サウナの本質とは何か考える

サウナイキタイ アドベントカレンダー 25日目の記事です。

はじめに

サウナーヨモギダと申します。サウナイキタイのアドベントカレンダーも今日で最終回。僭越ながら僕が最後の記事を書かせていただきました。どうぞよろしくお願いいたします。

本質の考え方

まず最初にわかりやすくするため、例えの話なのですが、コップの肝要な部分、つまり本質は何かという事を考えていきます。水などを入れるコップの最も役立つ部分は何かというとその空洞、つまり空虚の部分にあります。注ぐ空洞のスペースがないとコップとして成立しないのです。ゆえにコップの材質がどうかとか、底や取っ手がどういう形状かなどは本質ではないのです。それらは別なものに代える事ができます。もし空洞が無ければ何も注ぐことができない訳で、それは何かに代える事ができません。やはりコップの本質は空洞(空虚)だと言えます。ちなみにこれは老子による道教的な考え方です。

サウナ室の本質は「空虚」

ではこの考え方でサウナ室の本質は何かというと、もうおわかりだと思いますが、同じくその空洞(空虚)の部分にあります。空洞の熱せられた空気を浴するのがサウナ浴です。もし空洞がコンクリートで埋められていたら、それはサウナではなくコンクリートの塊です。サウナは人が人のために作ったものであり、サウナ室の中に人が入ることのできる事がサウナ室の必要条件といえます。そういう意味では入り口も限りなく本質に近いものかもしれませんが、もし人が入った後に入り口を閉鎖したら、それがそれがサウナ室でなくなるかというと、そうではありません。かなり捻くれた考えですが。

「熱」は本質ではないのか?

最初、サウナ室の本質は何かと考えた時、僕は「熱」が本質なのではと思ったのですが、それは違いました。空洞のスペースにある空気が仮に熱のないサウナ室があった時、それは「ただの熱くないサウナ室」だからです。営業時間外でストーブが止められて稼働していないサウナ室はサウナ室ではなくなり別の名称があるかというと、そんな事はありません。ぬるくてもサウナ室、熱くてもサウナ室です。ただ「サウナ浴」となると、熱が肝要であり本質だといえるでしょう。しかし、その熱も空洞の空気がその対象であり、それに内包されたものだと僕は解釈しています。

本質を知るために現象を探ってみる

「本質」には対義語があります。それは「現象」です。三省堂大辞林によると、

げん しょう -しやう 0 【現象】
① 人が感覚によってとらえることのできる一切物事自然界人間界出来事現像。 「自然-」 「 -にとらわれる
② 〘哲〙 感覚意識あらわれるもの。

つまり主観で感じるものは全て本質ではないということです。
サウナ室に関して本質が目に見えない空虚である以上、本質を探るには現象を知る必要があります。現象とは人の感覚によってとらえられる物事であり、それぞれの人の主観に委ねられたものです。例えば熱いぬるいとか、明るい暗い、こんな匂いがするなど実に曖昧で人によって意見が異なる性質のものです。この現象をわかりやすく言い換えればそれは「体験」です。

サウナは人それぞれの解釈がある

僕がSNSで「サウナに行きました」と投稿すると、それを見た人は「ああ、ヨモギーはサウナ行ったんだな」と認識をします。ここで出てきたサウナは特定されていません。では「サウナしきじのサウナに行きました」というとそこを知ってる人は「ああ、あのサウナか」と特定されたイメージが具体化されます。
「サウナ」という単語を聞いてそれぞれ思い浮かべるサウナがあるかと思います。大きいサウナ室だったり、ドライサウナだったり、ミストサウナ、銭湯のサウナ、北欧にありそうな小屋のサウナや、サウナハットを被ってヴィヒタを持ってる人の姿、水風呂を含めた総合的な一連の入浴スタイル、駅前の男性専用サウナにあるリクライニングチェアー、健康ランドにある舞台付きのくつろぎスペースなど。十人十色それぞれのサウナ像が存在しています。みんなが自分の身近にあるサウナを思い浮かべることでしょう。つまり「サウナ」と聞いて世界中の人が思い浮かべる「特定の」サウナは実在していないという事になります。

サウナのイデア

ここで定冠詞(the)と不定冠詞(a,an)を使ってわかりやすく分類してみます。世界中の人が「サウナ」と聞いて思い浮かべるサウナが「the sauna」。先にもいいましたが、これに特定のサウナは実在していません。なので「the sauna」は空想上にある万物のサウナイメージを全て包括した究極体のサウナという事になります。これはサウナのイデアなのです。それぞれの人にそれぞれのサウナのイデアが存在しています。それに対し「a sauna」は数多く実存している個々のサウナを指します。それぞれ違いがあるのですがみんなそれをサウナと認識しています。
余談ですがいま、長野県で「The Sauna」という名前のサウナが作られているらしいです。なんて意欲的な名前なんだと思いました。

イデア(〈ギリシャ〉idea
《見られたもの、知られたもの、姿、形の意》プラトン哲学で、時空を超越した非物体的、絶対的な永遠の実在。感覚的世界の個物原型とされ、純粋な理性的思考によって認識できるとされる。中世のキリスト教神学では諸物の原型として神の中に存在するとされ、近世になると観念や理念の意で用いられるようになった。
小学館 デジタル大辞泉より

サウナのイデアは不変ではない

サウナー(サウナ愛好家)が考えるサウナのイデアにはリアリティがあり、とても深いものです。だがしかし、サウナに興味のない人も世の中にはたくさんいて、そういう方々にもサウナのイデアが存在しています。それは、おじさん達が我慢比べをしている、終電を逃した酔っ払いが寝ている、同性愛の人が悪さをしているなどネガティブなものが多く、サウナー達は憤懣やるかたない気分になっていることだろうと思います。しかし最近は若い女性やファッション的にサウナを楽しむ人々が増えて、サウナのポジティブなイメージも広まりつつあり、世間のサウナのイデアは急激に変化をしています。こういう変化があることからイデアは不変の存在ではないとわかります。

「サウナ」の本質とは?

「サウナ室」ではなく「サウナ」の本質です。サウナから主観的な現象を取り除いたものはなんだろうと、色々考えてみました。「サウナ」という単語が意味する事象や解釈が多すぎてとても難しいのです。でも何となく結論が浮かびました。
サウナの本質は「サウナ室が存在していること」なのかなと思います。これは物質的にも概念的にも存在しているという意味です。いまここにサウナ室があるという唯物論的なサウナもありますし、サウナ室でサウナ浴を行うという概念こそがサウナという唯心論的な考えもあります。もちろんどちらが正しいとか間違ってるという事はないですし、両方の考えが常に存在して当然です。実に抽象的ですしそれ以上踏み込見込めないのではと正直思いました。

一次性質と二次性質

物事にはその物の大きさとか形など、 その物を認識する者とは無関係に存在すると考えられる一次性質と、その物の色やにおいや味など感覚的で、 その物を認識する者に依存して存在すると考えられる二次性質に分ける考え方があります。ではサウナ室を一次性質と二次性質に分けていきましょう。

サウナ室の一次性質
空洞のスペース、壁、床、天井、座面、入り口、ストーブなど

サウナ室の二次性質
熱さ、明るさ、匂い、音、他の客のマナーなど

分けてみると一次性質に本質的なものとそれに大きく影響を及ぼすすぐにわかるもの、二次性質には現象的なある程度時間をかけてわかるものが集まっています。

例えば「100℃のサウナ室」という事象は一次性質なのですが、「100℃のサウナ室が熱くて気持ちよかった」となると二次性質です。わかりやすくいうと「情報」は一次性質、「体験」は二次性質と言い換えられます。

サウナー同士の意見が噛み合わない理由

サウナーの人達がサウナのことで口論になっているのをSNSなどでよく見かけます。サウナに興味がない人からしたら滑稽なのでしょうが、やってる本人達はもちろん本気です。これがなぜ起きるかといえば、2つあると思いました。

①「サウナ」の概念が統一されていなく、目的が違う

先ほどのイデア論のように一人ひとり解釈が違うのが引き金になっているのをよく見かけます。サウナといったら、北欧のサウナの人もいればおじさんが集まるサウナだという人や、「サウナ室」がサウナという人もいれば、「サウナ浴」をサウナと解釈している人もいます。ストイックに美容やダイエットが目的の人もいればただストレス解消したい人もいるので噛み合うはずがないなと思います。


②二次性質を暗黙のコンセンサスとして混同している人が多い

あくまで認識者の主観に依存した考えを「それが他の人も同じはず。スタンダードな考えだ」と信じている人が揉め事を起こしやすいです。「自分は高貴な感覚、お前は下賤な感覚」このようなマウンティングを取ってくる乱暴な物言いの方もいます。これはサウナに限った話ではないですが。

さいごに

サウナは人それぞれの主観で解釈が違うものであり、統一した認識のサウナを作り出す事は困難です。その一人ひとりの違いを認識して、お互い寛容になる事が大切だと思うのです。せっかくのサウナを楽しいものにしたいですし。サウナに関して同意できない考えを見た時に、どうしてそういう考えに至ったかを分析すると不思議と腹も立たなくなり理解しようという気持ちになります。サウナの本質とは何かというととても曖昧で空虚のような空っぽの様なものなのではと僕は解釈しています。本質より現象が大切だというのが今の考えです。絶対から相対を知るように、本質の対極にある現象を一つ一つしっかりと時間をかけて認識する事が本質に近づく方法なのではと思います。でもそれに意味があるのか僕にはわかりません。ただ思考を分類・整理したことでサウナへの考えがよりシンプルになりました。

最後までお読みいただきありがとうございました。
今年も残りあとわずか。皆さまのサウナライフがますます良くなりますように。

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2021.12.24 01:18
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