という名の森林浴へ赴く。
森の枝葉にできる風紋が美しい。肌に走る風を感じ、知る。風紋は見えないだけで私の体にも作られている。
今見えている、今感じている、今味わっているすべては『僕のものではない』。が、今だけは『僕のもの』だ。これか、これがあのハンサムガイが言っていたことか。
彼の言っていることが心から理解できた瞬間、頭上に青空が広がった。あまりにもできすぎたシチュエーションに、私のささやかなおちんちんも少し照れているように見えた。
帰りにいつものようにハンモックおじさんになろうとロビーに向かう。珍しく3つのハンモックは埋まっていた。
こればっかりは仕方がない。
だが、『森のゆ』は対案を準備してくれている。ロビーから見えるベランダに、ブランコが用意されているのだ。
ハンモックがなければ、ブランコに乗ればいいじゃない。
この面はゆい体験も含めてやはり『森のゆ』が好きだと改めて実感した。
[ 北海道 ]
日曜日の休みは苦手だ。
人がいる。
人がいっぱいいる。
1人はいいのだ。1人で過ごすことに苦痛はない。ただ、人々の中にいると感じてしまう孤独がつらい。そして、そいつは心をむしばむ。かなり激し目に。
必要なのは人とのふれあいなのだろう。けれど、それがあまりに遠い人間も世の中にはいる。私だ。
そんなとき、私は自然の中に飛び込むようにしている。自然はすごい。なんせでかい。でかいうえにすごい。すごすぎてよくわかんない。あとほしとかきれい。きとか、かわとか、うみとか、いいにおい。だからしぜんはすごいとぼくはおもいました。
うむ、これは夕日を見るしかあるまい。
それも露天風呂に入りながら、外気浴に浸りながらがよかろう。大人だし。
となるとここしかない。新篠津村は、たっぷの湯だ。
たっぷの湯は道の駅ながら、茶色いしょっぱい温泉が持ち味。サウナは谷崎潤一郎の陰影礼賛よろしくの素敵な雰囲気だし、水風呂も浅めながらキンキンだし、なにより露天の低い壁の向こうには石狩川とそこに沈む夕日が眺められるのだ。
夕暮れ時のさみしさには牛乳がよく似合うのはよく知られている事実だが、夕暮れ時のさみしさには全裸で感じる風のささやきもよいようだ。右手と左手で待ち合わせして遊んでいる場合ではない。
よしよしさんよろしく、泣きそうになったのは内緒だ。
帰りにはおいしいジェラートをいただく。40手前のおじさんがいちごやらちょこやらのジェラートをウキウキに食べてもよい。なにせ、ここはたっぷの湯なのだ。
そんなとき、なにげない会話が聞こえてきた。
男性「おっ、もう籍入れられた?」
女性「まだなんです」
流れ弾が胸に直撃したのは言うまでもない。
ちなみに温泉みるくという別のジェラートには塩が入っているらしい。いちごとちょこにも、たぶん入っていたと思う。ちょっとしょっぱかったから。
[ 北海道 ]
そろそろ正直になったほうがいいのではないでしょうか?
健康のため?ストレス解消のため?体質改善のため?
我々はもう外面のよい理由で取り繕うのをやめるべきです。
サウナイキタイを調べてまで、よりよいサウナ、よりよいおふろを求める理由。
それは『気持ちよくなりたい』からでしょう。わかっています。私もあなたと同じサウナ者、おふろ者です。
でも、水風呂にも入ったことのない知り合いに、『私(俺)、気持ちよくなりに行ってる』なんて軽々しく言えませんよね。
気持ちよくなりに行く
非合法寄りの合法な理由。それを日常会話でさらけ出すほど、私たちは良識にかけていません。
やましさがありますよね。言えないですよね。
けれど、本当はそのやましさ込みで『気持ちよくなりたい』んでしょう?
ええ、答えなくて結構です。わかっています。私もです。
だから、喜楽湯なんです。
すすきののはずれにある、陽の当たらない地下で、気持ちよくなる。それもとっても気持ちよくなれるんです。
どうです?我慢はいりませんよ?合法ですから。
さあ、『すすきの』の『陽の当たらない』薄暗い『地下』で、思う存分気持ちよくなっちゃえばいいじゃないですか。
ただ、外部の人間には、喜楽湯にいく理由を、今まで通り「健康のため」「ストレス解消のため」「体質改善のため」と伝えてくださいね。
間違っても本当のことは言ってはいけません。心の中でだけ、「でも、本当は気持ちよくなっちゃうため」とつぶやいてください。最後に「すすきのでね」を付け加えるとなおいいでしょう。
では、12時から24時まで。すすきののはずれの地下へ。
で、これ、大丈夫なの?サ活になってるの?アカウント消されない?
[ 北海道 ]
私たちのささやかなおちんちんほど、TPOに気を配らねばならぬものはない。
時、場所、目的を少しでも誤れば罰を受けなければならないほど、繊細な存在だ。
だが、目的のない状態のそれは、罰を受けねばならぬほど凶悪な姿をしていない。むしろ、愛らしさや親しみすら感じるくらいだ。
では、目的のないささやかなそれならば、時と場所を選ばなくてもいいのか。そんなことはない。
海だろうと、湖だろうと、山だろうと、草っぱらだろうと、森だろうと、やはり罰を受けるだろう。
私たちのポケットモンスターはどこまでいっても限られた空間、閉じられたスペースでしかあらわにできない。
だから、森のゆに行くのだ。
ここの露天には壁がない。目の前には森が広がり、汽車が走り、遠くに青空と同化せんばかりの山々が広がっている。
モール系の温泉で肌を艶やかに染め、景色の見えるサウナのあとに深い冷たい水風呂で体を引き締め、外気浴をしよう。
空と雲と山と森と空気と私と私の私とを遮るものは何もない。壁がない。服や、パンツすらない。タオルだっていらない。
解放感とは少し違う。
ここに「在る」という実感。それを味わえる場所なのだ。
目の前の紅葉が少し赤くなっていたのは秋だからだろう。
※森のゆのハンモックにゆられながら、書いてみましたが、これ、大丈夫ですか?
[ 北海道 ]
海と夕焼けとニルヴァーナのためにチャリで来ました。
温泉はモール系の茶色のタイプ。熱い、中くらい、ぬるいがあって、安心安心。
交互浴後に露天へ。
夕日見えない。
ここで思いついたのが「砂浜も番屋の湯だと思えば、番屋の湯だよね」というコロンブスの卵。
サウナ水風呂外気浴を4セット行い、5セット目は外気浴を抜く。
いそげ!早く!早く!
ととのっちゃう!やだ!待って!ととのっちゃう!あっ!扇風機だめ。やめて!ととのえないで!まだ、まだだめ!ここじゃだめ!
ととのっちゃいそうで危なかったけれど我慢して、砂浜へ!!
ちょうどのサンセットと波音と潮風で、完全無欠のニルヴァーナへ到達し、ととのちゃいました。
初めての投稿なのですが、これ合ってます?