「ととのう」が『サ道』で視覚化されたのはどれほどの偉業だったのか

サウナイキタイ アドベントカレンダー 18日目の記事です。

さすがにそろそろブームも収束するんじゃないか。サウナイキタイがオープンする前から見守っていたサウナ人気も、なんだかんだで拡大し続け、とうとう2021年は「ととのう」がユーキャン新語・流行語大賞」にノミネートされてしまった。

悔しくもトップ10入りは逃してしまったが、あの脳内麻薬のトリップ感、ドラッグカルチャーの色も否めない「ととのう」という行為が、ストリートやサブカルチャーの枠を出て、ここまでの市民権を得るなんて全然予想していなかった。

このサウナ人気にはさまざまな功労者がいるが、やはりこの「ととのう」という言葉と視覚イメージの発明は非常に大きい。

ただお風呂に入って体がポカポカしたときの「気持ちいい」とは違う。
旧来サウナに抱いていた「熱いのをがまんして汗を流す」忍耐やデトックス効果のイメージとも違う。
サウナで体を熱し、水風呂で冷やし、休憩するときに訪れる、リラックスと覚醒が共存する、まったく新しい快感。

2010年代に入り、この感覚に「ととのう」という非常にしっくりくる言葉が当てはめられ、サウナ好きが共通言語を獲得したのはとても大きな出来事だった。

言葉をあてたのは、プロサウナーである濡れ頭巾ちゃん氏であることはよく知られている。
そしてこの感覚に形と色を与えたのが、いまやドラマもすっかり大人気の『サ道』の作者であり、日本サウナ・スパ協会公認サウナ大使としてもおなじみの、マンガ家・タナカカツキ氏だ。

『マンガ サ道~マンガで読むサウナ道~』(タナカカツキ/講談社)session0「サウナトランス」より

自己紹介が遅れてしまったが、私は普段ライター・編集者として生活しており、時折マンガのレビューやインタビュー記事を書いたりしている。

2019年には「銭湯とサウナ」をテーマにしたマンガを研究し、文京区・大黒湯さんや高円寺・小杉湯さんにてその魅力を紹介しながらマンガも売るイベントを開催させていただいた。その縁もあって、2021年春に出た『BRUTUS』のマンガ特集号では「目に見えないものを描いた傑作マンガ」の選者として、マンガ版『サ道』も取り上げさせていただいた。

銭湯マンガ、サウナマンガを昭和期の作品から読めるだけ読んでみて気づいたのは、タナカカツキ氏が単行本「サ道」であの「ととのう」(厳密にはととのう過程の「サウナトランス」)を視覚化したことが、日本のサウナ史においてもマンガ史においてもどれだけエポックだったのか、ということだ。

いつもは「大使」として愛されているタナカカツキ氏の、マンガ家としての偉業を解説させていただく。

『サ道』の「ととのったー!」はどのようにして生まれたか

もともと『バカドリル』シリーズ(1994年~)や『オッス!トン子ちゃん』(2003年~)など、ナンセンスやシュールなギャグを抜群の画力で描き、サブカル界で人気を博していたタナカカツキ氏。

2008年、CGで創作活動を行うためPCとにらめっこする日々を送っていたところ、近くにできたスポーツジムに小さなサウナがあった。蒸し暑くて狭くて不快、汗だくなおっさんがひしめきあう嫌なイメージしか抱いていなかったが、先人たちをまねてサウナ直後に水風呂へ入ってみたところ、ある恍惚に達してしまう。

なぜそのような快楽が得られるのか、どのような入り方をしたらよりサウナを楽しめるのか。

そうした“サウナ道”の追求の日々を、エッセイと挿絵、数ページのマンガでつづった書籍が、2011年に発売された単行本版『サ道』(パルコ出版)だ。

作中で体感した現象はあくまで個人の話としながらも、サウナと水風呂と外気浴を繰り返すことで得られる快感を文章と絵で見事に具現化したこの『サ道』は、サウナ関係者や全国のサウナーから共感を呼ぶ。

SNSを通じてサウナ仲間とつながり、2012年には日本サウナ・スパ協会からサウナ大使に任命。その後さまざまなサウナ施設をめぐっては魅力を発信しつつ、2015年からサウナにまつわるあらゆるエピソードをマンガ化した『マンガ サ道 ~マンガで読むサウナ道』を不定期連載するようになる。2019年に深夜ドラマ化され、サウナ人気の火付け役となったのは周知の事実だ。

なお、この単行本版では「ととのう」という言葉は一切登場しない。水風呂に入って温度の羽衣をまとったり、扇風機を浴びたりしている最中に訪れる、リラックスと興奮が同居した快感は「スーパー穏やか」や「ニルヴァーナ」と表現されている。

単行本版の発売後、サウナ仲間たちとの談話中に濡れ頭巾ちゃん氏が発した「ととのう」という表現に一同がうなずき、肉体や精神が調和された“あの感じ”を表現する言葉として仲間内で使用するようになったらしい。

その後絵柄もアップデートされつつ、単行本版での「スーパー穏やか」や「ニルヴァーナ」の表現は、マンガ版やポスターイラストなどにおいて「ととのったーーー!!!」というセリフを添えて描かれるようになった。

単行本『サ道』の終盤に登場する「スーパー穏やか」「ニルヴァーナ」シーン(『サ道 心と体が「ととのう」サウナの心得 』(講談社+α文庫)より』)

そして、ややこしい話なのだが、マンガ版の「ととのったー!」のシーンは厳密にはととのっているのではなく、「サウナトランス」「トリップした―!」(≒スーパー穏やか、ニルヴァーナ)の状態であることを、2021年4月のインタビューでタナカカツキ氏は告白している。

氏いわく、「ととのう」とは、サウナセッションを習慣的に行った先に待つ「心身が調律された状態」であり、セッション時の恍惚とはまた別のもの。

マンガにおいては各話の最後を盛り上げる都合で「ととのったー!」と描くようにしたが、このように「ととのう」の定義をゆらがせてしまったことに「本当に罪が重いと思います(笑)。だから読者の皆様には誤解させて申し訳なく思っています」と自ら謝罪している。

ともあれ表現上の都合であるし、全サウナーが「大使! お顔をお上げください!!」とうろたえるのも目に見えるくらい、氏のサウナ界に対する貢献度は大きい。

それにいまとなっては多くのメディアがセッション時のサウナトランスも含めて「ととのう」と表現するようになった。
なので本稿では、氏の描く「スーパー穏やか」も「ととのったー!」もすべて「ととのう表現」として話を進めていく。

医学的に的を射ていた、タナカカツキの「ととのう表現」

『サ道』のととのう表現は、単行本版とマンガ版とでは若干異なる。

単行本版では、恍惚によってキャラクター(タナカカツキ本人)の顔が砕ける様子が、『もーれつア太郎』のニャロメや『おそ松くん』のイヤミなど赤塚不二夫作品のような過剰かつかわいらしいディフォルメで描かれる。

涙がちょちょぎれている白目に、ときには顔からあごが完全に離れてしまうほど大きく開かれたお口。リラックスという感情を逸脱させながらもポップである、マンガらしい素晴らしいキャラ造形だ。

そして背景には、サイケデリックアートや万華鏡のような幾何学模様、色のグラデーションがうにょうにょ広がる。脳や肉体で、めまいや光の明滅を感じるような覚醒状態が起こっているようだ。

『マンガ サ道~マンガで読むサウナ道~』session 1「サウナブーム到来」より

これがマンガ版になると、キャラ造形はより簡略化してかわいらしくなりつつ、背景では体の内側から何かしらの物質がアメーバ状に弾け飛んでいて、覚醒をさらに感じさせる。

周囲にはキラキラマークや、ルーレットの的のようなカラフルな球体が散りばめられ、幾何学模様やグラデーションも背後やキャラの目・口のなかに配置。単行本ではドラッグ色の濃かった恍惚、覚醒表現が、サイケ・ポップとでも言うべき健全性も獲得している。

いずれにせよ共通しているのが、

・キャラの恍惚を昭和ギャグマンガ風のディフォルメでかわいらしく描く

・背景や模様でサイケデリックアートのような覚醒、陶酔状態を描く

ことで、「恍惚と覚醒の同居」が視覚的に伝わってくる表現だ。

トリップを感じさせながらも、ドラッグの幻覚症状を視覚化したサイケデリックアートとは一線を画する、“健全に心地よく飛んでいる”新しい状態がそこにあった。

この表現は2011年にして、サウナセッション特有の快楽をどれほど本質的に描けていたのか。

現在のサウナ人気に伴い、「ととのう」現象については医学的な解説書が次々と出版されている。

医者が教えるサウナの教科書――ビジネスエリートはなぜ脳と体をサウナでととのえるのか?』(ダイヤモンド社)の著者である加藤容崇氏は、「ととのう」とは水風呂からあがって2分以内に外気浴したときに訪れる、「副交感神経によるリラックス」と「アドレナリンによる興奮」の共存だと解説している

人間には、「自律神経」と呼ばれる、人の無意識下で働き続ける「生命維持装置」のような神経が血管に沿うように張り巡らされている。自律神経には「交感神経」と「副交感神経」の2種類があり、前者が優位になると血管が収縮して血圧が高くなり、後者が優位になると血管が拡張して血圧が低くなる。

サウナ、水風呂、外気浴のセッションでは、温度差によって自律神経が刺激されホルモンが分泌されたり、血管が収縮・拡張したりするのだが、『医者が教えるサウナの教科書』によれば次のような事が体に起こっているという。

サウナ室に入った直後はあたたかいので副交感神経が少し優位(リラックス状態)になる。

しばらくすると熱くなり、交感神経が優位になることで、血管が収縮すると同時に、アドレナリン(興奮)とノルアドレナリン(意欲や活動性、思考力、集中力)が分泌される。またリラックス状態から交感神経が優位になったことでエンドルフィン(鎮痛や不安軽減)も分泌される。

水風呂も同様に、温度差によって自律神経が刺激され、交感神経が優位、血管がさらに収縮される。アドレナリンとノルアドレナリンも出る。

これらのホルモンは副交感神経が優位になって、血管が拡張されると分泌されなくなる。肝臓に代謝されて効果はだんだん無くなるが、半減するのに2分ほどかかるので、しばらくは血中に残る。

外気浴で副交感神経が優位になって、血管が拡張すると、リラックス効果が生まれる。まだ血中に先ほどのホルモンが残っている効果で、リラックスと興奮が共存した状態になる。

また自律神経と腸の研究医がサウナの効能について解説した『サウナのトリセツ』(小林弘幸/学研プラス)には、サウナセッションの快楽について下記のように説明されている。

(サウナに入った直後に)体が温められて拡張していた血管は(サウナと水風呂で)一気に収縮しますが、外気浴や室温での休憩で再び緩やかに拡張するので、血液がサーッとスムーズに流れ出します。人間は血管が拡張して血流が促進されるときに『気持ちいい』という感覚を覚えるのです

さらに腸は脳の視床下部に”幸せホルモン”ことオキシトシンの分泌の指令を出しているが、サウナでは腸があたたまって活発化されることでオキシトシンも分泌されるという。

上記のように、医学的にも「リラックス」と「興奮」が同時に訪れる稀な感覚が「ととのう」の正体だとすると、うっとりしまくったキャラのディフォルメと背景のサイケデリアで、タナカカツキはその本質を見事に表現していたことになる。

一般のサウナ界で共有されてこなかった「恍惚と覚醒」

この表現は世間がサウナに抱いていたイメージを大きく変える。

1960年代に東京五輪でフィンランド選手団が持ち込んだのをきっかけに、スポーツ施設やカプセルホテルにサウナが急増した第1次サウナブーム。バブル崩壊後の90年代にサウナを伴う健康ランドやスーパー銭湯が増えた第2次サウナブーム。

いずれもサウナの効能として啓発されていたのは、

・汗をかくことで得られるデトックス効果

・血行促進による健康増進

・自律神経の働きを高める

あたりがメインであった。それは旧来のサウナ施設の説明書きや、業界紙『サウナ・スパ新聞』のバックナンバーなどからもよくわかる。

1990年に日本サウナ協会が制作したサウナの啓蒙ポスターの白黒版(1990年2月15日発行『SAUNA』より)

もちろん先人にも、サウナ後の水風呂と休憩のセッションの重要性を説いているプロサウナーはいた。

たとえば1973年9月1日発行の業界紙『サウナジャーナル』では、当時サウナ浴場協会会長であり麹町リバース院長であった今井善晴氏が次のように語っている。

「サウナ浴を医学的立場からみると、かなり刺激の強い熱気浴といえる。それだけに入り方によっては、非常に効果的にも働き、また害を及ぼすことにもなる」

「私は次のようにアドバイスしている。『1週間に二回が適当である』『一度のサウナ浴の入り方は二回がよい』『サウナ浴、水風呂、洗体を合わすと三十~四十分ぐらいになる』」

「熱い身体を水で冷すのはどんなに気持のよいものかは経験者のよく知るところだ。サウナ浴のよさはこの水風呂に入ることによって倍加される」

「サウナ浴のよさは水風呂によって倍加する」――まさに「ととのい」の片鱗を感じる。

1993年2月15日発行の業界紙『SAUNA』でも、京都大放射線生物研究センター・内田温士教授が「サウナで免疫力を高めるとストレスに対する抵抗力が高くなる」「サウナに入ったりスポーツをしたりすると、脳からエンドルフィンという物質が出て、NK細胞の活性が上がるという」と解説しているなど、脳内麻薬の分泌についてもすでに指摘があったし、業界紙の見出しに「精神的くつろぎと快楽」「精神的休養」といった言葉が使われることもあった。

その時代にも水風呂と休憩を挟むことでより深いリラックス、サウナトランスを手にしていたサウナーはいたのかもしれない。しかし、サウナの効能として一般社会に向けて推されることはなく、具現化されていなかったのだ。

そもそも希少だったサウナマンガ

同様に、マンガの世界でもサウナによる”恍惚と覚醒”は描かれてこなかった。

今でこそ、まんしゅうきつこ『湯遊ワンダーランド』(全3巻/ 2018年~2019年)や大町テラス『お熱いのがお好き?』(2019年)などサウナをメインの題材としたマンガも存在するが、そもそも『サ道』以前には、サウナを描いた作品すらめったに存在しなかった。

藤谷みつる『フロ屋のおきて』(全7巻/1992年~1996年)や吉田戦車『フロマンガ』(全4巻/2005年~2009年)など、銭湯を舞台にした日常系やギャグマンガのなかに、ちょっとしたエピソードとして登場するくらい。

描かれ方としても「おっさんたちが我慢しながら汗を流している」、暑苦しさや不可解さを揶揄するギャグシーンが多い。

人々がじっと座っている時間の多いサウナはマンガで描くにはあまりにも動きがなく、題材として避けられがちだったと言われている。

逆にその「おっさんたちが我慢している姿」にロマンを見出し、サウナという題材だけでコミックス3巻分も連載してしまった異色のサウナマンガが、『サ道』以前に存在する。

2009年~2011年に『モーニング・ツー』(講談社)で連載された『フィンランド・サガ(性)』だ。作者は後にドラマ化もされた『やれたかも委員会』を執筆する吉田貴司氏。

物語としては、「サウナチャンピオン」の異名をもつ主人公・本庄丈一郎が、社会で辛さを感じている人の前に出没しては「サウナで耐え忍んでいる姿」を見せ、「耐えること」の意義を説いていく短編連作だ。

サウナを「人生における我慢の象徴」「耐える者同士が対話する聖域」として位置づけながら、謎に説得力のある本庄の迷言によって人々が何かを悟ったり「いやそうじゃないだろ」ともやっとしたりする。現在のサウナブームにおける「サウナは我慢する場所じゃない」認識とは対極的な作品となっているが、個人的には大好きな作品だ。

昭和期~90年代におじさんたちが謎に我慢比べしていた姿を、ここまで哲学的かつセンスよく昇華する作品は二度と現れないだろう。また不可解なシーンだらけかというとそうでもなく、体を熱していくうちに考えがシンプルになっていく感覚も見事に描ききっていて、今のサウナ好きからも「わかる」とうなずけるセリフや思想も随所にある。

特に最終3巻は、なぜか共学の高校にサウナ室があり、片思いや経済格差など思春期特有の悩みを抱えた生徒3人が、最終的に1つのサウナ室で対話する……という尖りまくった青春×サウナ物語が、1冊まるまるかけて描かれる。

嫌なことを忘れにサウナに向かったことのある人は響くと思うので、ぜひ読んでほしい。

己の五感に対する洞察力

ともあれ、『フィンランド・サガ(性)』の1巻発売時、「世界初(?)のサウナ漫画」というコピーが掲げられたほど、サウナを扱うマンガは希少だった。そのように前例のない中、タナカカツキ氏はサウナセッションで得られるあの感覚を、『サ道』で視覚化していく。

特に秀でていると思うのが、自らの五感の変化に対する「洞察力」だ。

単行本版『サ道』でタナカカツキ氏は、セッション中に起こっている体の変化を実に客観的な文章で描写している。以下は水風呂の中でで初めてサウナトランスを体感する場面だ。

「毛細血管の細かいところに温度が行き渡る」

「火照った身体と冷水の接する面がちょうどいい温度になっているんだろう。気持ちがいい。とっても気持ちがいい。目を閉じる。呼吸が整う。どんどん瞑想状態になっていき、そうして、精神の真っ平らな境地、スーパー穏やかな感覚がやってきた!」

「この感覚をさらに意識的に取り込んでゆく。もっと来い! もっと来い! 全身の力を緩める。リラ~~ックス! じ~~~ん……」

本来なら外気浴によって至るリラックスを、水風呂の中で温度の羽衣に包み込まれることで獲得しているのがわかる。その過程において、隅々までの血行促進、肌の表面に訪れた新しい感覚、精神のやすらぎが、具体的に語られている。

中盤でもさらなる分析が進められる。

「今までサウナの気持ちよさを『ニルヴァーナ』だとか『スーパー穏やか』だとか表現してきたけど、サウナに入ることって生理学的に捉えればどんな行為だろうか?」

「一言でいえば『血行を強制的に促進させる行為』」

「サウナで血管の蛇口を開き、水風呂できゅっと閉める。このとき、血が脳に酸素をどんどん運んでいく。脳に酸素が行き渡れば気持ちよくなる」

いまとなっては「ととのう」の医学的解説は多く出ているが、2011年の時点で己の肉体に自問自答を重ね、ここまでの言語化をしてしまっているのは驚異的だ。

実際はサウナで身体が熱くなり始めた時点で血管は収縮し始めているものの、入室直後は緩んで、水風呂で収縮するという点も的を射ている。

後半ではたまたま脱衣所で扇風機を浴びているときにニルヴァーナを獲得するが、その際も

「脱衣所というのは湿度が高いので、ちょっと生臭かったりするんだけど、そこは少し前にリニューアルしたばかりで新しい木のいい匂いがする」

「そばでは扇風機がゆっくりと回っている。やわらかい風に吹かれ、背もたれのあるイスに深く身を沈めて、アイデアをメモしていたら、だんだんよく知っている感覚が近づいてきた」

と、外からの匂いや触感を描写。そしてそのまま

「重要なのはメンタル面である」

「水風呂でも扇風機でもなく、ほんとうは外気に触れるのが一番理想的なんだろう」

と、外気浴の必要性まで悟ってしまうのだ。

ちなみに1983年1月15日に発行された業界紙『SAUNA』の対談記事で、当時の日本サウナ協会の中野幸雄会長(ニュージャパン観光社長)は西ドイツなどヨーロッパのサウナを巡ったうえで、次のように話している。

日本と違うのは、水ブロに入って屋外で外気にふれるという場所が設けてあります。私も十日ぐらいで、外気にふれないと、もの足りないようになりましたけれど、日本のサウナもむこうのそういったものをとり入れて、個性のあるお店づくりを考えなければと思いました

この外気浴の魅力に、海外へ行かずともサウナ施設の脱衣所の中でたどり着いてしまう。タナカカツキ氏の洞察力の恐ろしさを物語っている。

この徹底した洞察が、「ととのう」の視覚表現につながっているのは言うまでもないだろう。

過去のアートワークと結びつける直感力

「洞察力」に加え、特に秀でているものがもう1つあると考える。

サウナトランスの感覚を、ちょうど制作中だったドラッグビデオの世界観や『おっす!トン子ちゃん』の感情表現など、自身のアートワークの要素と的確に結びつけてしまう「直感力」だ。

2016年に発売された文庫版『サ道』のまえがきで、タナカカツキ氏は初のサウナトランス体験を「さっきまで作業場で作っていたドラッグビデオの感覚がサウナと連動したのかと思ったのですが、それはまさしく、サウナの本質的な効果、体験だったわけです」と振り返っている。

発端は、ポニーキャニオンのサイトロン・レーベルが90年代初頭から発売していた『ヴァーチャル・ドラッグ』という映像作品シリーズだ。

『ヴァーチャル・ドラッグ』は麻薬を使用したような陶酔感を味わえる「ドラッグビデオ」をVHSやDVDでソフト化していくシリーズで、タナカカツキ氏はこの作品の大ファンだったという

2005年頃になるとハイビジョンやBlu-ray、ハイスペックな技術が登場したことで、より解像度の高いヴァーチャルドラッグを作れないか、氏は個人的に挑み始める。シリーズのプロデューサーともつながったことで、作品は2008年に『ヴァーチャル・ドラッグ』シリーズの新作『ALTOVISION』として発売される。

 

サウナに通い始めたときにちょうどその『ALTOVISION』の制作に取り組んでいたわけだが、トレーラー映像からもわかる通り、『サ道』のととのう表現で背景に広がるCGのサイケデリックな模様は、明らかにこのドラッグビデオの世界観を引用している。また蝶々や花びらが色彩豊かに万華鏡のように広がっていく映像は、ドラマ版『サ道』の「ととのったー!」演出でも随所に見られる。

制作中だったとはいえ、サウナの一般イメージになかった高次元のリラックスを、ドラッグビデオの幻覚的な視覚表現に結びつけるセンス、共感覚が冴えている。

そして『サ道』のととのう表現のルーツとして挙げずにいられないのが、『オッス!トン子ちゃん』(扶桑社/全3巻/2003年~2009年)だ。

ぽっちゃりドジっ子少女のトン子が、行きつけの喫茶店のマスターやイケメン男子、幼馴染の女の子らと繰り広げるドタバタ恋愛劇を、2000年頃にあえて70年代~80年代の乙女チックマンガのタッチで描いたギャグマンガ……と見せかけて、実はトン子が岡本太郎やモネ、レンブラントなど美の巨匠の表現に打ちのめされては己の感性や生き方を見つめ直していく、アート批評や哲学の性質をもった前衛的なマンガ作品となっている。

トン子ちゃんが喫茶店にあった岡本太郎の美術本に衝撃を受けるシーン(『オッス!トン子ちゃん』1巻より)

トン子は1話目で岡本太郎美術館に忍び込み、作品に囲まれ、むき出しのエネルギー、赤裸々な美の陳列に感極まって”戦慄”する。

そのシーンはトン子そのものが70・80年代少女マンガラブコメのタッチで描かれながらも、体がはじけ飛び、周囲にはバラが咲き乱れる。

古風ラブコメのキャッチーさと、グロテスクな前衛アートに対する戦慄の、同居。

『サ道』のととのう表現において、昭和ギャグマンガ風のディフォルメとサイケデリックな背景で、健全性をもってトリップ感を描いたあの絶妙なバランスは、ここですでに完成を見ていたのだ。『ALTOVISION』の表現をとりいれつつ、『オッス!トン子ちゃん』で実践していた、商業性や大衆性を無視した感情の爆発をポップにスタイリッシュに描く手法も用いて、ととのったときの恍惚と覚醒を見事に視覚化してしまった。

タナカカツキ氏が『トン子ちゃん』や『ALTOVISION』というアートワークを手掛けていなかったら、「ととのう」状態の的確なビジュアルは生まれておらず、いまサウナブームもなかったのではないか。考えれば考えるほど、氏が『サ道』で生み出したサウナトランスの視覚化は、偉業として讃えずにはいられない。

終わりに

『サ道』の「ととのう」視覚化は偉大だった、という事実をここまでややこしく1万字近い文章で書き連ねって本当にすみませんでした。書店やポスターで『サ道』の「ととのったー!」を見かけるたび、サウナトランスをここまでポップかつ的確に描いてみせた所業に恍惚を感じる人が、一人でも増えたら嬉しいです。

あと本来ならば本記事は「このマンガのととのう表現がすごい! タナカカツキ『サ道』の偉業とサウナマンガルネッサンス」というタイトルで、『サ道』以降に数多く生まれたサウナマンガの中から推しの「ととのう」表現を紹介したかったのですが、すでに文量もすさまじいことになっているのでまたの機会とさせていただきます……!

サウナとマンガって、最高。

 

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他48件のコメントを表示
2021.12.18 12:53
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黒木貴啓 黒木貴啓さんに37ギフトントゥ

2021.12.18 12:57
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2021.12.18 14:46
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安全なオクスリを広めたタナカカツキ氏の功績は素晴らしいですよね! 楽しく読ませていただきました!
2021.12.18 15:02
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2021.12.18 15:31
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2021.12.18 22:22
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全サウナーに読んでほしい👏🏼
2021.12.18 22:26
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2021.12.18 23:30
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ナイスです!
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2021.12.20 09:39
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黒木さん発見しちゃった! 面白く読ませていただきました~❤️
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2021.12.20 20:19
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めっちゃ面白かったです
2021.12.20 23:16
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T
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2021.12.22 17:24
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2021.12.23 20:15
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2021.12.24 19:29
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2021.12.25 04:00
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TK
2023.11.17 12:24
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サウナトランス、ディープリラックス、ニルヴァーナ、ととのう